第20話 鉄と油のお姫様 その2

「こねぎちゃん!?」

 と何回、驚かれたか分からない。


 小さい頃からお世話になっている商店街を歩いただけで、知り合いのおばちゃんたちが群がってくる始末。

 飴を見つけた蟻みたいだった。


「どうしたの急に。あらまー可愛くなっちゃってあれまー」


 ぺたぺたと頬を触ったりワンピースの裾をつまんで引っ張ったり。

 されるがままだった。

 ゆかちゃんはそんなわたしとおばちゃんたちの様子を遠くから見てるし……。

 あ、焼き上がったばかりの串焼きを貰ってやがる。


 美味しいところは全部ゆかちゃんが持っていくんだよね……。


「こねぎちゃんモテモテだね」

「だから、わたしはモテたくないの」


 というか本来の意味である男の人はまったく近寄ってこない。

 じゃあモテてないよ。


「あー! こんなところでなにやってんだゆかぽん!」


 と、男の子が一人、ゆかちゃんに寄っていった。

 おばちゃんたちはまだわたしに興味津々で離してくれない。

 ……ので、おもちゃにされたまま、聞き耳を立てる。


 聞き間違いじゃない、よね……ゆか、ぽん?


「たくよー、いつものところにいったらいねえじゃねえかよー」

「……そう言えば、やるって言っちゃったんだっけ……」


 あちゃー、とゆかちゃんが思ってもなさそうな、うんざりした顔をする。


「今日は休みです、残念」

「うわっ、最悪だよ! こいつ最低だー!」

「いやーまいったなあ、遺憾遺憾」


 遺憾と言うにはテンションが違うし、そもそもそんな場面で使うものだっけ……?


 男の子に向ける態度があまりにもテキトー過ぎやしないだろうか。


「明日はやんのか!?」

「んー、あんたがこないならやる」


「がははははは!」


 と、男の子が突然、笑い出し、


「いやなんでだよ!」


 ……息が合ってるなあ。

 長年、連れ添ったパートナーみたいな風格を漂わせているのはなんでなんだろう……。

 あー、もう、ダメだ。

 気になる。


 ゆかちゃんに興味があるんじゃなくて、目の前で分からない事があるって事自体が。

 もやもやして気持ち悪い。


 締め忘れたナットがあるのを遠くから確認できてしまったかのような心境だ。

 そりゃ、素早く締めにいきたいよ。


「おばちゃん、これは、その、あの子に乗せられてした格好なの。イメチェンとかじゃないよ」

「あら、そうなの。似合ってるからイメチェンしてもいいのにねえ」

「あはは……ありがとう。でも、やっぱりわたしは動きづらいと思う」


 すると、おばちゃんたちは互いに見合って、くすくす、と笑っていた。

 ……え? なに、感じ悪いなあ。


「あらあら、ごめんなさいね、おかしくて笑ったんじゃないの。

 ――そっくりだったのよ。だから懐かしくって。

 ふふっ、鮮明に思い出せるものなのね」


 ねー、とおばちゃんたちが自分たちの世界に入ってしまった。

 わたしを囲み、それぞれ隣り合った人と話している。

 わたしを囲むスタイルだけど、わたしへの興味が既にない。


 いる意味ないじゃん……。

 なのでおばちゃんたちのバリケードを抜ける。

 密集地帯から抜けた事によって、少しの気温の差が感じられた。

 心なしか、纏う空気が軽くなったような。


 錯覚だろうけど。

 そして目の前の光景は錯覚であって欲しかった。


「あんっ」


 アホ面のガキがゆかちゃんの胸をタッチしていた。

 結構な勢いで。

 触るってか、叩いていた。

 攻撃的なゆかちゃんが守るどころか構えてさえもいないなんて……なんて策士。


 ううん――ただのエロガキだ。

 ざっ、とわたしが近寄ると、男の子が振り向いた。

 身長差によって、男の子からしたらわたしのことを見上げる形になる。

 ――迫力がかなりあるんだと思う。


 男の子はぴたりと動きを止め、ちょっと、泣きそうになっていた。


「なにをしているのかな?」

「ゆかぽんが! ゆかぽんが触っていいって!」


「誰が言うか!」


 ゆかちゃんがすかさず訂正。


「冗談に決まってるでしょう」


 言葉には出したんだ……。


「はあ……すれ違いがあったなら、仕方ないけど。

 君も、言われたからって触っちゃダメだよ。

 相手はゆかちゃんなんだよ? 

 たったワンタッチで、なにを請求されるか分かったもんじゃないんだから」


「子供に請求なんてしないって」

「大人ならするのか」


 いや、待て。

 いい大人なら請求しないとまずいのか。

 通報レベルのおおごとだし。


「ゆかちゃんはこんなんだけど、この世界、されたら嫌と感じる女の子ばっかりなの。

 あんまり軽々しく胸とか、お尻とか、触っちゃダメ」


 めっ、と、なにかで見たような怒り方を参考にして注意してみる。

 うぅ、だから苦手なんだって……自分の発言に鳥肌が立つ。

 早く終わらせたい。


 分かってくれた? と聞くと、

 男の子は「うん」と言い、「うーん?」と言う。


 怪しい感じがしたけどまあいっか。

 耳に入ってくれれば満足だ。

 突き抜けちゃダメだけど。


「うん、良い子良い子」


 えらいえらい。

 これも不器用に、男の子の頭を撫でてあげる。


 世間のお母さんはこんな事を日頃からしているのか……尊敬しかないな。

 わたしは子供を産めるのだろうか。

 結婚なんてできるのだろうか。


 男なら誰でもいいってわけじゃないから、先は長い。

 わたしの中のタイプは一つしかないから、ああ、不可能かな。

 絶対、無理だ。


「ねーちゃん、真っ直ぐ立ってみて」


 男の子が言うので、従う。

 立つくらい、造作もない。


「えいっ!」

 と、一瞬、わたしはなにをされたか分からず、しばらくの間、固まってしまった。


 白が舞う。

 視界に入ってきた。

 

 はて、この白は、なんだか見覚えが――。

 しばらくした後の、膝までを隠すわたしの裾が、そんな感じの色で、材質だった。


「ねーちゃん、真っ黒だー!」


 遠くから聞こえる男の子の声にわたしは遅れて、慌てて押さえた……今更ながら。

 スカートは乱れていない。

 ただ、わたしがばばっとスカートを押さえただけで……。


 ――やられた! 

 これが、スカートめくりってやつ!?


 作業服ばかりを着ていたし、作業服でなくともズボンばかりを穿いていたので、これまでめくられる事などなかった。

 めくろうとする子もいなかったし。


 だから初めての体験。

 相手は子供、落ち着け……それでもやっぱり、恥ずかしかった。


 しかもあいつ、わたしのパンツを見てしっかりと叫びやがった!


 黒じゃいけないのか、バーカ!


「……あいつ、埋める」

「こねぎちゃん! 目が! 洒落になってないから!」


 ゆかちゃんに羽交い絞めにされて、わたしは正気に戻った。

 危ない危ない、もっとスマートに、フラットに。


「頭のネジが緩んでるようだし、捻じ込んであげようっ」

「整備士が言うと具体性が上がっちゃうの! ドライバーとか持ち出さないでよね!」


「だってぇ! あいつがッ!」

「こねぎちゃんもそうやって取り乱す事があるんだね。なんだか、見てて嬉しくなっちゃった」


「どういう意味よ……もう。

 いいわよ、パンツ一つくらい。子供に見られたくらい、生活に支障は出ないし」


「あー、まあ、ないとは思うけど……」

「思うけど?」


「あいつの場合は結構な速度で噂も事実も広まると思うから――覚悟しておいた方がいいかも」


 それはわたしのパンツが黒だって事? 

 それともいとも簡単にスカートめくりができるって事? 

 あのアホ面くんの性格を考えたら、後者かな。

 いやどっちもだろうけどさ。


 ワンピースを着ただけなのに、とんだ災難だよ……。


「ん? ゆかちゃん?」

「なんでもないない」


 ぶつぶつ、空中に向かって話し出すゆかちゃんが見えた。

 よく見るけど、ゆかちゃんのルーティンなのかもしれない。


 本人が誤魔化してるし、触れない方がいいだろう。

 興味もなかった。


「ゆかちゃん、本当にもう帰ろう。お願い。なんでもするから」

「そこまで嫌なんだ……」


 ゆかちゃんに向かって、なんでもする発言は危険過ぎるけど、

 でも、その代償で帰れるなら、遠慮なく使わせてもらう。

 背に腹は代えられない。


 後悔はない。


「じゃあ最後にあそこだけ行こう。まだ目的を達成してないから」


「…………」

「嫌な顔しないで!」


 いや、だって、ねえ。

 目的って。あったんだ。


「整備場」


 ……嫌な予感、的中。

 でも、怖いもの見たさもあった。


「お父様に、見せるの」



「ありゃ? こねぎちゃんじゃないの」

「あ……」


 商店街から住宅街を通り抜ける際、買い物から帰って来ていた若奥様と出会った。

 お母さん、と言った感じではない。

 昔ちょっとやんちゃしてて、それがまだ抜け切っていない、サバサバした感じ。


 可愛いが当てはまらない、格好いい感じの人だ。


「遂に女装に目覚めたのかー」

「男扱いをしろとは言いましたけど、それは職場での事ですからね」


 普通にオシャレです、と言って、はっと気づく。


 オシャレなんてしないと断言した事がある。

 その時、この姉御さんは目の前にいたのだ。

 というか、姉御さんに言ったようなものなんだけども。


「へえー」


 ニヤニヤ、からかう気満々の顔で姉御さんがわたしを視線で射抜く。


 しまった、油断してた。

 ゆかちゃんの背中に隠れようとしたら、ゆかちゃん、ちょっと後ろに下がってる。

 身の危険を感じてからの回避が早い! 


 こういう時に一人で逃げるところはゆかちゃんらしいなあって思う。

 自己優先的。

 自分の方が可愛いんだろう。

 まあ、事実、そうだし。


 捕まったわたしは姉御さんの身体検査に付き合わされた。

 全身を撫で回される。

 いつもと違ってワンピースだから、感触は倍となって感じられた。

 息荒く、わたしは腰砕け。

 生地が薄いって、身に纏う凶器だ……。


「変わってねえなー」

「体は、変わんなくていいですって」

「なんで急にオシャレに目覚めたわけ? ……あー、なるほど、ふーん」


 分かったように納得していた。

 なにが分かったんだろう……?

 ゆかちゃんを見ていたようだけど。


「なんとなくだけど、乗せられたんじゃない? そっちの子は常にオシャレを意識してますって感じの、よくいる量産タイプの子でしょ?」

「量産タイプ!?」


 ゆかちゃんが聞き捨てならないとばかりに声を張り上げたけど、近づいてこない。

 危険が分かってるから安全のために動かないのだろう。

 ぎりぎりで理性はあるんだねえ。


 もっと見境ないのかと思ってたけど。


「私は獣か」


 否定も肯定もせず、視線を姉御さんへ戻す。

 結婚して、子供を産んで、整備士を引退したのだ。

 それがもう五、六年前の話かな。


 姉御さんのお子さんがいるらしいんだけど、年齢がそれくらいだった気がする。

 まだ会った事はないけど。

 会っていたとしても、わたしも今より小さかったし、だから覚えてない。


 姉御さんの子供だから……男らしいんだろうなあ。


 姉御さんは、整備士としてこの町を支えた一人だったと、お父さんが言っていた。

 お父さんとも仲が良く、だからわたしとも面識があって、色々とお世話になった。


 基本的に姉御さんのおもちゃとなっていただけなんだけども。

 あれだけ弄ばれて、しかし、免疫はできていない。


 新しい毒を作るのが上手過ぎるのだ。


「オシャレ、ねえ。まあ、いいんだけど。それは意識してるの?」

「? なにがです?」


「その格好――お母さんとそっくりだよ」


 つーか、まったく一緒、と姉御さんが言った。

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