第22話 問題発生

 天野風香の父親に強制的に参加させられ、結局、全員が道着に着替えて、護身術を教わる事になった。

 知っておいて損はない、という言葉も無下にもできない。

 教育者としてプロである父親からの好意に、全員が甘えた。


 途中から護身術ではなく徒手武術になっていたが、気づける者は天野風香くらいであった。

 試合に勝つためではなく己を守るため、武術に興味を持つための入り口としての父親の練習は久しぶりに楽しかった、と天野風香は練習後に語った。


 時刻は夕方になっていた。

 なんだかんだと三時間以上は道場で練習をしていたらしい。


「あぁー、汗だくで気持ち悪い……ッ」

「近くに銭湯があるから行こうよ。父さんの門下生だった頃、よく通ってたんだ」


 道着から着替え、井丸と合流し、近くの銭湯に足を運ぶ。

 当然、井丸とは中で別れ、女子だけで浴槽に浸かる。

 もちろん、体は全て洗い流してある。


 短めの髪型が多いが、まとめていないのは宮原だけであった。

 唯一、長い金髪を持つ松本は頭がコロネパンのように膨らんでいる。

 タオルで巻き、固定させていた。


 晒されたうなじをじっと見つめるのは須和だ。

 日本人離れした肌の色白に、興味津々な瞳であった。


「……やっぱり、ハーフの方はきれいですね」

「あっ、また映絵、敬語になってるぞー」


「ごめんなさいっ、……えっと」

「彩乃。松本彩乃だから、彩乃でいいよ。須和ちゃんは勘違いしているけど、あたしはハーフじゃないんだよね。もう少し薄くて、クォーターなの。お祖父ちゃんがアメリカ人で、お母さんがハーフなんだ」


「へえ……」

「色白がそんなに珍しい? 須和ちゃんもそこそこ色白だよ?」


「これはインドアなだけだよ。引きこもってるから、肌が焼かれないってだけ」


 ふーん、と松本が頷き、沈黙が生まれる。

 しかしその沈黙は誰の心も急かさなかった。

 浴槽に浸かり、誰もが喋らず、しーんと心を落ち着かせる。

 今はそういう時間であった。


「あれ? はるっちは?」

「ああ? そこで寝てるんじゃ……、いや、沈んでる!」


 ぶくぶくと泡が現れる場所に手を突っ込み、鈴村を救出する宮原。

 沈み、助けられてもまだ、鈴村の意識は夢の中であった。

 命の危機をものともしないマイペースである。


「もう上がるの?」

「うん。ちょっとのぼせちゃった。ちょっと休んだらまた戻って来るから、待ってて」

「……うん」


 頭のタオルをほどく松本。

 長い金髪が姿を現す。

 髪を乾かさないまま、最低限の水分を拭き取り、着替えてから更衣室の外の休憩所で体を休める事にする。


 ふらふらになりながら足を動かす。

 休憩所のベンチには先客がいた。

 コーヒー牛乳の瓶を二つ持ち、乾いていない黒髪を持つ少年だ。


「気が利く人」


「男湯と女湯が隣で、お前らの声が丸聞こえだった。人が少ないからな、しーんとしていると小さな会話も耳に入るんだよ。のぼせたお前が外に出ると伝えた時、声が震えているのを感じた。もしかしたらと思って来てみれば――、案の定じゃねえか。

 なんとなく、そんな気はしてた。だから俺も行動が早くできたってわけ」


「そう……」

「随分ぐったりしてるな……。のぼせたのは言い訳じゃなさそうだ。座れよ、冷たいコーヒー牛乳を飲んだら、少しは楽になるだろ」


 蓋を開け、二人で飲む。

 しかし松本の体調は改善されなかった。


 井丸が松本の額に手を当てれば、かなりの高熱を感じ取れた。

 しかし湯船に浸かっていたのだから、体温が上がるのは当たり前だ。

 それを踏まえても、熱過ぎる気もする。


「どこが二時間だ。全然余裕じゃねえかよ。俺も忘れるところだったぞ。症状は分からないけど、キスしておくか? 改善されなくとも、異能力関連ではないと分かれば前進はするわけだし、悪い事が起こるわけでもない……よな」


「ちょっとしんどいから、もう好きにして。はい……」


 松本はキスをしやすいように背もたれに完全に背中を預け、斜め上を見たまま目を閉じる。

 唇の力を抜き、もうどうにでもして、と無防備になった。


「こっちの方がやり辛いよ……これは医療行為、医療行為、と……」


 井丸が唇を重ねる。

 高熱を持っていた松本の体は、やがて常温にまで熱が下がる。


 異能力による影響でどうやら合っていたらしい。

 キスをして正解だったのだ。


「…………」

「どうした、松本。まだどこか悪いのか?」

「ううん。なんでもない。井丸くんが気づいていないなら、それで良いよ」


「?」

 とスッキリしない顔をする井丸に答えず、松本は女湯を眺めていた。



「――まっつんはどうだった?」

「大丈夫だって。すぐ戻るから、って言ってたよ」


 そうか、と宮原が頷く。

 須和は浴槽には入らず、再びシャワーを浴びる。


 一度、服を着たから、湯船に浸かる前のマナーとして体を流すという理由以外に、もう一つ。

 自分の心を整理するためであった。


(井丸くんと彩乃が、キス……してた)


 頭からシャワーを浴びる。

 左胸を爪が食い込むほど強く押さえる。

 痛みがあった。

 それをどうにか和らげようとしても、痛みは加速的に激しくなっていく。


 シャワーが止められない。

 止められたとしても、滴る雫は止まらないだろうから。


(痛い、痛い痛い痛い痛い! 心臓を、鷲掴みにされているみたいにっ!)


 いっその事、捻ってほしいとも思う。

 苦しみをずっと味わうくらいならば、終わりにしてほしいと。


 楽にしてほしい。

 希望なんていらない。

 現実を受け止めさせてほしい。


 早く報告してほしい。

 彼らの口から、本当の事を。


(諦める理由がほしい……)


 諦める……? 

 なにを? 

 狙っていた……、わたしが、井丸くんを?


 須和映絵は自覚をした。

 奪われて初めて、己の気持ちに気づいた。


 だがもう遅かった。


(お似合いだ……わたしなんかよりも、ずっと)


 須和映絵から見ても松本彩乃は可愛くてきれいだ。

 血は薄いがクォーターであり、外人の骨格をしている。


 須和映絵なんかよりも絵になる容姿をしている。

 美人だ、美少女だ。

 男性ならば、すれ違えば振り返って魅入ってしまうくらいの美貌の持ち主。

 須和映絵が勝てる要素など皆無に等しい。


(井丸くんにとっても彩乃が彼女の方が、嬉しいと思う……誰にだって自慢できる、誰にだって羨まれる、誰にだって、憧れられる。わたしなんかじゃ、井丸くんと隣にいても、釣り合わない。だけど、彩乃なら……井丸くんをきっと、幸せにしてくれる)


 心の整理はついた。

 シャワーを止める。

 すると真横に、いつの間にか鈴村が座っていた。


「落ち込んでいたみたいだけど、心の整理はついた?」

「もう大丈夫だよ。ありがとう、小春」


 ん、と頷き、浴槽に戻る鈴村を追い、須和も湯に浸かる。

 祝福をしなければならない。

 二人の幸せを、心の底から祈らなければ。


 意識している時点で須和の心は嘘で固まっているのだと、本人は気づけていなかった。



 銭湯から再び天野の家へ帰宅する。

 元々、俺と松本は異能力の件で常に一緒にいなければならない状況に陥っていた。

 どこに泊まるのか、という問題を先送りにしていたが、そろそろ本腰を入れて考えなければならない。


 浴槽に浸かりながら考えた結果、やはりホテルになるのだろうと思っていたら、松本の計らいで、今日は天野の家に泊まる事になったらしい。

 男子を泊まらせる事を天野の両親は許さないと思うが、しかし危惧していた天野の母親は、嫌な顔一つせずに俺を迎えてくれた。


「いいんですか……? その、だって男子が女子の中に混ざるって……」

「女子が数人いて、両親もいる中、あなたは特定の子に、なにかをする度胸があるのかしら?」


 俺は首を左右に振った。

 なるほど、状況が信用に繋がるわけか。

 交番の目の前で万引きをするような感覚に似ているのかもしれない。

 監視がある中で、いかがわしい事をするのは大馬鹿だ。


 松本とは事情を共有している。

 だが他のメンバーは? 

 俺がいる事に、疑問を持つ者もいるだろう。


「なにが? いいと思うけど」

「井丸っちがいないと映絵も帰りそうだし、お願いだからいてよー」

「いや、よく考えなくてもおかしいだろ」


 宮原だけは常識をきちんと伝えてくれる。


「なにもしないとは思うが……やっぱり、さ。こっちも身構えちゃうだろ」

「畳の上に押し倒されたから意識しているのかなー、みやっちは」


 宮原が封じていた記憶を、無理やりこじ開ける天野。

 俺にとっても気まずいのだから、あまりこじ開けないでほしい件である。


 銭湯に行く前、護身術の練習をしている時だ。

 宮原との組み合わせになり、勝手に宮原は強いだろうと勘違いした俺が少し強めに力を入れたら、あっさりと押し倒してしまったのだ。

 不意に急接近してしまい、互いに気まずいを思いをした。


 宮原も女の子らしい小さな悲鳴を上げるし、相変わらず先入観とのギャップが大きい。

 あの時を思い出して宮原の顔を見れない。


 あーッ! と気合いを入れた宮原が、投げやりに話題を逸らす。


「意識なんかしてないっつーの。じゃあ、いいよ、泊まればいいじゃんか!」

「良かったねー、井丸っち。ハーレムの完成じゃん。なにもできないけどね、あっはっは」


 なにもしない気でいたが、どうせ手を出せないでしょと煽られると、出したくなる。

 天野にだけは、絶対に誘われたとしても手だけは出さないが。


「井丸くん……、頑張って」

「須和……? 頑張って、って……」


 まさか、俺と松本の関係を知っている……? 


 助けられた側からすると、もしかしたら俺の接し方で、厄介事に巻き込まれているかどうかが分かるのかもしれない。


 夕食が用意された居間へ向かう途中の廊下。


 須和の背中に、

 俺は「ああ」と返答する。

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