第29話 須和姉妹は興味津々

「……なにしてんの?」


 玄関の扉を開ければ、姉の体育座りが視界に飛び込んできた。

 膝におでこをつけて、見て分かる根暗な印象を与えている。

 まるでもう一人の姉のようだ、と末っ子の妹が姿を連想した。


「(最近は少しだけ明るくなった気がするけど……大きな変化に体がついていけなくて体調を崩すのは『あの人』らしい……)」


 買う気などなかった飲料水が入ったコンビニのビニール袋を持って台所へ。

 部屋に持って行くにしても、自分ではないし、冷やしてからの方がいいだろう、と冷蔵庫へしまう。


「おかえり……」

「……体調悪いの? あの人よりも顔色が悪そうなんだけど」


 嘘をつく。

『あの人』の顔色どころか、顔さえも今日は見ていないのだ。


 ここしばらくは、面と向かってさえいない。

 すれ違う事もないので遠目で見るくらいだろうか。

 メガネをはずして、顔を俯かせなくなったのは見ていて分かった。


「自分のお姉ちゃんを、『あの人』と他人のように呼ぶのはダメよ」

「他人だったらどれだけいいか。そっちの方が上手く付き合える自信があるよ」


 自分の姉だからこそ、厳しい目で見てしまう。

 降りかかる火の粉が大きくなる。

 連帯責任を嫌というほどに実感させられた。


 会話ができればいくらか仲も繋ぎ止められるが、向こうに会話をする意思がなければ、どうしようもない。

 いくらこっちが歩み寄っても、のれんに腕押しだ。


 だから放っておき、できるだけ干渉しない手法を取るしかなかった。

 一番上の姉も、不干渉を貫けてはいないが、接する頻度は少ない。

 だが、お互いに気にかけてはいるのだ。

 風邪を引いたと聞いただけで、すぐさま帰ってくるくらいには、心がある。


「? なに?」

「部屋。見てみれば分かるから」


 もう一人の姉の部屋を指差す。

 妹は怪訝な顔をして、おやつとして一口サイズのチョコレートを口に運ぶ。

 どうせ自分の部屋に行くのだ、距離的には大した差などない。


 たった数歩だ。

 言われたから、『あの人』の部屋の前まで行ったわけではない。


 落ち込んだ姉の理由が、あの人の部屋にある。

 興味はあったが、本人は今、ベッドの上で横たわっているのだろう。

 自分から率先して無視しているのだ、覗き込んで目が合ったらと考えると、このまま自室に引き返した方が気持ちは楽だ。


「どうでもいいし」


 妹が呟くが、握り締めていたのはあの人の扉のドアノブだった。

 極力、音を立てないようにして隙間を開ける。


 一瞬、覗くだけ――。

 そこで妹が見たのは、知らない男の人と楽しそうに話す、根暗で恥ずかしがり屋な、もう一人の姉だった。



帆乃夏ほのか……」


 きぃ、という蝶番の音に気づいた須和が出入り口に目を向ける。

 ゆっくりと開いた扉の先には、お姉さんとは違って制服を多少着崩した、中学生だろう女の子がいた。


 須和とは違って、活発で誰とでも打ち解けそうな、明るい印象だ。

 お姉さんは礼儀を弁えるが、この子は明け透けと接してくるようなイメージ。

 今も堂々として、胸を張っている。

 戸惑いも多いが、多少の期待があるのか、瞳には興味の光が散りばめられていた。


「だ、誰……?」


 答えようとしたが、須和の方が先に口を開く。

 割り込めば説明などすぐにできるが、チャンスを潰したくはない。


 あの子は須和を見ているし、須和も真っ先に動いた。

 家族の間で仲があまり良くないのならば、俺と須和の関係という話題は、仲直りへの架け橋になるのではないか。


「えっ、と、井丸くんは、その……わたしの、か、か、かれ、ぅう……」


 付き合っている、好きである、とは口に出したが、『彼氏』と、須和が誰かに説明した事はなかった。

 そんな機会も今が初めてであるが。

 だからこそ言葉にするのに時間がかかっている。

 家族だからこそ、説明するのはなんとなく恥ずかしい。


「――彼氏っ、わたしの、彼氏の井丸くん!」

「どうも」


 須和の態度に比べて、俺の反応はつまらないものだっただろう。

 しかし、恥ずかしがり過ぎている須和を見れば、見ている側は落ち着くというものだ。


 向こうも、

「どうも」と軽く会釈をする。


 どうすればいいのか分かっていない様子だった。


「う、嘘じゃないよね……? お姉ちゃん、彼氏、作ったの……?」


 須和は頷いた。

 言葉が少ないからこそ、信憑性が上がっているのかもしれない。

 須和に限れば、彼氏ができたよりも男友達がいる事自体が……友達がいること自体が、珍しい事なのかもしれない。

 失礼ではあるが、知り合いでさえも怪しいのだから。


 家に彼氏を連れて来る……、以前の須和を知っている者からすれば、何段跳びの成長なんだと驚かれても無理はないだろう。

 実際、さっき知ったお姉さんは体をくたくたにして、大きなショックを受けてしまったのだ。


紅羽あかはお姉ちゃんでさえ彼氏いない歴が年齢なのに……、お姉ちゃん、すごいよっ!」


 運動神経が良いのか、足のバネを使って須和に急接近し、風邪を引いて寝込んでいる事も忘れて、須和の両手をぎゅっと握る。

 勢いあまって顔と顔がぶつかりそうなほど近くで、目を輝かせる須和の妹。


 妹が姉を押し倒しているような体勢だ。

 須和は引きつった笑みを動かせないでいた。


「教えて恋愛マスターっ! 

 頼りにならない紅羽お姉ちゃんには、相談できない事があるの!」


「ちょっと待ちなさい!」


 開けっ放しの扉の先には暴れた後のように髪がぐしゃぐしゃに、服もしわだらけになった、さっきと同一人物とは思えない、須和のお姉さんがいた。


 ゆっくりと部屋に入り、須和のベッドの目の前で正座をする。

 見た目は乱れているが、作法はきれいだった。

 背筋を伸ばし、視線が須和に向いている。

 真剣な表情だった。


「映絵ちゃん、私も相談事があるの! 聞いてもらってもいいかな……?」


 女の子はいつだって恋愛脳だ。

 須和がゲームばかりを考える例外だっただけで。


 そんな須和に相談をするのは間違っているとは思うが、俺が口を挟むべきではない。

 それに、お願いをされた須和は無理な仕事を断るかと思いきや、意外と乗り気であった。


 頼られるのが新鮮で、快感なのかもしれない。


「仕方ないなあ、もうっ」


 本人が楽しそうならいいか、と俺は苦笑いをするのであった。



 上から目線で、

「恋愛とは――」

「駆け引きが大事であり――」

「押し過ぎないように、たまに引いてみるのも――」

 などなど、須和の指南がしばらく続く。


「駆け引きもなにも、された覚えがないんだけど」

「井丸くんは黙ってて」


「ド直球に大好きですと言われたんだぞ、たった一回の強い押しじゃん。

 引くなんて小手先の技術が須和にできるとは思えないなあ」


「井丸くんは黙っててっ!」


 風邪を引いているんだから熱くなるな、となだめる。


「はいっ!」

 と挙手をしたのは妹だ。


 須和もノリノリで、はいっ、と先生のように、なんでしょう、と受ける。


「お姉ちゃんは井丸さんのどこを好きになったの? 

 いつどこで、どういう理由で?」


「そ、それは……」


 俺をちらっと見る。

 確かに気になる。


 振り返れば、一人きりで閉じこもっていた須和に手を差し伸べたから、というのが有力だろうと思っていた。

 俺にはそれしか浮かばなかった。


 須和の中で俺が意中の相手となるターニングポイントはどこなのか。

 恋人同士になった後もそういった事は話していない。

 確認なんてするまでもなかったからだ。


 今が『好き』で埋め尽くされていればじゅうぶんだった。

 だが、知りたいものは知りたいのだ。

 俺も、妹と一緒に前のめりになる。


「わ、わたしの味方だって、わたしのいないところでも叫んでくれたところ、かな……」


 自分の落ちる評判を気にせず、なにを言われても言葉を曲げずに、常に味方でいてくれた事を、須和は今でも嬉しく思ってくれているらしかった。

 遡ればそのワンシーンが、須和の中でのターニングポイント。

 その頃から意識はしていた。

 明確に好きにはなってはいないものの、空っぽだった心に一人の影ができたのだと言う。


 それ以来、性格上、警戒はしていたが、接していく内に惹かれ始め、気づかない内に好きになっていた。

 誰にも奪われたくないと思っていた。

 自分のものにしたいと思うようになった。


 聞いているこっちがむずむずしてしまうベタベタなラブストーリーの登場人物であると自覚すると、俺も同じくらいに恥ずかしくなる。


「というか、ほんとに最初の方じゃねえか、そのエピソード……」


 松本と一番最初に出会った頃だろう。

 須和が水浸しになっていた時……あの時、須和は俺と松本の会話を聞いていたのか……。


 あの後、須和は名乗ってもいない俺の名前を出した。

 噂で聞いたと言っていたが、もちろんその可能性も多大にある。

 だが、直前の松本との会話を盗み聞きしていれば、名前を仕入れていてもおかしくはない。


「盗み聞きをするつもりは……だって、井丸くんの声が大きいんですよ……。

 おかげで聞こえましたけど……」


「思えば、警戒心が強いはずの須和が、最初から心を少し許している感じがあったのは、そういうことだったのか。昔のお前なら会話さえ成り立たないし。でも、きちんと受け答えをしてくれた。気にしてはいなかったが、聞かされると謎が解けた感じがするな」


 妹は、いいなあ、と呟く。

 自分を救ってくれる王子様に憧れでもあるのだろうか。


 お姉さんは思案顔だった。

 いらない心配を、しかし消化しておきたいと言った様子だ。


「なら、井丸くん。妹をこう言ってしまうのはあれですが、厄介な人物だとは以前から分かっていたんですよね? コミュニケーションもまともに取れない危険人物だと。暴力事件も起こしています。理由はどうあれ、当時の井丸くんには真意は分からないはずです。

 なぜ助けたのですか? 下心ですか?」


「お姉ちゃんの方はよく分かった。

 じゃあ、井丸さんはいつどこで、どんな理由で、好きになったんですか?」


「期待に応えられず申し訳ないですけど、須和映絵だから助けたわけじゃないですよ。元々、どんな人物なのか知りませんでしたからね。でも助けられたのは、俺が先なんです」


 詳しくは言えないが。

 異能力に巻き込まれたと話しても、理解など得られない。


 結果だけを伝えればいい。

 細かい部分は須和だったら分かるはずだ。

 話に修飾を施してはいても、肝心の中身はなにも変わってはいないのだ。


「当時は初対面ですらなかった、ただの一瞬の出来事でしたけど、須和は命を懸けて、俺を助けてくれた。だから――そんな須和が困っているのなら、たとえ全世界を敵に回しても救いたいと思った。最初は恩返しですよ。加えて、俺がやりたい願望でもあった。

 好きになったのは――俺の場合は出会ってからかなり遅かったです。失って初めて気づいた。意図的ではなく、須和は押すのではなく引いた形になるんでしょうかね」


 当たり前のように握っていたものがいつの間にか無くなり、自分の気持ちに気づいた。

 それが好きという事なのだと。

 ただ、とある理由で俺から告白はできなかった。


 質問されたら答えられない。

 俺さえも、理由は分かっていないのだから。


「井丸くん、ありがとう。色々と喋ってくれて」


 お姉さんは姿勢を整えた。

 そして作法の通りに頭を下げる。


「映絵ちゃんを、よろしくお願いします」


「お、お姉ちゃんっ!?」


「わたしからも、映絵お姉ちゃんを、お願いします」


 きれいとは言えないが、妹もお姉さんの隣で正座をし、頭を下げる。

 俺は須和の彼氏として、認められた――そういう事でいいのだろうか?


 まだ両親という壁があるだろうが、今は考えなくてもいいだろう。

 こうして、須和の態度から分かる、冷え切った関係だとは思えない姉妹の二人から頭を下げられ、お願いをされたのだ。

 俺も相応の答えを返さなくてはならない。


「――絶対に幸せにする。だから、安心して見届けてくれ」

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