第2戦 カウントダウン・ハイパー【こねぎ】
第16話 町工場の残念美少女
レンチでナットを締めたところでちょうど声がかかった。
列車の真下、滑車のついた荷台に背中を預けて寝転がっていたわたしは、ごろごろと引っ張り出される。
手袋で頬の汗を拭うと、真っ白な手袋が黒くなっていた。
……頬も同じように黒い汚れがあるんだろう。
綺麗とはかけ離れた場所にいながら綺麗さを求めるのは場違いだ。
全身、暑さで汗まみれ、油やオイルの汚れが染みついている。
仕事はまだ終わったわけじゃない。
ただの小休憩。
どうせ数十分後に作業が開始されるわけだし、また汚れる。
いちいち綺麗にしなくてもいいだろう。
「こねぎ、てきとうに体を休めておけ。お前の事だ、自習でもしそうだから釘を刺しておくが、勝手に作業をしたりするなよ。あんまりいじくられると、こっちも迷惑だ」
「はい、分かりました」
先輩の忠告に素直に頷く。
道具は自分のものでも、練習をするための対象はお客様のものなので、勝手に使うわけにもいかない。
整備士ってのは自習したくともしようがないのだ。
整備するための、故障車を見つけなくてはいけないわけで。
そう都合よくあるわけではない。
まあ、整備士ってのは修理士でもあるわけだから、なにも列車だけを専門にしているわけではない。
しようと思えば武器も列車以外の自動車も、整備できる。
さすがに神器はできないけど。
神器の劣化版であるレプリカであっても同じだ。
あれの整備は神獣から託された、各国、七大国の姫と王にしかできない。
ただの町工場であるわたしたち、整備士が手をつけてはならない、貴重な存在。
手の届かないもの。
わたしたちじゃ役不足で、場違い。
列車が整備できるからと言って、勘違いしてはいけないのだ。
「休憩は……げっ、三十分もあるの……? まあ朝から今まで休憩なんてなかったけどさ」
疲れていないのにする休憩ほど、無駄なものはないと思う。
働かせて欲しい。
こっちは焦っているのよ。
わたしには技術力がとても足りない。
才能のないわたしは、誰よりも努力しなければいけないんだから。
しかし、勝手な行動は信頼を下げてしまう。
ただでさえ、男の職場に女のわたしがいて、ちょっと規律を乱してしまっているんだから。
なおさら、勝手な真似はできなかった。
手袋を取って、帽子をはずす。
帽子の中でまとまっていた髪は、ストレスから解き放たれたかのように、重力に身を委ねる。
……鬱陶しいなあ。
作業中はまとめているから気にしないけど、作業をしている時が多いからそっちで慣れてしまって、今がものすごく不快。
「…………? なにか、用ですか?」
視線を感じたのでそちらを向くと、数人の先輩方がわたしの事を見ていた。
整備士は小手先の作業ではあるけど、力仕事もそれなりにある。
そのため、男の人は誰もが筋肉質だった。
「いや、なんでもねえよ。視界にお前が入ったもんで、つい見ちまっただけだ」
「そー、そー。しかしおめえも、やっぱり女だな。作業中はあんまり気にしねえが」
「だぼだぼの作業服だから体のラインもでねえし、女って事を忘れそうになるぜ」
女扱いしてくれないのなら、それはそれで願ったり叶ったりだ。
「忘れてもらって結構です。なんなら、男扱いでお願いします」
「男には、裸の付き合いってのがあるが?」
「それで信頼を得られるのなら、裸にもなりますよ」
先輩方の鼻の下がぐんっ、と伸びた。
下心がありまくりじゃないか。
でも、一度襲わせておいた方が、認めてもらえるかもしれない。
女としての価値がなくなれば必然、運用価値しか見出さなくなるだろう。
よく言われるけど、見た目が可愛い――なんて、だからって良い女とは限らないんだよ。
ゆかちゃん然り。
「おい、お前ら」
「お、親方!? す、すんません、すぐ休憩に行ってきます!」
先輩方はわたしの後ろに怯え、そそくさと退散して行った。
「お父さん……、ねえ、なにか、整備してもいい道具とかあったりする?」
「今は休憩時間だ。休憩をしろ」
「もうしたよ。休憩時間をどう使おうと、それぞれの自由でしょ。わたしはなにかをいじっていたいの。なんでもいいから、なにかあるでしょ?」
「ない」
お父さんは断言した。
ないわけはないんだけどなあ……。
「お前はオーバーワーク過ぎる。お前が休まず、この先の作業中にお前が倒れたりしたら、どれだけの人間に迷惑がかかると思う? チームワークを考えろ」
手ぬぐいを頭に巻いた、髭を生やした無表情のおっさん――。
そう、わたしのお父さんは、
「仲間として認められたかったら、指示には従え」
冷たく言い放って、わたしを追い越して行く。
私が整備士として、職場の仲間に認められていないのは、お父さんが原因だと思う。
親方……つまり一番、偉い。
職場のリーダー。
そんなお父さんが認めていない人物を、職場の人達は勝手に認める事ができないからだ。
だからみんな、どこか余所余所しい。
視線を合わせてくれない。
話しかける時も、さっきみたいに距離を取って。
物理的にも、精神的にも。
近寄りがたい存在として、わたしはこの職場の、厄介者扱い。
実際、そうなんだろう。わたしのわがままでここにいるのだし。
整備士になる事に誰もが反対した。
お父さんはもちろん、町の人たちは、一人残らず。
でもわたしは。
反対されればされるほど、どうしてもこの仕事がしたいのだと、思うようになった。
どうしても。
整備士になりたくて。
お父さんの大きな背中に、憧れて。
「あんなに反対するなら、なんで職場に入れてくれたんだろう……」
そこで作業する事も。
嫌なら入れさせなければいいのに。
でもわたしはこうして今、実際に作業できているわけで。
それを許可したのは他でもないお父さんなのだ。
たぶん、諦めに近いのだろう。
一旦、職場に入れてしまって、現実を見せれば諦めるだろうと思ったのかもしれない。
実際に、わたしは諦めずに今も続いている。
諦めたのはお父さんの方だったのだ。
「ん、あれって――」
整備場から出てメインストリートをのんびりと歩く。
飲み物を片手に持ち、飲みながらの徒歩移動。
三十分、意外と長い時間を潰すには散歩が一番。
そしてなんとなく、近いから立ち寄ったのが、噴水がある広場……公園とも言う。
その真ん中に子供たちが群がっていた。
ヒーローショーでもやっているのかな、と覗いてみたら、セクシーな格好のお姉さんがいて、子供の教育上、いいのかな、と心配になった。
周りを見れば子供たちだけではなく、大人も遠巻きからそのショーを見ていた。
職場の先輩方もいやらしい目で見ていた……素直に気持ち悪いなあ。
男ってのはどいつもこいつも……例外はいるけど。
大人が遠巻きに見ているのは子供たちがいるからだろう。
その大人気さに、割り込む余地がまったくないのだ。
あの人垣を縫って見るのは至難の業だ。
物理的よりも精神的障害の方が大きそう。
「「「服が消える」」」
「できねえよエロガキ」
子供に大人気なお姉さんは結構乱暴な言葉遣いで――なんだか聞いた事あるなと思ったら、案の定、ゆかちゃんだった。
というか、子供の方もその要望はどうかと思うけど。
昨日、この町に着いたんじゃなかったっけ、ゆかちゃん……。
それがもう町のアイドルとして定着しつつある。
まあ、見た目だけは良いしね。
中身は残念でも見た目が整っていれば誤魔化せる。
何も知らなければ、人は騙されるわけだし。
ゆかちゃんが着々と魔の手を広げてるなあ……。
「あの子、可愛いよなあ」
「男ばっかの職場にいたらマジで天使だろ」
「おい、一応うちにも一人いるじゃねえか、あの、親方の娘さん」
「ありゃあ、まあ顔は良いがそれ以外がなあ。身だしなみに気を遣えねえ女は、ダメだ」
「お前、それ親方の前で言うなよ。娘の悪口を聞いた親がどう思うか、分かるだろ」
「言わねえって。
にしてもあの子、頼めば俺らにもショーを見せてくれるのかなあ? 大金払ってもいいぜ」
「それもう用途が風俗じゃねえか」
あのセクシーな姿を拝みたいだけで、それ以上の勇気が出ない奥手先輩方の会話が聞こえてしまった。
まったく、不愉快――にはならないけども。
だって真実だ。
中身はともかく、見た目が良くて身だしなみを整えているゆかちゃんと、まったく無頓着なわたしだったら、そりゃゆかちゃんの方が可愛いに決まってる。
可愛いと思われたくないわたしとしては、好都合だし。
「あ……いや」
「?」
と、わたしが先輩方を見てみると、あちゃあ、目が合った。
どうやらわたしの存在に気づいたらしく、おどおど、怯えていた。
……いや別に、なにもしないけど。
うーん、筋肉質な体型でも心の方は弱いのか。
わたしに怯えるって……違うか、わたしの後ろの、お父さんに怯えているのか。
とにかく、気にしていないと伝えておく。
「すんませんッ!」
「すんませんっしたぁ!」
注目を浴びる大声で謝り、脱兎のように逃げていく。
見た目ゴリラのくせに、なんで脱兎なんだよ……。
って、注目をわたしに集めさせておいて逃げるな。
どうするの、この状況……。
わたしってば、大男二人を謝らせて追い出した女の子って事になるんだけど……。
町の人の視線が痛い……。
この町出身でずっと住んでるけど、そりゃあ知らない人も多いし、新参者の方が多かったりするこの町だ。
わたしなんて全然、有名じゃない。
お父さんくらいだろう、有名なのは。
そして困った事に、ゆかちゃんがわたしに気づいた。
子供達が散って、ショーが終わったところだったのだろう。
着替え終わったゆかちゃんは、一直線にわたしの元に近寄ってくる。
……面倒なのに捕まった。
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