第17話 禁断の片想い
「こねぎちゃん!」
「……ゆかちゃ」
ん、と言い切る前に、
「裏切り者ぉ!」
と首元にクロスチョップを喰らった。
受け身を取れずにわたしは背中から地面に叩きつけられる。
……気づけば空が見える。
あれ、わたしってば仰向け?
「なんで先に仕事に行くのよもぅ!」
「……たったそれだけの事で、わたしは大ダメージを喰らったの?」
くだらな過ぎる。
わたしの貴重な体力を返して。
「朝するはずだった私のおはようのキスを返してよ!」
「誰が唇を奪わせるか」
ほら見て。
注目して。
見た目は良くても、こんなにも残念。
色々な意味で、女の敵だ。
「ケチ」
「……貧乏だから仕方ないよ」
そうぽんぽん唇をあげる女もどうかと思うんだけど……、確実にビッチだよ。
わたしがケチならゆかちゃんはビッチだね。
「それで、今日は稼げたの?」
「あははー」
とゆかちゃんは苦笑い。
……良くはなさそうだ。
「今日もうち、泊まる気?」
「まー、そうですね……泊めていただけると助かるかな、と思いますけど、はい」
口調は下手に出ているくせに、なぜ胸を張ってるんだろう、この子は。
泊まる気満々なのはいいとしても、既に泊まる事が決定しているかのような余裕も感じる。
わたしが嫌だと言えばそれまでなのに、代案でもあったりして。
じゃあそっち行けよ、とは言わないし、思わない。
まあ、いくらビッチでも、同年代で同性の友達はいないから、嬉しかったりもするのだ。
たとえゆかちゃんでも。
贅沢は言っていられないし。
とは言っても選ぶ権利はあるわけで。
わたし自身、捨てる気がないという事は、それなりに気に入っているのだ。
本人にはとても言えないけど、ゆかちゃんは、結構お気に入り。
馬鹿バカしくて、元気が出るのだ。
「泊まってもいいけど――あ、今日は遅くなると思うよ。確か……」
「二十二時」
と、先回りされた。
……そうだけど、なんでゆかちゃんが知っているのだろう?
テキトーに言った答えが当たった、という可能性の方が高いとは思うけど……、
そっちの方がありそうだ。
「うん、二十二時だから――」
「じゃあ先に帰って家事しておくね。冷蔵庫の食材使うけどいいでしょ? あ、大丈夫大丈夫、ちゃんと節約モードで作るから。楽しみにしておいてね!」
「ちょっと待て!」
――!?
――ッ!?!?!?
ゆかちゃん――その指でくるくると回している、鍵みたいなものはなにかな?
「? 知らないの、これはね、鍵って言うんだよ」
うん、ストラップが小指サイズのレンチなので分かりやすい――わたしの家の鍵だ。
なぜ、ほぼ赤の他人であるお前が持っている?
「これ、家を出る時にお父さんがくれて――」
「お父さん?」
びくっ、としたゆかちゃんの顔がさぁっと青くなる。
「え、ええと」
としどろもどろになりながら、わたしに視線を合わせてくれない。
どうして? なんで視線を逸らすの?
なにかやましい事でもあるから、目を合わせられないんじゃないの?
「お父さん、と言ったね」
「い、言いました……っけ」
「言いました」
なぜかわたしまで敬語になってしまった。
うーむ、雰囲気に飲まれているな。
流れを作り出したのはわたしっぽいけど。
「なんで、お父さんと呼ぶの?」
ゆかちゃんは、すっとんきょうな表情をして固まる。
しばらくしてから口が動いた。
「えと、でも、お父さんは、お父さんじゃ――」
「ゆかちゃんのお父さんじゃないよね? わたしの、わたしのお父さんだよね?」
うんうん! と力強く頷くゆかちゃん。
なんだ、分かっているじゃない。
だったら、どうするべきか分かるはずなんだけど。
「わたしのお父さんの事をお父さんと呼んでいいのはわたしだけなの。
分かったら、すぐに呼び方を改めろ」
「は、はい……」
声が震えているゆかちゃんを見たら、うわ、やり過ぎたな……とは思わない。
ここをなあなあに曖昧にしてしまうと、もやもやが残る。
後々厄介な確執になるので、今の内に摘み取っておくべきなのだ。
ちょっとした代償は仕方がない。
「こねぎちゃん……」
ゆかちゃんは恐る恐る、
「……ファザコン?」
「尊敬して、憧れてるだけだから」
わたしはそう冷静に返すので精いっぱいだった。
休憩時間が終わりそうだったのでゆかちゃんと別れる。
家の中をゆかちゃん一人にするのは不安があったけど……、
まあ、いじられて困るものはなにもない。
勝手にいじって鉄崩れに巻き込まれないかだけが心配だった。
巻き込まれてもあの子ならなんとかなりそう。
埋もれたままぐっすり眠ってそうだ。
それだけ強かなイメージがある。
それにしても家の鍵を渡すなんて、お父さん……、
もしかして、ゆかちゃんに気でもあるんじゃ……、
いやあ、さすがないない。
思うけど、一応、あとで釘を刺しておこう。
――ゆかちゃんの方に。
仕事が一通り終わった。
外は真っ暗で、周りには誰もいない。
かちゃかちゃとパーツをいじる音しかしない。
わたしだけ、一人ぼっち。
いつの間にかこの状況だった。
ふぅ、後はこれをはめて――よしっ、終わり。
工具を片づけ、久しぶりに立ち上がった。
ぎしぎし、と腰が悲鳴を上げる。
顔をしかめて、背中を伸ばす。
同時に腰も伸びて、気持ちのいいストレッチ。
わたしが受け持った列車は後日、海浜の国へ向かうらしい。
もしも整備にミスがあれば、一瞬の事故で多くの人が怪我をする。
最悪、命を落とす。
だから気を抜く事はできないのだ。
だからこそやりがいがある。
「うわっ、二十二時、越えちゃったなあ」
ゆかちゃん、今頃夕飯を作って待ってくれているんだろう……。
冷めた料理を前に……、いや、絶対食べてると思うけど。
のん気に眠っているかもしれない。
じゅうぶんあり得る。
気負わず帰り支度を始めようと更衣室へ向かう。
――途中、
「あれ? お父さん?」
いたの? と聞いてしまいそうになったけど、そりゃあそうだ。
部下を残して、親方が帰るわけにもいかない。
これは労いとかではなく、もしもわたしが問題を起こした場合、すぐに対応するためだ。
そして問題が起こった時、そばにいなかった事が、さらなる問題となって積み重なる。
読んでそのまま、罪が重なるわけで。
つまりわたしのためじゃない。
知ってたけど。
まあ、少しはショックかな。
悔しさもあって。
仕事を終えたわたしを褒めてくれない事に、理不尽な怒りもあって。
だから心の中はぐっちゃぐちゃだった。
「お父さ――親方、ただいま終わりました」
仕事場ではお父さんではなく親方と呼べと言われている。
ちょくちょく忘れてしまうけど、職場仲間は関係を知っているので、なにも指摘してこない。
お父さんさえも、それを流している節がある。
結局、どっちでもいいわけね。
親方、と呼ぶ方が職場の一員っぽいから、そっちを呼ぶように意識してる。
「ん」
と、低い声でお父さんが頷いた。
それだけか……。
いつも通りと言えば、いつも通り。
変化なし。
わたしとお父さんの関係は、停滞している。
盛り上がった時なんてないから、倦怠期でもない……なにこれ、どういう関係?
形式的な親子としか言いようがない閑散さだ。
それから、整備場を二人で戸締りし、鍵を閉める。
あ、鍵で思い出したけど、ゆかちゃんへ、なんで鍵を渡したんだろう……?
そう聞こうとしたが、やめた。
わたしよりもゆかちゃんへ心を開いているって事実を、理解したくなかった。
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