第2説 悪魔の口

第17話 お誘いの電話

 抱いて持てる大きさのぬいぐるみが、小さな羽を使い空中を漂う。

 黒と白の配色と三日月のような口が嘲笑っているかのような表情を作り出す。


 コンマのような豆粒の瞳。

 意図と感情が読めない。

 生物であるかも怪しい。


 二頭身の『それ』は、耳元で囁くように語り掛けてくる。


『願いは口では騙せないぜ。全てが見えるオレサマがお前の本音を叶えてやろう』


『異能力という薬でも毒でもある魔法をどう使うかはお前次第だ――』


『滑稽な姿を拝ませてもらうぜ、ウケケ。嘲笑劇の開幕を、宣言してやる』


 目が覚めた時、全身が汗だくで不愉快だった。

 裸だった彼女はバスタオルを体に巻く。


「ハロー、パパ。汗かいちゃったからシャワーに入るね」



 土曜日の朝は騒々しく始まった。

 疲れ切った意識を起こしたのは一本の電話だ。


 耳に当てた俺は底冷えする低い声に掛け布団を蹴飛ばし、すぐに家を出てコンビニの少し高いケーキを買う。

 休まずに全力疾走を続け、土曜日で休みなのに向かった先は学校だった。


 地下へ続く階段を降り、明かりのついた部屋へ入る。


「遅い。五分以内と言ったはずだけど」

「さすがに五分はな……これ、お土産。秋野のために買ったんだ」


「これを買わなければ五分で来れたんじゃないの? あーあ、今で九分」

「避難訓練の時にだらだらしていた俺らに校長先生が言う言葉かよ……嫌みったらしい」


 静かになるのに○〇分かかりました、と言う先生もいる。

 いっその事、怒鳴って責めてくれた方が互いにスッキリするだろうに。

 妙に洗い落せない、まとわりつく言い方だ。


「ケーキ……私の、ために……」

「遅くなって悪かったよ……それと、この五日間、ろくに連絡もしないで、さ」

「許す。でも、一応ね、言いたい事は全部言わせてね」


 ケーキを食べながら、秋野のストレス発散が始まった。

 説教ではないのだが、しかし本人が目の前にいるのに愚痴を聞かされるというのも、居心地が悪い。

 結局、責められている事には変わりがないのだから。


「こっちは心配で何度も電話をしようか、メールをしようか迷っていたのに。結局、井丸から一回も途中経過の連絡をしてくれなかった。しかもここに顔を出してすらもくれなかった。なにかあったのかもしれないってひやひやしたこっちの身にもなりなさいよ。なんにも頼ってくれなかった。こっちもこっちで井丸から聞いた情報を基に色々と調べて準備万端だったのに。課題の時間を削って一生懸命に調べて分かりやすくまとめたのに。あーあ、時間の無駄だった」


「ごめん……でも、須和の事を一度調べてもらったばかりだったからさ、秋野に頼るばかりもダメだと思って自制していたんだよ。仲間はずれにしていたわけじゃない」


「それでも、顔は出せるはずでしょ? 昨日も一度ここを寄ろうとして、途中で帰ったでしょ。来なさいよ。ここに! きちんと毎日、顔を出しなさいよ!」


「顔を出したら秋野に頼りたくなっちまうんだよ。……昨日は、その、疲れて惰眠を貪りたかったんだ……本当は今日、呼ばれる前に行くつもりだったんだ。結局、こうして秋野に叩き起こされちゃったけどな」


「頼っていいのよ、バカ。泊まって行けばよかったじゃない。布団はあるんだから」

「いや、お前……それは無理だろ」


 生徒のいない学校には生活をするための施設が整っている。

 二人で暮らしているようにも思えてしまう状況は整っているのだ。

 俺だけが眠るならいいが、秋野まで眠ったとしたら、理性を保てる自信が俺にはなかった。


「なんで、無理なのよ……」


「お前の父親に言われるだろ……秋野にとってはこうして不登校でも救済措置を取ってくれる救世主かもしれないが、俺にとっては進学も退学も思いのままの学園長なんだ。あの人の娘とそんな気軽に同じ部屋で眠れるわけがないだろ」


「大丈夫よ。私なら言いくるめられる。私に溺愛しているのは見てて分かるでしょ」


 見てて丸分かりではある。

 それにあの人は見た目通りに甘い。

 娘だけではなく俺にも。


「信頼されているから大丈夫よ」

「その信頼を失いたくないんだよ。……というか照れるから、泊まりはちょっとな……」

「そう……。私は、いつでも。で、でも、事前に連絡はしなさいよ!」


 二つセットのケーキを勢いよく口に運んで皿をきれいにする。

 なにかを隠すようにあっと言う間に食べ終わった。

 おかわり、と言わないだけ、今日の秋野は機嫌が早く直ったらしい。


「じゃあ――これからは、これまで通りに一緒にいられるのよね?」

「ああ、そりゃそ」


 と、答え終わる前に、俺のスマホが通知を知らせた。


 連続する音は着信中である。

 以前、設定した音に聞き覚えがあったのだ。


「知らない番号だ……」


「取らないで。厄介なセールスかもしれない。

 出たら最後、ずっと追いかけてくる質の悪いストーカーかもしれない」


「女の子じゃないんだから、たとえそうでもなんとかできるよ。番号を変えた知り合いかもしれないし、とりあえずは出ないと。はい、もしもし?」


 あ! と恨めしそうに俺を見る秋野へ、軽く手を振ってまあまあ、となだめておく。

 聞き覚えのある声が、もしもしも言わずに外国風の挨拶で自己紹介を始める。


『ハロー、井丸くんのスマホで合っているかな? あたし――松本まつもと彩乃あやのだよ』


「下の名前は初出だな。ミステリアスなキャラはもういいのか?」


『うん。教えるべきタイミングだと思ったから。それで井丸くん、今って暇? 暇じゃなくても、ちょっと来てもらえないと困る事ではあるんだけどね……』


「冷やかしなら付き合わないからな」


『井丸くんが思っているよりは切羽詰まった状態かも……。あはは、ごめんね、ちょっとドジしちゃって。たぶん、井丸くんがよく知っている類の厄介事だと思ったの』


「……お前、元気がないって言うか、声が出てないぞ……細くて、薄い声だ」


『ばれちゃった? はは……そろそろ話しをするのもしんどいかも……』


「どこにいるんだよ。すぐに向かう」


 松本の家の近く、大きな公園にいるらしい。

 鈴村の家に行く時に降りた乗り換えが盛んな駅なので、ここから遠くはない。

 すぐに向かう事にした。


「誰よその女」

「友達未満、敵以上だ」


「助ける必要はないでしょ。今日は私と一緒にいてくれるって、そう思っていたのに」


「埋め合わせは必ずする。ごめんな、秋野。知らなければ松本がどこでどんな目に遭おうが気にしないが、こうして電話がかかってきて、あんな死にそうな声を聞かされたら、ここでお前と楽しく喋る事なんてできないよ」


「……演技に弱いちょろい男」


 呆れた秋野はヘッドホンを被ってしまう。

 俺の声などもう届かない。

 せっかく直した機嫌もこれで振り出しだ。


 今度はケーキも倍にしなくちゃいけないなと財布と相談をする。


 パソコンのモニターと睨めっこをする秋野の後ろ姿に行ってきます、と声をかけ、部屋を後にする。

 再び全力疾走。

 せっかくの休息日なのに、未だにまったく休めていなかった。




「万一にも、好きになる事はないから、安心だけど……まったく、面白くない」


 秋野維吹はつまんだお菓子をポキッと食べて、モニターに向けてそう呟いた。

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