第35話 二度目の異能力

 須和が転校した、浮足第一小学校、四年一組は荒れていた。

 先生が諸事情でいなくなり自習になった途端、ほとんどの生徒がやかましく喋り出し、ひどい者では教室を使って鬼ごっこを始める者もいた。


 当時人気であったカードゲームを広げる者や、ゲーム機を持ち寄る者と、やりたい放題である。

 その中で筆頭になって遊びを助長しているのは、幼い姿の井丸一連であった。


「(……信じられない)」


 とは言っても、小学四年生、やんちゃな年頃だ。

 井丸であってもこれくらい、はめを外したところでおかしな事ではないかもしれない。


 だから信じられないのは、いじめから須和を救った井丸が、いじめる側に立っていたという事だった。


「よお、秋野ー」


 井丸は教室の後ろに貼ってあったポスターを剥がし、丸めてチャンバラで使うための剣にしていた。

 意味もなく二刀流だ。


 呼ばれた秋野は不愛想に返事をする。

 そんな彼女の頭に丸めたポスターが振り下ろされた。


 ぱこんっ、と音がする。

 痛くなさそうな音だが、丸めたポスターは意外と太い。

 周りが思っているよりも、首にかかる衝撃は強い。

 顔を歪める秋野に、井丸は気づきもしなかった。


「チャンバラやんぞ」

「しないよ……みんなで楽しめばいいじゃん」


「うっわー、井丸のお誘いを断ったよあいつー。せっかくお情けで声をかけてくれたのにねー……これだから裕福な家のお嬢様は。どうせあたしたちを見下しているくせにねー」


 一人の女子が喋り出すと、周囲の女子もひそひそと陰口を言い出した。

 転校したばかりの須和も混ぜようと、女子生徒が秋野の悪口を聞かせてくる。


 困った顔で曖昧に頷く須和。

 すると隣の女子が、ごっ、と鈍い音と共に転んだ。


 飛んできたポスターの先端が、女子の頭に直撃したのだ。

 転んだ姿を見て、投げた本人の井丸が机の上で大爆笑している。


 それにつられて、周りの男子も大爆笑した。

 転んだ女子は怒るかと思いきや、頭を押さえながら、ちょっとー、と文句を言いつつも笑っている。


「陰口は言うなよ。言いたい事があるなら本人にちゃんと言えって。これじゃあ、いじめているみたいじゃんか」


 井丸の一言に女子たちの声が大きくなる。

 あえて聞かせているのだろう。

 陰口にならないように。


 それを聞き、井丸も満足そうにしていた。

 人の悪いところを知ってこそ友達だろ、とでも言いたげな表情を浮かべ、投げたポスターを女子に回収させる。

 人遣いの荒さは、まるでこのクラスの支配者のようだった。


「(ようだ、じゃなくて、実質の支配者……)」


 もちろん一枚岩ではなく、井丸自身も王だと思っているわけではない。

 いくつかのグループがあり、それぞれのリーダー格がいる。

 リーダー格に順列はなく、つるむグループは違くとも仲は良いらしい。


 しかし、目立っているのはやはり井丸であった。


「やろうぜチャンバラ。もちろん手加減してやるよ」

「……分かったわよ」


 渋々ポスターを受け取った秋野。


 すると、一人の男子が、

「じゃあ、よーいスタートで――」


 と説明に入ろうとした瞬間、井丸がポスターを思い切り横に振り切った。


 顔に直撃した秋野は椅子から転げ落ち、手からポスターが離れていく。


「――試合開始な、って、まだ説明の途中だぜ、一連ー」

「ああ、そっかそっか、間違えた間違えた」


 再び大爆笑が巻き起こる。

 須和は思わず秋野維吹の元へ駆け寄っていた。


「あ? おお、転校生、お前もチャンバラやるか? 楽しいぜ」

「……黙れ」


 低い声だ。

 クラス全員が、しーん、と沈黙する。


 井丸が再び振るった丸めたポスターは、須和の顔に向かったが、腕で受け止める。

 肉体は小学四年生だ、須和の足は僅かに横へずれた。


「楽しいところに水を差すなよ。面白いんだからいいじゃねえか、なあ?」


 周囲の男子は首を縦に振る。

 女子も、頷いているようにも見える僅かな動きをさせた。


「女の子を叩くなんて、サイテーです」


「これはチャンバラだぞ? 試合だ試合。こういう時だけ女は弱いから優遇しろとか言いやがる。不平等だー、とかいつもは言い回りながらさー。自分の思い通りにしたいだけじゃんか」


「そんな人だとは思いませんでした」


「転校初日、まだ一時間の授業しか受けていないのに分かられても困るんだけどな。あーはいはい、悪かった悪かった。じゃあチャンバラしよーぜ。ルールをきちんと決めれば文句はないだろ? みんなが楽しければそれでいいんだよ、面白い事して遊ぼうぜ、須和」


「しないです。わたしは秋野さんを、保健室に連れて行きますから」

「はあ? あんな程度で怪我するわけねえじゃん。サボりたいだけだろ?」


「だとして――止めますか?」


「いいや」

 井丸は首を左右に振った。


「まあいいや。よし、誰でもいいからチャンバラやるぞー、ボコボコにしてやる……!」


『――井丸の悪い顔だ!』


 喧騒を背中で受け止めながら、秋野維吹の手を引き、教室を出る。

 保健室へ向かおうとしたのだが、場所が分からなかった。

 おろおろと悩んでいると、秋野が呟く。


「余計な事をしないでよ」

「ごめん、なさい……でも――」


「あんた、この時代でも、チビなのね」

「……未来の、秋野維吹……なんですか……?」


「現在の、と言うべきだけどね。仕方ないわ、着いてきて」


 秋野の背中を追って辿り着いたのは、屋上だった。

 鍵は閉まっていたが、針金を差し込んで捻れば、簡単に錠を開けられる。

 後々、井丸に教わる予定の技術らしい。


 屋上にあるフェンスに背中を預け、秋野は須和と対面する。


「これがあんたの願いなわけね。胸糞悪い、悪趣味な願いよ。

 私一人を痛めつける、質の悪いいじめよ」


「……? 一体……?」


「タイムスリップをしたら、まずどうする? 後悔している事があるはずでしょう。あの時、ああすれば良かったと誰もが思うはずよ。一回目とは違うやり方で、同じ時間を進めようとするはず。でも、この世界ではそれが一番の禁止事項になっている」


 須和は思い当たる節があった。

 今日、学校へ向かっていたら、気づけばベッドの上で目覚めていた。

 夢だったのかとも思ったが、起きた後の展開がほとんど一緒だったのだ。

 それだけならば予知夢だったのかもしれないとも思うが、秋野の今の言葉で確信する。


 一日ごとに全ての状態が記録セーブされる。

 そして本来の時間の流れから逸脱した行為をすれば、一日の最初に記憶を維持して戻る。

 やり直しを強要される。


 つまり、時代の流れを乱さずに過ごしていかなければならない。

 だからこれは過去を変えるためのタイムスリップではない――。

 過去から現在までの過程をただ知るための、体感型シアターに近い。


 


 誰かと仲良くしたいのならば、その人の事をよく知らなければ実現しない。

 須和映絵が宮原純を克服したように、秋野維吹と仲良くするためには、二人の過去を知らなければならない。


 深層心理でそう願った。

 井丸を奪おうとする、秋野維吹と仲良くなりたいと――。


「だからジュリーは、呆れていたんだ……」


 全てを奪った秋野維吹の手を引っ張る行為を。

 救うためではない、ただ彼女の隣にいて本音を遠慮なくぶつけ合いたいという、その願望のためだけに。

 根本は井丸が持つものと同じなのだ。


「見たいのならば見ればいい。私の失敗を――私の後悔を」


 井丸は絶対に渡さないから。


 すれ違う際に耳元で呟かれた。

 確かに秋野からすれば、酷な異能力である。


 失敗と後悔を持つ秋野は、時代をなぞるしかない。

 同じ失敗を起こし、後悔をしなければならない。

 秋野にとっては二度目の小学生時代だ。


 そして二人とも触れなかったが、不明瞭な点が一つある。

 追体験をするためのタイムスリップである事はほとんど確定と言ってもいいだろう。


 ――では、元の世界に戻る方法は?


 もしかして、残りの六年、このまま過ごさなくてはならないのだろうか?

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