第24話 空白のような十六年間
「……母さんにそっくりだな、こねぎ」
お父さんはわたしを抱き寄せ――あわわわわわっ、温かい、顔赤い、頭の中が灼熱だ!
「分かったよ」
お父さんは、抱き寄せたわたしの耳元で、呟く。
この距離でも聞こえるか、聞こえないかくらいの、小さな声だった。
「ありがとう、ごめんな、こねぎ」
ううん、と首を振る。
謝らないで。
それが聞きたくて、言ったわけじゃないんだから。
「お前の言う通りだ。いや、母さんの言う通りだな」
チクリやがった、あいつも。
お父さんはそして微笑んだ。
「幸せになってもいいのか?」
「わたしが幸せになるために必要な事」
「そうか」
お父さんは重荷がはずれたように、
「じゃあ、仕方ないか」
「うん、仕方ない」
だけど忘れちゃいけないよ。
罪滅ぼしのために、幸せになるの。
どんなに苦しくとも、辛くとも、絶対に幸せになる。
そういう罰なんだから。
「お母さんに見せてあげよう。わたし達は、こんなにラブラブなんだって」
「……ああ、そうだな」
しばらく。
わたしはお父さんの上で、お父さんはわたしを抱きしめ、中途半端な繋がりのまま過ごした十六年を取り戻すかのように、互いの体をくっつけ、心を繋げた。
わたしとお父さんは親子なんだと、胸を張って言える。
「今日は何時に帰ってくるの?」
「……早めに帰るさ。話したい事が、たくさんあるんだ」
お父さんの返事に、うん、と頷き、わたしは整備場を後にする。
ちゃっかりと、ゆかちゃんはわたしの後ろを歩いていた。
ニッコリとご満悦。
じゃらじゃらと小銭の音がする缶を抱きしめている。
「売り上げ、良かったらしいね」
「あ、分かっちゃう?
でへへー、あのお兄さんたちは気前がいいね。
あの場所で定期的に公演しようかなー」
「やめて。うちの職場を荒らさないで」
嬉しそうだけど、しかし、ゆかちゃんのショーのおかげで売り上げがいいんじゃなくて、あの男どもはゆかちゃんの体が目当てなんだと思うよ。
視姦されているわけだけど、気にしないのだろうか。
実際に事を起こしたら、わたしとお父さんが手を出した相手をボコボコにするけど。
それが分かっているから、きっとみんなはゆかちゃんに手を出さない。
出したとしても、このゆかちゃんが黙って強姦されるとは思えないけど、まあ……念のため。
「わたしの体が目当てなのはなんとなく分かるよー。最初の動機なんてそれでいいわけ。
何度も見てる内にショーに興味を持ってくれればいいわけだから」
「そう簡単にいかないと思うけど……」
まあ、いいか。
信じる者は救われる。
ただその楽観的な考えで足元をすくわれなければいいんだけど……。
ゆかちゃんなら立ち上がるか。
なにせ、踏まれても倒れない、雑草少女だし。
「……褒めて、ないよね……?」
「褒めてるよ? 性格の問題はどうあれ、わたしは憧れてる。好きだし」
「前半分が気になるけど……それよりも、そういう告白はお父さんにしてあげなよ」
「そうだね……、じゃあ今日はゆかちゃん、宿を取ってそっちで過ごしてね」
「!?」
ばっと、ゆかちゃんはわたしの方を向く。
いや、当たり前でしょ……。
なんで和解したばかりの親子の中にずけずけと入ってくるつもりなわけ?
今日だけは二人きりにさせて欲しいんだけど。
あわよくばそのまま家に泊まるのはやめて欲しい。
売り上げがあるなら、しばらくは大丈夫でしょう。
「ひ、酷い! 外道! か弱い女の子を一人、外に追い出すなんて!」
「ゆかちゃん、強かでしょ……そもそも旅人なんだから、野宿には耐性があるはずなのに」
外で平気に眠れる人なら大丈夫。
それに最悪、職場にいる男の誰かに頼めば泊めてくれるはず。
結婚してて子持ちの人だっているはずなんだか――あ。
「そうだ、姉御さんに連絡でも取ってあげようか?」
ぴしっ、とゆかちゃんは固まる。
あー、そうか。
確か、姉御さんのことが苦手なんだっけ?
さっきはわたしがいたからまだマシだったけど、わたし抜きとなると、ゆかちゃんにはしんどい環境かもしれない。
「じゃあ、なおさら送り込もう」
「こねぎちゃーん? わたしに恨みでもあるのかなー?」
恨みはないけど怒りはあるかな。
お父さんを、誘惑したし。
ちょっとは反省してね。
「……いやあ、悪いけど、さすがに姉御さんに悪いし、やっぱり野宿にしようかなって……」
「もう姉御さん近くにいるって」
早っ! と、ゆかちゃんが驚く。
うん、わたしもびっくりした。
まるでこの展開を読んでいたかのように、電話をして事情を話したら、すっ飛んでくるどころか、既にすっ飛んでいた。
姿が見える。
道の真ん中で仁王立ち。
どこの中ボスなんだ、あの人は。
「ところで、なんで姉御さんが苦手なの?」
「いやぁ、自分のペースが取れない相手は、ちょっとぉ」
確かに、ゆかちゃんはイニシアチブをよく取る。
自分が場を支配していないと落ち着かないタイプなのだろう。
わたしも会話をする時はゆかちゃんを優先させる。
無意識に。
中心には、なぜかゆかちゃんがいる。
その構図が落ち着くのだ。
しかし姉御さんも、そういうタイプで。
同じような性質を持っている者同士、どっちに軍配が上がると言えば、経験が多い方だろう。
つまり年上の姉御さんがイニシアチブを取るわけで。
支配されている状況がずっと続くゆかちゃんとしてはやりづらくて、生きにくい。
だから苦手なのだ。
じゃあ尚更、克服とまでは言わないけど、慣れるくらいはしておかないとね。
「じゃあ、こいつ預かるよ。いつ返せばいい?」
「一生返さなくていいです」
「こねぎちゃーん、たーすーけーてー」
首根っこを掴まれ、引っ張られていく。
ずささー、と踵が地面を削っていた。
「自分で歩け、ゆかちー。まるであたしの家が監獄みたいな顔しやがって。
平和だっつの。
悪ガキがいるけど、まあ、仲良くやれるだろうよお前なら」
「いーやー! 尚更、いーやー!」
ゆかちゃんの悲鳴を聞いたらなんだかおかしくなって、わたしはくすくす、と笑った。
そして、夜になって。
十六年分、溜め込んだ全ての話をした。
けど、まだまだこんなのは序の口だった。
お父さんの話、お母さんの話、わたしの話。
言いたい事がたくさんあったけど、残念ながら一日の時間は有限だった。
明日も仕事だから、もう寝なくちゃならない。
わたしも、お父さんも、全然喋り足らなかったけど、まあ、これからずっと一緒にいられる。
腹を割って話せる。
その時のために残しておくのもいいかな、と思った。
「ねえ、お父さん。……隣で寝ていい?」
お父さんの部屋を訪ねる。
部屋の中は真っ暗で、互いの顔が見えないくらいだった。
狙ってきたのもあるけど、望み通りに暗くて良かった。
これなら、真っ赤なわたしの顔が見られなくて済む。
「……今日だけだぞ」
言って、お父さんはわたしの手を引っ張ってくれた。
……もしかして、お父さんはこの暗闇に目が慣れていて、わたしのことが見えていたりするのだろうか。
顔が真っ赤なのも、知って……?
だとしても、もうわたしは布団に入ってしまったし、抜け出せない。
それに見られてしまっていたら、今更だ。
逃げたところで、意味はなかった。
お父さんの体は温かい。
わたしはもっと熱い。
寝ようとしたけど、眠れなかった。
「こねぎ」
「なあに、お父さん」
お父さんはなにかを言いかけて、しかしやめたようで、
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
お父さんが寝息を立てて寝始めると、わたしも不思議と眠くなり、
やがて、意識がすとんと落ちた。
翌日、わたしはお父さんと共に職場に顔を出した。
みんなのわたしを見る目が変わったような気がする……、
今までは邪魔者を見るような目だったのに、今は、見守るような……温かい目になっていた。
いつの間にか、お父さんが根回ししていたらしい。
元々、わたしへ向ける感情はお父さんの指示ありきで、彼らの意思ではなかったりする。
中には心の底から嫌悪していた人もいるだろうけど、そういう人たちは、知った事ではない。
今では職場のみんなが、わたしの味方になっていた。
照れくさいけど、お父さんに促されて、わたしは改めて自己紹介をする。
――負けない、という、自己主張も含めて。
――お父さんの隣に立つ、そんな整備士になります!
言い切ると、みんなは拍手をし、ひゅーひゅー、と茶化す人もいて……、
それが不思議と、嫌じゃなかった。
嬉しかった。
本当の意味で、仲間になれた気がして。
そして一日が始まる。
整備士としての、多忙な仕事時間が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます