第2話

「あの…子猫…明日、捕まえて俺んちに閉じ込めてやる‼」

 微かに残るハーブティの香りが、俺を撫でてくれた。


  総菜屋でからあげと揚げシュウマイを買って、コンビニで猫缶を2つ買った。

 いつもの銭湯の角には子猫があくびしていた。

「おい!」

子猫はビックリしている。

「着いてこい‼」

子猫は耳を下げて渋々着いてきた。

「どこ行くんですか…?」

「俺んちだ‼お前は余計なことするから俺んちに閉じ込めてやるんだ」

「だって優子さんに頼まれたんですよ!」

「そんなの知らん!」

「嫌な思いしたんですか?」

「…」

「逆だよ」

子猫はニッコリして俺の前に来た。

「逆だって事は良い思いしたんですか?」

「ハーブティ飲んだ…」

子猫は顔をかしめてオエッとしている。

「なんだよ」

「不味そう…」

「上手かったよ」

子猫はニヤニヤしている。

「なんだよ!」

子猫は更にニヤニヤしている。

「あああ!!お前は!俺があの女に惚れたと思ってるだろ‼」

「違うんですか?」

「違うわい!…そうだったとしても…無理に決まってるだろ‼」

「なんでそう思うんですか?」

「解るだろ⁉…あんなマンションに住んでる女とこんなボロアパートに住んでる奴が上手くいくわけ無いだろ‼」

子猫はボロアパートをみてガックリしている。

「確かに…釣り合わないですね…でも、僕は…此処より優子さんのマンションに住みたいです」

「なぬ⁉」

「だって…ボロ過ぎません??」

「お前なぉ!じゃ優子さんのマンションに行け!バカ!…これ自分で持っていって優子さんに開けてもらえ!」

俺は猫缶のビニールを子猫の前に置いて部屋に入った。


 今日は子猫も北原さんも居なかった。

 スーパーに寄ってたから時間がずれちゃったのかと思いながらマンションへ帰った。

 マンションの入口の植木に子猫が居た、何故かビニール袋をくわえている。

「どうしたの?」

「北原さんは最低ですよ!」

「なんかあったの?」

「僕の事を自分の部屋に閉じ込めてやるって言うからついていって、アパートの事をボロって言ったら、じゃあ優子さんとこでも行け!ってこれもって…」

「北原さんは酷いね…」

優子は少し笑った。

「なんで、北原さんは君を閉じ込めてるなんて言ったの?」

「…優子さんの事が好きになっちゃうから…僕が余計なことをしないようになんだってさぁ…」

「…可愛らしいね」

「どこがですか!あんなヤツ!」

優子は、子猫を抱き上げて猫缶の袋を拾った。

 そのまま自分の部屋に行った。

「ここに住めば良いよ!」

子猫は部屋中匂いを嗅ぎまくっている。

「喋れるのに仕草は猫ちゃんなんだね」

子猫はチラチラと見ながら部屋中を散策している。

「お腹すいた?」

子猫は駆け寄ってきた。カウンターキッチンに飛び乗り、早くしてくれと言う仕草をしている。

「ちょっと待ってよ!」

優子は缶詰を子猫の邪魔を避けながら開けて、高価な皿に移した。

 子猫はフガフガ言いながら北原の缶詰を食べている。

「これ食べたらお風呂入るからね!」

子猫は耳だけをこちらに向けている。

「此処に住むならお風呂に入らないとダメだよ」

子猫はチラッと見た。

「昨日入ったから今日はいいです」

「嘘つき…」

子猫はニヤニヤしている。

「爪も切らなくちゃだよ」

子猫は手を隠した。

「北原さんに貴方が此処に住むことも言わなくちゃいけないね」

子猫は数回頷いた。


 それから二週間くらい北原とは顔を合わせていない…。


 時間はいつも同じなのだが、優子は毎日あの角でしばらく立ち止まっているのだが…。

 最近は子猫もあまり喋らなくなっている。ただ、遊んで寝て食べて、また遊ぶだけである。

「最近、北原さん見なくなったよ…なんかあったのかな?…」

子猫は無視してボールで遊んでいる。

「北原さんのお家知ってるでしょ?」

子猫は無視して水を飲んでいる。

「今から連れていってくれない?」

子猫は無視して毛繕いしている。

「もう!無視してばっか」

優子は子猫を抱き上げて玄関を出た。

 エントランスを出た。

「どっち!」

「…左」

高速道路まで来た。

「どっち!」

「左…」

タバコの自販機を越えて信号を渡って、真っ直ぐ歩いた。

「あ!」

「なに?」

「通りすぎちゃった」

「もう!」

直ぐにUターンした。

 少し歩くとボロアパートがあった。

 ギィギィ音のする階段を上がり二階に行き、一番奥の部屋に着いた。

「ここ?」

「うん」

「電気着いてないね…」

「まだ帰ってないのかな?」

「もう九時だよ…帰ってるはずだよ」

優子はノックした。何度もノックしてるうちに気づいた。


ここ…誰もいない…。

たぶん、誰も住んでいない。


 優子は隣の部屋を尋ねた。

 お婆さんが出てきた。

「あの…お隣さんの北原さんは…」

「あぁ、先週引っ越したよ」

「…」

「貴女は…優子さん?」

「え…は、はい」

「これ預かってるよ」

お婆さんは手紙を優子に手渡した。


 優子は足早に自分のマンションへ帰った。だっこしている子猫に手紙をくわえさせている。


 部屋に着いてケトルでお湯を沸かして、ハーブティを入れて…手紙を開けた。


ゆうこさんへ


恐らくあの子猫は、そちらへ行っていると思います。邪魔なら放り出してください。


自分は今まで他人との接触を避けてきました。他人を信じる度に裏切られてきた事がトラウマになっていて、立ち直れない…立ち直らない…そんな事を思いながら過ごしてきました。そうしているうちに他人が黒い影にしか見えなくなりました。自分もそのうちに黒い影になっていくのだろうと思っていました。

でも、ゆうこさんを見た瞬間にこんな自分でも微かに何かが芽生えようとしているのに気づきました。頂いたハーブティの香りも落ち着く玄関も、自分と不釣り合いな環境にいる人に思いを寄せるなど贅沢な自分が嫌になりました。

自分は住むところを代えます。こんな手紙を残してしまい、申し訳ありませんでした。


追伸

あの時、お部屋に上がらなかったのは、靴下に穴が空いていたからです


北原清二


はぁ…。


 久し振りにため息が出た。


「何を期待していたんだろう…」

あんな積極的に男の人に話しかけたり、部屋に上げたり、北原さんに何を期待していたんだろう…。

 アタシがする度に北原さんに迷惑を掛けて…良かれと思っていたけど…違ってた。北原さんの、あの雰囲気に酔っていたのかも…。何となく自分と同じ匂いのする人だから…この子猫と同じように甘えてしまったのかも…。


「ねぇ…」

「なに?」

「北原さんの仕事場…たぶん解るよ…」

「へ?」

「だって…あのお惣菜屋の先の角からいつも出てくるもん…あの先は、工場は一件しかないから…たぶんそこだよ」

「ちかっ‼」

「近いよ」

優子は子猫を抱っこして笑った…。

「いつでも会えるかもね」

「うん…あそこのお惣菜屋に居れば会えるよ。五時十五分にいつもあそこのお惣菜屋で買い物してるからね!」

「君はキューピッドだね」

「でしょ?明日はモンプチ買ってきてね!」

「もう!…良いよ!」

優子は子猫をギュッとした。


 心の乱れが嘘のように消えて、一気に晴れ渡った。


 後日ー。

 五時十五分ー。

 お惣菜屋に行った。

 美味しそうなお惣菜が並んでいて、優子はチーズを挟んで揚げたはんぺんとウィンナーの揚げ物を二つ買った。ポテトサラダも買った。北原を待っているだけなのに、お惣菜に夢中になってしまった。

「その、はんぺん上手いっすよ…」

振り返ると北原が立っていた。

 優子は…お惣菜屋に「はんぺんをもう一つ…あと唐揚げも!」と言った。

 北原を見た。笑っている。

 お惣菜屋の袋を受け取って、そのまま北原の手も握った。北原は目を丸くしている。

「ご飯…炊いたから…炊きすぎたから…一緒に食べましょう!」

そう言って手を引っ張った。

 北原も嫌がらずに着いていった。

「あの…」

「はい?」

「ウスターソースはありますか?」

「無いです…」

「じゃあ、肉のハナマサに買いにいきましょう…」

「はい!」

「途中にスカイツリーが綺麗に見える場所があるんですけど…行きませんか?」

「行きましょう!」

北原は優子の手を握り返して、優子を誘導するように歩いた。

「この保育所の角を曲がるとスカイツリーが綺麗に…あああ!!」

「どうしました?」

「雲ってて見えない…ごめんなさい」

「じゃあ、明日また来ましょう!」

「…ですね」

二人は手を離さないで肉のハナマサへ歩いていった。


 言葉ではない…。

 見た目でも…立場でも…運命でも、必然でも…そんなことはどうでもいい。ただ、なんとなく何気無く、ふとした時だけ、ふとした瞬間に受け入れて、入り込む…。離れようと思っても、見えない鎖が繋がれていて、離れたくないもっと近付きたいと、マイナスに思えば思うほど…プラスになっていく…辞書には乗っていない…ググっても出てこないのが好きな人の情報で…自分で相手に伝えるしか方法がなくって、クリックするのに勇気が必要で…でも、相手にはバレてる。何故だかばれている…。


「あああ!!モンプチ買うの忘れちゃった!」

優子は玄関先で笑った。

「あいつ、またなんか余計なことをしたんだな!」

俺も笑った。


 俺は優子に近付きたいと思い、ボロくて狭いけどオートロックのマンションへ引っ越した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あああ! 門前払 勝無 @kaburemono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ