第33話 もう一人の不登校児
周囲から聞こえるひそひそ声、陰口、悪口。
蔑んだ視線、畏怖の瞳。
須和映絵が廊下を歩いただけで生徒が道を譲る。
かつてはそんな光景も須和にとっては視界に入ってはいなかった。
俯いて歩いていたのだ、推測で周囲の反応を感じ取っていたに過ぎなかった。
だが、今は井丸一連との出会いを経て成長をした須和だ。
かつてとは同一人物でも、心の強さが違う。
胸を張って教室へ向かう須和は、客観的に観察をする事ができた。
異能力に囚われていたとは言え、自分がしてしまった事の影響力を痛感する。
「(こんな見た目で素行不良、授業サボり、器物破損……、
中でもやっぱり、暴力事件が相当に痛い……)」
見知らぬ女子生徒が須和の目の前に立ち塞がった。
敵意を放ち、バケツに溜めた水を須和に思い切りかける。
全身びしょ濡れになった須和は、しかし決して顔を俯かせる事はなかった。
「あんたのせいでっ、わたしは大会に出られなかった!
あんたがわたしを木刀で殴って突き飛ばしたから!」
見知らぬ女生徒ではなかった。
今とは違って当時は顔に傷を負い、本人の意思により隠していた。
半分も肌が見えていない状態で向かい合ったのだ、はっきりと覚えていなくとも無理はない。
だが、須和だけは、忘れてはならない顔なのだ。
須和は加害者であり、この女生徒は被害者なのだから。
「(わたしが、暴力事件を起こした時の……)」
「こんなもんじゃ済まさない……わたしのっ、大切な時間を……ッ!」
「ごめんなさい」
須和映絵は膝を折り、両手を床につけて、頭を下げる。
正式な謝罪をする。
須和が出した答えは、ひたすらにそれを繰り返す事だけだ。
この子にはなにをされても構わない。
されてしかるべきだと、無防備な姿を晒し続ける。
「ごめんなさい」
「なによ、それ……。いつもみたいにおどおどとしていなさいよっ。気持ち悪く、挙動不審に普通じゃないところを見せなさいよ! 土下座して、謝って……っ、わたしの目を真っ直ぐに見るなッ! あっという間に、まともになるんじゃないわよッ!」
かつての自分はどれだけ酷い状態だったのだろうか、と呆れる。
そんな自分を救い上げようとした井丸一連にも、同じように呆れるしかない。
だが、須和映絵は井丸がいなければ変わる事ができなかった。
こうして謝罪をする事も、できなかったのだから。
「(一連だって普通じゃない。良い人過ぎて、わたしみたいに除け者にされてもおかしくないくらいの人物だとは思う。誰もがまだ気づかないだけで……。でも、わたしだけは一連を否定してはならない。同じように除け者にされていれば、手を伸ばさなくてはならない。義務じゃなくて、わたしが、そうしたいと望む願望だから――)」
須和映絵は立ち上がる。
真っ直ぐに相手の目を見た。
「謝っただけではあなたの気は晴れないと思います。恨みだって、ずっと残り続けます。あなたがわたしになにをしようと、わたしは文句を言えません。それだけの事をしましたから。だから、わたしは謝る事しかできません。……色々と、ごめんなさい。出来る事は少ないと思います。でもっ、あなたが困っていれば必ず助けます。だから……」
しかし言葉は続かず、最後に一言、ごめんなさい、と謝った。
須和映絵が女子生徒を通り過ぎる。
しかし、数歩で足を止めたのは声がかかったからだ。
須和は声だけを、背中で受け止める。
「遠慮なく言わせてもらうから。困った時、あんたを頼るからね」
「……はいっ」
「(なによ……っ、喋れるのなら、最初から喋りなさいよ。
みんなとなにも変わらず、普通じゃないの……ッ)」
たった少しでもいい、会話をするだけで須和映絵が背負う誤解は簡単に解ける。
どうしてそんな簡単な事もかつてはできなかったのか、今でこそ言える事だ。
須和が成長した振れ幅が大きいほど、なぜしなかったのかという後悔は大きくなる。
「(今からでも、間に合うんだ……っ)」
井丸一連の恩恵を頼りにした解決法ではなく、自分自身で掴む学園での立場。
こうして再び、一匹狼の状況になったのは、なにも悪い事ばかりではなかったかもしれない。
案の定、松本一派も同様に記憶を失っており、須和との思い出もゼロになっている。
だが、元々松本たちは須和を輪の中に入れようとしていたのだ。
須和から話しかければ、簡単に輪の中に入る事ができる。
多少の警戒はあるにしても、慣れ慣れしい天野、面倒見の良い宮原、井丸が関わっていないため、須和に憧れも嫉妬もない松本は、持ち前のコミュニケーション能力の高さで須和と打ち解けている。
須和も二度目とあってか、スムーズに混ざる事ができた。
問題は、鈴村小春だけが、一歩退いた感じで須和を遠目に見ている。
心も少し距離があった。
距離を詰めたい欲求があったが、崩れた人間関係の修復に時間を割く余裕はなかった。
今は一刻も早く、井丸一連と自分以外……歪んだ世界を元に戻さなくてはならない。
濡れた制服から体操着に着替えた須和は、机に頬杖をついて思考に沈む。
「やっぱり……聞いた事があるなと思えば……秋野維吹って、わたしと同じクラス……」
不登校中のクラスメイトだった。
「ねえ、彩乃……」
「おっとー、いきなり距離感を詰めてきたねー。うんうん、あたしは構わないよ」
記憶がある頃と勘違いしてしまった。
今の松本彩乃との関係は、完全に打ち解ける前の、書類上だと『友達』と明記できる程度の間柄でしかない。
授業と授業の合間の休み時間、周囲の怯えとそれに勝る戸惑いの視線を受け止めながら、須和は松本の席へ向かった。
「秋野さんって、どうして学校に来ないの……?」
わたしでさえ不登校にはなっていないのに、と言ってから後悔をする。
自分よりも酷い状態ではない、と勝手に決めつけてしまっていた。
自分を取り巻く環境よりも酷いものなどないのだから、甘えていないで学校に来い、と攻撃的な言い方とも取られかねない。
松本も困った顔だ。
ただ、須和の言い方をたしなめるのではなく、単純に、答えの分からない事に申し訳なくしている表情だった。
「なんでだろうねー、元々、須和ちゃんと同じではぐれ者ではあったけど、そうそうデリケートな子でもないと思っていたんだけど……なにがきっかけなのかはさすがに分からないなー。本当に前触れもなくいきなり不登校になっちゃったから」
「噂とかは……」
「……ないねー。一つくらいはありそうなものだけど。なにもない。それくらい個人情報を表に出さない子だった、と言われれば、確かにそんな雰囲気だったよ。人を寄せつけない一匹狼って感じじゃなくて、言うなら、みやっちと同じ感じかな」
距離の詰め方を間違えて、逆に突き放しちゃう、と松本は微笑む。
親友の失敗談は、いくらでもおかずにできるらしい。
「みやっちほど攻撃的に聞こえる口調じゃなくて、静かに人の傷口を抉っていく、毒舌だった……人によっては笑いにできるし距離を詰めるきっかけにもなるけど、このクラスでは嫌に思う人が多かったんだね。まあ、普通は嫌悪を示すのが大多数だけどね」
須和映絵と同じく、秋野維吹は孤独だった。
そんな二人はしかし、一度も出会う事はなかった。
自分だけの世界で生きていたから。
自分の世界に入って来ない人物を、いちいち自分から探すわけもない。
早いか遅いかの違い……。
二人には孤独以外にも、共通点がもう一つあった。
――隣に、井丸一連がいる事だ。
「(もしも、彼女が原因であるのならば、聞き込みに意味はない、かな……記憶をいじられているはずだし。彩乃で知らなければ、たぶん誰も知らないと思う……本人以外は)」
「須和ちゃん? 悩みがあるなら相談してもいいんだよ?」
「大丈夫。近い内に解決する見込みがあるから」
それは背水の陣ではあったが、効果はじゅうぶんにある。
聞き込みに意味がなければ、残されたものは装備なしでの直撃勝負。
秋野維吹へ直談判。
謎解きもせずに犯人を問い詰める暴挙でもある。
秋野維吹までもが被害者であれば、自分はまた別の誤解を作ってしまう事になるが、当たらずに砕けた以前とは違うのだ。
砕ける砕けないにかかわらず、まずは、当たらなければ意味がない。
授業を受けている暇などなかった。
足は最短で、『そこ』へ向かっていた。
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