第30話 地下室への招待

「こうして、もっと早く話していれば良かったかなあ……」


 井丸が帰った後、須和映絵がぼそっと呟いた。

 数年の空白を埋めるように、姉妹三人でお喋りをする。

 こんな光景をもっと早く実現させる事はできていたはずなのだ。


 須和映絵が、心を閉じこめていたりしなければ。


「お姉ちゃんの自業自得だから」

「そうね。映絵ちゃんの反応がないから、こっちも話しようがないもの」


 ごめんなさい、と映絵が謝る。

 伏せた顔を妹の帆乃夏が上げさせた。


「はいはーい、幸せ者が俯かないのー。良かったね、お姉ちゃん」

「あんな男の子は中々いないわ。少々、浮気性にも感じるけど、映絵ちゃんが一番だという気持ちはじゅうぶんに伝わる。なによりも愛情があるから、信用できる」


 浮気性。

 あらゆる方面に手を伸ばす、という意味であれば当たっている。

 生徒会長として経験を積んだ姉は、人を見る目が良いらしい。

 井丸の人間性を見事に言い当てている。


「帆乃夏、お姉ちゃん。これからも、よろしくね」


 妹と姉は顔を見合った。

 くすっと笑い合って、もちろん、と頷いた。


 ああそうだ、と映絵は二人を見て質問をする。

 もっともっと、話しがしたかった。


「二人には好きな人、いるの?」


 珍しく。

 須和家の三姉妹は、食事の時以外は部屋から出なかった。

 真夜中になっても、映絵の部屋の電気は点いたままになっていた。



 翌日には、須和も体調が回復していた。

 駅まで迎えに行き、二人で登校をする。


「井丸くん、昨日は来てくれてありがとう……妹やお姉ちゃんとも話してくれて……」

「印象は良さそうで安心した。『映絵は渡さないっ』って言われたらどうしようかと思った」

「もし言われても大丈夫ですよ、その場合は駆け落ちでもすれば……」


 自然と出た言葉だったが、つまりは俺と結婚する気満々だと宣言したものだ。

 恋人同士であれば当然の会話かもしれないが、やはり慣れない。

 気づいた須和はごにょごにょと誤魔化す。


「と、とにかく! 大丈夫なんです、ええっ!」

「なあ須和。――敬語は変えないのか?」


 須和の特権だと俺自身は認識している。

 もちろん敬語でなくなったからと言って須和を須和だと分からなくなる事はないし、似合っているから続けるのもやぶさかではない。

 だが、やはり距離を感じる喋り方だ。

 興味本位で、敬語ではない須和も聞いてみたい。


「いいだろ、映絵……」

「井丸くんが、そう言うなら……ちょっとは、努力、してみようかな……」


 しばらくの沈黙。

 話題を探していると、先に掘り出したのは映絵の方だった。


 元々敬語ではない俺が親密度を口調として現すには、名字呼びを変える事くらいか。

 変な感じではあるが、嫌ではない。

 さらに距離が縮まったような気もする。


「昨日、二人に言われたの……いつまで名字で呼んでいるの、って……それで、わたし、気づいちゃって。わたしって、井丸くんの事をなにも知らないんだなって――」

「なにも知らないって事はないだろう。好きになったんだ、映絵にとって惹かれる部分が俺にあったって事が、分かったんだろうさ」


「そうだけど、ううん。もっと基本的な事。そう言えば井丸くんも一度も言わなかった。だからわたしも、困っちゃって。変えたくても変えられなかったの」


 改めて。

 映絵は俺に訊ねた。


「わたし、井丸くんの下の名前、知らない」



 そう言えば名乗っていなかった、と俺自身も気づかなかった。

 元々、井丸という名字が呼びやすいのか、誰も俺の名を下の名前では呼ばないからだ。


 小学生時代からの付き合いである秋野でさえ、井丸だ。

 それを言ったら、俺だって秋野、と名字で呼んでいるのだが。


一連いちれん。井丸一連だ」

「じゃあ……一連」


「くすぐったいな。自分の名前が一連と言うのも、俺にとっては半信半疑みたいなもんだからな。それくらい、馴染みがない名前なんだよ」


「じゃあ、馴染むくらいにわたしが呼んであげる。……ずっと」


 指先が触れ合い、自然と手を繋ぐ。

 校門を過ぎても、どちらからも手を離さなかった。



「映絵、少し付き合ってもらっていいか?」


 返事はなく行動で示された。

 呼べばくるというのは犬みたいに思える。

 俺の彼女だが。


 会わせたい人がいるんだ、と伝えて案内したのは、地下へ続く階段だ。

 扉近くは光が差し込み明るいが、降りていくと光が届かなくなる。

 そうなると真っ暗で、通い慣れていない映絵にはかなり恐ろしい道中になるだろう。


 手を繋いで慎重に歩く。

 いつもならばあるはずの光の目印がない。

 秋野がいる部屋から光が漏れているはずなのだが……、

 どうやら部屋の電気は点いていないようだ。


 電気を消して眠っているのかもしれない。

 ……ドアノブを回すが、鍵がかかっている。


 ……外出中? 

 あいつが?


「会わせたい人って……」


「ああ……俺の幼馴染の秋野っていう女子生徒なんだが、今日はタイミングが悪いらしいな。また別日でもいいか? 俺からも一応、アポイントメントは取っておこうと思う。こういうすれ違いは一度でこりごりだからな」


「大切な、人なの……?」

「映絵の前に好きだった相手だ。でも、あいつよりも映絵の方が、今は好きだぞ」


「うん。満足」


 にやけ顔を見れて、俺も満足だ。

 地下から一階へ戻る。

 教室までの道中、映絵からこんな要望があった。


「一連の家に行ってもいい? 

 もっともっと、お互いの事を知った方がいいと思うの」


 そのお願いを断る理由はどこにもない。

 俺は承諾した。


「じゃあ今日の放課後、俺の家に招待するよ」

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