第35話 魔獣×死神

 ふーん、と相槌を打ち、ハイスライムを見る。


 通常、スライムは這うだけの運動能力しかなく、

 喋る事も一言、二言……三つ、までしか覚えられないんじゃなかったっけ? 

 四つ目を覚えようとしたら、一つ目を忘れる。

 その上位種って事は、素直にグレードアップしたと考えればいいのかな。


「そうですね、グレードアップ。

 頭脳はほとんど人間と変わらず、体の形状も自由に変えられ、学んだ内容から応用させる事も可能です。人付き合いができるというのが大きな進歩でしょうか」


 人付き合い……、人間ですら難しい事を……!


「八百屋の店主に化けていたのも納得ですね。どうやって入り込んだのかは知りませんけど、人間社会に溶け込んでしまえば生きるも逃げるも自由ですから」


「そのためにはおばちゃん(本物)を攫う必要があって……あれ? 

 でも、だったらなんであんなに大量に人を攫う必要が……」


「目撃者がいたら困りますから、一緒に攫ったか、単純にどれに化けるか悩んだのか……、

 はたまた、まったく違う目的で攫ったのかもしれませんね」


 へえー、なるほど。

 本当によく回る頭だ。

 私はちんぷんかんぷんで目が回っていたというのに。


「なんで分かるんだよ……」


 ハイスライムが呆然としながら滞空していた。

 今の内に逃げたりしないのは、余裕があるからか。

 いや、それとも、逃げられない、とか?


 立ち塞がるのは枢さん。

 その迫力と威圧感に、一歩も動けなかったりして。


 歩み出すための足が、彼にはないのだけど。

 すると彼は、一か八か、そんな心意気で突っ込んできた。

 びゅんっ、と風切音を鳴らして、私の目の前に迫ってきたと思ったら、一瞬で消えた。


 そのままダックイン。

 急降下したハイスライムを私の目は捉えられず、見失った。


「おおお!」

 と声が聞こえ、下を見れば、なぜかハイスライムが立ち止まっていた。


 いや、繰り返すけど、足はないんだけど。

 だから空中で急ブレーキし、滞空したと言うべきだ。


 私の方を見て、おおおおー、と感動の声。

 嬉しそうだ。

 幸せそうな表情。

 反して、私はぞくっと、背筋を虫が這うような、そんな怖気を感じた。


「エロいパンツ穿いてるな。なんでちょっと透けてるの?」


 言葉なく私はハイスライムを踏み潰した。

 ぶしゅうっ、と液体が飛び散るが、知った事じゃない。


 記憶を消せ、と念じながら何度も何度も踏み潰し、

 息が荒くなったところで、とどめの一撃。


 あー、全然やり足りない……。


「意味ないですよ、スライムに物理攻撃は基本効きませんから」


 枢さんの言う通り、飛び散った液体は不気味に蠢き、中心地点へ集まっていく。

 そして、さっきまで低空飛行をしていた変態スライムの形を作った。


 満足気な顔は変わらず。

 鍋に閉じ込めて沸騰させたら死ぬんじゃないかなー。


「ナイスアイディアですね、それ」


 むんず、とハイスライムをがっしりと掴む枢さん。

 なんと、掴めるのか。

 潰せたって事は、貫通するってわけじゃないのは確かだけど。

 まさかそんなにあっさりと持てるとは思わなかった。


 ハイスライム、改め変態スライムはじたばた。

 小っちゃな手をぶんぶん振り回す。

 まあ、変態でも、こういったマスコット的な動作は可愛い。

 性格は最低だけど。


 場所が八百屋で助かった。

 ちょうど機材がたくさんある。

 八百屋はおばちゃん一人で回していたため、おばちゃんとお客がいない今、自由に使える。


 鍋を取り出し、ハイスライムを詰め込んだ。

 蓋をする。

 テープでがっちがちに固定する。

 そしてコンロに鍋を置いた。

 あとは火を当てるだけだ。


『待て待て待て! 分かった、謝るから! 

 すまん、つい目に入っちゃったんだ! ほんとだよ、ほんとなんだってば! 

 透けてる下着見たら透けてるって言っちゃうと思うんだよなこれがー!』


「透けてるを繰り返すな。そこまで透けてないでしょ!」


 実際、透けてるんだけど。

 でもそういうデザインなだけで、大事なところは守られてるからね!?


「ま、あなたの性癖は置いておいて」

「私を痴女扱いしましたよね」


 はて、違うのですか? と本気で質問された。

 ……違うよ。

 ヌード写真をあげるとか言っておいてなんだけど、そう易々と裸を見せるもんですか。

 信頼した相手にしか見せないよ!


「はあ、穿いてたのはたまたまなのよ……滅多に穿かないのを見られたなんて……」


 カチッ。


「なんでたまたま穿くんですか。こうなると、穿くべき時が気になりますね」


「いやあ、ただのお守りみたいなものですけどね。

 奇術師の先輩……こっちは痴女なんですけど、その人から貰ったんです。

 その先輩は、いつも満員のショーをするので、ちょっとでも恩恵を貰えたらなあ、と」


「なるほど、自己暗示ですか」


 言い方! そうだけどさ。

 集中力を高めるルーティーン的なものと思ってくれれば、分かりやすいかもしれない。


「昨日、ちょっと汗を大量にかいて……。

 下着まで替えていたら、ストックがこのパンツにまで到達しちゃって……!

 だからたまたまなんですってば!」


「まあ、そういう事にしておきましょう!」


『忘れてるだろうけどさっきコンロの火を点けたよねえ!? 熱ッ、熱いんだけど!』


 いつ沸騰するかなー、三分くらい? 

 くぐもった声に聞こえない振りをし、さり気なく火力を上げたところで、


「ゆか!」


 と鋭い声。


 それが枢さんの声だと、押し倒されて気づいた。

 私だけが倒れ、枢さんは立ったまま。

 私を突き飛ばしたのか……、


「!?」


 見上げると、枢さんの後ろには牛の骨がいた。

 マントをはためかせ、枢さんを包むように。


「枢さん!」


「あ、やっぱりいますか? 

 気配は感じるんですけど、残念ながら見えませんからね。

 どうしたらいいものか――」


「横でも前でも避ければいいでしょう!」


 思いつくでしょうそんな事! 

 五感も六感もなくとも!


「知ってますよ。しかし避ければ、あなたが標的になるでしょう――」


 ……え? と、私の声。


「それでは意味がない。なんのために悪意を持って突き飛ばしたと思ってるんですか」


 悪意あったの!? 

 日頃の恨みを乗せたって!? 

 日頃って、頻繁に会っていないでしょうが。

 まだ三回目くらいですよ!


「悪意は嘘ですけど。好意を乗せたというわけでもありませんね。まあ、しかし、どちらが残れば有利になるか、分からないほど、蜂の巣みたいな頭はしていませんよね?」


 ……? 

 穴だらけ、とでも言いたいの? 

 空洞って事か!


「残るとしたら当然、私――」


 だから、私を突き飛ばして枢さんは犠牲になった……。


 殺されるわけじゃない。

 本当のところは分からないけど、こねぎちゃんの推理の通りなら、あの牛の骨に、保管されているだけで、それ以上はない。

 でも、だとしてもすぐに助け出せるとも、必ず助け出すとも約束はできないのに。

 それなのに自分を、犠牲にして――。


 ああもう、重いっ、つうの!


 私は火力をさらに上げる。

 これはがまん勝負――沸騰するか、枢さんが奪われるか。

 意地の張り合いだ。


「死神を止めなさい。さもないと、本当に沸騰させるわよ!」


『違う違う、オレの指示じゃないって! 死神が勝手にやってるんだよ!』


「嘘つくな!」

『嘘じゃないってば熱ぅッ!』


 相手の語調が弱くなってくる。

 とうとう熱さも限界にきているらしい。

 このまま沸騰させれば、あの死神も――、


 振り向いたら牛の骨が近くにいた。

 鼻先が触れそうで、彼の影の中に、私はすっぽりと入ってしまっている。


 射程距離内、というか、ゼロ距離だ。

 射程もなにもない。

 抱きしめられたとしてもおかしくはない距離感。


 枢さんはもういない。

 吸い込まれたのだろう。

 こねぎちゃんのように。


 そして今度は私か。

 しかし、しないのは、ハイスライムが人質として機能しているから。

 なら、そこを利用しない手はない。


「言葉は、通じるのかしらね……」


 こねぎちゃんの死神、カウントダウン・ハイパーは、携帯端末にメッセージを送り、意思疎通をしていた。

 だったら、この牛の骨はどうやって――、


 牛の骨は、火の点いたコンロを腕の甲で叩き割った。

 散った部品と一緒にハイスライムを入れた鍋も転がる。

 がっちがちにテープで固めた蓋はそれでも開かず、中の液体は加熱から解放された。


 今は常温に戻ろうとしているのだろう。

 転がった鍋を拾い、牛の骨はテープを剥がそうとするが、

 でも、器用じゃないらしく、手こずっていた。


 何度も何度も、テープの端っこが剥がれない。

 見ていると、うずうずうずうず――あー、見ているだけでイライラするなあ。


 困り顔(してそう)の牛の骨は剥がす事を諦め、物理的な手段へ移行した。

 思い切り地面に鍋を叩き付けた。

 ……中がシェイクされてる気がするけど、大丈夫なのだろうか……。


『うぎゃっ、あが、うぷっ』


 大丈夫じゃなかった。

 ……しかし、牛の骨はハイスライムを助けようとしているのか? 

 痛めつけてるっていうか、ちょうどいいからこの事態を利用して、日頃の恨みを晴らしてやろう、的な……そんな企みを感じる。

 言葉は話さないけど、行動で分かりやすいな。

 感情が、活き活きしてる。


 死神だって生きている。

 変な表現だけど。

 意思があり、感情がある。


 バニーさんが、まさにいいサンプル。

 まるで人間だ。

 人間となんら変わりはない。

 死神の誰もが、人間の従僕ではないのだ。


 まあ、今まで、従僕になっているパターンを見た事がないけど。

 全員が全員、自由人だ。


「はあ」

 と溜息。


 仕方ないなあ、と大きなお世話焼きな私が顔を出したところで、牛の骨が叩きつけていた鍋を拾ってあげる。

 忘れていたけど、加熱したばっかりだったので熱かった。

 火傷した。

 だけど、テープを剥がすだけなら長時間、触るわけじゃない。

 なので冷やさず続行。


 全て剥がし終えたら牛の骨はコップに水を注ぎ、それを私の指にかけてくれた。

 火傷を気にしてくれているのか……、優しー。

 エロい変態スライムとは全然違う。

 正反対のイケメンだよこの子!


 肉無しコンビは骨の方に軍配が上がった。


「肉無しコンビって……」

「どっちも肉がないでしょ。液体と、骨じゃん。だから、肉無しコンビ」


「オレは元からねえよ」


 肉なんかいらないんだ、とエロスライムが暴れる。


 どうでもいいね。

 エロスライムを解放すると、牛の骨が喜んだ。

 拍手をするけど、触れ合うのは骨なのでかちゃかちゃとしか鳴らない。

 まあ、それがいい個性なんだけど。


「この子に感謝しなさいよ。あんた、後少しで沸騰しちゃうところだったんだから」

「しちゃうって……お前がしたんじゃん」


 むんず、と私もエロスライムを掴めた。

 おお、意外に簡単だった。

 誰でもできる。

 牛の骨でもできそうだ。


「はい、パス」

 と、牛の骨にエロスライムを渡す。

 すると受け取ってくれた。


 手の中でぐにゃぐにゃと遊ぶ様子は、お祭りで取った景品ではしゃぐ子供のようだ。


「おぐ、ぐぶぶっ――っておい、スライムでもごりごりされたら痛いんだよ!」


 ぽーん、と真上に投げたエロスライムをキャッチして、再び投げる。

 一個でおてだま状態だ。


 上下関係、確実にスライムが下だ……。


 どっちが従僕かと言われたら、あのエロスライムの方なんだけど……。

 ふーん、こういうコンビもいるわけだ。


 死神と人間、その組み合わせは多種多様で、無限に存在する。

 だからこういうタイプも、珍しくはないのかもしれない。

 まあまず、そもそも魔獣も死神を持つんだな、と驚いたけど。


 知っているようで、知らない……死神達のこと。

 しかし知りようがないのも事実。

 詳しい人が近くにいるわけじゃないのだから。



「……? お、い……ジェリーッ!?」


 ジェリー、というのは、あの牛の骨の事だろうか。

 名前が分からないのでなんとも言えない。


 エロスライムが叫んだので、驚いて見てみると、牛の骨の骨が、ばらばらと、支柱を失った建物のように、崩れ始めた。

 積まれていく骨。

 塊の一番上には、まさにいま落ちてきた、牛の骨の頭部。


 しーんとした静寂の中、牛の骨の中から出てきたであろう、彼女――、

 彼? が、足を地に付けた。


 死神……というよりは、天使っぽい。

 堕天使がお似合いだった。


 そんな容姿だ。

 瞳と鼻がなく、黒と白が混ざり合っている、どっちつかずのハーフアンドハーフ。


 五対五、それは拮抗、という意味ではないのだろうと思う。

 凶悪さは、確実に黒が強いからだろう。


『勝ち目は摘んでおこう』


 重なった、男と女の声。

 ますます分からなくなった。

 これは女、男、どっちだ?


『どっちでもないし、どっちでもいいし、どっちだろうと、なにも変わらない――』


 そうだろう? と、聞いてくる。


 まあ、でしょうね、と返しておく。

 ニタリ、と向こうは笑った。

 反応のしづらい笑みだ。


 これまで出会ったどの死神よりも、一番、人間離れしている。

 これまで、多く見たわけじゃないんだけど。

 かなり不気味だ。

 生きているという温かみはあるのに、無機質みたいな。


 抽象画がそのまま飛び出してきたような。

 神という曖昧な存在が、すとん、と落ちてきてしまったような。


 見た目も雰囲気も存在感も、

 認識するのに膨大なエネルギーを使うかのように、こっちはしんどい。


 見たくないと思った。

 目を逸らしてしまう。

 自然と、私の意思とは関係なく。


「ッ、馬鹿ゆかちー!」


 バニーさんが私を押し倒した瞬間――、


 八百屋だけでなく、

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