第20話 待ち合わせは道場で
松本の言う通りに大きかった。
鈴村と似て和風の一軒家だが、隣に道場が建っている。
チャイムも鳴らさずに松本が門を開けた。
玄関に続く石のタイルの上を歩いて行く。
「おい、勝手に入っていいのかよ」
「いいのいいの。もう何度も来てるし。というかあたしたちの溜まり場だもん。
家の人とすれ違っても挨拶一つでなにも言われないよ」
だとしても、初めての俺は、はらはらする。
一軒家の方の玄関の手前で曲がり、道場へ続く道へ入る。
『今日の練習はお休みです』と看板が立てられてあった。
徒手武術、柔術……最近ではキックボクシングを始めたらしい。
天野の家は格闘教室を開いているのか。
道場の戸を開けると、一面に畳が広がっていた。
貸し切り状態の道場の真ん中で鈴村は横になり、天井を見つめ、宮原はスマホをいじっている。
天野が積極的に須和に話しかけており、慣れていない須和はまくし立てられる話題について行けずに戸惑っていた。
視線を泳がせていた須和と目が合った。
ぱぁ、と表情が輝き出した。
控え目に手を振られ、つられて俺も手を振る。
須和が気づいた事で他のメンバーも俺たちに気づく。
人懐っこい天野が、おはよー、と俺たちを手招いた。
「珍しい組み合わせですなー。いつの間に親交を深めたのかなー?」
跳ねるように近づき、俺と松本の仲を詮索する天野。
呪いを解くためにキスをする仲です、とは口が裂けても言えないので、どう誤魔化したものか、と考える。
「偶然そこで出会ったんだって。もうっ、風香が思い描くような事はないよー。変な噂を流さないでよね。風香は口が軽いんだから」
「そんなことないよ、わたしの口はかなり堅牢なんだから」
「それは自覚がないだけよ。結構喋ってるからね、風香」
嘘ーっ!? と天野が驚く。
はしゃぐ二人は手を組んで自分たちの世界に入ってしまった。
誤魔化し方を考えている間に解決したらしい。
既に口を挟む隙間はない。
居心地が悪いので靴を脱いで畳に上がる。
広い空間に心が躍る。
武道家ではないのだが、しかし畳に上がると体を動かしたくなる気持ちは分かる。
「よっ、須和」
「あ、おはよう……井丸くん」
「さっきまで借りてきた猫みたいにおとなしかったのに、井丸が来た途端に嬉しそうにしやがってよ……ったくもう。あたしたちじゃ、役不足って事なんだろうな」
「初めて遊びに誘ったら、こんなものだと思うけど」
「なんだ小春、起きてたのか。って、寝ようとするな。めんどいとか思うな!」
宮原が鈴村を揺すり起こす。
おいこら、と口調は乱暴だったが、手つきは優しい。
起きない鈴村の頬を指でつつき始めたのを見ると、起こしたいけど寝顔を見るのも良いな、とでも思っているのかもしれない。
……完全に保護者の目線だった。
視線に気づいた宮原がハッとして、覗く俺たちを睨み付けるが、既に自分の素を知っていると思い出したのだろう。
誤魔化すのも諦めていた。
「逆に、肩の荷が下りたって考え方もありかもな」
「隠す必要はないとは思うけどな……」
立ち位置やキャラクターの問題もあるのだろう。
しかし須和に大々的にばらされたので守る意味もなくなった。
かと言ってオープンにするのも恥ずかしさが混じると言ったところか。
家での顔を、外で出すのは簡単ではない。
「わたしのせいで、ご、ごめんなさい……」
「謝るなって。あたしも酷い事をしたんだ、その報いだ。もちろん、わざとってわけじゃあないんだが……言い訳だな、こりゃあ。いいって、須和、あたしの自責を止めるな。お前にした事を、あたしはきちんと受け止めなくちゃならない」
「須和、お前いま、謝ってから喋っていないよな……、そんな顔をしたのか?」
「え、そんな顔は、していないと思いますけど……でも、考えはしました」
「ん? あ、悪い。流れで表情を読んじまった。でも、合っていたならいいよな? んー、しかしなんでまた読めたんだ? 違和感は確かになかったが……」
もしかしてだが。
鈴村の思っている事が表情で読めるように、
須和の表情も読めるようになったのではないだろうか。
だが付き合いは短いはずだ。
鈴村と宮原の仲だからこそできる芸当だと思ったのだが……。
「喋り始めたばかりだけど、純はずっと須和の事を考えていた。一方通行だけど、思っていたからこそ分かったんじゃないかな。実際にどうだか分からないけど」
「は、恥ずかしい事を暴露するなよ小春!」
「暴露って言っちゃうと、本音だって事がばれるよ」
しまったぁ! と頭を抱える宮原。
……思ったよりも、ポンコツなのだろうか。
隣では、くすくす、と須和が耐えようとして失敗していた。
笑みが漏れている。
宮原もそれを見て、優しく微笑む。
順調に打ち解けているようで、安心した。
「なあ須和。……敬語やめないか? あたしたちは同級生なんだ、タメ口でいいんだよ」
「で、でも……」
「あたしの事は純と呼べ。あたしも映絵って呼ぶ。小春も、そう呼べ。
あだ名よりもこっちの方が、一気に仲が詰まったと思わないか?」
「わたし、でも敬語じゃないと、不安で……」
「須和」
俺は背中をぽんっと押す。
「宮原たちを、信じろよ。
あいつらは二度とお前を傷つけないし、絶対に守ってくれる。
そういう奴らだ」
須和は頷いた。
震える口で、恥ずかしがりながらも名前を呼んだ。
「純……、小春」
言ってから、顔を真っ赤にして手で顔を覆い隠す。
しゃがみ込んで小さな声で、あぁぁぁぁぁああ、と呻いているのが分かった。
俺と宮原は見合って、苦笑いをする。
「「慣れるまでは大分かかりそうだな」」
「なになにっ、盛り上がっちゃって、わたしも混ぜてよ!」
天野と松本が自分の世界から抜け出して俺たちに興味を向ける。
経緯を話すと、天野は最初から須和に好意的であったため、すぐに呼び名を変える。
意味もなく名前を連呼し、それに慣れていない須和は、呼ばれる度に曖昧な返事をするので精いっぱいだった。
「そうだ、映絵ってば弱々しい見ためしてるし、良ければ護身術でも体験していく?
わたしが手取り足取り、教えてあげるよ」
「でも、わたし、運動神経が良いわけじゃないし……」
「そんなの関係ないよー。基本的に護身術は迫られた時の対応であって、非力な子でも撃退できる技術が、もうできているんだよ。運動神経が悪くても関係ないよ。一番小柄なはるっちでも問題なくできるんだから、映絵も大丈夫大丈夫」
須和を強引に引っ張り、更衣室へ連れて行く天野。
しばらくして、白い道着に黒い帯を締めた須和と天野が姿を現した。
あまり女の子に言う言葉ではないが、須和に道着は似合わなかった。
その通りではあるが、無理やり着せられた感が全面に押し出されている。
「いいじゃん、須和ちゃん。ちょっとだけ強そうに見えるよ」
松本が手を合わせて言った。
……違和感に気づいたのは俺と宮原だけだろう。
互いに目を合わせる。
ただ、今、問い詰めるほどの事でもない。
松本を気にしながらも、天野と須和のやり取りを見守る。
「井丸っち、こっちこっち! 映絵に襲いかかる強姦役をやってあげて」
「強姦でなくてもいいだろ……普通に襲うからな」
須和は、天野とさっき練習していた技を頭の中で反復しているのか、首を小刻みにこくこくと動かす。
緊張しながらも、
「大丈夫ですっ」と俺に合図をくれる。
天野から、映絵の腕を取って、と指示をされ、ゆっくりと近づく。
……そこで、少しのイタズラ心が芽生え、腕を取るつもりだったが、襟首に変更する。
素早く腕を動かし襟首を取った。
驚いた須和だったが、俺が襟首を急に掴んだから――ではなかった。
予想していたかのようにスムーズに、須和は俺の、襟首を掴んだ握り拳を上から包み込む。
そして、気づけば俺は大の字で天井を見つめていた。
「なっ――、今! なにした!? ていうか、なんで分かってた!?」
「ふっふーん、井丸っち、映絵を驚かそうとしたでしょ? 手を掴むフリをして襟首を掴むのなんて、わたしからすればぜんぜん読めちゃうよー。わたしだって同じ事を考えるもん。というかみんな考えるかな。だけど本当に実践する人は、相手を怒らせてもフォローできる自信がある人だけがやるんだよねー。井丸っちならやると思ったよ。ね、映絵ー?」
「ほんとに風香の言った通りだった……。
ふふっ、どうですか井丸くん、度肝を抜かれましたか?」
「ああ、抜かれたよ。どんどん強かになっていくな、お前は……」
須和に手を差し出され、警戒心なく掴んだ瞬間に気づく。
疑うべきだった。
げらげら笑う天野を見た時、俺は派手に転ばされていた。
「井丸くん、ごめんなさい……今のは、その、風香がやれって言って……」
謝りながら、須和も口元が緩んでいる。
「サイコー! 井丸っちサイコーだよっ! 『うげえ!?』って!
なにあの声っ、おかしくて笑い死にそう……っ!」
「お、お前らな……ッ」
護身術とは言え、男が女に転ばされては面目が立たない。
倒されるまいと意識し、今度はこっちが倒す気で天野に手を伸ばす。
授業で一応、柔道をやっているのだ、初歩中の初歩だが、経験者を投げ飛ばすのは無理でも、転ばせる事くらいはできるのではないか。
「おっ、わたしに勝負を挑むのかい? 受けて立とうじゃないか、男の子」
襟首や腕を取られなければ、初心者の俺も投げ飛ばされないは――ッ、ず!?
俺の腹部に、天野のつま先が突き刺さる。
微かに空中に浮き、体内の空気が全て吐き出された。
受け身も取れずに畳の上を転がる。
……護身術……なのか……?
思い切り、蹴り、だろ……っ。
「あ、ごめん! 種目は合わせるべきだったよね。最近、手を出し始めたばかりのキックボクシングがついつい出ちゃった! 井丸っち、生きてるかーい?」
「強烈過ぎるだろ……立てねえよこれ……」
「あっはっは、ごめんごめん。でもこれで、もうわたしを襲う気は起きないでしょ?」
「身に染みたよ……次はマジで殺されそうだ……」
表情を歪める須和に介抱されながら、腹部の痛みと全身の倦怠感をどうにか和らげる。
さり気なく須和に膝枕をされているが、痛みのせいで須和の太ももをまったく堪能できない。
「――ん。なあおい、風香。あれ、お前の親父さんじゃないか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます