第37話 迷宮に囚われている迷探偵
「……鳩、ちゃん……?」
ぼそっと耳元で聞こえた声は、昔懐かしい枢の呼び方だった。
ちゃんづけは恥ずかしいから君づけにしてくれって言ったのに、まだちょっと気を抜いただけで出ちゃうのかよ。
はっ、として、口を押さえるけど、遅いよ、もう。
まあ、いいや。
その声を聞いて、俺も心を持ち直した。
モチベーションがぐんぐん上がる。
アドレナリンが全開だった。
きりっとした表情に戻し、枢が、
「……今は、どういう状況なんですか?」
「敵の死神が目の前にいる。危ないから離れてろ」
そう言い、枢をさらに後ろへ退かせる。
その動きに気づいたシックスセンス・フォーが、ないはずの目をぐるんと動かした気がした。
そんな雰囲気を出しているのが、なんとなく分かる。
『元気そうでなによりだ。我が、主』
その言葉に反応したのが、ミヤノ・こねぎ――、
ちっ、厄介な考えを持ったわけじゃないよな?
「今、主って――」
「っ! お前らっ、どこでもいいから、走れッッ!」
人間はさすがに反応できず――しかし、死神の方は俺の声をよりも早く殺気を感じ、すぐに動いた。
主を連れて、一目散に距離を取った。
その距離は四方……、
ギャンブル・バニースターは東へ、
カウントダウン・ハイパーは北へ、
レジェンダリー・ボックスは西へ、
そして俺と枢、メビウス・フォーマットは、南へ。
――真ん中の大地が割れた。
シックスセンス・フォーは、その細腕からは想像できない力を発揮した。
一瞬で、蟻地獄のように中心地点へと吸い込まれるような急斜面に変化した大地。
俺たちはなんとか、さらに距離を取る事でシックス・センスフォーの魔の手から逃げ伸びる。
無事だったのは、俺たちだけだった。
白と黒の天使のような悪魔は、割れた大地の瓦礫……、
大きな岩の塊をキャッチボールをするような軽さで遠投した。
当然、受け手はおらず、キャッチボールというよりは、だから壁当てみたいなものだ。
世界という規模で言えば壁はなく、放物線を描くように岩は落ちるため、落下地点はめちゃくちゃになる。
……例外なく、全てが破壊される。
駅と整備場が、落石によって破壊された。
天災レベルの事故……。
見える現実が受け入れられない。
大量の人々が今、死んだはずだ。
あっけなく、あっという間に。
俺は……、
やり直すべきなんじゃないかと、そう思った。
ここまでの死者が出て、今更――成功もなにも、ありはしないのではないか。
そして勝利の目を潰されたと言っても過言ではないだろう。
整備場が破壊された――つまり、いや正確には分からないが、彼が死んだ事を意味する。
意味してしまうのだ。
それに気づかない、彼女じゃない。
純粋な攻撃力だけをランキングすれば、堂々の一位をもぎ取っていく。
カウントダウン・ハイパー。
その主である、ミヤノ・こねぎ。
「お父さん……」
思ったよりは静かだった。
しかし顔はこちらに向けていないはずなのに、なぜか、殺意はこっちを向いている。
俺に、というよりは、枢に。
――正体に気づきかけたからこそ、向いた怒りだ。
「おい、ミヤノ・こねぎ……落ち着け。枢は、関係ない!」
「うるさい! じゃあ、言いなさいよ!
なんであの死神が! その女の事を、我が主って言ったのよ!」
こんな事をしている場合じゃないのに。
仲間同士で争っていたら、勝てるものも絶対に勝てないのに――!
くそっ、これもシックスセンス・フォーの介入か!
『父親が死んだのは、あの女のせいだ』
催眠をかけるように、シックスセンス・フォーがこねぎに囁く。
その二重の声が尚更、催眠をかけているように感じてしまう。
悲しみと怒りがごちゃまぜになったこねぎの精神状態は良くない。
催眠とか関係なく、言われた事をひたすら鵜呑みにしてしまう危険な状態だ。
都合のいい解釈は、するりと頭に入っていく。
逆に、俺が言ったみたいな都合の悪い解釈は、受け付けない。
言った者を敵とみなす。
全てが、シックスセンス・フォーの小手先の操作のせいだった。
糸で操るマリオネット。
まずいな、完全に、あいつの箱庭に入っちまった。
「あ・な・た。どうするのじゃ? 久しぶりに、やり直すとしようか?」
「いや――」
俺は勧誘を蹴る。
その代わり、一つ、頼みがある。
逆に、俺の尻を蹴ってくれ。
「えいっ」
と可愛らしい声を出して蹴ってくれたはいいが、弱いな……。
まあ、しかし、引けた腰は元の位置に戻った。
「説得するのかのう、それとも、叩き潰すのかのう?」
「ケースバイケースだ」
どっちもできる。
そのための情報は頭に入っている。
探偵ではあるが、推理はできない。
俺はただ、既に一度見ているだけなのだから。
俺は決して進めず、迷っている――だからこそ迷探偵なのだ。
時間の迷路に、囚われ続けている。
俺が望んだわがままの結果だがな。
推理ができないくせになぜ迷探偵を名乗っているのかと言えば、憧れがあったからだ。
言葉にしてしまえば実力がおのずとついてくるだろう、という企みもあったが、現時点ではまったく、気配すらない。
大口を叩けば現実になるというのはデマだったのか……、ともかくだ。
謎解きに、魅了された。
面白さに取り憑かれた。
単純に、謎を解くという行為が楽しかった。
しかし後になって思ってみれば、推理をするのが楽しかったのではなく、彼女が出した謎を解き、謎解き談義をするのが楽しかったのだろうと思う。
毎日毎日、まあ、当たり前ではあるんだが、彼女は俺の部屋に訪ねてきたのだ。
訪ねてきては、考えたのか仕入れたのかは知らないが、謎を俺に渡した。
寝たきり生活の俺にとってはそれが唯一の楽しみだった。
三度の飯よりも、謎解きが楽しみだった。
病院食って、すっげえまずいんだよ。
二度と食べたくないのにきちんと三度も出てくるのだ。
健康になるために苦い思いをするのなら、健康体でなくていいのではないか……、
あの時の俺にとっては、今更だった。
健康なんて、意味なんてあるのかと。
たとえるなら、壊す予定の家を掃除してどうするのか、と。
それでも掃除をしていたのは、つまり、俺以外は諦めていなかったのだろう。
俺ですら諦めていたのに。
ふんっ、物好きな奴らだなあ。
そう思っていた。
だが真実は、諦めなかったのはただ一人の彼女であり……当時は少女だった。
今ではなんでもそつなくこなす優秀な美人ウーマンだが、当時は失敗ばかりの世間知らずなお嬢様だった。
家が病院とだけあって、金持ちで、本人は乗り気ではなかったが、跡取りに指名されていた。
ま、一人っ子というのもあるだろう。
大変なんだなあ、と他人事のように見ていた。
目で追っていた。
だからというわけではないが、彼女はなぜか俺に目をかけた。
それが仕事なのだと言えば、俺も理解したのに、あいつは一度たりともそれを言わなかった。
仕事だから言う事を聞いてと言ってくれれば、俺も了承したはずだ。
他人の好意を信用しなかった当時の俺には、効果的な言葉だっただろう。
簡単に言う事を聞いたのに……、だがあいつは、俺を楽しませようとした。
生きるための――楽しみを与えようとした。
そして俺はまんまと、推理小説にはまったのだった。
そう、あいつの手の平の上のように。
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