第9話 新たな機械人形

 休み時間に毎回会う事を約束し、それぞれのクラスへ向かう。


 一時間目が終わってすぐに、俺は隣の須和のクラスへ足を運んだ。

 教室を覗くと、女子も男子もそれぞれのグループで固まって談笑している。

 須和の席は教室の真ん中だったはずだ。

 しかし、席に須和の姿はなかった。


 入れ違いになったのだろうか? 

 確かに会う約束はしたが、場所を言ってはいなかった。


 すると、机に隠れて見えなかった須和が立ち上がり、姿を現す。

 しかしすぐにまた屈み、机の下や教卓の中など、どうやら探し物をしているらしい。


「なにやってんだ……?」


 ふと、教室内の一人の女生徒の視線が、斜め上に向けられた。

 一瞬であったが、違和感として残る視線移動だった。


 教室内にある廊下と繋がる窓か……? 

 それとも、廊下に並ぶロッカーか……? 


 背伸びをしてロッカーの上を見れば、一冊のノートがあった。

 誰かの忘れ物、とは思えない。

 中を開けば、丸い字で、女の子らしい。


「須和の探し物は、これか……」


 ノートは日記みたいなものだった。

 異能力に巻き込まれた事、なにが起こっているのか自分の見解を書いていたり、あの世界の正体を推理していたりもした。

 最近の日記を見れば、俺の名前も登場している。


『わたしに近づいてきた。

 良い人そうだけど、信用できない。

 どうせわたしを貶めようとしているに違いない』


 文字の上に斜線が引いてあったり、バツ印をつけたり。

 吹き出しの中にコメントを入れ、修正をしているのが分かる。


『わたしの態度は絶対に「嫌なやつ」だと思われるのに、構ってくれる。

 多分、優しい人……いや、騙されるな。

 そう言って近づいてくる人はたくさんいた。学習学習っ』


『言葉に棘があっても、あんまり嫌な感じがしない。

 わたしを思って言ってくれているのがよく分かる……。

 信用しても、いいのかもしれない』


『変われるかな、変わりたいな……。

 わたしにも友達、できるかな……』


『井丸くんは信頼できる。

 井丸くんがいれば、わたしも変われる、変わってみせる!』


『だから、わたしが変わる事ができたのなら――』


 そこから先はマジックペンで上塗りされているため、読み取れなかった。


『お姉ちゃんと妹も――』


「いや、これ以上は須和のプライバシーに関わる。

 やめておこう。……燃える部分は、全部読めたんだ」


 ノートを閉じる。

 教室内では須和は未だに探し物をしていた。

 そんな須和を嘲るのは、ほとんどが女生徒だった。


 男子生徒は見て見ぬ振り……ではなく、単純に興味がないのだろう。

 それぞれの話題に没頭している。


 思い返せば、須和のいじめに、直接、男子生徒が絡んでいるところは見た事がない。

 目撃した回数が少ないせいかもしれないが、今のクラスの状態を見れば、男子生徒は加担したとしても無理やりやらされたものだろう。


 松本と宮原が主犯であり、このクラスを牛耳っている――そんな空気だ。


「あの……なにか用ですか?」


 廊下から教室の中を見ていた俺を、不審そうに見ている女生徒がいた。

 飲み物でも買って、戻って来たところなのだろう。


「友達を探しに来たんだ。須和なんだけど――」


 この子に須和を呼んでもらおうと説明をしたが、いや、頼まない方がいい。

 須和には『仲間』がいるのだとクラス全員に印象付けるには、俺が直接、踏み込んだ方が良いに決まっている。

 廊下の女の子には、見つけたから大丈夫、と声をかけておく。


 元々開いていた扉を越えた。

 気配に誰かが気づく前に、俺は威圧を込めて、大きな声で名を呼ぶ。


「須和ッ!」


 クラス全員が驚き、俺を見る。

 そして須和は、咄嗟に教卓の中に隠れていた。

 顔だけを出して俺を窺っている。


「なにやってんだあいつは……」


 並んだ机の間を通り抜け、教卓の後ろに隠れる須和の手を握る。

 首を左右に振る須和だったが、お構いなしに引っ張り上げた。


「自販機に行くぞ」


 手を握ったまま教室を出る際、ちらっと視線を教室へ回す。

 そこで松本と目が合った。

 軽く手を振られ、好意的な笑みを見せられる。

 俺は無視して教室を出た。


「守ってみなよ、って言われた気分だ……」

「井丸くん……、手、痛い……っ」

「おっと、悪い、須和。思わず力が入った」


 須和の手を離し、俺が見つけたノートを手渡す。


「これ……」

「外のロッカーの上にあった。最初の数ページだけ見ちゃったんだ、ごめん」


「ううん。見つけてくれてありがとうです。最初の数ページなら、大丈夫ですし」

「誰のか分からなかったからな。でも異能力の話が出てきたら、須和しかいないしよ」


 実際はあと少し先のページまで読んでいるが、須和が俺の事をどう思い、書き綴っていたのか、俺が知るわけにはいかない。


 須和も、俺がそれを見た事を知らない方が良いだろう。

 咄嗟に出た言葉だったが、自販機へ行く事に異論はない。

 俺は炭酸飲料を選び、須和も俺と同じものを選んだ。


「あ……」

「どうかしたか?」

「あ、いえ、なんでもないです……」


 失敗した、みたいな顔をされると、どうにも気になるが。

 本人が言うならなんでもないのだろう。

 俺の飲み物をじっと見ているが、同じ味なのだから羨ましがる必要もないとは思うのだが。


「それにしても、お前の敵は多いな。まさかクラスの女子全員がいじめに加担しているとは。松本たちが主犯なのは変わりないが、あれじゃあ他の奴らも立場的に変わらないぞ」


「でも、内の数人は、たぶん関係ないとは思いますけど。女の子のノリってやつです」

「雰囲気もあるだろうけどな。だが、止めていない時点で共犯者だよ」


「井丸くんは厳しいですよ。言えない子だって、いるんです。わたしみたいに――」

「加害者の一端を担っておいて弱音を吐くのは許せないよ。被害者ならばともかく。誰かを痛めつけて、無理やりやらされました、そんな言葉で逃れられると思っている事が一番、罪深い」


「井丸くんは、やっぱり言葉に棘があります」

「だってよ、被害者は、須和なんだ……許せるわけがないだろ」


「でも、井丸くんなら許しますよね? 

 なんだかんだ言いながらも根っこは優しいと知っています」


 手に持つ缶を傾け、中身を飲む。

 俺が向けた視線にも気づいていない様子だ。


「須和は、気にしていないわけではない、と言ったよな。じゃあ、怒ってはいるのか? それどころじゃないってのは分かるし、やめてと言おうとしたら言葉が詰まってしまう須和の性格も分かっている。けど、怒りはどうなんだ? 心の中では、煮えたぎっているのか?」


 だって、嫌だろ、腹が立つだろ、ムカつくだろ――。

 それでも怒らない聖人なのか、須和は。


「普通にムカつきますよ。言葉が詰まってしまうならバットで殴ればいいと思った事は何度だってありますよ。暴行事件を一度起こした今、二度も三度も変わらないな、と悪魔に囁かれた事だってあります」


「意外にアグレッシブな部分を聞いて安心したというか、逆に危ないなと思ったが……」


「でも、歯向かったところで、悪化するだけですよ。言い返しても、バットで殴っても。わたしに有利に働く事はありません。素行は良くありませんから、先生たちも、わたしよりも向こうを支持します。悪化するのなら、現状維持でいいと思ったんです」


 最善策を取っているようにも見える。

 だがそれは諦めであり、妥協である。

 須和はその事に、気づいていなかった。


「向こうがこれで満足しているのなら、黙って従うのが賢明かな、と思ったんです。わたしには友達がいませんから。これ以上、酷くなった時に頼れる人が、いないんですよ」


 須和は顔を伏せた。

 視線を横に逸らして俺を見なくなった。

 須和が心を閉ざそうとする時の癖みたいなものだった。

 さっき、変わろうと決意をしたばかりなのにすぐに元に戻ってしまう。


 それに須和は、一体いつの話をしているんだ?


「お前の目の前にいるのは一体誰だ? 井丸くん、なんて答えは求めちゃいないよ」


 俺がいれば、須和が怒りを言葉に出す理由になる。


「悪化するのが恐い? 頼れる友達がいない? だから嫌で腹が立ってムカつくけど、言いたい事を我慢して黙って従うのが賢明な判断だって? なら言おうぜ、言いたい事を。攻撃的に全ての鬱憤をぶちまけてしまえばいい」


「だから、わたしには誰一人も――」


「呪いでもなんでもないんだ、お前に友達がいなくてこれからも一生できるわけがないのが当たり前だと思うな。悪化したら頼ればいい、苦しい時は縋ればいい、お前の目の前には俺がいるだろうが。それでもお前は、あいつらになにも言わないのかよ」


 問うてはいけないものだと、須和は自縄自縛している。

 ならその縄を解いてやる。


「目を背けるなよ、勿体ない言葉なんかじゃない。――俺たち、友達だろうが」


 須和の目が見開かれ、伏せていた顔を上げる。


「友達……、わたしと、井丸くんは、友達……?」


「ああ、友達だよ。こんなもん、本当ならこうして確認する事でもないんだよ。やっぱり須和は、常識とか当たり前な事がいくつか抜け落ちちまっているよな」


「…………本当に?」

「いや、常識がすっぽり抜け落ちているわけじゃないけどな。ほんの少しだよ。お金の数え方とか知らない訳じゃないだろうし」


「そうじゃなくて! 口先だけの友達じゃなくて、お姉ちゃんや妹に近づきたいがための中継役としてわたしを懐柔したいわけじゃなくて、わたしの事をちゃんと考えてくれる、あの友達で、いいの……?」


「須和の過去の人間関係を洗いたいな……お前に近づいた奴、全員ぶっ飛ばしたい」

「本当に、本当の、友達……」


「ああ、そうだ。何度でも同じ事を答えるぞ。俺はお前の友達だ。友達なら、どんな時でもお前の味方だ。たとえお前が裏切ろうが、俺はお前を、ずっと追いかける。迷惑にならない程度にだけどな」


 それから何度も、須和の問いに答える。

 須和は、友達という言葉を、心に染み込ませるように。


「須和、あのな、もうそろそろいい加減に……」

「井丸くんが、友達で良かった」


 綻んだ表情を見て、すぐに須和のメガネを取った。

 目を合わせる。

 気づけば、瞳が虹色に変わっていたのだ。


「来たな……」


 異能力の世界。


 黄色い砂の地面かと思えば、足で払うと石の床が見えてくる。

 しかし、実際は学校であり、石の床でもない。

 砂を払った感触も、破壊されて崩れた瓦礫も、そう見せられているだけに過ぎない。


「校舎の中は、正直まずいよな……機械人形の巣だろ、これ……」

「井丸くん……あれ、なに――?」


 天井に逆さまで張りついているのは機械人形だ。

 だが、今まで出会ったものとはまったく違う。


 ライオンのようなたてがみが、バチバチと、雷を纏う。

 しなる腕が二本伸び、両足を持っていなかった。


 天井からずるりと落下した機械人形が両手を使って起き上がると、その体が宙を浮く。


 すると、体から小さな、『なにか』を全方位に飛び出させた。

 俺たちの横を通り過ぎた『それ』は、鋭く細い刃だ。

 裁縫の時に使う針を巨大化させたような……とは言っても、俺たちの腰までもない。


「狙ってはずした……、当てる事が目的じゃないのか……?」


 雷の音が恐怖を強める。

 雨の日に聞く耳慣れた音とは違う。

 避雷針に頼れない素の雷が目の前にある事実は、精神的に雷雨の中、土手を傘を差して歩くようなものだ。

 今の状況は、それよりももっと落雷を浴びる可能性が高い。


 外傷はない(俺たちに影響がなにもないとも言い切れないが)とは言え、痛みだけが恐怖でもないのだ。

 落雷の空間を切り裂くような音が、須和を毎回、怯えさせる。

 手を握って安心させようとするが、震えが止まらない。


 俺だって、恐くないわけではないのだ。


「やることは変わらないはずだ……勝てないんだ、逃げるしかない……!」


 分かっている。

 なのに、足は機械人形の目の前から動いてくれない。


「っ」


 須和を突き飛ばす。

 その反動で俺も後ろへ転ぶ。


 動かない足は頼りにしない。

 押した反動で固まった足をそのままにして体を転ばせる。

 俺と須和の間を引き裂くような雷が横切る。


 通り過ぎた雷は先ほど飛ばした巨大な針に吸い込まれた。

 ……避雷針!


 機械人形が横へ伸ばした手の平に、数度の光の瞬き。

 同調するように避雷針に溜まった雷が応える。

 その二つが繋がったライン上には、須和が倒れていた。


「やべえ、須和ッ!」


 横切った雷のショックのおかげで、固まった足がほぐされた。


 腰を抜かした須和を抱きしめ、ライン上から離れようとするが、しかし固定された一直線ではない。

 雷はゴール地点が定まってはいるが、その過程は大ざっぱだ。

 ジグザグにぶれる軌道上に俺の体が僅かに触れる。


 雷でなければ俺だけで済んだはずだ。

 だが、密着している須和も道連れに、俺たちは全身に雷を浴びる。


 明滅する視界を確認すれば、俺と須和は床に倒れていた。

 外傷はない。

 驚きはしたが痛みは一瞬だけで、今はない。


 歩行するにも影響はなかった。

 気絶していたようにも感じるが、恐らくは気を失ったのは一瞬だったはずだ。

 機械人形は俺たちになにもしていない。


「須和……、逃げよう」


 須和の手を引く。

 顔色が悪いが、須和は従い、ゆっくりと歩く。


 追撃が来ない事が不気味だったが、そのおかげで俺たちは機械人形から逃げ延びる事ができた。

 城を出て、広がる草原まで避難をする。

 それからはあまり覚えていない。


 俺たちは学校をサボり、近くの土手に辿り着いていた。

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