第3話 虹色の瞳
――昨日の事だ。
いつものように、放課後に秋野の部屋へ訪れる日課を終えて、地下から校内に出た。
夕暮れの西日が眩しく、目元を手で傘を作り、光を遮りながら廊下を進んでいたところ、階段を駆け下りて来た影と思い切りぶつかった。
夕日のせいで影としか認識できなかった相手は、ぶつかった衝撃で地面を派手に転ぶ。
あまり肉付きの良くない小柄な体は、予想以上に飛距離を伸ばした。
すぐに駆け寄った。
その時に俺は、相手の姿をはっきりと見る事ができた。
「ごめん! 大丈夫か!?」
女生徒は息を荒げながら必死に立ち上がろうとする。
今の衝撃によってどこか痛めたのかもしれないが、ぶつかる以前になにかしらのダメージを負い、疲弊し切っているのが今の状態、と言った印象も俺に抱かせる。
歯を食いしばって我慢している表情を見るに、やはりどこか痛めているのだろう。
手を握り、体を起こそうとした際に、彼女の瞳と目が合った。
――美しい虹色だった。
……一瞬にして、景色が一変する。
砂の壁、土の地面。
天井を突き破っているだろう身長を前屈みにさせた機械人形が、俺たちに覆い被さるように迫っていた。
声が出なかった。
鞭のようにしなる腕――握られた拳が、ハンマーのように振り下ろされる。
すると、俺の視線が横へ移動する。
腕の中にいた女生徒が俺を横から押したのだと分かった。
二人、重なり合って倒れると同時、俺たちがいた場所に拳が突き刺さり、土の地面が陥没する。
オイルが足らずに滑らかに動かない機械人形の首が、ぎぎぎ、と音を立てて、避けた俺たちを捕捉する。
照準を定めるための赤外線が女生徒を狙う。
急所の頭に光が当たった。
機械人形の行動は早い。
笛のような音と共に、真っ赤な線が飛んで来る。
咄嗟に女生徒を引っ張ったおかげで、なんとか避ける。
赤い線が土に触れた瞬間、爆音が轟き、煙を巻き起こす。
それに乗じて女生徒を抱きかかえ、真っ直ぐの道をひたすらに逃げる。
「――れ、レーザーだって!?」
そして最悪のステージだ。
直線の攻撃から逃げるための道が、ひたすら長い直線だった。
いや、前には行き止まりがある。
四角く開いた小窓があり、そこから逃げる事ができ、しかも隣にも道が続いていると、走っている最中に分かった。
二択だ。
窓から飛び出すか、曲がり角を曲がるか。
「曲がって、もしも同じように機械人形がいれば挟まれて終わりだ……なら、一か八か、飛び出せば――ぐぶぇ!?」
窓から外に飛ぶ気満々だった俺の顎に、真下から掌底が襲い掛かってくる。
力任せの素人の掌底は、意識が揺れる事はなかったが、ただ痛いだけであった。
その時、耐えられずに、抱えていた女生徒を落としてしまう。
落としてしまった原因がこの女生徒にあるのだから、文句を言われる事はないと思うが。
「おまっ、なにを……ッ」
女生徒が握っているのは、大きさ的にはバイクのハンドルのような長物。
しかし見える面積が手で覆われているために、それがなんなのか、俺には分からない。
震える足を動かし、前へ進む。
機械人形がいる方へ、女生徒は死地へと戻ろうとする。
長物を構えた。
俺には見えていないものが、もしかしたら女生徒は見えているのかもしれない。
点線で表現されているだろう長物の先には、刃が付いていそうな、そんな構え方をしている。
赤外線は女生徒を今でも狙っている。
一瞬、線が消えた。
笛のような音が出る合図だ。
その隙間を狙って駆け出した。
座標がずれたレーザーは、女生徒とすれ違う。
実は接地面が点であるため、移動経路に重ならなければ当たる方が難しい。
長物を腰の辺りで構えたまま駆ける女生徒は、上から下へ、斜めに両腕を振り下ろすが、それによるリアクションはなにも起こらない。
「なん、で……」
そんな声が薄っすらと聞こえる。
何十回目の挑戦の末、心がポッキリと折れた声にも聞こえた。
「もう、どうしたらいいのか、分からないよ……っ」
膝を崩す女生徒を押し潰そうと、長い腕を振り上げる機械人形が見えた。
何度も転びながらも女生徒の元へ急いで向かう。
しかし、間に合わない――。
気づけば学校の校舎だった。
砂の壁も土の地面も機械人形も、どこにもない。
見慣れたコンクリートの壁がある。
「は?」
瞬きをしている間に、ふっ、と。
今までの光景と出来事が、全て、俺の思い込みだったかのような呆気なさだ。
現実よりもまず、自分を疑いたくなる。
口内に広がる血の味……さっきの掌底は、じゃあ本当に起こった事になる。
前にいる一緒に巻き込まれた女生徒は立ち上がり、地面に落ちていたある物を拾った。
フレームの曲がったメガネだ。
「おい、今のは……ッ」
その問いに、振り向いた女生徒はなにも言わなかった。
拾ったメガネをかけて、立ち去って行く。
瞳の色は、既に虹色ではなかった。
「ふざけんな……ッ」
巻き込んでおいて、説明もなにもない。
目の前で弱音を吐いたくせに、突き放したような気になって。
追ってくださいと言わんばかりに、寂しそうな背中を俺に見せつけて。
放っておけるわけがなかった。
すぐに走って追いかければ間に合う。
しかし、がくん、と膝が崩れ、走り出すのに失敗をしたのは、極度の緊張感の中に放り込まれていたからなのだろうか。
そのワンテンポの遅れが、女生徒を見逃す結果になってしまった。
部活動中の生徒の集団が、俺に向かって隊列を組み、ランニングをしていた。
速度は出ていないが、人の多さによって道が塞がれる。
端に寄って集団が通り過ぎるのを待っていたら、女生徒の姿はいなくなっていた。
今から追いかけても遅くはない。
思ったが、足を止める。
振り向けばランニングの休憩で水道場に集まっている生徒が数人いたのだ。
見た姿も集団の中でも新しいため、後続にいたのだろう。
息が整ったのを見計らい、声をかける。
「え? すれ違った子? メガネをかけた、ポニーテール……ああ、あの子ね」
話しかけた数人の女生徒は一方的に俺の事を知っていたらしい。
『困ったら井丸に言えばいい』なんて噂が広まっているからこその認知度だ。
俺は彼女たちを見た事もないが。
少し負い目を感じるも、仕方のない事なので切り替える。
「須和映絵……A組の子だよ。井丸くんがあの子になんの用か知らないけど、問題児で有名だから、あんまり関わらない方が良いと思うよ」
「問題児?」
「うん。暴力事件を起こして、ガラスを何枚も割ったらしいよ。愛想も良くないし、まるで自分以外のみんなを目の敵にしているような感じ。心の病気だっていう噂もあるらしいし、とにかくコミュニケーションが取れなくて。付け加えて、いきなりおかしな言動をしたりもするし……私たちもヤバい奴って認識してる」
周囲の友達も、うんうんと頷いていた。
親切心で彼女たちは、
「関わらない方が良いよ」
と忠告をしてくれたが、どうにも俺の中の印象と周囲の認識が食い違う。
百聞は一見に如かずと言う通り、一度見た俺の認識の方が正しいとは思うのだが……。
「もう少し、聞いてみよう」
結果を言えば、残っていた生徒に須和映絵の事を聞いてみたら、最初に聞いた女の子たちと認識はまったく変わらなかった。
学校全体が認める問題児、奇人、変人。
みんな、関わり合いたくないために避けているらしい。
それにしても、ここまで広まっている共通認識なのに、俺はなぜ須和映絵の事を知らなかったのか。
確かに別クラスであって、話題にも上がらなければ知りようもない事ではあるのだが。
そうなると逆に、周囲がなぜそこまで知っているのか、というのも気になるところだ。
「ありがとう、情報提供、助かった」
部活終わりの別クラスの友人に飲み物を奢っていたら、日は沈み、夜になっていた。
情報を漁っても、これ以上、新しいものは期待できそうにない。
となると、今度は須和映絵本人に直接、コンタクトを取る事になる。
さて――噂にもなっている問題児を、俺の目と足で捉え切れるのだろうか。
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