魔道決闘シェオル

笹上恭介

ヘンルーダ編

第1話 謎の夢!?兄貴とオレ!!

 其れは、永い永い夢を見ていた。長い黒髪はぬばたまの闇より深く宙になびき、鮮やかなシェーレグリーンの目は毒々しくも爛々といづれ消えゆく星の煌きを映す。其れはどこにでもいて、どこにもおらず、時間と空間とを超越して宇宙の中心の空に座ってはただ星の流れゆくを眺めていた。

 時折、夢を見るように其れは目を閉じ、流れゆく星の光に戯れるように白魚の指先を戦慄かせてはうっそりと微笑み、再び星をその瞳に映す。其れは其処に至ったときから――もっとも、其れに時間の流れる方向は関係なかったので、あくまで比喩としてだ。ずっとその魂を病み続けていた。其れはある意味で白痴であった。宇宙を睥睨し、そのすべてを識りながらもその何れにも識られず。其れが其処に在ることを識る者は誰もいない。

 其れがまた、ついと戯れに指を伸ばした。指差す先は大きくも小さくもない惑星だ。恒星のように輝きはしないその星は、ある時代には魔道という小さな小さな文明の灯を湛え、宇宙の孤独な闇に僅かばかりの光を投げかけていた。其れは、その星の灯を大層気に入ったらしい。虫けらのような無数の人の営みをじっと見つめる瞳に魔道の灯を映し、微かに微笑みを浮かべすらして星を覗き込む。きょろきょろと彷徨う視其れの視線は、ある一人の少年に注がれて固定した。にんまりと、三日月のように其れは唇を吊り上げて笑う。其れに意思表示のための言葉があれば『傑作じゃあないか』とでもいいたげな笑顔であった。

 其れは、渦越しにその少年の魂の裡に静かに根を下ろす。其れが根を下ろすということは即ち魂が其れに挿げ変わるということと同義であったので、その瞬間から其れは少年であり、少年は其れであった。もっと正確に言葉を選ぶなら、少年は其れの爪先であり、其れの睫毛の毛先ほどを指して少年と呼ぶような行いである。こうして、ある少年を自らの触覚として選んだ其れは、少年の生をただ静かに眺めることにした。少年は自分が其れであることを識らなかったし、其れそのものが世界に干渉しようとすれば、せっかく手に入れた少年という遊び道具が壊れる憂き目に遭うことが其れにはわかりきっていたので。そうして、其れは暫しの遊び道具を得、少年は目を覚ます。その星がよく晴れたある日のことであった。


第1話「謎の夢!?兄貴とオレ!!」


「ふぁああ」

大きく欠伸をしてオレはもぞもぞと布団を被り直す。なんだか宇宙みたいな妙な夢を見ていた気がする。夢の中のことはよく覚えていないけど、寂しい夢だったように思う。

「愛してた、みたいなんだよな」

夢で感じてたあの狂おしいまでの慕情は、身を焼くほどの後悔は。オレにはまだよくわからないけどきっと愛と呼ばれるものに近かった。連ドラなんてめっきり見てないけど、サスペンスな愛情の心当たりは残念ながら連ドラくらいしかない。正直、女の子と付き合うとかめんどくさいし男同士で魔道式精神遊離決闘シェオルやってる方が楽しいお年頃なのだ。兄貴に言ったら溜息つかれそうだけど。布団から片手だけ出してサイドテーブルの上の魔道発動体ガジェットを探り当てて引き寄せる。魔道発動体ガジェットのスケジュール機能で今日の予定を確認。個人認証用にちょっぴり魔力を流してやれば立体映像ホログラムが目の前に広がった。

150年前の魂の解明とそれによる動力革命はほぼ無尽蔵かつクリーンなエネルギーである魔力を根源ゲヘナから魂を通して引き出すことで誰にでも簡単に扱える技術にした大幅な技術革命である。そんなことは誰でも知ってる常識だ。今どき最初の学習用記憶子メモリに載ってるから6歳のガキだって知ってる。

それで、オレの今日の予定はというと、午前中は自宅学習で午後は自由時間らしかった。100年くらい前までは子供は子供で学校という場所にまとまって集団で学習していたらしいが魔道発動体ガジェットが普及するにつれて学校は廃れたようで、今は3歳から5歳の集団初等教育と職業ごとのカリキュラムの希望者だけのフィールドワークにその面影を残すだけになっている。必要な知識は記憶子メモリを読み込めばいつでも表示できるし、魂に直接刷り込みインプリンティングすることもできる。良い時代になったと思う。

とまあ、そんなわけで今日も平和に一日が始まって、オレはトーストをかじりながら兄貴がばたばたとあわただしく支度するのを眺めている。オレの兄貴、アスト・エバーグリーンは国が誇る治安維持部隊ミトゥナ隊のエースだ。

「ヘンルーダ、どうして起こしてくれないんだよ!」

母さん譲りの癖の強い黒髪をブラシで撫でつけながら兄貴が唇を尖らせる。あのミトゥナ隊の大エース、松柏のアストと呼ばれる男もプライベートじゃこんなもんだ。これじゃ彼女を連れてくるのは当分先になりそうだ、なんて溜息をつくオレを見咎めて兄貴が近寄ってくる。

オレと兄貴は今、父さんと母さんの下を離れて二人で暮らしている。そもそものきっかけは、兄貴がミトゥナ隊に配属されて首都勤務になったことだ。表向きは、オレがゴネてついて来たことになっている……が、現実は違う。

「今日も早いって言ったのに昨日お前が一緒に寝たいって言うから今駆けずり回る羽目になってるんだけどな」

兄貴が耳元で囁く。欲に濡れた低い囁きに思わずごくりと唾を呑み込んで兄貴を横目で睨みつけるとニヤケ面と目が合った。腹が立ったので襟首を引き寄せて唇に噛みつくようにキスする。歯がぶつかって痛いだとか関係ない。やられっぱなしは性に合わないだけだ。

しばらく舌を絡めながら兄貴の唇を堪能してると、兄貴が肩を強めに叩いてくる。酸欠か?

名残惜しいが唇を離した。兄貴の目元が赤い。欲情しきった顔で、兄貴はオレを睨みつけてくる。朝から最高の眺めだ。

「急いでるって言ってんだろ馬鹿!」

唇を支給品のパーカーの袖口で拭いながら、兄貴は捲し立てて手首の魔道発動体の時計を見る。げぇ、とでも言いたげな顔をした。

「やっべえもう時間がない!」

慌てる兄貴に弁当箱を渡しがてら玄関に立って目を瞑る。ん、と唇を突き出した。

「行ってきますのキスは?」

「もうしただろ?」

なんて言いながらも頬を掠めるようにキスして出ていく背を見送る。いつだったか、「新婚さんみたいだな」って言ったら兄貴、真っ赤になってたっけ。

とまあ、そんな風に。なんの話だっけ?そうだそうだ。オレと兄貴の関係の話か。表向きは仲睦まじいただの兄弟であるところのオレ達だが、現実にはヤることヤってる仲ってわけだ。同性愛なんて今時別に珍しいもんじゃないけど、兄弟同士だと話は多少ややこしくなる。父さんと母さんはどんな教育をしてたんだ、って怒る大人がいるかもしれないけど、ゲヘナに誓って二人は悪くない。オレは昔から9歳年上の兄貴が大好きだったし兄貴もオレを好きでいてくれた。ガキの好奇心が好きって気持ちを越えて、行動に変わるのなんてそう不思議なことじゃない。兄弟同士の微笑ましい戯れがたまたま一線を越えてしまっただけだ。あの日から3年、未だに関係が続いてるあたりを責められたら何の言えないけど。このことは、父さんも母さんも知らない、オレと兄貴だけの秘密――墓まで持っていく類いの秘密だ。

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