第4話 転移

 結局その日は担当範囲の1/5程の面積をスキャンしただけで暗くなった。


 一人きりで樹海での夜営、普通の人間にはまず出来ない。眠り込んでしまったらそのまま目覚めずに魔物の腹の中なんてことが、まあ半分くらいの確率で、ありうる。


 俺は樹冠に近い、枝分かれした部分に腰を下ろし、尻の下に小さなクッションを置き、背中をもたせかけて眠ることにした。背中には背嚢から出した丁度身体の幅くらい、長さ50cmくらいの板を当てる。そうでないとごつごつして痛い。いろんな用途に使えるのだ、これは。食卓にもなるし、盾にもなる。突撃銃の弾くらいなら防げる。まあ、そんな物が当たれば貫通しなくても物理的な衝撃で吹っ飛ばされるけれど。

 背嚢は手近な枝に掛けておく。不寝番はアリスがやってくれる。A.I.だから眠る必要も無いし、可視光線がなくても周囲の様子を知ることが出来る。一晩二晩寝ずにやり過ごすことくらい出来るが、眠れるときには寝ておくのが賢いだろう。背嚢から取り出した携帯食で簡単に夕食を済まして俺は眠りについた。


 その晩は1回、蛇型の魔物が枝伝いに近づいてきただけで一応きちんと眠れた。蛇型魔物はアリスの触手からの電撃で麻痺して落ちていったと、目覚めてから報告を受けた。


「遠かったので回収しませんでした。降りれば回収できたのですが、そんなことをすればアヤトの側を離れることになりますから」


 何時間も前のことなら、今更回収に行ったところで骨も残ってないだろう。小さな魔結晶を地面の堆積物の中から探すのも面倒くさい。


 携帯口糧と空気中の水蒸気から絞り出した水で手早く朝食を済ました。樹海の周辺は常に湿度が80%以上あるので、魔法で飲食に使う量くらいの水は簡単に手に入る。魔法で湯にしてインスタントのコーヒーを飲んで朝食は終わりだ。


「活動開始」


 気の進まない作業は、あらためて口に出して自分を励まさなければ始める気になれない。


 また1m1m、舐めるようにスキャンして、丁度昼頃だった。


「輸送機の消失地点と推定される所に掛かります。距離の誤差は±200mです」


 アリスからの報告だった。何の変哲も無い景色だった。眼下にはただひたすらに樹冠が続いていた。


「金属反応は?」


「ありません」


 そんなものがあれば捜索機が気づいてなければならない。単なる確認だった。それでも飛行速度を落としてことさら慎重に探索した。なにもひっかから……、



――とっ!――


 背中がぞくっとした。


「アリス!?」


 次の瞬間、俺を取り巻いている景色が全て消失した。俺はとっさにアリスを抱え込んだ。


 眩しい!!


 瞬間、バイザーが遮光モードに変わったが、それでも目を瞑らなければ網膜が痛くなるほどの眩しさだった。


 ――そんな光は直ぐに消失したようだ。


 俺は恐る恐る目を開けた。周囲の景色が一変していた。


「なんだ、これは?」


 樹海が丁度真下の辺りで途切れている。その西は岩だらけの草原になっている。ずっと樹海が続いているはずなのに……


――どこかに飛ばされたのか?―― 


 口に出していたようだ。アリスから返事があった。


「ううん、場所は動いていないよ。見えている山の形はおなじだし、眼下の地形も樹木をはぎ取れば変わってない」


「えっ?」


 自分が抱きしめているのは何だ?直径50cmの球体じゃない。手に触れるのは布の手触りだ。そして柔らく暖かい。


「アヤト」


 呼びかけられて俺は思わず手を離した。そして後ずさりした。


――目の前に浮かんでいるのは、


 水色のワンピースに白いピナフォアを着た銀色の髪の少女だった。まっすぐな銀色の髪は腰の辺りまであって身体の周りできらきらと光っていた。ワンピースは肘までの袖丈で、スカート部分は膝を隠すか隠さないかの長さだった。ピナフォアの縁はレースで縁取りされ、前に大きなポケットが付いている。ワンピースと同じ水色の靴下を穿き、靴は黒だった。まるで人形のような、という例えがぴったりくるような綺麗な顔をしている。前髪が眉の所で切りそろえられ、大きなぱっちりした眼は碧色、形の良い鼻とぷっくりした唇、そして人形めいた印象をさらに強めるのは14~5歳くらいに見えるのに、その身長が70cmくらいしかないことだった。小さくて、均整の取れたプロポーションを持った身体だった。


 少女は不思議そうに自分の手を見、その手で胸やスカートをさわり、それからにこっと笑うとスカートの端を両手でつまんで少し拡げ、片足を引いて俺の方に向かって優雅なお辞儀をして見せた。


「この姿では初めてだよね、アヤト。アリスです、よろしく」


 戦闘用A.I.のアリスと同じ声だったが平板さがなくなり、ずっと艶やかになっていた。


「いっ、いったいどういう……」


 俺が口ごもるのに、


「信じられない?」


 思わず俺は首を横に振った。いくら特異宙域とはいえ、突飛に過ぎる。


「悲しいな。同調しているのは分かっているんでしょ?」


 その通りだ、戦闘用A.I.のアリスと変わらずに、俺の魔力パターンと同調している。アリス以外にここまで俺に対してパーソナライズされたパターンをもつ存在があるとは思えない。


「だから、ボク、アリス。信じてよ」


 そう言って、目の前でくるりと回って見せた。銀の髪が小さな顔の周りで煌めき、スカートがふわっと広がった。


「なぜ……?」


 そうだ、目の前にいるのは間違いなくアリスだ。視覚以外の感覚がそうだと言っている。俺が15歳で特殊兵ワンマンアーミー候補生になって以来13年間、特殊兵になってからでも11年間行動を共にしてきた戦闘用A.I.のアリスだ。

 俺の問いにアリスは目を伏せて、


「解析不能……かな。自分の性能の及ばないところはスルーするの。でないと壊れちゃうもの。でも、この格好アヤトは嫌い?ボクは結構気に入ってるんだけれど」


 上目遣いにこっちを見てくる。可愛い、あざとい。


「い、いや。可愛いと思うよ。うん、可愛い、嫌いじゃないよ」

「良かった。アヤトに気に入って貰って」


 ぱあーと笑顔になったアリスが俺に飛び付いてきた。手を頸に回して頬を付けてくる。アリスの手も俺の頬にくっつけたアリスの頬も少し冷たかった。俺はアリスの背中で手を組んで、くるくると3度ほど回って手を離した。アリスはふわっと飛んで、俺の目の前できれいに立った。そして頸を僅かにかしげて嬉しそうに笑って見せた。人形めいた顔が人間らしくなる。


 俺は捜索を続けることも忘れて、しばらくアリスに見入っていた。




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