第18話 キスから始まる厄介ごと
電車で二駅、目的の町に辿り着く。
駅前から少し離れたアーケード商店街を通り、松本に伝えられた公園が見えてきた。
土曜日なので遊具で遊ぶ子供たちが多く、しかも広い公園だ。
松本がどこにいるのか、すぐには分からない。
「あいつ、かけ直して出られるのか……?」
スマホを取り出したところで、目立つ金髪がベンチで横になっているのを見つけた。
すぐに駆けつける。
松本は顔を赤くし、熱っぽく吐息を漏らした。
現れた俺の方を向いてはいるが、ちゃんと見てはいない瞳だった。
「おい、大丈夫か!?」
「井丸くん……来てくれたんだねえ……」
体を起こした松本は、しかし体重を支えられず、横になっていた側とは反対方向へ体を倒す。
横になれば一人分のベンチだ。
今、倒れている松本を受け止めるベンチの面積がない。
松本の肩を支える。
ベンチの背もたれに背中を預けさせ、握ったままのスマホを操作する。
「救急車を呼んだ方がいいよな……」
「いらないよ……。井丸くんがよく知るタイプの厄介事だってば。安心して。井丸くんが思っているほど酷い体調じゃないから。これはね、ただ酔っているだけ……」
「酔っているだけって……」
「船酔いみたいなものかなあ。なんだかね、地面が固定されていないってゆーか」
見える地面と踏んだ感触が、波のように揺れており、一定ではないのだと松本が語る。
「お前は、いま自分がなにに巻き込まれているのか、分かっているのか?」
口を開いた松本が咳き込んだ。
かはっ、と、喉の奥でなにかが擦れ合ったような音。
過呼吸にも似た状態が続く。
顔を俯かせる松本の背中を擦るが、状況が好転する事はない。
「らがるがるまに、あッ……がひ、にい!」
必死に訴える松本だが、言葉が成り立っていなかった。
自分の体を支えられず、重心が体の遠くにあるように、一方向に引っ張られるような動きを見せる。
俺の肩を掴み、なんとか体の向きを俺に合わせる。
なにかを伝えようと大きな口を開けるが、今度は声が出ていない。
すると、不思議そうな顔に変化する。
言いたい事があるのに、それを伝えるべき『言葉』が思い浮かべられないと言ったような……。
「松本……、なんだ、なにが言いたいんだ、ジェスチャーでもいいから!」
こちらの言葉は伝わるのか、分からないが、俺まで喋らない理由はない。
顔を近づけ、そう松本に訴えると、勢いのあまり唇が重なった。
……違う、松本が、唇を押し付けてきたのだ。
「…………ッ!? んー!」
「ぷはぁ! ……いっただき!」
三秒以上、熱烈に吸われた。
さっきの松本のように、俺も言葉が出なかった。
人差し指を唇にあてがい、松本が形をなぞるように動かす。
目を細めて俺を見つめる姿は蠱惑的に見えた。
騒がしかった公園の子供たちも、今は静かに、俺たちを見やっている。
「あ、こらー! みんな見ちゃダメだよー!」
松本の声によって、周囲の子供たちが、わぁああ、と散って行った。
さっきのしーんとした空気よりはだいぶ、音が耳に入るようになった。
ただ俺の中で、さっきは時間が止まったような感覚になっていただけなのかもしれないが。
「お前……、騙したのかよ。ちゃんと喋れるじゃねえか。ぐったりしていたのが嘘みたいに元気になりやがって」
おちょくって遊んでいるのか、と不満を込めた言い方に松本が反応した。
がっかりしたような、呆れた表情だった。
「分からない? 騙すつもりも、おちょくる気もないよ。キスをした、だからあたしにかかっていた『呪い』が消えた――そうは思わなかったの?」
ぐったりしていたのは平衡感覚が狂った事による、定まらない視界と感覚に酔っていたため。
喋られなくなったのは言語機能に障害が発生し、知識の記憶にまで侵食していたため。
それらがキス一つで解除された。
松本は自分一人でそこまでの分析を既に終えていた。
「対処法は……」
「とりあえず、キスをすれば普通の状態よりは酷くはならないよ。でも根本的なところで、一定の間隔であたしの身体機能が奪われる呪いは消えない。解呪する方法も分からないし……、だから井丸くんを頼ったの」
「呪い、か……俺の言う異能力って事だろうな。……でも、なんで俺なんだよ。対処法がキスなんだろ? 俺を選ぶのは違うだろ……これだと……」
「あれ? もしかしてあたしが井丸くんに気があるとでも思ってる? ふっ、そんなわけないよー。あたし、アメリカに長い事、住んでいたし、キスもハグも日常茶飯事、大した意味には取っていないよ。期待させてごめんねー、くすくす」
「……あっそ。それなら、まあ、いいけど。挨拶代わりなら俺もそのつもりでいる事にする。それを含めても、なんで俺なんだよ」
「だって、詳しいでしょ、こういうの」
……松本に、異能力について明かした覚えはない。
当事者以外では、知っているのは秋野だけだ。
異能力については説明をしても信じてもらえないため、公言などしてはいないのだが。
「根拠も証拠もないよ。こういう呪いがあると知って、じゃあ井丸くんが必死にみんなに手を伸ばす理由は、これなのかなあ、って勝手に思っただけ。違う?」
違う、と言いたかったが、ドヤ顔の松本の表情を崩すのは、可哀想に思えた。
崩してやろうかなと悪魔の囁きがあった。
キスをされたお返しに慌てふためく松本を見てみたいというのもある。
だが、呪いがあるから助けた、という理由にしておいた方が無難な気もする。
呪いでもなんでもないのに手当たり次第に手を伸ばし、いたるところで女の子をキープしている、と変な噂を立てられても困る。
女の子の方が多いのは確かだが、男にもきちんと手を伸ばしている。
実際に、松本の言う呪いには、高校に入ってからは須和に出会うまで、見つけてはいなかった。
だが松本は、なにもない皿に新しく盛りつけて噂を流し、それを周囲に信じさせる影響力を持つ。
敵に回したくない女子のカースト上位を、味方につけておくのが厄介事に巻き込まれない近道だ。
「まあな」
「ほら、やっぱり!」
正解がもらえて嬉しがる松本に罪悪感を抱く。
無邪気な表情を作った裏には、俺の策略があるのだ、松本と目を合わせ辛かった。
「んー? なんだ、もしかして初めて? キスなんて大した事ないでしょーよ」
「日本じゃ大事なんだよ、アメリカとは違うんだ。好きな人としか普通はしないんだよ」
「ふーん。……もしかして、初キッス、奪っちゃった?」
「…………心配するな。小さい頃に一回、してる」
もちろん、誰とは言わないが。
根掘り葉掘り聞かれると思ったが、意外にもあっさりと松本は退いた。
俺の言葉だけで知りたい事は知れたような身の退き方だ。
「あのさ、お前、さっきから指で唇を触り過ぎだ。拭かれているみたいで、なんか気になる。気を遣って俺も見られているところでは拭いていないのに!」
「拭いてるわけじゃないって。これはその、余韻なの。本場のやり方も知らないで勝手な事を言わないでくれるかな。あと見えないところだろうと拭くという発言は禁止だよ!」
本場のキスのやり方に興味があったが、好奇心満々を表に出すのは恥ずかしい。
想像したら松本の熱烈なキスを思い出し、自然と体内の熱が高まる。
松本と目が合うと、向こうも慣れているはずなのに顔を真っ赤にした。
ふーっ、と一息ついたのは松本だ。
「一回のキスでこんなに意識してどうするの。これからずっと一緒にいるのに」
「ちょっと待て。俺の知らない予定が組み込まれた気がする」
「だって、一定間隔であたしの身体機能が奪われるんだよ? 一回目と二回目は運良く平衡感覚と言語機能だったけど、もしも肺機能や心臓だったりしたら、一発で死んじゃうんだよ? 井丸くんとのキスで回避できるのなら、すぐに対処できるように一緒にいた方がいいんじゃない? 問題が起こってから電話をして、きてもらって、あと一歩、届きませんでしたじゃあ、井丸くんも後悔するでしょ?」
「あのな……俺を巻き込む気満々なのはどうかと思うぞ……」
「井丸くんはあたしの事、嫌い? 最初は、あまり良い出会いじゃなかったけどさ……」
須和との一件を思い出しているのだろう。
良い出会いではなかった。
それを言ったら須和だってそうだ。
最初は巻き込まれ、木製のバットで殴られ……、
しかし今では、須和は大事な友達になっている。
バットで殴られていないだけ、いま巻き込まれている一件は、須和よりはマシだろう。
「嫌いじゃないよ。……分かったよ、キスまでしたんだ、最後まで付き合ってやる」
「同じ墓に入ってくれるんだ?」
「そこまでは付き合わないからな! キスだけの関係だ! いや、言い方が絶対に誤解を招くぞこれ! 呪いを解くまでは責任を持って面倒を見てやる、これでいいんだろ」
「やっぱり井丸くんにお願いして良かった。キスをするのも、誰でも言い訳じゃないからねー。断わられたらどうしようかと思っていたの。だから、ありがとね、井丸くん」
キスは挨拶代わりで日常茶飯事な外国育ちが言うセリフとは思えなかった。
しかし、相手を選ぶというのは当たり前の事ではあるのだが。
俺を選んだのは確かだろう。
ただ、その言い方は、俺以外では嫌なのだと言っているようにも聞こえる。
俺でないとダメな理由、か……。
「キスの相手が特定されている、とかな……」
だとしたら須和の時とは違い、当事者がルールを把握し過ぎている気もするが。
松本はどこでどうやって、自分の呪い――異能力を理解し、推測したのだろうか。
――答えまで、辿り着けたのだろうか。
「教えてくれたんだよ、『悪魔』の『シシ・ジュリー』が」
「なんじゃそりゃ」
「井丸くんが分からないなら、あたしも分かんないなー。そこはなんでもいいじゃん」
なんでもよくはないが、松本の次の言葉に、俺の意識は全て持っていかれた。
その言葉に、男ならば誰も抗えないだろう。
「あたしにも、やりたい事がたくさんあるの。だからまだ死にたくない……っ。
井丸くんお願い……あたしを、助けて」
ちょろい男だと思われてもいい。
松本の上目遣いは、燃えるにはじゅうぶんだった。
ベンチに座る松本の手を取る。
冗談めかして俺は跪いた。
外国風に、お姫様と騎士のように、誓いを立てる。
「ああ、必ず」
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