第21話 親物語

 お母さん。

 わたしのお母さん。


 わたしの知らない、登場人物。

 誰も語りたがらない、密封された記憶と、記録。


 知りたいとも思わなかった。

 だけどいま、食い下がらないと、一生、掴めない気がして。


 自分でも分からないけど、手よりも先に口が動いていた。

 口よりも先に、感情が動く。


 それがわたしの、本音だったのだろう。


「お母さんの話、聞きたいです」


 悩んだ末に、姉御さんは話してくれた。

 笑いながら彼女は言う。


「これ、あんたのお父さんにしないでくれって言われてるけど、知ったこっちゃねえ。

 つーわけで、あたしが言ったって言うなよ?」


 それはもちろん。

 姉御さんが困る事をわたしはしないよ。


 お父さんと、姉御さん。

 わたしはどちらかと言えば、この二人が夫婦っぽいと思っていたけど、やっぱり違った。

 姉御さんよりも、お父さんは――、

 お母さんと一緒の方が、よく似合う。



 姉御さんの事をそう呼ぶことになった理由は覚えてない。

 気づいたら姉御さんだった。

 見た目と性格が姉御! って感じだから、自然とそういう印象になったのだろう。

 わたしじゃなくても、姉御さん、もしくは姉御って呼んでいる人が多いし。


 本人はあんまり喜んでなかったけど。

 でもまあ、もう諦めているらしくて、昔みたいに、そう呼んだ人に関節技を決めるなんて事はしなくなった。

 子供ができたから。

 それも理由の一つかも。


「あたしとこねぎちゃんのお父さんとお母さん――この幼馴染トリオで、町の整備場を活気づけた、と言っても過言ではないね」


 その話は知っている。

 町の人と雑談をしていたら、必ず入ってくる情報だ。


 信じられないのは、今では寡黙なお父さんが、昔は無鉄砲でお喋りだったって事。

 人にすぐ迷惑をかけて怒られて、厄介事を連れてきて――まるで今のゆかちゃんみたい。


「こねぎちゃんが私をどういう風に見ているか分かったよ!」

「お前……ゆかって言うのか……ん、そういや、ゆかぽんだったよな」

「なぜ知ってるし!」


 がぁー! と吠えて威嚇するけど、遠いよ……。

 ゆかちゃん、さっきと距離が変わってない。


 怒っても、姉御さんに近づけないほど、怯えてるんだね……。


「あー、ごめんごめん。コンプレックスなら言わないよ。じゃあ、ゆかちー」

「……それなら、いいけど」


 ちょっと不満顔だったけど、許可が下りた。

 ゆかちーなら、問題ない気がするけど……。

 そこは本人にしか分からない感情的な事情があるのだろう。


 ゆかちー。

 わたしもそう呼ぼうかな。

 ゆかちゃんって、長いし。


「ゆかちーの迷惑な性格はこねぎちゃんのお父さんにそっくりなんだけど、同じように、お母さんにもそっくりなのよね……不思議なのよ。

 こねぎちゃんとゆかちーは、ほとんど正反対でしょ? 

 でも、どっちもあたしの大親友に似てる」


「ゆかちゃんが、似てる……?」


 ゆかちーと呼ぼうとしたけど、口から出たのはいつも通り、ゆかちゃん。

 あー、もうお口が慣れてしまったらしい。

 じゃあ、いっか、このまま通そう。


「性格とかかな。はちゃめちゃなところとか、偉そうなところとか」


 なるほどー、って事は、お母さんって、偉そうだったんだ。


「偉そうにしてないんですけど」

「でも謙虚ではないでしょ?」


 まあ、そうだけど……、と納得のいってなさそうなゆかちゃんは放っておく。

 実際に、ゆかちゃんがどうなのかは、今はどうでも良かったりするのだ。


「見た目は当たり前だけど、こねぎちゃんそっくり。

 だからお母さん、この町でも美少女として有名だったんだよ……」


「……へー」


 遠回しにわたしが美少女って言われてる。

 なんだか、申し訳ない。


 その称号に釣り合った性格をしてないし、結果も残せてない。

 お母さんの劣化どころじゃない。

 同じステージにすら立てていないのだ。


「整備士で美少女で、技術もあって身だしなみにも気を遣って。誰にでも優しく、厳しく、自己中心的でありながら、全員の幸せを考え、頭を悩ませる。

 敵さえも愛するような、そんな女神みたいな人間が、こねぎちゃんのお母さんだったの」


 あたしの気持ち、分かったりする? と姉御さんは笑いながら、


「同じ女のあたしが、毎日比べられるのよ。整備士に女なんて少ないし、この町ではあたしとあの子だけだったし。あの子はあーなのに、なんでお前はそんな感じになっちまったんだ、って、よく言われたものね。

 ――知るか! あたしとあいつはまったく違う人間なんだから、そりゃ違いが出るのは当たり前だっつーの! 良いところばっか見やがって! あいつにだって欠点はあるんだっつの!」


「お、落ち着いて……」


 恐る恐るなだめる。

 飛び火してはかなわない。

 幸い、噴火はすぐ終わり、鎮火した。


 怒りを全て息として吐く。

 深い溜息だった。


「とは言っても、あたしはあいつの事を嫌いなんかじゃなかった。比べられてちょっとは嫌な思いをしたけど、あいつのせいじゃないし。不愉快になっても、それは嫉妬で、あたしの問題だ。

 あいつに八つ当たりするのは、格好良くない」


 なぜその発想に……。

 格好いい、よくないと考えちゃう時点で、お母さんとは対極に位置するキャラ性なんだなあと思った。

 ある意味、比べても意味がない二人だ。


 お母さんと姉御さんは、タイプが違い過ぎる。


「格好良くないと言えば、こねぎちゃんのお父さん――あいつもまあ、ダサいよなあ」


 ちょっとかちん。

 しかし、悪意がない。

 親しみを込めて、そう言っているのだと分かった。


「でも顔はイケメンだったぞ。今は、体ががっちりしちゃったけどさ、昔はすらっとしてて、ちょっと髪が長くて、偉そうでさ。いつもあたしとお母さんにぼこぼこにされてた。

 整備士の中では一番下手だったし」


「――へ、下手っ!?」


「そうだぜー、一番下手だったんだ。整備したら絶対に壊すし、パーツを失くすし、あいつのせいで毎日、しなくてもいい仕事が増えるんだ。裏ではマネージャーとか言われてたぞ。

 仕事を持ってくるっていう皮肉でな」


 そんな滅茶苦茶なことやってたのに、今は親方って……凄いな。

 素直に見直しちゃう。


「まあ、あいつは努力の男だからなあ。下手ってのは、つまり経験だ。間違えた方が、吸収しやすいんだよ。あいつはたくさん失敗するけど、同じ失敗は一度としてしなかった。

 学習能力はあるわけだ」


 その点、あたしは同じ失敗を何回もする、となぜか自慢。

 声を大にして言うことじゃない。


「あたしは上手くもないし下手でもない……中途半端なわけだ。人間関係という意味じゃ、頭一つ抜けてたけど。この男っぽい性格と、しかし出るところは出てるスタイルが、仕事場では受けがいいんだろうねえ」


「姉御さんって、仕事量が男の人より多いんでしょ……? 

 ただ単に頭が上がらなかったんじゃ……」


「まあ、旦那も尻に敷いてるしね。というか、足蹴にしてる」


 旦那さんが可哀想だ。


「足蹴は半分嘘。してるけど、言われたからやってるだけ」


 前言撤回、旦那さん、ただの変態だった。

 変態には、可哀想もなにもない。


 しかしなんだかんだと姉御さん夫婦は幸せそうだ。

 互いに合意なら、その変態的な行動も愛情になるだろうし。


 と、


「はいはーい!」

 とゆかちゃんがやっと近くに寄ってきた。


 もう恐怖を克服したのだろうか。

 いや、してないな。

 わたしを盾にして、少しずつ押し出してる。

 生贄にするつもりなのがばればれだから。


「お姉さんはこねぎちゃんのお父さんのこと、好きだったの?」

「好きだったよ」


 ずばっと、断定した。

 デリケートな部分なのに、なんの葛藤もなく。


 ――それも、そうか。

 もう何年も前の事で、終わった話だ。


 内容が恋愛で、姉御さんは結婚しているわけで。

 逆に気にしている方が今の旦那さんに失礼だろうし。


「好きだったし、告白もしたけど、あはは――フラれちゃったんだ」


 へえ、とゆかちゃん。

 にまー、と唇が半円になっていた。


 他人の不幸をすすってる……ほんと、良い性格してるよ。

 蜜の味をじゅうぶんに味わっていた。


「いつの間にかあいつら、付き合ってやがったんだ。こちとら女同士で恋バナですらしてねえっつーのに。まあ、あの二人はあたしよりも付き合いが長い。あの二人の関係に、あたしが加わったみたいなもんでな。……元から、入り込める隙なんてなかったんだ」


「好きだったのにね」

「くだらない事をこれ以上言うなら、ぶっ飛ばすからな」


 ひぃ、とゆかちゃんはわたしを押し出す。

 なんでよ……。

 あと、ぽきぽき指の骨を鳴らしながら姉御さんがわたしへ狙いを定めているのはなんで!? 

 わたし、なにも言ってないのに!


「友達の責任は友達が取るもんなんだよ」

「友達じゃないもん!」

「酷い!」


 そんな茶番をした後、


「で、めでたく二人は付き合ってから、結婚して、子供を産んだ――それが、こねぎちゃん」


 その頃からお父さんとお母さんは整備士の中でも実力一位二位を争うようになり、互いに競い合いながら、同時に整備士全体としての実力も底上げし、活気づけた。


 この町のブランドを世界に知らしめたのは、この二人と言っても過言ではない。


「……お父さんと、お母さん、そんなに凄かったんだ……っ」


「すげえよ、あいつらは。整備士の中じゃ、もう伝説だ。

 整備士なら知らない奴はいない。

 これから整備士になろうって奴も、必ず辿り着く物語だ」


 へー、と感心していたら、あれ? と気づく。

 わたしは、その知っていて当たり前な話を、知らなかったんだけど?


「だから情報の規制だよ。こねぎちゃんだけ、な」


 わたし、だけ……? 

 なん、で――?


「あいつの……お父さんの指示でな。こねぎちゃんにだけは、整備士の情報を一切渡すな、と、この町の整備士に指示してるんだ。師匠から弟子として教わり、弟子から師匠になり、今度は自分が弟子を取る時、そのルールは技術と共に継承される。そのルールは徹底して守られた。こねぎちゃん、整備士としての技術って、お父さんからしか教わってないでしょ?」


「う、うん。他の人に聞いても、教えてくれなくて……」


 だから、見て盗むしかないのだ。


「それはあいつが吟味して選んだ技術しか教えていないからだ。そういうルールを作らないと、この狭い町じゃあ、情報がたくさん入ってくる。

 お父さんは恐れたんじゃねえかな。自分の知らないところで娘が知ってしまうのを」


 知られたくない事があった。

 そう、解釈してしまうけど……。


 教えたくない技術でもあったのだろうか。

 それともそういう事じゃなく、スキルではなく、エピソードの事なのかも。

 その可能性もある。


 勝手にスキルを教えないという名目に隠れて、本当に知られたくない事を、一緒に隠している、みたいな……。


「今年で十六歳か」


「え……」


 姉御さんがわたしの頬を撫でる。

 優しく。

 ぷにっと引っ張られた。


「あう……」


「くふふっ、まあ、気張らずに聞いてくれ。こねぎちゃんも、もう知ってもいい年でしょ。というか、知らないといけない。知っておかないと、フェアじゃないもの」


 珍しく空気を呼んだゆかちーはゆっくりと後退して、


「ゆかちーもいていいよ」


「いやあ、でもぉ……」

「友達でしょ。支えてやんな」


 そっと、ゆかちゃんがわたしの手を握る。

 そして、うん! と力強く頷いた。


 返事と行動が逆なの! 

 支えるって言ってんのに、引っ張る気満々じゃないか!


 足でないだけまだマシだけど……、

 手を引っ張るのが、なにも先行するだけとは限らないからね!


 そんなわたしたちを満足そうに見て、あっさりと、姉御さんは言った。


「こねぎちゃんのお母さんは、事故死したの。


 


 ぎゅうっと。

 わたしはゆかちゃんの手を、強く握りしめた。

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