第26話 愛ある前提

「あたしのお祖父ちゃんがアメリカ人でね、かなりあたしの事を溺愛しているの。なんでも買ってくれて、おねだりをすれば現金を躊躇いなくぽんっと出してくれるような陽気なお祖父ちゃん。スキンシップが過剰なんだけど、あたしはそれが大好きだった……。

 あ、もちろん今も生きてるよ? 家に帰れば真っ先に出迎えてくれてハグされるし。でも、一度だけ、本当に危ない時期があった。お祖父ちゃんは心臓病を患っていた。今だって、いつ発症してもおかしくはない、不治の病と言われてる。

 当時はあたしも小さかったから、特別、恐く見えたんだ。いつも陽気で笑顔が絶えないお祖父ちゃんが、顔を蒼白にしてベッドに横たわり、静かにしている姿を見て心が冷える感覚を味わった。ただ眠っているだけと言われても、正直、普通に家で眠っているのとあまり違いは分からないんだけどね……。

 たぶん、明確に『死』があたしの目の前にあったからだと思うの。それ以来、死を扱うものは映画でも小説でも、見れなくなった。死を連想させるものも、得意じゃない。

 アメリカの野蛮な地域では銃声が飛び交っていたのがトラウマになっていたりもするの。銃は簡単に人を殺せてしまう。映画でもそんなシーンがたくさんあるでしょ? 銃声はお祖父ちゃんの死を連想させるから、苦手……」


 コンビニへと向かう最中、松本は長々と語ってくれた。

 異能力とは心が起因する。

 松本が巻き込まれている異能力を解くための手がかりになるかと思い、苦手としている事を聞いてみたが……、後悔だけが残る。


「ごめん、言いたくなかったよな……」

「大丈夫だよ、一生、縁もなく生きていられるわけじゃないし。向き合わなくちゃね」


 実際、松本のお祖父ちゃんは死んではいない。

 日本には銃声など聞こえたりはしない。

 映画や小説は仕方ないが、見なければいいだけの話だ。

 松本は、不自由とは感じていなさそうだ。


「そうか……。しかし言ってもらったのに悪いが、分からない。手がかりになるかもと思ったんだけどな……。

 須和の場合は宮原たちを克服する事が鍵になっていたし、須和の変わりたい気持ちが異能力の源になっていた。松本はなにを願った……? キスは、解決法ではないしな。

 悪化する症状を抑制するためのものだ。なら、キスは関係ないか……。トラウマを考えても、死……うーん、死を克服する? と言っても、やり方なんて分からないぞ……」


 松本の事を放っておき、俺は思考に沈む。

 目の前の電柱にも気づかず、松本が服の袖を引っ張り、避けさせてくれなければ、頭を派手に打ち付けていたはずだ。


 死ぬ事は終わりではない。

 どちらかと言えば死後の世界を信じている俺が、宗教のように松本にその考えを説けば、死を克服してくれるのか。

 いや、試す価値はありそうだが成功率は低そうだ。


 そう言えば、俺をキスの相手にしたのは、ただ、異能力に詳しそうだから、という理由だったはず。

 であれば、本命がいるのでは? 

 松本の好きな人にキスをすれば、異能力も解けるかもしれない。


「んー、それはないかな。クラスの男子は子供にしか見えないし」


 スタイルやファッションがモデルのような松本からすれば、確かに、そう思っても仕方がないか。

 女子中から共学の高校に進学をしたのは、男子との青春に憧れがあったらしいが、入学して宮原と共にがっかりしたと語る。


 男子なんて子供ばかりだ。

 数少ないイケている男は競合が激しいだろうが、松本ならば勝ち取れるとも思う。

 だが、松本からすればそんなイケている男子も子供にしか見えないらしい。


「……答えが出ないな。克服する方向じゃなくて、叶えたい願いに方向転換をするか」


 隣を歩く松本に呼びかけようとした時だった。

 ――姿が見えない。


 振り向けば速度を落とした松本が歩いており、がくんっ、と片足の膝を崩す。

 片方に体重が乗ったまま車道へ体を半歩、飛び出させた。

 松本の後ろにはちょうど、車が進行していた。


 勢いよく車が通り過ぎる。

 僅か半歩。

 運転手は問題ないと思ったのだろう。


 実際、俺から見ても車体までは余裕があった。

 松本が轢かれて怪我をする恐れはなかったのだろうと思う。


 それでも俺は松本を引っ張って抱き寄せた。

 轢かれないと分かってはいても、危ない橋を渡らせるわけにはいかない。

 死を連想させてしまう体験を、させられるわけがなかった。


「右足、動かないか?」


 松本は頷く。

 明らかに異能力による力の抜け方だった。

 だからいつもの通りにキスをする。


 そして……二度、キスをされた。

 キスは一度でいいはずだ。


 松本は右足に力が戻っている。

 二度目をする意味はないはずなのに。


「……二度目は、さ――」


 余裕を見せていた松本の瞳に、怯えが見えた。

 言葉が止まり、キスをしたばかりの口が震える。

 急接近していた体は離れ、間に一人が入れるくらいの隙間が生まれる。


「松本?」

「いや、あのっ、あのね! 言いたい事が、あったんだけ、ど――」


 松本はそっと自分の両手を頬に添える。

 想定外が起きたとでも言いたげな表情だ。


 そして、一呼吸を置いた松本は、仕切り直していつもの調子で笑みを見せる。


「ううん、なんでもない。早くコンビニに行っちゃおうよ。買い出しがあるんでしょ?」


 松本と異能力について話し合う時間が欲しかっただけだったが、全員分の飲み物を買って行けば怪しまれないと思い、コンビニへ急ぐ事にした。


「ダメッ、待って! 井丸くんっ!」


 すると、後ろから足音と声。

 全速力で、息を荒げた須和が駆け寄ってくる。


 足を止め、呼吸を整えてから、攻撃的な瞳を松本に向けた。

 俺と松本の間に割り込む。

 松本を押して、後ろに下がらせた。


 理由を聞こうとする前に、須和は俺の方へ向く。

 強い瞳だ。

 なにかを覚悟し、成し遂げると決めた者の瞳。


「渡さない――井丸くんは、渡さない!」

「おい、須和……話がまったく見えないんだけど……」


「井丸くん」


 須和の言葉は水の上の葉っぱのように、強い気持ちと共に心に流れてきた。


「――大好きですよ。襲われたいと思うくらいに」



 松本彩乃は呟いた。


「勝てないなあ」


 自分が恐怖し、葛藤した末に諦めた事を、須和映絵は余裕で乗り越え、告白をした。


 静かに背中を向ける。

 二人から遠ざかるように、足を進めた。


「あ、異能力が切れた。深層心理の願いが反映されるって言っていたけど、なるほどねえ。

 心からあたしは、こっちの結末を望んでいたんだ」


 井丸と須和映絵が結ばれる事。

 大きな成長を遂げた須和に憧れ、嫉妬をしたりもした。

 大切な井丸を奪おうとも思った。


 だが結局、須和の幸せを願っていたのだ。

 異能力がそれを証明してしまっている。

 言い訳など、思いつかなかった。


「二人ともー! 交際おめでとうの前に、もうあたしは大丈夫だから心配しないでねー。

 呪いがたった今、きれいに解けたからーっ!」


「ちょ、おい! 待て松本! なにが原因だったんだよ!?」


「二人が結ばれる事。じゃ、末永くお幸せにね。

 みんなにも報告しないと! さあて、これから忙しくなるよーっ!」


「「ちょっと待てッ!」」


 二人からの追及から逃げるように、松本彩乃は走り出す。

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