第19話 鉄と油のお姫様
「……見間違えたよ、こねぎちゃん」
「見間違えてないでしょ、わたしだよ」
言うなら見違えた、じゃないの?
しかし――服を貸してくれた美容院のお姉さんも、ぽかんと口を開けて驚いている。
そんなに変わるものなのかな。
髪を整えて服装を変えただけなんだけど……。
「うん……うん、すごくいいよ! やっぱり私が見出しただけあるね!」
なんで偉そうなんだろう……。
ゆかちゃんがした事ってここまで連れてきただけじゃん。
あとの事はお姉さんがやってくれたし。
しかもゆかちゃんとの出会いだって、わたしが先に助けたはずなんだけどなあ……。
後悔だ。
あの時、助けていなければ。
「そしたらきっと違う場所で出会ってるよ。シチュエーションは違くとも、結果は一緒」
「嫌な運命だよ……」
「はいはい、こねぎちゃん、まだ終わってないから椅子に座ってね」
美容院のお姉さん……、ところでどうしてゆかちゃんとお姉さんが知り合いで、しかもわたしにこんな、不相応な服を貸してくれたのだろう。
髪も整えてくれたし。
今更だけどわたし、お金は持ってないよ?
「ゆかちゃんとは昨日会ってね、荷物を落として困っているところを助けてくれたの。すごいのよ、ゆかちゃんのおかげであっという間に片付いたんだから」
えへへ、とゆかちゃんは照れている。
やっている事は偉いことだ。
人の役に立っている。
ただ、見返りを求めてやっているところがあんまり褒められないなあ。
「あのね、見返りがなくても動く事くらい、私にだってあるわよ」
つまり普段は見返りを求めているって事か。
テキトーに言ったのに当たってたんだ……。
ゆかちゃんはまったく否定する気ないし、肯定しちゃったしね。
「目の前で荷物を落として、目が合って、知らんぷりはできないよー」
「まあ、それもそうだね」
「そういう事はお姉さんの前で言わないで欲しかったなー」
お姉さんは苦笑い。
しながらも仕事はきちんとこなす。
これ、仕事か?
「仕事じゃなくて、これはお礼。ゆかちゃんにお礼をしようと思って、なにがいい? って聞いたら、頼みを一つ聞いて欲しいって言われたの。内容はさっきまで全然知らなかったんだけど――驚いたわ、こねぎちゃんを、女の子らしく磨いて欲しいだなんて」
友達想いね、とお姉さんは昔を懐かしんで微笑んでいた。
友達想い、か。
その言葉をそのまま鵜呑みにはできないよ。
「はい、できた」
鏡に映るこいつは誰だ……?
わた、し……?
いや、なんだろう。
でも、見た事があるって言うか――。
視線を感じて周りを見る。
客商売のため、お店は休日でも開店している。
そのためわたし以外にも、きちんとお金を払うお客さんがいる。
お姉さん以外の店員さんもいて……、その全員が、わたしに注目していた。
声も出さず、息を飲む。
そんな雰囲気だった。
注目されて、恥ずかしくなり、顔を俯かせる。
……注目される事なんて滅多になくて、慣れてないんだから、やめてよぅ……。
そんなわたしの顔を、ぐいっと上げて前を向かせる。
お姉さんだった。
「綺麗な顔が台無し。ほら、笑って笑って。本当に、磨いたら綺麗に光る原石だったのねー。
ねえ、普段からもっとおしゃれを意識しなよ。こねぎちゃん、勿体ないって」
「いや、でも、わたしは整備士を目指してて――」
「綺麗な女の子の整備士じゃダメなの?」
ゆかちゃんが素朴な疑問という感じで聞いてきた。
そこに裏は、なにもなさそうだった。
「まあ、男の職場だし、綺麗な格好で入っていったら、邪魔になっちゃうかなって」
「ふーん。逆だと思うけどなあ。可愛い子がいたら、頑張ろうって思うんじゃない?」
たぶん、職場の男の人たちはそう思うだろう……わたしじゃなければ。
わたしの外見がどれだけ変わっても、内面はそうそう簡単には変わらない。
結局、職場を乱してしまう事になる。
だったら女としてではなく、男として見られ、扱われる方がマシだ。
仕事の邪魔にはなりたくないし。
「仕事の日以外の時は、この格好をしようよ。私の古着だから、全然あげちゃう。
――そうだ! いらない服、たくさんあるから全部あげちゃう!
ね、だからこねぎちゃん、ちょっとはファッションとかに興味を持って!」
わたしの両手をがしっと掴んで懇願。
お姉さんが必死だった。
そこまで言われたら、脊髄反射で嫌とも言えない……。
タダで貰えるなら、いっか。
「売ろうとか思っちゃだめだよ」
ぎくぅ!
……ゆかちゃんの指摘が胸に突き刺さる。
「しないよそんなこと」
正直、一、二着くらいなら、と思ったけども、さすがに失礼か……。
元々タダだし、貰っておいて損はない、かな。
なので貰っておく事に。
それはつまり、休日はオシャレをしていないといけない事に。
あー、面倒な事になった。
気が重い……。
「あと、一か月に一回、私のお店にきてね、友情価格で整えてあげる」
「いや、自分で切るのでいいですよ」
お金ないし。
ここの美容院、結構高いのだ。
丁寧だし接客もいいし設備も整っているから、出来栄えも満足以上。
そりゃ値が張る。
するとお姉さんがわたしの耳に口を近づけ、
「友情価格はこの場だから言ってるだけ……実際はタダでやってあげる。
これはお姉さんのわがままだから、付き合ってくれると嬉しいな」
小声で囁く。
そんなことしていいのかな……。
いや、仕事じゃなく、プライベートとしてなら、関係がないのか。
一か月に、一回か――意外とスパンが早くない……?
「そういうもんだよこねぎちゃん」
ゆかちゃんが知ったような口を利く。
そっちだって貧乏なくせに……の割りには、身だしなみには気を遣ってるよね。
どこから出るんだそのお金は。
さては貯金とか――してないな。
金の使い方が荒いよ……だから常時金欠なんだよぅ。
お姉さんに押されたわたしは、渋々頷いた。
タダに勝るものはなかった。
「ふふふっ、これからよろしくね、お姫様」
わたしに似つかわしくない呼称をされて、背中がむずがゆくなった。
そんな呼ばれ方をする人間じゃないよ、わたしは。
強いて言うなら、今のわたしはお暇様だ。
「まいどありー」
お姉さんはそう言って、わたしたちを見送ってくれた。
しばらく歩いて、一つ。
視線が気になる。
たぶん、見ているのはわたしだろうとは思うけど、それでもかなり視線が気になる。
鬱陶しい。
走って逃げたいのに、滅多に穿かないスカートのせいで動きにくい。
スカートっていうか、これはワンピースって言うのか。
肩が出ているのも違和感。
服の感触があんまりなくて、まるで裸で歩いているみたいで、なおさら恥ずかしい。
服は白いくせに、たぶんわたしの顔は真っ赤だろう。
で、髪の毛は水色なんでしょう?
色彩がわけわかんない。
これで肌が日に焼けたら、さらに色が増える。
わたしはパレットなの?
ごちゃごちゃ考えて気を紛らわせようとしたけど意味がなかった。
ひそひそと周りの人の声がして、現実に戻される。
隣を見るとしっかりとゆかちゃんがいてくれた。
「ん?」
と首を傾げる。
あざとくてもいいから、今だけわたしに夢を見させてゆかちゃん。
とにかく、現実から目を背けたかった。
「注目の的だねー、こねぎちゃん」
「ゆかちゃん、帰ろう」
家にいれば服装なんて関係ない。
誰にも見られない。
外、やだ、怖い!
「大丈夫だってば。どーどー、落ち着いて」
深呼吸して、心を落ち着かせる。
鼓動は速くて、衰えない。
全然、落ち着けない。
「もうー、仕方ないな。手、繋ごう」
「ん」
「こ、こねぎちゃんが素直過ぎて気持ち悪い……」
藁にも縋る思いだった。
今なら、なにを犠牲にしてもいい、とにかく早く帰りたい。
しかしわたしの手を引くゆかちゃんは意地悪にも家には向かってくれなくて。
結局、長時間に渡って、町を歩き続けた。
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