第23話 守るべき優先順位

 夕食を終えた後は淡々と進んだ。

 幸い、松本の異能力が発動する事はなく、今のところは通常運転だった。

 しかしこうも情報が少ないと、解決策への道筋が見えないのも困ったものだ。


 人の家でくつろぐ事の居心地が悪いのか、須和だけは天野の母親の手伝いをしていた。

 慣れない手つきで皿洗いや、洗濯物を畳んだりしている。


 他のメンバーは居間でテレビ番組を見て談笑をしていた。

 まるで自分の家のように。


 元々、あの四人のグループに俺たち二人が混ざったものだ。

 居心地が良くないのは仕方がなかった。


 俺の仲間は須和だけなのだ。

 だが、さっきから、須和はなぜか俺に冷たい。


 洗濯物を畳んでいる須和の横に座り、手伝おうとする。

 しかし、俺が取ろうとした洗濯物を、頑なに渡したくないらしく、すぐさま須和が取ってしまう。


「さっきから感じ悪いぞ。俺がなにかしたか?」

「なにもしてないです。わたしがやりますから、井丸くんはゆっくりしててください」


 やはり、言葉に棘がある。

 言葉自体にはないのだが、言い方や言葉に乗る感情が、微かだが攻撃性を含んでいる。

 俺の知らないところで怒らせるような事をしてしまったのだろうか。


 上手くもないのに手伝っても迷惑かもしれない。

 そのため、見ているに留めたが、須和も威張れるほどに畳み方がきれいなわけではなかった。

 一枚を何度も何度も畳み直している。

 納得いくまで挑戦し続けていた。


「……家事とか、苦手か?」

「下手で悪かったですね」


「そうは言ってない。ネガティブ過ぎないか? 下手だろうが俺よりは上手いよ、全然な。下手でもこれから上手くなればいいじゃねえか、それだけの事だろ?」

「……いつまで、隣にいる気ですか? 彩乃の傍にいた方が嬉しいのでは?」


「お前も敏感に気づくよな。あー、今はいいんだよ。今は特になにもないし、しばらくはなにもなさそうだからな。今は須和が心配だったから、来てみたんだよ」

「心配だから……? っ、いつまでもッ! わたしを厄介事みたいに言わないでッ!」


 せっかく畳んだ服をくしゃっと握る。

 できたしわを伸ばし、再び畳み直す。


 不穏な空気を感じ取った宮原が俺たちを遠目に見ていた。

 まったく、世話好きな奴だ。


「須和」

「ごめんなさい。八つ当たりでした。わたしには構わないでください、井丸くん」


 畳んで積み重ねた服を、天野の母親の所へ持って行く須和の背中を目で追う。

 今は、話しかけない方がいい。

 なにがあったのかは知らないが、落ち着くまでは様子を見た方がいいだろう。


「八つ当たり、ね。じゃあ、あいつ自身の問題なのかね」


 宮原は俺を見もせずに、既に須和の元へ向かっていた。

 それでいいと口に出さず呟く。


 一人になった。

 その場で大の字に寝転がる。

 須和の拒絶が脳内でリピートされる。


 胸に穴が開いたような気分だった。

 倦怠感が体を襲う。

 なにもしたくない。

 動きたくない。


 眠って、元通りの関係に戻っていたらいいな、と諦めの態度に自己嫌悪をする。



 女子たちとは当然、別の部屋で眠る事になる。

 まさか天野の親父さんと眠る事になるとは思ってはいなかったが。


 猛獣の檻の中に入っているような緊張感で眠れるわけがなかった。

 矢継ぎ早に飛んでくる話題や語られる親父さんの武勇伝も、俺を寝かせる気がない。


 口数が減り、静かになったと思えば、眠ったら眠ったで、いびきがバイクのエンジン音のようにうるさい。

 この部屋だけ防音設備がじゅうぶんである意味が分かった。

 不眠よりも鼓膜の心配の方が深刻だ。


 遂には堪えられなくなり、俺は部屋から出た。

 蛇口を捻って水を出し、コップに注いで喉を潤す。

 涼しい風と夜空を目的に縁側へ向かうと、パジャマ姿の須和が座っていた。


「あ」


 互いの声が重なった。

 須和は固まり、それから自分の姿に気づいて両手で隠す。


 確かに、高校生が着るようなデザインのパジャマではない。

 どうせ天野のおさがりなのだろうと思ったら、本当にそうであった。


 チューリップ柄の黄色いパジャマが似合っている。


「どういう意味ですか。ふんっ、どうせ幼児体型ですよぅ」

「鈴村と同じくらいだもんな」

「小春ほどじゃないです!」


 須和も鈴村の事を幼児体型だと少々下に見ているが。

 本人に自覚はないらしかった。


「東京の星空だ……汚いなあ」

「風情をぶち壊さないでください」


 さっきよりはだいぶ、須和の心も落ち着いたように見える。

 だから踏み込んだ。


「それで。俺、須和のご機嫌を損ねるような事をしたか? もしもしていたら、ごめん」


 覚えがないものに謝っても気持ちなどこもらないと思うが、それでも、須和に嫌われたくないという気持ちをこめる事はできる。

 須和はなにも言わなかった。

 それが、俺の心を締め付ける。


 判決を渡される容疑者の気持ちみたいだった。

 あくまでもイメージだが、この『間』が、暴力よりも嫌にしんどく感じる。


 いつものように、髪の毛は後ろで結んではいなかった。

 須和映絵と言えばポニーテールとイメージがあったが、当たり前だが寝る時はほどくのだ。

 下ろした髪は少々くせっ毛に見え、普段よりも大人っぽく見える。


 夜というシチュエーションも、見た目を助けてくれていた。


「……謝るのはわたしの方です。井丸くんに八つ当たりをしてしまいました。なんでか、イライラするんです……理由は、なんとなく分かっていますけど、確信とはまだ言えません」


「なんだよ、八つ当たりの事はいいよ。人間、むしゃくしゃする事なんて誰でも、いつだってあるものだって。俺で発散できるならすればいい。傷つかないと言ったら嘘になるけど、須和のために、力になれているのなら、マイナスを補って越えるプラスがある」


「良い人過ぎますよ……井丸くんは。

 でも、謝りたいのはもう一つ、わたしからすれば、大きいのはこっちです」


「もったいぶって、なんか怖いよ……さらっと言ってくれた方が良かったかもしれないな」

「……見ちゃったんです。井丸くんと、彩乃がキスをしているところを」


「ん? え、でも須和はそれは知って――いや、厄介事に巻き込まれている事は予想できても、具体的な方法までは実際に見ないと分かるはずもないか。須和は、キスをしているシーンだけを見たって――、……つまり」


 やがて、鼓動が速くなるのを感じる。

 全身が熱い。

 なんとかしなくてはと心が焦る。

 だが、言葉が整理できない。


「違っ、違うんだよ須和! ちゃんと同意を得てだな――、

 違う、強姦の無罪主張をしたいわけじゃない!」


 言葉に出して言いたい事を整理してもまとまらない。

 とにかく脱線してしまう。

 聞いている須和は一つも理解できないだろう。


 一人でてんやわんやしていると、須和が微笑んだ。

 落ち着いてください、と、その須和の声で俺も少しは落ち着く事ができた。

 ただ、問題を先送りにしただけである。


「二人のキスを見てから、わたしの心は少しおかしかったです。井丸くんを見ているだけでイライラしたり、突き放したくなったり。でも、井丸くんからしたら、迷惑でしかありませんよね。わたしが怒る理由も資格もないですし、だから――勝手に見ちゃってごめんなさい。八つ当たりをしてごめんなさい。お二人とも、お似合いですよ。……もう大丈夫です。一度眠ればまたいつも通りに会話できるはずですから、もう少し、待っていてください……」


「須和」


 やかましかった心音は、今は穏やかになっていた。

 不安にさせないように振る舞う須和の表情は、どう取っても痛々しく見えた。

 だから――安心させないといけない、と、義務感が落ち着きを取り戻させる。


「松本とのキスは、お前と同じだ。巻き込まれたんだよ、異能力に」


 絶対に二人だけの秘密と念を押された松本との約束を破る。

 罪悪感は、不思議となかった。


 俺にとっては約束を破る事よりも、

 須和のそんな表情をそのままにしておく事の方が、罪深いと思ったのだから。

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