第21話 道場破りかぶれ

「ちっ。……あーうん、分かった」


 舌打ちが小さく聞こえた。

 須和もびくっとしたので、聞こえたのだろう。

 舌打ちの意味を聞く言葉も出ず、状況を見守る事しか俺にはできない。


「井丸くんが口を出すべきではないと思います。

 なんでもかんでも、井丸くんが動かなくてもいいんですよ」


「その通り過ぎるよな……でもなあ、これが俺の性なんだよな」


 さすがにこんな状態じゃあ、どうしようもできないけど。


 すると道場の戸が開かれる。

 道着が似合った、肩幅の広い濃い顔をした男の人だ。

 安直なあだ名でゴリラと命名されそうな風貌であった。


 天野は盛大な溜息を吐く。


「なんだぁーその溜息は――風香ーッ!」

「うっるさいわぁーッ!」


 須和が思わず耳を塞ぐ。

 鈴村が全身を痙攣させたように震わせる。

 松本は澄ました顔で、宮原は顔をしかめた程度だった。

 痛む腹に響くので、本当に静かにしてほしいが、しかし俺にはとても言えない。


「勝手に道場を使いおって! 戻る気になったのか! いつでも歓迎しているぞ、風香っ!」

「誰がやるかっ! 人を傷つける野蛮な競技なんかしたくもないわ!」


「なにおう!? いいか風香、武術は人を傷つけるものかもしれないが、自分や誰かを守る技術でもあるんだ! 武術を否定するな馬鹿者め! この恥知らずがァ!」


「確かにそうだァ!」

「……これは喧嘩か……? 仲が良さそうに見えるんだが……」


 すると、俺の隣に腰を下ろしたのは宮原だ。

 怒鳴り声に目を回す鈴村を背中に乗せていた。


「この二人、いつもこんな感じだけど仲は凄く良いから。親子だし波長は合うみたいよ。ただまあ、武術に没頭させたい父親と、女の子らしくファッションを意識したり遊び歩いたりしたい年頃の気持ちがぶつかり合っているだけだな。優先順位の問題なんだ。

 風香の中では、武術は嫌いじゃないが、没頭するほどのものでもない。道場に入ってはいないけど、親父さんの元でなく、自分で武術を鍛えているみたいだし。風香の中ではただの運動なんだよ。そういうちょっとしたすれ違いから、こんな風に怒鳴り合う事が多い。

 ただ内容を聞けば分かるけど、どっちも勢いだけなんだよ。なぜか喧嘩腰で日常会話もするからな、こいつら……」


 年頃の娘と父親が頻繁に会話をするというのは、仲が良いと判断してもいいだろう。


「しかし風香ァ! いつの間に男を連れ込むようになったんだァ! 

 父さん、許した覚えがこれっぽっちもまったくないんだがなァ!」


「許しなんてもらうわけないじゃん! わたしの勝手ですぅ! というか、わたしじゃなくて映絵のものだから、父さんが心配している事にはなりませんからぁ!」


「うへぇ!?」


 須和が声を漏らし、天野の親父さんが首だけをこちらに向けた。

 視線を向けられただけなのに、体が動かない迫力がある。

 まるで蛇に睨まれた蛙だ。


「膝枕とは、羨ましい……ッ! 風香ァ! あれ、父さんにもしてくれぇっ!」

「母さんがいるだろうがあ!」


 俺の腹部を突き刺したキックボクシングの蹴りが、親父さんにも突き刺さる。

 遠慮のない一撃だったが、親父さんは息一つ乱れない。


「衰えたなあ」

 と天野の足を取った。


 そのまま真上に放り投げる。

 片手で。


 ……人間一人を片手で投げられるものなのか。

 非常識を目の前で披露されて戸惑うしかない。

 着地は鮮やかに、受け身を取る。


 親父さんは、

「基本はできているな」と頷き、満足気だった。


「小僧! こっちに来い!」


 たぶん、俺の事だろう。

 視線はこっちに向いていないが、性別が男なのは俺だけだ。


「膝枕は気持ちいいのかァ、小僧!」

「井丸、どんまい。行かなきゃ終わらないぞ、これ」

「天野家に俺はどれだけ遊ばれるんだ……」


 膝枕については、気持ち良いですよと答えて、親父さんの元へ。

 一瞬で服を脱がされ、あっという間に道着に着替えさせられた。

 されるがままだったので、ばっちりと着替えシーンを女子に見られた。


 恥ずかしがっている須和だけは、正常なのだろう。

 顔色一つ変えない他が異常なのだ。


「あの、なんで俺は着替えて……?」

「風香を打ちのめしたくはないか……?」


「あんたの娘でしょうよ。というか、手も足も出ませんよ。さっき思い切り腹を蹴られましたから、少々のトラウマがあるので正直、向かい合いたくないです」


「俺が教えよう。お前なら勝てる。勝って、あいつに悔しい思いをさせてくれ。そしたら俺のところに戻って来てくれるはずなんだ……あの子はもっともっと、強くなれる」


「話を聞いてくれない……」


 技術的な事を耳打ちされて、もう諦めた。

 俺を逃がしてはくれないだろう。

 さっきからずっと、がっちりと俺の腕を掴んでいるのだ、振りほどけるわけもない。


 そして天野も天野で、なぜか臨戦態勢になっている。

 お前は止める側だろうと密かに期待していた俺が間違っていた。

 お前ら、やっぱり親子だ。

 人の話を聞かず、自分の思い通りに進めるところが、そっくりだ。


「頼んだぞ、膝枕の小僧」


 背中をばしんと叩かれ、前のめりに押し出される。

 仕切り直しもできず、そのまま天野の射程距離内へ。


「ちょっ、まっ――」

 と声を絞り出しても天野には届かない。


 親父さんに耳打ちされた技術的な事を含めた、天野の弱点。

 繰り出される蹴りは一直線で、タイミングさえ読めれば避けられる。

 利き足は右。

 そのため左足を踏み込みに使う。


 その通り、予備動作を確認し、繰り出された蹴りの左側へ避ける。


 右足の横、安全地帯。

 手を伸ばして襟首を掴んだ。

 軸足である天野の左足を、少し遠いが、大外刈りで……ッ! 


 掴んだ襟首は上に引っ張れ。

 そんなアドバイスも耳打ちされたと思い出す。


 元々軽い天野の体が浮いた。

 軸足をかかとで刈り取り、天野を地面に叩きつける。

 流れるような早い展開で俺も驚いた。


 ……天野を、倒した。


「やった!」

「よくやったぞ小僧ォ!」


 親父さんと勝利の勢いでハイタッチをする。

 ゆっくりと起き上がる天野は、悔しがる素振りをまったく見せず、


「いや、別に負けても悔しくないし、父さんの元に行くわけないじゃん」

「約束が違うぞ風香ァ! そんな子に育てた覚えはなァいッ!」


「そんな約束は知らないしっ!」


 井丸っちを巻き込むなッ、と親父さんとルール無用のストリートファイトを始める。

 もう勝手にしてくれ……、というのが俺の心情であった。


「しかし、一応、女である風香へ、容赦のない大外刈り。見事だった」

「一応とはなんだ。可愛い女の子なんですけどー」


 親父さんは無表情に、知っている、と頷く。

 毎回の事だが、仲が良い。


「ふむ。気に入った! 小僧、うちの風香を嫁にもらわんか?」


「「ダメ――――ッ!!」」


 声は二つ。

 言った本人の須和さえも振り向く。


 もう一人は驚いた表情で口を押さえていた。


「まっつん……?」

「ダメだよ風香、井丸くんは須和ちゃんのものなんだから。変な事を考えちゃあね」


「分かってるってば。盗るわけないじゃん。友達の大切なものなんだよ? ね、映絵」

「あ、は、はい……って、いや、井丸くんの事は、その、大事ですけど……」


 声が小さくなる須和は最後、なにを言っているのか、誰も聞き取れていなかった。


 そして敬語に戻っている事に気づき、天野が須和を注意する。

 握った拳でこめかみをぐりぐりと挟み、須和が悶えているのを横目で見ながら――、

 俺は松本へ、視線を向ける。


 さっきから抱いている違和感が分かった。

 宮原はまだ気づいていなさそうで、眉をひそめて松本を見つめている。


 松本だけなのだ。

 未だに須和を、名字で呼んでいるのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る