第3説 悪魔の耳

第27話 躊躇う朝

 鎖で縛られていた。

 それを砕いてくれたのは須和だった。


 告白は男からするものだろう、好きな女は男が手に入れるものだろう。

 だが実際は、須和が手を伸ばしてくれた。

 俺がその手を、取った形になった。


 今にして思えば情けないと思う。

 いつも差し伸べていた俺が、一番大事な時に、差し伸べられるとは。


 しかし須和の手がなければ、俺は一生、須和に思いを告げる事はできなかった。


 それが鎖だった。

 自発的な告白を縛る鉄の掟。


 しかしそれがなくなった今、俺は須和に想いを告げる事ができる。

 何度も何度も、繰り返す事ができる。

 数え切れないほどの言葉を須和に捧げた。


『ごめんなさい、体調を崩しました』


 松本たちと過ごした二日間を経て、恋人同士になった俺と須和の初登校日。


 目が覚めた時間に着信したメールには、そう書いてあった。


「……ま、須和らしいよなあ」


 放課後にお見舞いに家まで行くよ、と連絡をする。

 ありがとうございます、と業務的なメールが再び着信する。


 絵文字もなにもない素っ気ない一文ではあるが、須和の口調そのままなので、申し訳なさそうな須和の表情が簡単に想像できる。


 頭を撫でたくなった。

 撫でたら犬のように、気持ち良く表情を綻ばせるのだろう。

 行ってきます、と連絡すると、すぐに、行ってらっしゃいです、と返信がきた。


 いつもよりも時間遅めに出ると、妹と登校する時間が重なった。


「お兄ちゃん、顔がにやけて気持ち悪い」

「顔に出てるか? 嬉しい事があったんだ、気持ち悪いのは見逃してくれよ」

「責めてはないけど。今日は遅いんだ? いつもはもっと早いのに」


 毎日の日課として、朝に寄る場所があったのだが、今日は少し行き辛い。

 連絡をしないのが少しの罪悪感ではあるが、須和もおらず、会うわけにもいかなかった。


「今日はな。……その日課も、続けられるか、分からないんだけど」


 妹は興味なさそうに、そうなんだ、と相槌を打って家を出る。

 途中までは行き先が同じなので共に歩いた。

 最近のテレビ番組や、中身なんてほとんど分かっていないニュースの話をしながらテキトーにやり取りし、やがて別れる。


 登校中の生徒が増えていくと、金髪が目立つ松本が前を歩いていた。


「あ、おはよう井丸くん」

「後ろにいる俺に気づくのかよ……ああ、おはよう」


 後ろを見る松本は、あれ? と疑問符を浮かべる。


「映絵は?」

「体調不良だってさ。一世一代の決意をした翌日なんだ、あいつらしく緊張が解けて体調が悪化したんだろ、仕方がないよな」


「井丸くん、信じられないッ!」


 松本は俺の制服のネクタイを引っ張り、上から見下した。

 人差し指をぐりぐりと俺の頬に突きつける。


「普通は学校をサボってお見舞いに行くでしょ。こんな場面で真面目君を気取って、そんなに単位と出席日数が欲しいのか!」


「俺だってお見舞いに行きたいよ! でも、サボって行くと、たぶん須和は嬉しいよりも俺にサボらせてしまった、という負い目の方が強いと思うんだよなあ。それに親御さんがいた場合、サボるのは悪印象にしかならないだろうし……」


「映絵なら、確かにそうね。あと、意外と現実的に見ているんだねえ。今から親御さんの印象を窺っているだなんて……計算高いなあ。先走ってるなあ。幸せそうだなあ」


 貶していると思ったが、最後の一言に免じて指摘はしないでおいた。

 多くの生徒が歩く歩道の中で、思い出したかのように松本が話題を振る。


「あ、そうだ。昨日、言いかけていた事、いま言っちゃうね。

 ――あたしも井丸くんの事が、好きだから」


「ああそうかよ……は?」

「だから、あたしも井丸くんの事が好――」


「声が大きい! またこれ、俺の噂が増えるじゃねえかよ!」


 慌てて松本の口を塞ぐ。

 密着しているように見える俺たちは、注目の的だった。


「あーあ、フラれちゃったなあ……お祖父ちゃんに慰めてもらわなくちゃ。傷心中の女の子には大きなパフェが必要なのですよー」


「フラれたとかも言うなよ、プライバシーがまったくないなお前。しかも横目でちらちらと、それ、俺に奢れと言ってんのか? はーっ。まあ、須和も一緒なら、いいけどさ」


「じゃあ決まりねっ。安心してね、別にフラれた事は気にしていないから。あたしも人間なんだなって、確認できたから良かった」


「なんだそりゃ。お前は間違いなく、人間だろうが」


「もちろんそうなんだけど、なんでもできちゃうと、あれ? って思わない? みんながつまづく壁を、自分だけが悠々と乗り越えられちゃうと、さ。

 自慢に聞こえる? でも昔からなんでもできちゃうし、過度な期待にも応えられてしまう。人間ではあっても人間味がないなって、不安にも思ったの」


 天才の悩みが凡人には分からないのと同じように。

 贅沢な悩みだと部外者が思っていても、当事者からすれば身を引き裂くような苦悩であるのと同じように。


 なんでもできてしまうからこそ感じる松本の悩みを、俺は理解ができなかった。


「でも、解決したんだろ?」


「うん。昨日、映絵よりも先に告白をしようとした。でも、フラれたら? 今の関係が壊れてしまったら? もう元には戻れないとしたら? そう思ってしまったら、恐くて言葉が出なかった。でも、映絵はそんな恐怖を乗り越えて、告白をし、願いを叶えた。あたしにとって初めての、失敗だった。敵と認めた相手との、負けだった。あたしも人間味が溢れる人間なんだなって確信が持てたんだ。だから今のあたしは絶好調で気分が良いの!」


 もしも成功をしていたら、ずっと悩みを抱えたままだった――と、松本はそれこそが不安であるとでも言いたげだった。


 先行していた松本が振り向く。

 長い髪が派手に揺れた。

 失敗を体験したばかりの女の子とは思えないし、フラれた男に言うセリフでもなかった。

 こんな言葉を言えるのは松本くらいだ。


「井丸くん、なんでもできる完璧なあたしをフッてくれてありがとう。やっぱり不完全が愛くるしいのかな。ダメな子ほど可愛いって、本当なんだね。今、あたし最高に輝いているかも」


 完璧を追い求める者がいるように、不完全でありたい者もいる。

 松本は後者だっただけだ。


 しかし、ただでさえ完璧に近い松本に武器を与えてしまったような気もするが、目指す場所が不完全であるのならば、プラスマイナスゼロにでもなるのだろうか。


 俺の考える事ではないだろう。

 吹っ切れた松本には松本の道があり、俺が先導する意味も、手を引く必要もない。

 異能力の件でもそうだった。


 松本は自分で解決をした。

 俺でなくとも、誰の力も借りずに前に進める力があるのだ。


「やっぱり、俺の好みじゃないな」


 俺のタイプは変わらず、守りがいのある子、一択である。

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