第15話 四王の秘密

「将棋のスマホアプリで練習しよ……」

「デジタルだと空気感を感じ取れなくなる」

「空気感の前にルールを覚えたい」


 会話なのか独り言なのか分からない無愛想な言葉の応酬が繰り広げられる。

 部屋着で浴衣を着ている鈴村につられて、須和も浴衣を着ているが、二人とも服に頓着がないために、浴衣がはだけて肩が見えてしまっている。

 胸元が見えそうで見えない……。

 膨らみが少ないので、具体的にどこにあるのか目視するのが難しい。


「扇風機……」


 手の届く範囲にはなく、鈴村は諦めてごろんと寝転がる。

 太ももが剥き出しだった。

 色白の肌に少しの汗が乗っている。


「無防備だなあ……」


 須和は慌ててはだけた浴衣を直していた。

 しかし緩んだ帯がするりと抜け、ずり落ちる浴衣をなんとか両手で抱きしめ、体を隠す。

 見えている肌は須和の方が多い。


「あ、わ、わわっ」

「須和、手伝うか?」

「いい! あのっ、お祖母ちゃーん!」


 須和は立ち上がり、掃除をしていたお祖母ちゃんの元へ。

 数分後、浴衣を着直した須和が戻って来る。

 顔の赤みもさっきよりは引いていた。


「こんなにのんびりしていていいんですか? 押しかけておいて、なんですけど」

「あ。そっか、純の事を知りたいんだよね。じゃあ待ってて。アルバムがあるはず」


 立ち上がった鈴村は浴衣の帯を放り捨て、自分の部屋へ向かう。

 前が丸見えだと思うが鈴村は気にしないらしい。

 ただ、お祖母ちゃんに見つかり叱られていたが。

 お説教と着直しでもう少しの時間がかかりそうだ。


「宮原さんの事を知って、解決するんですか……?」


「それは須和次第だな。宮原の事を知っても、相容れない相手かもしれない。そういった場合は仕方ないだろ。須和が宮原に自力で勝つしかない。克服するにはまず恐怖心を失くす。自分が強くなる方法もあるが、それよりも、須和は親近感を得る事で宮原を恐くないと感じる事に集中した方がいい気がしたんだ。やるだけやってみようぜ。

 解決してもしなくても、一歩、前進するとは思うから」


「そう、ですね……」


 池に設置されているししおどしが、かこんと音を鳴らす。


「隣、いいかい?」


 縁側に座る俺と須和の隣に、麦わら帽子を被ったお爺さんが腰かける。

 さっきから盆栽の手入れをしていた、鈴村のお祖父ちゃんだ。


「純ちゃんの事を話していたね。君はあの子が恐いのかい?」

「…………」


「おい、須和。答えにくいだろうけど、お前に敵意はないんだから、答えてあげろ」

「うん。……少し、そこそこ、相当――かなり、恐いです」


「かなりか。正直な子だ。確かに乱暴もので口も悪く、お年寄りの私にも容赦がないからなあ……一生懸命手入れをした盆栽を見て、私の事を陰キャラと言っておったし」


 根暗なイメージなのだろうか? 

 宮原にしか分からない感覚だ。


「だが優しい子だ。気を遣い、安否を気にしてくれている。無理をさせないように、注意を向けてくれている。うちの小春もあの子に救われたのだからな。私たちでは補う事のできない寂しさを埋めてくれた。小春が変わったきっかけを作ってくれたのだ」


「……聞いてもいいんですかね。鈴村の、両親は……?」

「なあに、すれ違いが多少はあったものの、無事に解決をしたよ。心配するような事はなにもない。お前が小春に手を差し伸べる必要はない」


 孫をたぶらかすなと言われた気分だ。

 いや、そう言われたのかもしれない。


「悪気はないんだろうがな。男一人の今、小春を守るのは私の役目だ」

「なにもしないですから、安心してください」

「手を出さないとなるとそれはそれで小春に魅力がないのかと不満だがな」

「めんどくさい……」


 正直な子だ、とお祖父ちゃんは笑う。

 日焼けした腕を伸ばし、おぼんにあるせんべいを取って口に運んだ。

 噛み砕いた音が響くほど、外は静かでのどかだった。


「離婚したんだ。小春の両親はな。親権は母親に渡ったが、小学生の時に母親が失踪。後々に分かった事だが、仕事が上手く行かずに私たちに預けていたらしい。当時はそれを伝え忘れるほどに切羽詰まっておったらしくての。小春はたった一人の親である母親に捨てられたと勘違いしておったのだ。子供心にショックだったろうな。だから私と家内で大切に育てた。不登校になっても四六時中一緒にいて、寂しさ埋めてやった。そのせいか年齢よりも小春はババ臭くなってしまったが。趣味も好みも私たちに似てしまったのが少し失敗だったかもしれん。おっとりとマイペースで、しかしとても優しい子に育ってくれたのは私たちの誇りだ」


「……塞ぎ込んだ鈴村を、宮原が引っ張り上げてくれたんですね」


「あの子はただ自分のしたい事をしただけなのだろう。ガキ大将気質だからのう。守ると決めた相手の事は必ず守る。だからあの子は信頼できる。逆に敵には容赦ないがな。君はしかし、あの子の琴線に触れるようには見えん。あの子のやり方は乱暴で、攻撃しているように見えるかもしれないが、きっと君の事を考えている」


「俺もそう思うぞ、須和」


「……水をかけられた、物を隠された、暴言を吐かれた、殴られはしなかったですけど、胸倉を掴まれたり、腕を引っ張られたり、制服が何度、汚れたか数え切れません。持ち物をどれだけ探したかも、覚えていないです。それでも宮原さんは、わたしのためを想っていますか?」


「ふうむ。それに関しては私からも強めに言っておこうか」

「須和、それはお前を怒らせようとしたんだよ。だから攻撃的に見えるのは仕方ない。というか、そう見せているんだからな。須和も悪いと言えば、悪いんだ」


「なんで! わたしが!」


「なにも言わないからだよ。宮原たちはお前と会話をしたかった。だが、不器用なもので優しく距離を詰めるよりも、怒らせて本音を引き出す方法を選んだ。お前が宮原たちが満足しているのなら逆らう必要はないって言っていたのは、失敗だったんだ。言い返して良かったんだ。あいつらはそれを願っていた。裏目になったんだよ。怒らせるにしてもやり過ぎではあるんだがな。それはもちろん、あいつらが悪い」


「学校でなにがあったのかは知らんが……、あの子ときちんと話してみるがいい。偏見だけでは分かるものも分からないんだ」


 すると、ぎしぎしと畳が軋む音。

 規則的な振動は小走りで近づいてくる人物を示す。


 鈴村がアルバムを抱えて戻って来た。

 大きくて重たそうなアルバムを広げる鈴村に招かれ、畳の上を這って移動する。


「お祖父ちゃんは来なくていい」


 しゅん、と落ち込んだお祖父ちゃんは盆栽を眺める。

 気にせず鈴村はアルバムをめくった。


 当たり前だが、鈴村がメインで写っている写真ばかりだった。

 小学生時代の遠足や運動会、児童会で行ったバーベキューなどの様子がよく分かる。


 懐かしいなあ、と鈴村が零した。


「鈴村は変わっていないな。そのまま身長を伸ばしたみたいだ。……もしかして、この隣にいる絆創膏だらけの――」

「うん、純だよ」


 鈴村の隣にいつも写っているのはまるで少年のような姿をした宮原だった。

 今と同じく短い髪で、半袖に短パン。

 周りに写っている少年と遜色のない男らしさが出ている。


「女とは思えないな……今もそうだけど」

「そうかな。私たちの中で一番、女の子らしいのは純だと思う」


「そうなのか? 確かに鈴村はババアみたいだし、松本は魔性って感じがする。天野はよく分からないが、松本と似たり寄ったりだな。だからと言って宮原が一番とも思えないけど」


「ババアみたい……いいけど。純には妹が三人いるの。まだ小学生くらいだったと思う。よく面倒を見ていて、世話好きなの。お菓子作りもできるし、手作りケーキを食べさせてもらった事もある。裁縫が得意で自分で作ったエプロンを着てたなあ。ピンクで、くまのアップリケだったような……。あとは古着を作り直して、妹のサイズに合わせた服にしたり、ぬいぐるみにしたり、見た目に反して家庭的だよ」


「それは、確かに意外だったな……」

「最近は太った事を気にしているみたい。小学生の時に水泳を習っていたんだけど、今もダイエットのためにたまに運動をしに行っているみたい。この写真、純と一緒に泳いだ時の」


「鈴村が水死体みたいになっているのはなんでなんだ……」

「それは寝ているからだと思う」


 鈴村のマイペースは昔から変わっていないようだった。


「しかし、小学生時代の写真にしか宮原が写っていないよな。

 もしかして中学は別々だったのか?」


「うん。純は私立の女子中に行っちゃった。このまま普通に進学するのはつまらないって言って。……面白い事を求めてなんでもできちゃう。純は、凄いの。誘ってくれたんだけど、私は普通に近くの中学校に進学した。さすがにお金の問題で行けなくて、諦めたの。お祖母ちゃんたちに迷惑はかけられないし。二人は気にしないで、と言いそうだけど、私には無理だったから。純はそこでまっつんと出会ったみたい。純のSNSを見つけたら、中学時代の事は大体そこに書いてある。純の事で知らない事はないってくらいに網羅している」


「宮原のプライバシーがノーガードで殴られているな……今は好都合だが」

「そのSNSを見て、私は今の高校を選んだ。純がここを受けるって言ったから、再会をしたかったの。お金もお祖母ちゃんを頼らなくて良くなったから、私も思い切る事ができた」


「あ、失踪したお母さん、戻って来たのか?」

「え……」


 表情は動いていないが瞳が驚愕を示す。

 そして視線を縁側へちらっと向けた。


「お祖父ちゃんが言ったんだね」

「怒らないで聞いてくれ、小春。言ったのは私だ」

「怒ってない。嫌いになりそうなだけ」


 小春ぅ、と泣きそうなお祖父ちゃんの声が後ろで聞こえる。

 ぼそっと鈴村は「嘘だよ」と呟いた。


 舌を出してイタズラな微笑みが口元だけに現れる。


 すっと、アルバムをめくった。


「お母さんと二人で暮らすのは卒業してから。それまでは二人と一緒にいたかったから」

「お祖母ちゃん想いなんだな」

「二人を看取るのが、夢だから」


 それから。


 アルバムを見て過去を懐かしむ。

 SNSを見て宮原と松本の仲の良さを実感する。

 反応が薄い鈴村でも、松本に嫉妬しているのがよく分かった。


 たった一時間だった。

 けれども宮原の半生を追体験したような気になった。


「宮原さんは、良いお母さんになりそうです」


「中学校では女子たちの人気の的。家では妹たちの面倒を見るお母さんの代わり。妹のために指を傷つけながらもぬいぐるみを作ってあげて、おままごとにはきちんと付き合い、勉強を教えてあげている姿が微笑ましかったな。

 友達の誕生日にはお店のと偽って手作りケーキを作って、味見をしていたら体重が増えたのを気にしてダイエットしたり。なにもしなくてもスタイルの良い松本を羨み、誰よりも努力し、スタイルを維持して。宮原は努力家で、友達想いの良い奴なんだな。暴力的な部分を帳消しにするくらいの人気が出る理由がある。それに――」


 口には出さなかったが、第一印象を悪く捉えている者ほど、多分、惹かれる。

 近づけば近づくほど、宮原に魅力が詰まっているのだとよく分かる。


「井丸くん、それに、なんですか?」

「いいや? 絶対に頭が上がらないだろうな、と思って」


「…………」

「須和?」

 なんでもないですけど、と須和はアルバムを閉じる。


 そして鈴村にそっと差し出した。


「どうだった。純の事、まだ恐い?」

「……もう、恐くないです。聞いている内に、ちょっと、可愛いなって、思いました」

「でしょ。純は、すごく可愛いの」


 二人で向き合い控えめに笑う姿を見たら、俺も同じ事を思った。

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