第22話 親物語 その2

「サンドイッチになっちゃったの。列車と列車が、こう――」


 姉御さんは両の手の平を合わせるように、ぱちん! とくっつけた。


「間に挟まったあの子は、即死……死体も無残な姿だったって聞いてるわ」


 姉御さんは実際に、お母さんの死体を見ていなかったらしい。

 第一発見者であるお父さんだけが見て、それから誰にも、見せたがらなかった。


 だからお父さんの説明しか、真実の証拠はなかった。


 お母さんの死体は、一見して誰だか分からない。

 それくらい破損していたらしい。


 お父さんが見せたがらなかったのは、晒し者にしたくなかったのか。

 美しいお母さんを、醜い姿で見せたくなかったのか……。

 もう動かないお母さんから、なにかを感じ取ったのかもしれない。


「それはあたしには分かんねえ次元だな。あいつらの間でしか繋がらない意思ってもんがあるだろうし。あたしらは、だからあいつを第一に優先した。あいつがしたいこと、あの子にしてあげたいことを、させてやったよ」


 どれだけ尽しても、しかし罪悪感がそれで消える事はない。

 一生、残り続ける。

 呪いではなく、それは決意なのだろう――姉御さんはそう考察した。


「気にするな、とは言わないけど、これ以上、引きずるのもどうかと思うけどな。あの子は絶対にそれを望まない。結果的に、あいつの罪滅ぼしは、こねぎちゃんに影響を与えてる。こねぎちゃんはしなくてもいいがまんをしているんだから、巻き込まれ損だよな」


「わたしは、別に、今の生活が嫌だなんて思ってないですけど――」


「ふーん。気にしてないならいいけど。女だからって整備士になっちゃいけない、そんな決まりはないんだけどね。あたしだって、お母さんだってなってるんだよ? 今更、あの職場がこねぎちゃんを厄介に思う理由なんてないのよ」


 女でも整備士になれる。

 整備士は指先の技術であるから、どちらかと言えば女の人に向いている職とも言える。

 だけど現状、男の職場になっているわけで……。


「世界最大の整備場が男の職場だったら、そういうもんだと思ってしまうのも無理はないかな。

 大手がそうだと、そういうイメージが根付く。

 こねぎちゃんもまんまとそれに乗せられてるわけ」


 小さな整備場を見てみると、結構、女の人が働いているらしい。

 この町の整備場が、やけに男が多いだけなのだ。


「一応、理由はあるらしいよ。整備するだけじゃなく、組み立てや搬送もするから、男手が必要で、現状の形になったらしい。

 まあ、それはどうでもいいんだけど――ほら、損してるでしょ? 簡単になれるはずの整備士に、こねぎちゃんは、何年もかかってる。

 それはあいつが、自分で引き起こした事故を、気にしているから」


 罪滅ぼしのため。

 それは決して消えない、無限地獄。


「そう言われても……そんな事を知っても、お父さんにかける言葉なんて……」


「いつまで引きずってんだ、バーカ、あたしを見ろ! とでも言って引っ叩けば、案外まともになるかもな。少なくとも今みたいに腑抜けはしないだろう。昔にちょっとでも戻れば、お母さんも安心できると思うけどな」


 お父さんを、引っ叩く……、

 む、無理無理! できるわけがない!


 というかしたくない! 

 いくら理由があろうとも、わたしにはハードルが高過ぎる。


「ま、あたしがやってもいいんだけど」

「やめてくださいよ!」


 冗談、と姉御さんが笑う。

 ……冗談に聞こえなかった。

 目がマジだったよ、この幼馴染は。


「あたしがやったって意味がない。あいつは喜ぶだけだ。……変な意味じゃないぞ」

「分かってますよ!」


 お父さんはマゾじゃない。

 どっちかと言えば、サディストタイプだ。


 そして意外にも、姉御さんはマゾだったりする。

 可愛がるよりも可愛がられたい願望があるのだ。

 お酒に酔った時にそうこぼしているから、本音なのだろう。


 なんだ、可愛いところがあるじゃん、とみんな、そんな姉御さんにほっこりしている。

 昔から人気があるのはこういう一面がダイレクトにキュートだからなんだと思う。


「ん? なんだよ……」

「いえいえ、なんでも」


「でさ、原因ってなんだったの?」


 話に入ってきたのはゆかちゃんだ。

 わたしと姉御さんは、はてなマーク。


「ほら、事故の。お父様のせいって言ってたけど、わざとじゃないんだろうし。

 じゃあ原因って、なんだったのかなって」


「お父様……?」

「そこはスルーしてください」


 面倒な事になる前に先へ促す。

 姉御さんも、分かった、とゆかちゃんの質問に、うーむ、と悩む。


「ただの初歩的なミスなんだよ。列車のブレーキをかけていなかった。……固定をしていなかったんだな。作業している場所はゆるやかな坂でな、列車は坂を下ってしまった。たとえ最初の速度はゆっくりでも、時間と共に速度は増していく。

 想像してみろ、数十トンの物体が突っ込んできたら、そりゃ命はねえって」


 お父さんとお母さんは同じ線路上で、二つの列車、それぞれ整備をしていた。

 坂の上でお父さんが、坂の下でお母さんが。

 あとは言った通り。


 ゆるやかな坂を下り、お父さんの列車が、お母さんの列車にぶつかった。

 運悪く、挟まれるような位置で、お母さんは作業していて――。


「お父さんの、初歩的なミス――」


「小さなミスでも鬼のように怒るお父さんの理由が分かったんじゃない? ただの八つ当たりだとか、怒りたいだけだとか、思われてるけどさ。あいつ自身が、初歩的なミスを許せねえんだ」


 あいつはそれで妻を失った――最も大事な人を殺してしまった。

 姉御さんの言葉に、わたしは息を飲む。

 初歩的なミスで大きな傷を負ったお父さんは、他の誰かに、同じ轍を踏んで欲しくなかったのだ。


 だから誰よりも厳しく、最も、自分に厳しく。


「自分に言ってるんだよな、毎回毎回」


 ミスした部下を怒りながら、けれどその怒りは半分、自分に向いている。

 毎日、自分に怒りをぶつける。

 あのミスを絶対に忘れないように。

 傷を一生、残し続けるように。


「自傷行為だな。あいつはぼろぼろだぜ――だからそろそろ、解放してやれ」


 姉御さんがわたしの肩に手を置く。


「娘のお前にしかできないんだよ、こねぎ」


 ちゃん付けせずに、わたしの名前を呼んだ。

 こういう時の姉御さんは、間違いなく本気だ。


 真剣に、話してる。

 わたしは頷くけど……でも、


「どうすれ、ば……」


 わたしの言葉なんて届くのか。

 娘ではある。

 だけどその一件に関わりのないわたしがなにを言っても、お父さんには、響かないんじゃないだろうか――。


「バカ」


 こつん、と、でこぴんされた。

 あう、と顔をしかめる。


「あいつに届くのはお前の声だけだ。

 あたしの声だって、あいつには届かないんだよ。

 じゃあもう、お前しかいないじゃん」


 わたしの、声。


「そんでついでに、お母さんの声を、お父さんに届けろ」


 お父さんへ――伝えたい事ができた。

 聞きたい事ができた。


 怒りもあった。

 でも、嬉しかった。


 自分が許せなくて、自分が嫌いで。

 でもお父さんのおかげで、わたしはわたしに、自信が持てるようになりました。


 良い子ちゃんの振りをして、理想の娘を目指して。

 そんな茶番は終わりにします。

 お父さんに全ての気持ちをぶつける――覚悟ができました。


「ゆかちゃん、見ててね」


「ん?」

 と、ゆかちゃんは言うけど、わたしは二度も言わなかった。


 聞き返したわけじゃないのだ。

 ゆかちゃんは黙って、わたしの後をついてくる。


 わたしは振り向き、


「姉御さんはどうするの?」


「ま、逃げるかね」


 ……逃げる?


「こねぎちゃんに全部を話しちゃった事を知られたら、怒られるからな」


 あはは……、確かに。

 お父さんのプライバシーなんて守られていなかったからね。


「だからそこも含めて頼むよこねぎ」

「しーらない。そこは幼馴染同士、きちんと話し合いなさい」


「……言ってくれるじゃねえか。ったく、あの子の面影を見せて、言うんじゃねえよ……」

「姉御、さん……?」


「いいよ、早く行け。

 あたしはちょっと、感傷に浸っていく。

 あの子の事を、思い出しちゃった」


 ……姉御さんは背中を向けて、ひらひらと手を振ってくる。

 ここにいたら、邪魔になっちゃうな。

 素早くゆかちゃんの手を取り、目的地へ向かうため、わたし達は進み出す。

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