第28話 お見舞い事情
松本と同じように、宮原にも天野にも、学校をサボってお見舞いになぜ行かないのかと問い詰められた。
鈴村には、直接言われはしなかったが、視線が痛い。
表情から感情を読めはしないが、空気は読める。
鈴村も同じ意見だろう。
同じ事の繰り返しなので、こちらも同じように返答をする。
今回は松本もいるので俺の味方として意見を言ってくれた。
宮原が不満そうに、そういう事なら……、と見逃してくれた。
俺には俺のするべき事があるはずだ。
午前から午後の学業に励み、放課後になった。
休み時間中は須和と連絡を取っていた。
ベッドの上で寝たきりだが、随分と体調も戻ってきているらしい。
掃除の後、これから向かうと連絡をする。
スマホの画面を眺め、秋野にも連絡をしようとしたが、デジタルは心がこもっていても伝わりにくいデメリットがある。
顔文字を使っても取り繕っている感じが出てしまって俺は好きではない。
なので手紙を書いて、地下にある秋野の部屋の扉に挟んでおいた。
『会わせたい人がいる、必ず事情を説明するから、待っていてくれ』
「説明をしたら、怒るだろうなあ。でも、俺しか受け止められないものだ」
学校を出て須和の家へ――、
出発する前に、一度家に帰り、自転車に乗ってから向かう。
一度、行った事があるので、道を覚えていた。
途中のコンビニで、喉に気持ち良いだろうと、アイスや、水分補給のために、飲み物を数本、買っていく。
少し時間が経ってしまったが、須和のマンションに辿り着いた。
オートロックのチャイムを押そうとしたら、隣の足音が近くで止まった。
俺よりも一、二歳……もしかしたらそれよりも上かもしれない女性が立っていた。
制服を着ているとなると、大学生ではない。
制服を着崩さない模範的な生徒の代表例である女性が、示された部屋番号を見て、警戒心を含めた視線を向ける。
「なにか用でしょうか?」
「須和映絵さんと同じ学校に通っています、井丸と言います。
体調不良で休んでいると聞いたので、お見舞いにきました」
「妹に、ですか……(あの子に男の子の友達がいたなんて……)」
警戒するのは分かるが、し過ぎているような気もする。
一挙一動を見逃さない視線の動かし方だ。
無駄のない、監視カメラのような網羅の仕方とも言える。
身じろぎ一つでそこに注目するあたり、本当に監視カメラだった。
「えっと、一応、須和……、映絵、さんには、連絡をしてあるんですけど、入っても大丈夫ですか? お見舞いの品もあるので」
「そうですか。では品は私が預かります。
必ずお渡ししますので、ご心配なさらず。
妹への気遣い感謝します。では、これで」
業務的なまでに作られた表情と口調で、コンビニのビニール袋が奪われた。
まあ、大切な妹に得体の知れない男が訪ねてきて、家に上げるのはさすがに了承しないだろう……ましてや、お堅い生徒会長みたいなお姉さんだ、説得するのは今の俺には無理だ。
「そうですか、なら、助かります。映絵さんによろしく伝えてください」
「え、あっ、ちょ――ちょっと待ってください!」
エントランスから出ようとする俺を引き止めるお姉さんは、手を伸ばした姿勢で固まっている。
取り乱した事を自覚し、顔を赤くしているが、一瞬で切り替え、さっきまでとなにも変わらない状態で押し通す気だった。
「せっかく来たのです、やはり上がって行ってください。その方が妹も喜びます(あの子が心を許したのならば、突き返すのはあの子のためになりません。もしも変な事すれば、私が監視をしていますからすぐに始末できるはずですし……)」
「そうですか、なら、お邪魔します」
……物騒な言葉は聞かなかった事にした。
オートロックが解除され、エレベーターで五階へ。
玄関で靴を脱ぐ。
すぐさま、きれいに揃えてくれるお姉さんにお礼を言う前に、右手の二つ目の部屋です、と須和の部屋を手で案内された。
育ちが良いと言うべきか、優秀なお姉さんだった。
須和の部屋だと言われた扉をノックする。
はい、と返事があったので扉を開ける。
整理整頓されたきれいな部屋だった。
棚に並んだパッケージや、テレビに繋がれたゲーム機など、俺の知らないフィギュアなどもちらほら見え、須和らしい部屋だった。
部屋の主である須和は、おでこに冷えピタを貼り、ベッドの上で横になっていた。
顔を見合わせ、俺たちは同時に顔を赤面させる。
須和の場合、元々であったが、視線を逸らしたので恥ずかしがっているのがよく分かった。
付き合い始めた翌日だ、恋人同士であると再認識すると、やはりまだ照れがある。
数秒の沈黙があった後、コンビニ袋の音が第一声への合図にしてくれた。
「体調はどうだ、熱は測ったのか?」
「あ、はい。今は三十七度ちょっとなので、微熱で落ち着いています」
「平熱まで後少しか。これ、アイスと飲み物。食べられるか?」
「食べられますけど体を起こすとしんどいですね……食べさせてくれますか?」
「遠慮がないよな……いいよ、口開けて待ってろ。雛鳥のようにな」
言われて素直に口を開ける須和。
カップのバニラアイスを、付属していた木のスプーンですくい、須和の口に差し出す。
アイスが須和の喉を通った。
「冷たくて美味しいです……」
「そうか、それは良かった……、照れるな、これ。あと何十口あるんだよ……」
「あ、井丸くんも食べてもいいですよ。全部はさすがに食べられないので」
「そ、そうか? じゃあ俺も食べたかったし、少しもらうな。……バニラアイスって久しぶりに食べたな。シンプルな味だが、美味しいのが確約されているんだもんなあ」
「あっ……(うぅ、気にしていないのなら、いいですけどー)」
「なんだよ? ああ、次は須和の番だって分かっているから」
バニラアイスをすくう。
須和の口に持っていく途中で気づいた。
……スプーン一本、俺たちは使い回しをしていた。
いち早く気づいたのが須和だったのだ。
「あ……、間接、キス」
「言葉にしないでください! もう気にしませんので、早くアイスを食べちゃいましょうよ!」
「そうだな。昨日一回、軽くだけど直接キスをしているもんな」
「わたしの熱をどれだけ上げる気なんですか!? 言葉にしないでください、もうっ!」
キスとは言っても、本当に触れた程度。
互いに恥ずかしさが勝って一瞬もしない内に離してしまったのだ。
していないと見られてもおかしくはない接触具合である。
怒る須和だが、アイスを口に持っていくと途端におとなしくなる。
冷たいアイスが喉を通るのが本当に気持ち良いらしい。
半分くらい作業的になったところで、須和が居心地悪そうに身じろぎをする。
「汗が、気持ち悪いです……」
「拭いてやろうか? いや、半裸を見たいとかじゃなくて! 見たいけど病人にハードな事をさせるわけにはいかないだろうよ!」
「病人じゃなかったらなにをさせるつもりだったんですか……、じゃあ、背中をお願いできますか? タオルはタンスの一番の上の引き出しに入っています」
濡らすべきかと思ったが、須和がそのままでいいと言ったのでタオルだけを用意する。
パジャマのボタンをはずし、脱ぐ須和は、パジャマを前で抱いて背中を見せる。
病人らしい、汗びっしょりの背中だった。
「は、早く拭いてくださいっ、恥ずかしいですよ!」
「もうちょっとたくさん食べた方がいいぞ、痩せ過ぎな気もするなあ」
「まじまじと見ないでください! あと、胸の事を言っていますかっ! 井丸くんもどうせ大きい方が好きなんでしょうねっ!」
「付き合っている男に言うセリフかよ。胸を込みでお前の事を好きになったんだから、今更、胸がどうとか、関係ないだろ。あるに越した事はないけどな。ないからと言って、それが絶対条件ってわけじゃない。ないのを気にするお前の反応はとても好きだぞ」
「……変なところを触らないでくださいね、拭くだけですからねっ」
「あいあい」
と返事をして背中の汗を拭う。
がちゃりと扉が開いたのはその時だ。
濡らしたタオルを持ったお姉さんが、須和の汗を気にして顔を出す。
そして半裸の須和と、背中を拭う俺の姿が見えているだろう。
汗を拭いていると脳内変換されなかったらしい。
護身用に持っていたカッターの刃がキチキチと、数ミリだが確実に外に出る。
鼻先で寸止めされた。
「どういう事でしょうか。無理やり迫って――やはり男は信用できませんね、妹から離れてください、この家から出て行ってください、関東にあなたの居場所はありません」
少々の譲歩があるのがお姉さんの優しさだった。
だが、断れば数ミリの刃が俺の皮膚を引き裂くと脅迫されている。
誤解を解くのは難しいだろう、お姉さんの目を見れば血走っているのが一発で分かった。
冷静さを取り戻したのは須和の一言のおかげだ。
血走った目はふっと抑えられ、須和の言葉にぱちくりとさせる。
意味をよく分かっていないらしい。
男は信用できないと言うくらいだ、縁のない言葉だったのだろう。
「お姉ちゃんっ、汗くらい、拭くのは普通だよ!
だって、わたしたちは付き合っているんだから!」
カッターがごとんと音を立てて地面に落下する。
ショックを受けたお姉さんは、とぼとぼと部屋の外へ。
……須和よりも小さな背中だった。
「いいのか、あれ」
「……わたし、お姉ちゃんとこんなに喋ったの、久しぶりかも……」
論点が違う須和にかける言葉は思いつかなかった。
そう言えば解決しているのかどうか分からない問題点も一つ、あった気がする。
須和と家族は異能力の件で、関係がぎくしゃくしていたのではなかったか?
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