第23話 ここから始まる物語

 言ってしまった。

 言葉にしてしまってから、私は血の気が引くのを感じていた。

 だって、こんなことを言ったってどうにもならない。プラムは大聖堂に長居していられないし身だし、ローズマリーは赴任先で仕事に就かなくてはいけない。リーフさまは霊薬(エリクサー)の材料を頑張って集めてくれていて、秘書さんは朝から晩まで私のお世話に注力してくれる。彼女たちの意志を曲げて、優しさを無下にするなんて許されるはずがない。

 私ってひどいやつだ。

 こんなの自分勝手で……わがまますぎて……。


「そ、そんなに寂しくなっちゃったですか?」


 ローズマリーは困ったような苦笑いを浮かべている。

 私はうなずくことしかできなかった。

 二人と離ればなれになるのが苦しくて耐えられない。ここは世界のどこよりも安全で、決して寂しい想いもしなくて済むのは分かっている。でも、三人で命の危険をかいくぐりつつも自分の足で歩き、自分の目で新しい世界を見て回った日々が、どこか遠くへ行ってしまうことが耐えられなかった。


「……じゃあ、逃げちゃうか」


 プラムが夕食のメニューでも決めるみたいに言った。

 それから、彼女はいつものように私の体を抱き上げる。

 ちょっとにやけた照れた顔がそこにはあった。


「この街に住むって選択肢もなくはないが、やっぱり旅って楽しいもんな。新しい土地、人との出会い、美味い食べ物……そういうのが楽しいから旅はやめられないんだよ。そりゃあ、危険なこともあるけどさ、それを乗り越えたときの成長も嬉しいわけじゃん?」

「に、逃げるって……それは大事ですよ!」


 ローズマリーが我が目を疑うような目つきでプラムを見ていた。

 私は受け入れるべきか拒むべきか分からなくて唖然としてしまう。

 でも、一つだけハッキリしているのは身震いするくらい嬉しかったということだ。


「犬姫さまを人間にすることはリーフさまの悲願なわけで、勝手に連れて行ったりしたらプラムはお尋ね者になっちまうですよ……」

「どうせ放っておいても霊薬(エリクサー)はできあがるんだろ? それなら、待っている間に何をするのかはコムギの勝手だ。それに私は犬泥棒になるくらいなんでもないね。そもそもの話、こいつは私のゆたんぽ係だろ?」


 プラムが私の体をギュッと抱き寄せる。

 平常時よりも少しだけ早い彼女の鼓動が背中に伝わってきた。


「むちゃくちゃなこと言うですねえ!」


 ローズマリーが信じられんとばかりに天井を見上げて顔を手で覆う。

 かと思うと、私たちに悪巧みをしているようにニヤリとした笑みを向けた。


「だから嫌いになれねーんですよ、あんたのことは! どでかいオークに襲われたときもしんがりを引き受けたし、森の中で怪我人を見つけたときもためらわず助けに行った。コムギちゃんが連れ去られたあとも諦めなかったし、アサシンの子に勝つために試行錯誤していた。ここぞというとき、あんたはずっと真剣だった」

「な、なんだよ……急にほめたりして……」

「私も一緒に行くって言ってんですよ!」


 ローズマリーが自信満々に自分の胸をポンと叩く。

 今度はプラムの方が驚かされる番だった。


「おまっ……仕事はどうすんだよ!?」

「うぐっ、それは……」

「お前の大好きな大司教さまを裏切ることにもなるんだぞ?」

「リーフさまなら分かってくれるです」

「どうだかな? ああいう人格者タイプは意外と裏があったりするもんだろ?」

「そんなわけねーですっ! きっと分かってくれるですっ!」


 ローズマリーが急に声を張り上げる。

 まるで自分に言い聞かせているかのようだ。

 そのときだった。

 コンコンコン!

 何者かが部屋のドアをノックしてきた。

 私たちはビクッとして思わず身構えてしまう。

 プラムが判断を求めるように私を見てきて、私は覚悟を決めて大きくうなずいた。


「コムギさん、入りますよ?」


 ドアを押し開けて部屋に入ってきたのはリーフさまだった。

 今日も金属から削り出したようなプラチナブロンドが神々しい。それでいて肌は色白、ほっぺたがほんのり赤くなっている様子からは、在りし日の少女の面影を感じられる。そんなきらびやかで親しみやすい彼女なのに、今はちょっとだけ怖く見えてしまった。

 妙な空気を感じ取ってか、リーフさまがきょとんとした顔をする。

 私は思いきって自分の気持ちをさらけ出した。


「リーフさま! 私、二人と一緒に旅をしたいんです!」

「コムギさん……」


 ほっそりとした目を丸くするリーフさま。

 彼女はこちらの言葉を促すように私をじっと見つめた。


「聞かせてください、あなたの気持ちを……」

「私、二人と一緒に旅をして本当に楽しかったんです。最初は言葉もしゃべれなかったし、犬の体では不便なことも多かったけど、この世界を見て歩くことは私にとってすごく新鮮で、楽しい発見ばかりでした。命の危険を感じることもあったけど、プラムもローズマリーも強くて頼りになるし、私もいざというときは自分の身を守れるようになりました」


 この場所が安全なのは理解している。

 私が知りたいことや学びたいことについて、丁寧に教えてくれるのも分かっている。

 それでもやっぱり、自分自身が旅をして世界を見てみたいのだ。

 だって、それが最高に楽しいのだから!


「それにプラムとローズマリーは私にとって家族なんです! 家族と離れなくちゃいけないときもあるのは分かってます。でも、今は二人と一緒にいたいんです。二人と一緒だから旅は楽しかったし寂しくなかった。お願いです、リーフさま。私を二人と一緒にまたこの世界を旅させてくださいっ!」


 私の言葉をどう受け取ったのか、リーフさまは困ったようにほおづえをついた。

 目を閉じてしばし考え込む。

 彼女の返答を待っている間、時間が無限に引き延ばされたような感覚に陥り、焦りから胸の奥がじりじりとしてきた。結果の重視される大会やら受験やらを経験したことがない私にとっては、それは生まれて初めて覚えるじれったさだった。早く楽になりたくて仕方がない。それでも、絶対に逃げ出すわけにはいかなかった。

 ややあってリーフさまが問いかけてきた。


「フジノさまの日記は読みましたか?」

「いえ、全ては……」

「あの日記はフジノさまが人間の体に戻ってから書かれたものですが、そこには人間の体へ戻れた喜びと一緒に後悔の気持ちも書かれていました。大人しく待っているのが一番だなんて思い込まないで、もっと自分の気持ちに素直になればよかったと……」


 私と同じ気持ちだ!

 100年前の犬姫であるフジノさまも手厚い保護を受けていたに違いない。彼女は自分の気持ちを押し殺して、聖父母教会の優しさを全て受け入れることにした。きっと優しい心の持ち主だったのだろう。でも、それはあとになって後悔を生んでしまった。


「ですから、私はあなたたちの旅を応援しようと思います」


 リーフさまが屈託のない笑みを浮かべる。

 あっけらかんとした彼女の笑顔を目にして、私たち三人は思わず顔を見合わせた。

 私たちの顔もリーフさまに負けないくらいのキラキラとした笑顔になっていた。


「いいんですか、リーフさまっ!?」

「もちろん条件はあります。あなたたちが安全に旅をできるように色々な約束を取り決めましょう。私もエリクサーの材料を集めるだけではなく、あなたたちの旅をしっかりとサポートしたいですもの。慌てて飛び出していくなんて厳禁。しっかりと準備してから旅に出なさい。いいですね、三人ともっ!」


 子供に言い聞かせるようなリーフさま。

 圧倒的な保護者感を目の当たりにして、私は思わず「お、お母さん……」と呟いていた。


「わ、私はお母さんなんて年齢じゃないですよ! もーっ!」


 赤面したリーフさまが不満そうに頬を膨らませる。

 ようやく安心できたようで、プラムが私の顔を覗き込んでニッと笑った。


「これでまた三人で旅ができるな!」

「うんっ!」

「ほら言ったじゃなーですか! リーフさまなら分かってくれるって!」


 ローズマリーが私たちの方へ駆け寄り、プラムの体ごと私たちを抱きしめてくれる。

 二人のにおいと温かさに包まれて、私はこの上なく夢心地になった。


「ローズマリー、あなたの働きは重要ですよ?」

「もちろんです! コムギちゃんのことは任せてください!」


 リーフさまから念を押されて、ローズマリーが意気込みバッチリにうなずいた。


「赴任先の教会には私からも謝罪の手紙を出しておきますが、あなたからもちゃんと手紙を送りなさい。これからすぐにあたなの代わりに行ってくれる人も見繕いますが、もちろんあなたの口からコムギさんのことは伏せて事情を説明すること!」

「それが筋ですからね。お任せくださいです」


 ちょっぴり大人びた顔のローズマリー。

 私は改めてリーフさまに向かってぺこりと一礼した。


「ありがとうございます、リーフさま。私のわがままを聞いてくれて……」

「いいのですよ、コムギさん。私が同じだったら、もっと子供っぽく駄々をこねていたところですから。こう見えて私も旅とかグルメとか大好きで、たまに長期休暇を取ってはお忍びで旅行していたりとか……うふふ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるリーフさまを見て、私はなおさら彼女に親しみを覚える。

 ちゃんと正直に気持ちを伝えてみて本当によかった。

 リーフさまの親切心や期待を裏切るかもしれなかったのは、ハッキリ言って凶暴なモンスターに立ち向かうよりも怖くて心苦しかった。戦って相手を倒したり、話し合わずに逃げたりするのはある意味簡単だ。リーフさまと正面から向き合って、私は彼女から大切な何かを教わった気がする。

 私を背中から抱きすくめていたプラムが向かい合うように抱っこし直した。


「そういや、嬉しがってるけど私の顔は舐めないんだな?」

「な、舐めないよ! 犬じゃないんだから!」

「本当かぁ? そのうち、うれしょんとかするんじゃないか?」

「し、しないよーっ!!」


 私は防音の壁を突き抜けるくらい大きな声で訴える。

 でも、こんな風に掛け合いができるのが今は素直に嬉しかった。


 ×


 それから2週間ほどかけて、私たちはじっくりと旅の準備を行った。


 ローズマリーの代わりに地方の修道院へ赴任してくれる人を探すことに始まり、もちろんリーフさんとは納得いくまで細かな取り決めをした。

 私たちは『巡礼中のシスター&護衛の女剣士&狩猟犬』として、リーフさまのお墨付きで全国の教会を回る旅に出るということになった。さらにリーフさまは直筆の書状を用意してくれた。これのおかげで大抵の関所は顔パスになり、ピンチのときは教会へ駆け込むことができるようになった。


 そんな一方、もちろんリーフさまに安心してもらうための約束も結んだ。旅先からは定期的に旅のプランと報告書を手紙で送ること、リーフさまが送ってくれる手紙(エリクサーの材料の集まり具合など)を旅先の教会で受け取ること……。

 旅をするのに無理が生じたら、素直に帰ってくることも約束した。旅先でのたれ死ぬつもりはさらさらないけど、これは一人の人間としてのけじめだ。お願いをして旅に出してもらうのだから、自分で責任を取るのは当然だ。


 しばらくしてローズマリーの代理も見つかり、新たな旅立ちの朝がやってきた。

 私たちはみんなで食事を取り、旅の安全を願ってお祈りを済ませる。

 聖父母教を信仰しているわけではない私だけど、こういうときはやっぱり祈らずにはいられない。

 荷物をまとめて大聖堂の正面入口に向かうと、太陽が昇り始めたばかりの早朝ということもあって周囲に人影はなかった。

 エメラルドグリーンの屋根に白塗りの壁……そんなエディンポートの街並みは乳白色の朝靄に包まれている。山の向こうから差し込む朝日は朝靄で拡散されて、街全体が黄金色に染まる幻想的な光景が広がっていた。


「プラムさん、ローズマリー、コムギさん。あなたたちの旅の安全を祈ります」

「旅に疲れちゃったらいつでも帰ってきてくださいね!」


 見送りにはリーフさまと秘書さんが来てくれた。

 私の正体を知っているのは相変わらずこの二人だけだ。

 朝靄に包まれた早朝、少人数の見送りというシチュエーションが、まさに『お忍びの旅』らしい雰囲気でテンションが上がってくる。こういうドキドキも旅の醍醐味なわけで、私にとっては最高の旅立ちだ。


「リーフさま、秘書さん、お世話になりました! 行ってきます!」


 見送りの二人に手を振って、私たちは大聖堂を出立する。

 ローズマリーは「私に任せとけですよーっ!」と何度も振り返っては声をかけていた。

 朝靄の中を抜けてエディンポートの街を出る。

 向かうのは来た道とは別方向、海沿いの道へ向かう東の街道だ。

 凛とした早朝の空気が清々しく、体の奥底から活力が湧いてくる。

 これなら世界の果てまでも歩いて行けそうだ。


「それにしても寄らなくちゃいけない場所が多いな」


 プラムが丸めた羊皮紙を広げている。

 そこには寄るべき場所、寄りたい場所がメモされていた。


「ひとまず残りの四大大聖堂は外せねーです。私たちは巡礼の旅をしていることになってるですからね。それからフォースランド王国の主要都市も寄っておきたいです。どこも賑やかに栄えていて、異国の品々が並ぶ博物館とか、世界中を巡っている大人気のサーカスとか、瘴気術の技を競うコロシアムとか色々あるって話です」

「ワインの産地も寄りたいよな。聞くところによると葡萄摘みからタルへの仕込みまでやらせてくれる醸造所があるらしい。せっかくだから、そこで寝かせたワインをコムギが人間に戻れたときに飲んでみたいんだよな」

「そりゃ名案です! あとは観光地もコンプリートしてーですね。フォースランド王国には温泉地もたくさんありますし、そこを回るだけでも1年くらいかかるです。山も海も美味しいものだらけですし、ありとあらゆる料理を食べ尽くし、ありとあらゆるお酒も飲み尽くしたいですねえ!」

「あとはそうだな……犬姫と猫姫以外にも動物に転生したやつがいるんだろ? 面白そうだから探してみたいよな。それでコムギはどこか寄りたいところとかないのか?」

「えっ、私!?」


 プラムからいきなり話を振られて私はちょっと困ってしまう。

 行きたいところは色々あるけど、観光地みたいに楽しい場所かどうか……。

 私が答えに詰まっているとローズマリーが屈んで視線を合わせてきた。


「これはコムギちゃんの旅なんです。なんでも言ってほしいですよ」

「うん、それなら……私、二人の故郷が見てみたいな」


 こんな答えが返ってくるとは思わなかったのか、プラムとローズマリーは二人とも目をぱちくりさせていた。


「こ、故郷って……私の故郷なんて別に面白いところじゃないけどな……」

「うーん、うちも見所はなくはねーですが……」

「二人の生まれ育った場所を見てみたいんだよ!」


 私はプラムとローズマリーを見上げて訴えた。


「友達で、仲間で、家族で……大好きな二人のこと、もっと知りたいから!」


 この世界を自分の足で見て回りたい……それも旅の目的の一つだけど、きっと一番の目的は二人のことを知りたいからかもしれない。もっともっと二人と仲良くなって、心と心で通じ合えたらいいと私は願ってやまなかった。


「そこまで力説されると照れちゃうですね。ねえ、プラム?」


 頬を赤らめたローズマリーがプラムに話を振る。

 しかし、プラムは私たちから顔を背けて黙っていた。


「あっ! こいつ、私より顔赤くなってるですよ! めっちゃ照れてるです!」

「おまっ……あのさ、好きとかって……そういうのはさぁ……」

「さては好きって言われ慣れてねーですね? 私も言ってやろーですか?」

「バ、バカなこと言ってないで先に行くぞ! 次の宿場も近くはないんだからな!」


 プラムがワインレッド色の髪を揺らして早足になる。

 私とローズマリーは駆け足で彼女の背中を追いかけた。

 犬姫さまに転生した私の旅は、ここからまた始まっていくのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る