第12話 雷雲
「よぉ、おはようございますだな、須和」
窓際の席。
机の上に座っている宮原が、教室に入った須和へ声をかけた。
周りには松本を筆頭に、松本一派が集まっていた。
松本は前の席で頬杖をつき、あくびをしながら場を見届ける。
天野と鈴村は後ろの席でスマホを眺めている。
天野は須和をちらっと窺うが、鈴村はまったく興味がなさそうだった。
「…………ッ!?」
「やっぱりだんまりかよ……ッ! 大層強力な味方が後ろに控えているなら、言いたい事も言えんじゃねえのかよ。味方ができて安心。そんですぐに天狗か? あたしらを内心じゃ下に見ているんだろう? こそこそと裏では悪態を吐いているんじゃねえのか? ――言えよ、言いたい事を言えばいいじゃねえか。最初ッからお前はなにも言わなかったよなあ!? 誰とも話していなかったよなあ!? それが、井丸が絡んだだけで、あそこまで話せるじゃねえかよ! 言えっつってんだ、言いたい事を全部吐き出せってんだよぉ!」
「みやっち」
熱くなり過ぎて言葉の強さが増していく宮原の肩を叩いて、クールダウンさせる松本。
宮原の大声は廊下の先まで響き、何事かと驚いた生徒が数人、別の教室から顔を覗かせる。
その都度、
俺が「なんでもないよ」と、ジェスチャーをして、大事にならないようにはしている。
先生でも呼ばれたら厄介だ。
須和に限れば、松本一派と須和との間のトラブルでは、先生の味方は期待できない。
別クラスである俺はこの問題に口を出す事ができなくなる。
これは俺たちの問題であり、部外者に仕切られる訳にはいかないのだ。
「まっつん、でも……」
「ねえ、須和ちゃん……そろそろ、声を聞かせてくれない? 井丸くんとは喋っているのをよく見るよ。どうして心を開いたのかな? もしかして、あたしと井丸くんの会話を聞いていたからなのかな?」
……?
俺の名前が出てきた。
俺と、松本の会話……?
大した事は喋っていないはずだ。
しかしそれがきっかけで、須和は俺に心を開いた、と、松本は言いたいらしい。
「井丸くんがしている事とあたしたちがしている事は一緒なんだけどな。伝わらない? 伝わっていないんだろうねー。そりゃそうか、伝わっていたらここまで苦労はしていないし。だからね、みやっちが怒るのも無理はないんだよ。ごめんね須和ちゃん、フォローできないや。だって、あたしたちが四苦八苦してどうにかしたいと試行錯誤しても未だに達成できていない事を、井丸くんは横からかっさらって、しかも苦労をまったくしていないんだから」
苦労をしていない。
その言葉に大きな声で否定をしたかったが、俺と須和にしか分からない事柄である以上、松本が分からないのも無理はない。
確かに松本からすれば、ぽっと出て現れた俺が、須和の信頼を勝ち取って、仲を深めている。
良い気分ではないだろう。
「余計な事をしてくれたよね、井丸くんも。本当に、邪魔ばっかり」
須和の肩に力が入った。
しかし、机に叩き付けられた宮原の拳一つで、須和の勢いが一瞬で削ぎ取られる。
「ちまちまと追い詰めなくていいよまっつん。怒らせる必要もない。喋らなければ殴る。脅せば簡単だ」
「あー、まただ。みやっちの悪い癖。ガキ大将の言い分は小中学校と違って、もう通用しないよ。須和ちゃんにはボディーガードがいるし、暴力を振るって悪い立場になるのはみやっちだよ?」
「じゃあどうやって喋らせるんだよ! 人と人の意思疎通はまず会話だろ!? それができなくちゃ、どうしようもねえじゃねえか! いくらこっちが歩み寄っても、向こうにやる気がなけりゃあ、こっちの一人相撲で無駄な努力で終わっちまうよ!」
「うん、その通り。須和ちゃんもそう思うでしょ?」
違和感がある。
――さっきから、須和が一言も発しない。
いつも通りと言えばいつも通り。
もちろん、俺とは喋ってくれるが、俺以外となると須和はまったく話さない。
だから通常運行ではあるのだが、今回は前提が違う。
なんでもいいから言い返せと指示を出したのだ。
急に恐くなって言えなくなったのなら想定内であるから安心できる。
だが、もしもそうでないのであれば――今はただただ、恐ろしい。
俺の目には、暗雲が見える。
「…………ぁ、ん」
「あ? 聞こえねえよ。はっきりと、ハキハキと!」
拳が痛むだろうくらいの強さで机を叩き、派手な音が鼓膜にどすんと触れる。
須和が数歩、後退し始めた。
逃がさないように宮原が腕を掴む。
「ぁ、ぃ……やっ」
「てめえ、逃げんじゃねえよ」
宮原に再び火が灯った。
口調が荒く、戻っている。
やはり須和には無茶だったか……。
動けなくなってしまった須和を救出するべく、一歩踏み出した瞬間、体の内側から全身、指の先まで、電気が流れたようなショックが襲う。
心臓がきゅっと縮まったような感覚……、感覚だ、実際にそうなったわけではない。
しかしリアルな感覚だった。
全身を動かせず、舌の先も痺れており、声も出せない。
「(なんだこれ……、どうなってんだ!?)」
……もしも今、須和も、同じように動けないのであれば――。
「(……須和ッ)」
須和が俺に助けを求めている。
振り向いて、俺をじっと泣きそうな目で見つめている。
助けに行かないと。
須和が頼りにしているのは、俺なのだ。
だが、俺は棒立ちのまま動けない。
必死に体を動かそうとしても、言う事を聞いてくれない。
――井丸くん……?
崩れる音が聞こえた。
積み重ねたものが、一瞬で崩れ、形を失くした結果を見る。
組み立てる時間は長いのに、こうして壊れる時は一瞬だ。
友情、信頼。
無くなった後の心は、空っぽなのだ。
「ゃ、ぁ、いやぁあああああああああああああああああああああああああああああッ!」
松本たちは虚を突かれ、呆然としてしまう。
念願の声を聞く事ができたが、嬉しいはずもなかった。
俺は動かない体を無理やりに動かす。
体の電流など知った事か、と思えば、気づかない内に綺麗さっぱりと消えていた。
すぐに須和の元へ駆けつけ、両肩を掴んで目を合わせる。
だが、予想に反して、須和の瞳は虹色ではなかった。
「異能力じゃあ、ない……?」
変化した世界でなにかが起こったわけではない。
変化が起こったのは、須和の心だった。
須和は両手で耳を塞ぎ、同時に外界からの全てをそこでシャットアウトする。
その場で屈み、一人の殻に閉じこもる。
誰の声も聞かない、誰も信頼しない……。
須和の心は誰が見てもそう語っていると分かった。
声を出していないのに意思疎通ができたが、その内容は友情を否定する、皮肉なものだった。
「俺の、せいか……」
約束だったはずだ。
背中には俺がいる、なにかあればすぐに駆けつける。
だが、俺は須和の目に、どう映っていた?
助けを求めているのに助けてくれなかった――、
信じていた者から裏切られた、と、そう思うのではないか。
溜め込んでいたあらゆるストレスと、裏切られたショックから、容量オーバーでパンクし、壊れた結果の悲鳴だった。
須和を壊したのは、松本一派じゃない。
偉そうに助けるなどと息巻いていた――俺だ。
「なん、だよ……、こいつはどうしちまったんだよ!?」
「うるさいッ」
これは八つ当たりだ。
宮原は、乱暴ではあったが、悪い奴ではない。
さっきの会話でなんとなく関係性が分かった気がする。
それでも今は、俺の中で宮原を悪者にしなければ、俺まで自責で壊れそうだった。
雷に比べれば弱い電流は、さらに弱くなっていた。
チクチクと指先に感覚がある程度になっていた。
同じく宮原の言葉の勢いもやがてなくなっていく。
雷が宮原なのは、これで確定だ。
「須和、行こう。立てるか?」
耳を押さえている手を取り、なんとか立たせる。
泣き顔を見て、ずきん、と心が痛む。
「あ、おい! 説明しろよ、あたしらはなにがなんだか――」
「今日は放っておいてくれ」
強く言ったわけではない。
なのに、宮原はびくっと、俺を見て怯えていた。
「井丸くん。女の子に向ける目じゃないよ。みやっちに一体、誰を重ねているの?」
さあな。
俺は答えずに教室を出た。
須和の手を引き、保健室へ向かう事にする。
「――重ねていたのは、俺だよ。クソ野郎」
『精神的なものでしょうね。無理をさせず、安静にして、それでも回復しなければ病院に行かせなさい。さ、こっちは大丈夫だからあなたは授業に戻りなさい。いつ目覚めるか分からない今、一日付き添っているわけにもいかないでしょう?』
『……付き添っています。目覚めるまで、ずっと』
『……はぁ。ただサボりたいってわけでもなさそうね。なにか負い目でもあるの? 相談に乗ってあげようか?』
『いらないです。なにを反省し、なにをこれから成し遂げるのか、分かっていますから』
『そう。好きになさい。各教科の先生には私から言っておくわ。いつも通り体調不良って事にしておくから、口裏を合わせなさいよ』
『どうもです』
『それで? その子が本命なのかしら?』
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