第21話 約束の夜
私たちを迎えてくれた女性は見たところ20代半ばから20代後半といった雰囲気で、金属を削り出したように光沢のあるプラチナブロンドの持ち主だ。ほっそりとした目でニコニコしており、大司教という厳つい肩書きに反して人当たりの柔らかさが伝わってくる。
身につけているものはローズマリーと同じ法衣であるものの、ツヤツヤとした絹で仕立てられていたり、十字架をモチーフにした紋章がきらびやかな金糸で刺繍されていたり、目がチカチカするくらいゴージャスになっている。
それに本来は体型を隠すためのゆったりとした造りなのだが、大司教さまがナイスバディすぎて法衣に胸の形がくっきりと浮き上がっていた。プラムのおっぱいを手のひらで持ち上げられそうと表現したが、大司教さまのおっぱいは手からこぼれそうなレベルである。法衣の下にはもちろん例のぴっちりインナーを着用していて、むっちむちの成熟した女体がなおのこと強調されていた。教会のトップがこんなにセクシーで大丈夫?
「聖グレイシア大聖堂の大司教を務めさせて頂いております。リーフ・シルバと申します」
大司教のリーフさまが応接用の長椅子に腰掛ける。
瞬間、ローズマリーが彼女の隣に座って抱きついた。
「リーフさまぁ! お久しぶりですぅ!」
「昨年の卒業式以来ですね、ローズマリー」
「うううっ……リーフさまにどれだけ会いたかったことか……」
「あなたの甘えん坊なところは変わりませんね」
リーフさまは優しく微笑みながら、自分の胸に顔を埋めている(心なしか胸をもみもみしているようにも見える)ローズマリーの頭をなでなでしている。
こんな子猫のようになっている彼女は見たことなくて、私は唖然としてしまい、プラムに至ってはドン引きしているようだった。
「あぁ、ごめんなさい。こちらへおかけになって?」
「では、失礼して……」
プラムがリーフさまの対面に腰を下ろして、それから私を膝の上に乗せた。
「ローズマリーさんに同行しているプラム・バッカスと言います」
いつもは傍若無人なプラムも教会のトップが相手ではかしこまるらしい。
よくよく見ると、いつの間にか普段は隠しているロザリオを服の外に出していた。
細かいところで印象を良く見せようとしているらしい。
「ローズマリーからの手紙で活躍振りは聞いているわ。あなたのおかげで命を取り留めたことも多かったとか……」
「えっ? ローズマリーが手紙でそんなことを?」
プラムがちょっと驚いて、そしてローズマリーの方を見てニヤリとする。
リーフさまの胸に顔を埋めていた彼女は、プラムの視線に気づいて急に顔を赤くした。
「あ、あんたが不審者扱いされないように活躍を盛って報告しておいたんですっ!」
「もしかして、バッカス家のご令嬢の?」
リーフさまに聞かれて、今度はプラムが「うげっ」という顔をした。
「いや、まあ……そんな感じで……」
「あんた、貴族のお嬢様だったんですか!?」
「い、色々とあるんだよ! 色々と!」
ムキになって話をはぐらかそうとするプラム。
ナイフとフォークの使い方が上手かったり、子供の頃は教会にちゃんと通っていたり、今だって礼儀正しくできているし、育ちの良さが節々から垣間見えていたけど、どうやら彼女は本当にやんごとない生まれだったらしい。まあ、本人が肯定しているわけじゃないから、実は違うのかもしれないけど……。
「そして、あなたが犬姫さまのコムギさまでいらっしゃるのね?」
「コ、コムギさまっ!?」
慣れない呼び方をされて、私はびっくりしてしまう。
そんな私を目にして、リーフさまも「本当におしゃべりになるのね!」と驚いていた。
「は、はい……別世界の日本という国からやってきた稲葉小麦(いなば こむぎ)です。車に轢かれそうになった子犬を助けようとして、結局は子犬を助けられなくて14歳で命を落としました。そのあと、その子犬から体をもらって生まれ変わりこんな感じに……」
「まあ! やはり言い伝えの通り、わんちゃんを救おうと命をお捨てになったのですね。それに女の子の声で安心しましたが……念のため性別を確認させていただけないでしょうか? 言い伝えの通りであれば、犬姫さまはメスの犬の体で生まれ変わるはずですから……」
「や、やっぱり確認するんですね!?」
これまではあらゆる人たちに勝手に性別を確認され続けてきたけど、こうして面と向かって確認させてほしいと言われると、これはこれでかなり恥ずかしい。
私は応接用のローテーブルに上って、リーフさまの方へお尻を向けた。
「ど、どうぞ……」
「……ええ、はい。紛う事なき女の子でいらっしゃるわ」
念のための確認も済んで、私はプラムの膝の上に戻る。
人間の姿に戻れるなら、この人権無視の性別確認も今回で終わりか。
「さて、本題に入りましょう」
リーフさまがそう言った瞬間、その場の空気に緊張が走った……ように感じた。
最近流行のファンタジーRPGのように『王様が魔王にとりつかれている』みたいなパターンがあるかもしれない。ここまで案内してくれた聖堂騎士も強そうだったし、そんな展開になったら私たちは一巻の終わりだ。
「犬姫さまを人間に戻す方法ですが……もちろん存在しますわ!」
リーフさまがしたり顔で胸を張った。
彼女の自信満々の態度のおかげで空気が一気に柔らかくなる。
プラムが目を丸くして、私の体を胸に抱き寄せた。
「そうまで言うってことは、こいつは本当に元人間だったってことか……」
「プラム、まだ信じてなかったの!?」
「ゆたんぽ係のお前がなぁ……マジか……」
目をパチパチさせているプラムを見て、ローズマリーがぷっと吹き出してニヤニヤした。
「コムギちゃんを独り占めしたいからって往生際がわりーですよ!」
「あぁん? 自分の飼い犬を独占するのは当然の権利だろーが!」
「コムギちゃんは人間ですーっ! さっさと認めてくださいーっ!」
「ぐ、ぐぬぬ……」
私はリーフさんの方をちらりと見る。
てっきり呆れるのかと思ったら、彼女はむしろ楽しそうに二人の口喧嘩を眺めていた。
元教え子と新しい友人のやりとりが微笑ましいのかもしれない。
「実のところ、聖父母教会では100年前に犬姫さまを人間に戻しているのです」
「えっ!? それってマジですっ!?」
新事実に一番驚いていたのはローズマリーだった。
「そんなの聞いたこともねーですよ、リーフさま!?」
「聞いたこともないのは当然です。100年前に転生された犬姫さま……フジノさまはご自身が犬姫さまであることを隠されていました。100年前に犬姫さまが現れたこと自体、私たち代々の大司教とごくわずかな関係者にしか知られていません。世間の注目を集めて生きづらくなることを心配されていたとのことです」
フジノさまとやらの判断は賢明だろう。
私もマヨネーズは広めたいけど、自分の名前はあまり広めたくない。
「その……私もその路線がいいです!」
「ええ、もちろん。コムギさまのことは先ほど案内してもらった聖堂騎士も知りません。彼にはローズマリーが尋ねてくるのでお出迎えするように言っておきました。私の他に知っているのは信頼できる秘書の一人だけで、彼女はあなたのお世話係を務めます」
「その人が漏らしたりするようなことは……」
「あり得ませんから、ご安心ください。彼女はフジノさまをお救いした聖職者一族の生まれでして、犬姫さまの秘密を守ることに関しては徹底していますから」
「なるほど、分かりました」
そこまで言ってくれるなら信用しても良さそうだ。
犬姫さまを助けた場合について、100年前の時点でマニュアル化したのかもしれない。
「それで……人間の体に戻る方法を聞いてもいいですか?」
「はい。はっきりと申し上げますと、人間の体に戻るにはこれから数年を要します」
「すっ、数年っ!?」
私は尻尾がピンと立ってしまう。
てっきり本気モードに変身するときみたいにどろんと元に戻れるのかと思っていた。
「す、数年というのは2~3年くらい……」
「5~6年くらいと考えていただけたら……」
「だ、大学生になっちゃう!?」
それまでの間、私はずっと犬の生活をしなくちゃいけない?
長い! 長すぎる! これでは懲役刑も同然だ。
「どどど、どうしてそんなに長くかかっちゃうんですか!?」
「犬姫さまを人間に戻すには霊薬(エリクサー)という治療薬を作らなくてはいけません。しかし、このエリクサーに必要な素材は世界中に散らばっており、手に入れること自体が不可能とは言わなくても難しいものも多くて、それらを集めるだけでも確実に2~3年はかかってしまいます。さらにはエリクサーを調合して、効果を高めるためにワインのように熟成させなくてはいけません。この熟成にも最低1年以上かかります」
気の遠くなる話だ。
プラムが呆れたようにため息をついてリーフさまに問いかけた。
「そんなに時間がかかるなら、どうしてあらかじめ用意していなかったんです?」
「エリクサーは熟成させるのに時間がかかる一方で、効果を失うのも非常に早いのです。最高の効果を発揮できるのは熟成が完了したあとの1ヶ月間ほどしかありません。効果を長持ちさせる方法を研究しておくべきではあったのですが、エリクサーを作るだけでも時間とお金がかかるのにその上研究となると……」
「す、すみません。問い詰めるような言い方をしてしまいました」
リーフさまの丁寧な説明を聞いて、プラムが珍しく申し訳なさそうにする。
もしかして、長々と待つことになるであろう私を心配してくれているのだろうか?
リーフさまが改めて私の方へ向き直った。
「これから人間の姿へ戻るまでの間、私共にコムギさまを守らせていただけますか?」
長くて6年……じっとしていればリスクは最大限に減らせる。
私一人を人間に戻すため、リーフさんはどれほどの苦労をすることだろう。エリクサーを作るのだって、聖父母教会のトップである彼女ですら気軽にできないのだから、それこそ途方もないお金と労力がかかるはずだ。それを善意一つでやり遂げようとしてくれているリーフさんの優しさを無為にはできない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
深くお辞儀をして彼女の優しさを受け入れる。
こうして私たち三人の旅は終わりを告げた。
×
大聖堂に到着した夜は、私たちとリーフさま、それから私のお世話をしてくれる秘書さんを含めた5人で夕食会になった。
夕食の目玉はエディンポート名物の野菜シチューで、牛乳たっぷりのクリーミーなスープに大きめに切られたジャガイモやニンジンやタマネギがごろごろと入っている。ただし、ここな教会なのでたまごと牛乳はOKでも肉はNGだ。そのため、畑のお肉こと色々な種類の豆類がたくさん入れられていた。いわゆる精進料理だ。
ちなみに私は『犬は例外』ということで新鮮なシカの赤身肉を食べさせてもらえた。いつもはプラムとローズマリーが好き放題に食べているのを横目で見ていたので、今回ばかりは立場が逆転していた。
食事をしている間、プラムとローズマリーは「私たち、お酒を飲んだことなんて一度もありませんよ!」という顔をしていた。こういうときばっかり息をぴったり合わせる二人のことが面白くて、私はついつい吹き出しそうになってしまった。
食事を終えたあとは沐浴をして、それから私たち三人は来客用の寝室に通された。
美術館のように美しい内装をしている大聖堂であるが、寝室の内装と設備はかなりシンプルになっていた。素朴な木製のベッドには真っ白なシーツがかけられて、暖かそうな毛布が寸分の狂いもなくきっちり三つ折りにされている。小さな棚にはお決まりのように聖書が入れられていて、あとは荷物を入れておく籠と私用の小さな寝床くらいしかない。
私たちはベッドと寝床に入って、ロウソクに照らされながらおしゃべりにふけっていた。
「教会の食事ってのは味気ないもんだよなぁー」
「あれでも豪華な方ですよ。神学校の寮で暮らしていたときなんか、ゆでたジャガイモにマッシュポテトをつけて食べたりしてましたからね……」
「お前が肉と酒に溺れるわけだよ。まあ、タダで泊めてもらえるから文句は言わないが……流石にモンスターとか山賊とかを退治して、血まみれで大聖堂へ帰ってくるわけにはいかないからな。生活費も心許ないし、私は数日でここを出るよ」
「そうなるですよねぇ……」
仕方のないことだ。
ここは殺生禁止の教会なのである。旅をして、戦って、また旅をして……という生き方をしているプラムが長居できる場所ではない。たとえ押しかけ用心棒をしていても、こういうところで食い意地を張ったりしないあたり、彼女の潔さが垣間見られる。
私の犬耳がくんにゃりと垂れた。
「それじゃあ、ローズマリーはこのあとどうするの?」
「リーフさまからは予定されていた赴任先へ行くようにと言われたです。犬姫さまを送り届けるためとはいえ、本来の仕事をほっぽり出していたわけですからね。私も数日したら、ここを出立することになりそうです」
「そう……だよね……」
なんだろう、すごく胸を締め付けられる。
この二人とはいずれ別れることも分かっていたし、ちゃんと納得もしているのに……。
今はいつまでもくっついていたいような気持ちになっていた。
「今日は三人で寝たいな……」
私は自分自身の呟いた言葉にハッとする。
これでは両親のベッドに潜り込む幼稚園児みたいだ。
「あっ、やっぱり……」
「ほらよ」
プラムが私と枕を小脇に抱えて、ローズマリーのベッドに潜り込む。
ローズマリーは何も言わずにベッドの奥へ寄ってくれた。
私は二人の間に挟まって寝そべった。
「まあ、今回くらいは狭くても我慢するか」
「そんなこと言って、本当はコムギちゃんとくっつきたかったんじゃないです?」
「そっちこそ、あのいやらしい手つきでコムギを洗ってやれなくて残念だったな」
こんなときでも軽口を叩き合っている二人。
私はそんなやりとりすらも愛おしくて仕方なかった。
「ありがとう、二人とも……私、ここで頑張るから……」
「しばらくしたら会いに来るさ。滞在費をがっぽり稼いでからな!」
「私も仕事が一区切りしたら絶対に会いに来るです!」
二人の体温とにおいに包まれて、私は体の芯からリラックスする。
すると、この上ない安心感が胸の奥からあふれ出してきた。
私は新しい家族を手に入れている。
もしかしたら、私はもうエリクサーより手に入れるのが難しいものをとっくに手に入れているのかもしれない。
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