第18話 美少女の罠

「おかえりなさい」


 ピンクの花柄エプロン姿。

 おたまを片手に持ち、バンダナを頭につけている。

 さすが美少女、可愛い。


 しかしお前、確実に自分の分は食べてるな。

 口元にちょっとだけ、食べ残しがあった。

 それもあえてやっていそうなところが、あざといというか、裏があるというか。


 裏しかないっていうか。

 裏しかないから、こういうのをおもてなしって言うのかもね。


「ごはんにする? お風呂にする? それとも――私?」

「そうだな、まずは風呂だ」


「ゆかちゃん、ありがと、もう寝てていいよ。後はこっちで勝手にやっておくから」

「もー! ノーリアクション!? せっかくサービスショットしてあげたのに!」


 まあ、裸エプロンでないだけモラルはあるようだ。

 しかしどこにあったのか、その可愛らしいエプロン。

 自前? まさか。

 わざわざ旅の邪魔になるような物を持つとは思えない。


 ゆかちゃんなら、ガッと持ってガッと切ってガッと鍋に入れてガッと食べるくらいの傍若無人さがお似合いだった。

 新妻みたいなおしとやかさは微塵もない。

 エプロンも、似合ってはいるけど。


 お風呂は既にゆかちゃんが入った後らしく、使った形跡がある。

 家にいていいと許可を出したのはわたしだけども、それにしては遠慮なく使ったな……。

 それを言うのは今更か。


「お父さん、わたし、先に入ってもいい? すぐあがるから」

「いや、ゆっくりでいい」


 お父さんはそう言うが、わたしは断り、すぐにシャワーを浴びる。

 秒で。

 言いつつもしっかり五十五秒くらいは浴びていたが。


 たとえ一秒だろうとも、お父さんとゆかちゃんを一緒の空間にいさせたくない。

 同じ空気さえも吸うな。

 それくらい。

 だからシャワーも早く上がった。

 これでも汗は流せているし、体も綺麗にできている。

 貧乏人の技術力ってやつだ。


「お父さん、いいよー」


 服を着て、ゆかちゃんがいる自室へ戻った。

 さっきの、ゆかちゃんのエプロン姿。

 朴念仁っぽく、お父さんは恒例のセリフを言われても動じずにお風呂と返していたけど、ちょっとだけ、本当に半音だけ。

 お父さん、声が高くなっていた。


 あのお父さんが。

 無表情のお父さんが。

 あの時だけ、ほんの一瞬だけ。


 ――心が、動いた。


「……やばいね、これ」


 ゆかちゃん……洒落にならないパンデミックだよ……。

 手を打つしかない。

 火傷させられる前に、燃やしてしまおう。



 布団に入ったらあっという間に寝てしまったらしい。

 朝、目が覚めたら昨日の夜の記憶がまったくなかった。


 お風呂からあがって、夕飯を食べる前にベッドに一旦ダイヴして……、

 なるほど、そこで寝ちゃったのか。


 当たり前だ、疲れてるんだから。

 ゆかちゃんには悪いけど、真夜中の女子トークをする元気はわたしになかったようだ。

 いじけてそうなゆかちゃんはわたしの目の前にいて、目をぱっちりと開けていた。


 見惚れてしまう整った顔だけども、ゆかちゃんだと分かった時点で夢から覚める。

 現実を見ろ、と叩き起こされた感じだった。


「……なにしてるの?」

「おはようのキス」


 ストレートにきついよ……冗談じゃなくて。

 同性だから尚更。

 まだ男の人の方が、いくらかマシだと思う。

 相手が変態だったらゆかちゃんレベルにきついけども。


 つまりゆかちゃんは変態だ。


「くだらない事してないで、起きるよ」


「はいはーい」

 とゆかちゃんは体を起こし、さらさらつやつやの髪の毛を結ぶ。


 ポニーテールになった。

 生憎と似合ってる。

 なんでも似合うんじゃないかな、うん。


 比べてわたしの髪はぼさぼさだった。

 これはもう髪質なのでどうしようもない。

 整えるにしてもざっくりと。


 雰囲気でやっているだけなので細かい事は知らない。

 気にしないで、整えなくとも帽子を被ってしまえばいいんだけども……。


 その後、部屋から出て気配で分かった。

 お父さんが、いない。


「あ、そうそう、お父様なら整備場に行くって言ってたよ」


 お父様、ね……まあいいか、及第点。


「……ふーん。なんでゆかちゃんが知ってるの?」


「こねぎちゃんが寝ている間に私が起きたら、そう伝言を頼まれたの。

 今日ってお仕事、休みらしいね」


 ちなみに私もお休み。

 と言うけど、ゆかちゃんは自由じゃん。


 自営業なんだからいつやろうとも関係ないし。

 稼ぎたければ出勤数を増やせばいい……。

 縛りはなくていいけど、それはそれで大変な事があるんだろう。

 というか管理とか、ゆかちゃんは無理でしょ……。


 管理されなければいけない側じゃん。


「まあ、わたしはね……シフトの関係で。整備場はいつも通りに稼働していると思うよ」

「こねぎちゃんはこれからどうするの?」


「休むよりも昨日の復習と明日の予習がしたいから……整備場に顔でも出そうかなって」

「つまり暇なわけなんだね」


 人の話を聞いていないな。

 いや、聞いたうえでそう返答したのか。

 質が悪い。


「暇なら付き合って。というか、お父様から頼まれてて。『こねぎを整備場に近づけさせないでくれ』って――ああ、拒絶じゃなくて。ちゃんと休ませて欲しいって事だと思うよ。だから、ここから先には行かせないよ!」


 構えるゆかちゃん。

 無視するわたし。


「そう……お父さんが言うなら、仕方ないね」


 なにせ雇用主だし。

 言う事を聞かないと、すぐに解雇される。

 親子関係なんて、この際、意味を持たない。

 逆に親子だからこそ、容赦がない。

 きっとお父さん的には、切りたいはずなんだから。


「じゃあ惰眠を貪るとしますか」


「ちっ、がーう! 違うでしょ!? 健全な女の子は貴重な休みをベッドの上で過ごさな――」

 

 そこでゆかちゃんの言葉が止まった。


「ベッドの上……違う意味ならありだな」


 どうせくだらない事でも考えているのだろう事が分かったので、放っておき、わたしは部屋に戻ってもう一度眠る事にした。

 しかしわたしの腕を引っ張り、二度寝を止める人物が一人。

 ゆかちゃん、なんだか必死。


「お願い付き合って! 絶対に損はさせないから」


 現在進行形で損はしてるけど……、

 思ったら、ゆかちゃんの顔が歪む。


 ……泣き落とし、か。

 同性にやっても意味はないでしょ、と思ったわたしは浅はかだった。

 結構な威力があり、演技なんだと分かっても守りたい衝動に駆られた。


「わ、分かったから」


 付き合う付き合う! 

 とヤケ気味に言うと、ゆかちゃんはニタリと笑った。


 ……やっちゃった。

 ずぶずぶ、足がはまっている気がする。

 ゆかちゃんという、泥沼に。

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