第2話 シェオル!ダイブ・イン!!

 兄貴の仕事中、オレは良い子でお留守番してるのが仕事みたいなものだから家のことを軽く済ませて自宅学習もさっぱり終わらせる。昼ご飯に昨日の晩飯の残りをもそもそ食べてると魔道発動体ガジェットに通知が来た。

 差出人の名義ハンドル吉祥天シュリー、知らない名義ハンドルだ。きっと魔道式精神遊離決闘シェオルの挑戦者だろう。魔道式精神遊離決闘シェオルは今流行の遊びだし、オレは兄貴と特訓した甲斐あってそれなりに腕の立つ方だったからこうして噂を聞きつけた挑戦者から名指しで魔道式精神遊離決闘シェオルの対戦を挑まれることもよくあった。

 メッセージは簡潔に一言、『第4緑化公園にて午後3時』とだけ書かれている。精神遊離ダイブの座標指定に必要な座標アンカーのデータがオレの魔道発動体ガジェットに展開された。『受けて立つ』、そんな言葉に常盤木エバーグリーンの署名をつけて送り返す。

 常盤木エバーグリーンっていうのは、オレが名乗っている名義ハンドルだ。魂が個人に紐づけられている現在では、個人情報流出はすなわち相手の生殺与奪権を握ることにもつながる。だから悪意ある相手とも渡り合う可能性があるこういう場では基本、名義ハンドルを名乗ることが多い。

 魔道式精神遊離決闘シェオルは大まかに分けて2種類ある。公式に審判ジャッジを立てて行う大会やスポーツと、審判ジャッジがいないか、いても素人で没入ダイブ・イン中の身の安全も保障されない非公式な闇魔道式精神遊離決闘シェオルだ。オレはもっぱらその中でも金が動く賭け魔道式精神遊離決闘シェオル決闘者ダイバーなんだけど、当然ダイブ中は無防備だし魔道越しでないリアルな暴力に晒されたり犯罪に巻き込まれる危険もあるから治安維持部隊ミトゥナ隊は非公式な魔道式精神遊離決闘シェオルを禁じている。

 ……建前はそのはずなんだけど。舞台定義文フィールド・コマンドさえ知ってれば誰でも没入ダイブ・インすることができるから、これは本当に建前だ。実際、相当大きな額が動いたり酷い暴力沙汰になったり、余罪を取り締まるついでくらいしか魔道式精神遊離決闘シェオルが原因で捕まることはない。

 オレは14時半には家を出て約束の10分前には緑化公園のベンチで魔道発動体ガジェットを操作して今回の舞台定義文フィールド・コマンドを編んでいた。ベンチの背もたれに背を預け、小さく息を吸う。あまり相手との距離が遠すぎると伝達に遅れラグが発生するから、既に相手もこの第4緑化公園には着いてるはずだ。魔道式神ペットと戯れる子供やジョギング中の青年。オレみたいにベンチに座って魔道発動体ガジェットを操作してる人も何人かいる。そして。

 遠くから小さく聞えてくるのは女の子の怒った声だ。

「ああ、もう!」

 トラブルに遭ってる女の子を放っておけるほどオレも人でなしじゃない。こういうところは兄貴譲りの損なところだ。声の方に駆け付けると、チンピラ風の男がオレと同じかひとつ上くらい、16、7歳ほどの女の子の腕を掴んで魔道発動体ガジェットを取り上げているところだった。

「それ、返しなさいよ!」

 女の子がチンピラ風の風体の男の腕を掴む。どうやら女の子の魔道発動体ガジェットを男が取り上げたらしかった。魔道発動体ガジェットの核になる、魂をエネルギーに変換するための焦点具レンズはそれなりに高価だから多いんだよなぁ、こういう窃盗って。

「へっ、魔道式精神遊離決闘シェオルで負けた奴は全てを奪われるんだよ。敗者にかける慈悲はねえってな」

 男が腕を思い切り振り払う。尻もちをついた女の子が悔し気に男を睨みつけた。

「あのさ、黙って聞いてたけどそれは違くないか?」

 女の子と男の間に割って入り、オレは魔道発動体ガジェットを構える。

「あぁ?この俺様が吉祥天シュリーと知ってて勝負する気かぁ?このクソガキ」

 凄む男に舌打ち一つ。こんな奴が今日の相手だったわけか。正直、こんな形にはなってしまったけどまともに対戦しても難癖つけられるのが関の山っぽい。残念だ。とても。

「そりゃ手っ取り早くていいや。常盤木エバーグリーンが受けて立つぜ。賭ける対象は、この子の魔道発動体ガジェットで文句はないだろ?魔道式精神遊離決闘シェオルは誰かを傷付けるためのものじゃないってこと、教えてやるよ」

 オレが名義ハンドルを名乗った瞬間、男の表情が愉快そうに歪んだ。

「へぇ……」

 男がオレを品定めするように視線を動かす。まさか。

「噂にゃ聞いてたけどよ、常盤木エバーグリーン……その髪色に瞳の色」

 やめろ、その先は言うな。オレの背を冷たい汗が伝い落ちる。

「まさか、あの」

 やめろ、やめろ!!

「……ミトゥナ隊の大エース、松柏のアストの七光りがこんなチンケなガキなんてな」

「やめろ!」

「けっ、こいつぁ傑作だぜ。『あの』松柏のアストの弟が闇魔道式精神遊離決闘シェオルやってるなんてな。おいガキ、兄貴はこのこと知ってんのかぁ?」

 男は笑いを堪えきれないとでもいうようにオレに下卑た笑みを浮かべて捲し立てる。うるせえよ。クソ。今は兄貴は関係ねえだろ。視線で訴えかけても男はぺらぺらと捲し立てるのをやめない。

「条件を一つ追加しようぜ。この女の魔道発動体ガジェットだけじゃねえ、お互いの魔道発動体ガジェットも賭ける、それでどうだ。ガキ」

 最悪だ。魔道発動体ガジェットを奪われれば確実に兄貴に闇魔道式精神遊離決闘シェオルをやってることがバレる。でも、でも。ここで引くのはオレのプライドが許さなかった。

「いいぜ。やってやるよ。あんたとオレ、全力を賭けて勝負だ」

 オレが啖呵を切れば男は満足気に頷いた。

「……ごめん、体は任せていいかな」

 耳元で囁くと女の子は小さく頷く。それを確認して魔道発動体ガジェットを起動、座標アンカーをタップして精神遊離ダイブ・インを開始する。目を閉じて魂が根源ゲヘナに吸い寄せられる瞬間の眩暈にも似た感覚をやり過ごせば周りの人からはオレが急に眠りに落ちたようにしか見えないだろう。闇魔道式精神遊離決闘シェオル決闘者ダイバーが捕まえにくいのには一見寝ているのと区別がつきづらいという理由もあるというわけだ。

 僅かな眩暈と視界が白く染まる感覚のあと、オレは――肉体という檻から解き放たれたオレの魂は。目を開く。視界にはいつものように「シェオル!ダイブ・イン!!」の文字が刻まれていた。

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