第4話 問題児の板挟み
翌日、朝。
校門前を通る生徒を遠目から見ていたが、須和らしき姿の女生徒が現れる事はなかった。
単に、俺が見逃しただけなのかもしれない。
一人で校門を通るのならばまだしも、数人や、数十人が固まっている時もある。
重なっていて見えなかったとしてもおかしくはない。
残り数分でチャイムが鳴ってしまうので、仕方なく、引き上げる事にした。
それから。
一時間目の授業が終わり、十分の休みがある。
その時間を使って須和がいるA組へ足を運んだのだが、教室内には数人しかいなかった。
黒板を見れば、なるほど、移動教室だった。
須和も教室には残ってはいない。
二時間目、三時間目……授業が終わってすぐにA組へ向かっているのだが、移動教室でもない場合でも、須和の姿は教室内にはなかった。
A組の生徒に聞けば早いのだろうが、昨日聞いた噂やみんなの反応を考えると、須和の名を出すと余計な騒ぎになってしまう可能性がある。
それによって、須和が尚更出て来なくなってしまったら、本末転倒だ。
「……しかし、見かけなさ過ぎだな」
学校に登校しているのかも怪しい。
周知の事実として、問題児なのだ、無断欠席をしていても不思議ではない。
昨日巻き込まれた、一変した景色、現れた機械人形……『あの現象』を考えれば、学校に来れない理由にはじゅうぶんになるわけだ。
A組から離れ、校舎を歩き一階へ。
途中、期待もしたが、偶然に須和と遭遇する事はなかった。
人気のまったくない玄関。
並んだ靴箱にはネームプレートがついているので、須和の位置がすぐに分かった。
少々高い位置にあるのが、小柄な須和が自力で取れるのか心配になる。
俺は余裕で取れるが、それでも少し見上げる必要がある。
扉を開ける。
真上に開いた扉に内側から立てかけられていた黒板消しが、俺の顔面に落下してくる。
白い粉が満遍なく付けられた、悪意のある設置の仕方だった。
こんなの、準備しなければ不可能だ。
道具も状況も意図的にしか思えない。
「けほっげほっ、じ、地味なイタズラを……っ」
イタズラなら、まだいい。
良くはないが、『あれ』に比べれば。
白い粉を手で払い、A組へ戻る。
結局、須和の靴はなかったので(上履きはあった)、登校しているかどうかは確認できなかった。
しかし、仕掛けがあるとなると、須和が来る見込みがあって設置したと考えるべきか。
いや、たとえ数日後になろうとも構わないという気ならば、設置してそのまま放置というのもあり得る。
玄関まで来たのに知りたい事は知れずに気になる部分が増えた。
しかも厄介な問題だ。
「…………?」
A組に戻ると、さっきはなかった笑い声が聞こえてきた。
遠目からではよく分からない。
自然と足が近づく。
騒がしいグループが、一つの机に群がっているようにも見える……、
教室の真ん中辺りにある机だ。
グループの中心人物らしい生徒(金髪だ……。顔立ちが少しだけ……ハーフなのだろうか?)の机なのかと思えば、そうではなさそうだった。
黒いマジックペンで、大きくなにかを書き込んでいる。
人だかりのせいで見えにくい。
だが、書き終わったのを周囲にアピールしたいがための手を払う仕草で、周囲のギャラリーを退かせる。
金髪の子と似てスタイルの良いボーイッシュな女生徒だ。
このクラスでもあらゆる『力』を持つ者だろうとよく分かる。
権力、発言力。
――暴力、は、ないとは思うが。
退いたおかげで廊下の俺にもよく見える。
『鬱子』と書かれていた。
あれを好意からくるあだ名とは思えない。
須和映絵を揶揄した表現だ――なら、あれは須和の机なのか。
文字で埋め尽くされていただけではない。
傷が多く、汚れている。
須和本人ではなく、持ち物を狙う陰湿な嫌がらせ――嫌な予感が当たった。
「あいつら……っ」
標的にされる要素が須和にはある。
心の病気――まずこれが大きい。
公言したわけではないが、広まってしまえばほとんど事実として受け入れられる。
不謹慎だが身体障害者がいじられるように、須和もまた、いじられている。
そのいじりがいじめになっているのが今の状況だ。
扉に手をかける。
音を立てるところで、踏み止まった。
ここで出て行き、やめろと叫んで、どうなる?
はいはい、分かりましたと口先だけの言葉であいつらは逃れる事ができる。
そんな言葉を俺は聞きたいのか?
須和がこの場にいなければ、意味がない。
踵を返す。
優先するのは、須和を探す事。
話は、役者を揃えてからだ。
しかしその後、昼休みの全てを使っても須和を見つけ出す事はできなかった。
昼食も忘れ、しかも秋野との約束もすっぽかしてしまった……事情があったとは言え、約束を破った事には変わりない。
放課後は一旦須和探しを休め、秋野に会いに行こう。
「そうか、秋野に聞けば、須和の事がもっと分かるかもしれない」
多くの情報を基に人の外見からでは分からない内面の癖を読み取る事ができれば、一体、須和がどこにいて、どういう経路で移動しているのか、分かるかもしれない。
それに秋野ならば、既に須和の居場所を知っているかもしれない。
放課後――そして俺は、秋野が登校している地下フロア……倉庫を改造して作った秋野の部屋(研究室と便宜上は呼ばれている)にいる。
秋野が知らなかった俺と須和の邂逅と、それ以後のコンタクト失敗の連続を俺は語り終えた。
秋野は聞きながら、自分の髪の毛先をくるくると指で巻いていた。
秋野の癖だ、なにかを考えている時は、いつも指で遊ぶ。
小さい頃から変わらない。
「それで。井丸はどっちを解決したいの?」
「どっちもだ。異能力も、いじめも。須和を助けるって事は、どっちもって意味だろ」
「二兎を追う者は一兎をも得ず。分かるわよね?」
「俺もキャパシティは多くないと自覚しているよ。でも、いじめと異能力は、連結している気がする。須和の『心』に、異能力が反応しているんだ」
「どうしてそう思うの? 確証は?」
「俺たちが体験した異能力は、『心』が原因だったからだ」
秋野はもう言い返しては来なかった。
言っても止まらないと、長年の付き合いで秋野もじゅうぶんに理解している。
それでも毎回こうして止めてくれるのは、秋野の優しさだった。
毎回それを断つのは心苦しいが、譲れない信念が俺にもある。
「言えないんだよ、多分。困っているって、助けて欲しいって。それを言える人間はその時点である程度は強い。でも、須和は言えないくらいに、弱ってしまっている。……言えるところまでは、引っ張り上げてやりたい」
「か弱く守りがいがある子がタイプだものね」
「そうだけど……、秋野は強いよ。だからと言って、嫌いってわけじゃない」
「気休めはいらない。いらないから」
「なんで二回も言ったんだ……」
少しだけ、『らしく』なかった秋野だ。
「引っ張り上げる……ね。じゃあ、必然的に井丸は須和映絵と一緒にいる事が多くなるわけね」
「そうなるな。その後の須和の言葉次第で、続けるかどうかは決めるけど」
「どうせ助けるくせに。拒絶されてもあんたは手を離さないでしょ。今まで所構わず女の手を握った人間が否定しても、信用なんてできないわ」
「たぶん助ける。今まで通りに」
秋野は息を強く吐いて椅子をくるりと半回転させる。
再びモニターに向き合った。
俺を横目で見もしなくなった。
「夢中になった井丸は約束をすぐに破るから。どうせ来ないんでしょ、ここには」
「そんな事は……!」
ない、とは言えなかった。
秋野の言う通りに、過去の実績が信用できない証明になってしまっている。
今日の昼休みだって、須和に夢中になり過ぎて秋野の事など忘れてしまっていた。
ヘッドホンを被り、片耳だけを俺に向けていた秋野は、大きく舌打ちをした。
否定しようとした俺の言葉に苛立ったのだろう。
「また、忘れるかもしれない。だから約束は、取り消してもいいか? できない可能性がある約束なら、しない方がマシだろ」
「(私にとってはその不確かな繋がりも、大事なものなんだけどね……)」
「秋野?」
「好きにすれば? 確かにこっちも、来るのか来ないのかで一喜一憂するのも、馬鹿みたいだし。全部終わったら元通りなる――そうよね?」
「当たり前だろ。『俺はお前だけを見ている』んだぞ?」
「ん。安心した」
秋野はヘッドホンを取った。
コードの先に繋がっている端末の電源をオフにする。
「異能力についてだけど、情報がまだ少ないから分からないわね。なんとも言えない。だから今はとにかく、何度も巻き込まれるしかないと思うわ。ゲームの世界、と言ったわよね? なら、攻略法も同じよ。地道に一歩ずつ、分かる部分を増やしていくしかない。推理は終盤よ、今のあんたは、足を動かすだけのプレイヤー。得意分野でしょ?」
「異能力に巻き込まれる前に、須和を探さなくちゃいけないんだよな……居場所までは、秋野でも無理か? なんだか今は、チュートリアルで躓いている感じだ。得意分野でも、煮詰まったら嫌になる」
「居場所まではさすがにね。煮詰まっているのなら一回目をなぞれば? 巻き込まれた時の状況を再現すれば、打開策が見つかるかもしれないわよ? 案外、少し考えれば分かるような部分で躓いている可能性もある。張り詰め過ぎるのも逆効果だから。……困ったらいつでもここに来ていいからね」
笑みを見せる秋野に、思わず見惚れた。
「……おう」
頬を指で掻き、それを合図に部屋を出ようと秋野に背中を向ける。
俺は手を上げ、秋野は手を振った。
「秋野。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
部屋を飛び出して行った井丸を見送り、秋野維吹は一人、呟いた。
「どうしてああなっちゃったんだろう……私のした事は、失敗だったのかなあ」
もしもやり直せるのであれば、秋野維吹は『小学生時代』と答えるだろう。
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