第19話 柴犬で温泉回
部屋着のガウンを脱ぎ捨て、私たちはベランダの露天風呂に出た。
空には月が昇っており、雲一つない満点の星空が広がっている。露天風呂は松明によって明るく照らされておりムードはバッチリで、こんなところに新婚旅行で泊まれたりしたら最高だろうなーと恋をしたこともないのに思ってしまった。
普段は見慣れているプラムとローズマリーの体も、こんなムーディーな雰囲気だといつにも増して魅力的に見えてくる。
日頃から防具を着込み、ロングソードを振り回しているだけあって、プラムはスポーツインストラクターのような隙のない体つきをしている。腰は綺麗にくびれていて、両手で持ち上げられそうなサイズのおっぱいはツンと上向き、お尻もボリュームがありながらキュッと引き締まっていた。
それにいつもは二つ結びにしているワインレッドの髪を下ろすと、背中が隠れるくらいに長く伸ばしていることが分かった。あまり女っ気を出さないようにしている彼女だけど、こうしているとどこのお姫様だという雰囲気だ。それに横顔を見ているとすっごい睫毛が長いのが分かる。この半端ではない素材の良さ、どこからやってきたのだろう?
ローズマリーも普段はゆったりとした法衣をかぶっているので分かりにくいが、小動物のような幼顔に反してスタイルはなかなかのものである。ほっそりとした手足にすっきりとくびれた腰回り。ぷりんとした可愛らしい小尻をしていて、まさにスレンダーとは彼女のためにある言葉に思えた。
長く伸ばした水色の髪は月明かりの下だと透き通っているように見える。光の粒子をまき散らしているかのようにキラキラしていて思わず見惚れてしまった。闇夜に舞い降りた一匹のモルフォチョウだ。こんなにも彼女が美少女であることを私くらいしか知らないのかと思うと、なんだか誇らしい気分にすらなってくる。
「さて、さっさと体を洗うか」
「このホテル、石鹸も使い放題ですよ!」
プラムとローズマリーが体と髪の毛を洗って身綺麗にする。
この世界にシャンプーやボディソープなんて気の利いたものがあるはずもなく、石鹸だって自前で用意するのが基本だ。お湯の使い放題、石鹸の使い放題がどれだけリッチなのかは、私もこのたびで痛感していた。
露天風呂に柔らかな石鹸の匂いが漂い始める。
二人は泡を流して、それから私の方へ目を向けた。
「ほら、洗ってやるから来いよ」
「は? 今日は私がコムギちゃんを洗う順番ですが?」
「ちっ……仕方ない……」
プラムが一足先に露天風呂へ浸かる。
ホテルの従業員が言った通り美肌の効果があるのか、彼女は温泉に浸した体にうっとりと見入っていた。
「ロ、ローズマリー? お手柔らかに頼むからね?」
「うへへ、了解です……」
ローズマリーの目が肉食獣のようにギラギラと輝いている。
犬姫さまに対するリスペクトがありすぎるのか、彼女は私に触れるときやたらと興奮してしまう。体をなで回されるくらいなら平気なものの、いくら犬の体を自力で綺麗に洗えないとはいえ、友達に全身を丸洗いされるのはちょっとアレだ。プラムにシャンプーしてもらっているときは、そこまで気にならないのだけど……。
私は温泉の注がれた大きなたらいに足を踏み入れる。
ローズマリーが慣れた手つきで、いよいよ私の体を洗い始めた。
「かゆいところはねーですか?」
「か、かゆいというよりくすぐったい……」
「もっと正直になって! 自分を解放して!」
「そ、そんなこと言われても……あはははっ!」
「じっとするですよ、コムギちゃん。この私に全てをゆだねるです」
「そんなっ……ことっ……言われてもっ! あはっ! はっ! はぁっ!」
私はくすぐったくて、ついジタバタしてしまう。
や、やばい……笑いすぎて腹筋が引きつってきた……。
呼吸が……上手くできないっ!
もう、我慢が――
「さあさあ、ここからが本番で……うわっ!?」
突然の出来事だった。
体の奥底から光があふれ出したかと思うと、私は戦っているわけでもないのに本気モードの姿に変身してしまったのである。
「きゃっ!? な、なんでっ!?」
私はとっさに体を手で隠す。
胸と股間は体毛に覆われているとはいえ、ぶっちゃけ私は全裸なのだ。たらいの中で小さく縮こまり、恥ずかしくて犬耳まで真っ赤になってしまった。尻尾に至っては雷に打たれたかのようにピンと逆立ってしまっている。
ローズマリーが驚きのあまりひっくり返った。
「い、い、犬姫さまモードっ!?」
「これは……あれか? ローズマリーの手つきに命を危険を感じたってことか?」
プラムがわざわざ湯船から上がってくる。
私はますます恥ずかしくなってたらいの中で体育座りをした。
「なんだよ、別に隠すことないだろ? 女同士なんだしさ」
「で、でもぉ……」
「とりあえず風呂に入っちゃえよ。いつ戻るか分からないんだから」
「うん……」
私はプラムの言うとおりに露天風呂へ浸かることにした。
湯船に足先を入れた瞬間、全身がぞくぞくっと震える。
今の私には生まれて初めてお風呂に浸かったかのように刺激的だ。
温泉の水面には真っ赤になった私の顔が映っている。よくよく考えるとこの世界で自分の顔をじっくり見るのは初めてかもしれない。頭から犬耳が生えていることを除けば、ちゃんと私自身の顔をしていた。
変わっているところがあるとしたら体つきだろう。元の世界の私はどこにでもいる普通の中学生で、これといって運動は得意ではなかった。でも、今の体はスラッと引き締まっていてプラムにもローズマリーにも見劣りしない。理想的シェイプアップだ。
プラムとローズマリーも私を挟むようにして温泉に浸かった。
「さっきはごめんなさいです……」
「気にしないで、ね? 偶然だけど人間の体で温泉に入れたんだもん」
「ううう……コムギちゃん、優しいです……あと黒髪めっちゃ綺麗です」
「ええっ!?」
髪の毛をほめられたことなんてなくて、私は犬耳と尻尾がピンとしてしまう。
日本人が海外に行くと黒髪をほめられるらしいけど、それはこの世界でも同じらしい。
プラムまで覗き込むように観察してきた。
「ふーん、髪の毛は黒だけど体毛は犬のときと同じなんだな」
「あ、あんまり見ないでよ……」
「お前、14歳だっけ? 改めて見ると結構ちっこいな」
「学校でも背の順は前の方だったけど……」
「へえ、こう見てると簡単に押し倒せそうだな」
まるで動物園のマスコットだ。
温泉とは別のベクトルでのぼせてきた。
ローズマリーはさっきから私の耳を観察していた。
「なるほど、犬耳と人間の両方があるんですね……」
「ちょ、ちょっと!? 耳に息が当たってる!?」
「あの……尻尾の付け根とかはどんな感じに……」
「そこ、お尻! ほとんどお尻だからっ!」
尻尾を動かしている筋肉やら神経やらが体の奥につながっているからか、尻尾を触られるだけでおへそのあたりがビクビクしてしまう。それにいくら本気モードで体が丈夫になっても、くすぐったさには耐えられない。
プラムまで私の腰に手を回してきた。
「それにしても、いい体してるな……元の世界でもこうだったのか?」
「い、いや……こんなにスッキリした体じゃなかったと思うけど……」
「筋肉質ではなく、むしろ柔らかい。太ももですら、もうちょっと食べた方がいいと思うくらいほっそりしている。あれほどのパワーが出るのは、やはり大量のエーテルで肉体を強化できるからか?」
「う、内ももに手を入れないでーっ!!」
ぼふんっ!?
私の体が白い煙に包まれる。
かと思うと、いつの間にか柴犬の体に戻っていた。
「ありゃりゃ、戻っちまったよ。もっと調べたかったのにな」
「触りすぎですよ! もっと赤ちゃんを愛でるように優しく繊細に……」
「うるせー! お前の手つきこそ、いやらしかったろうが!」
プラムとローズマリーが湯船のど真ん中で揉み合いを始める。
私はのぼせる前に犬かきで湯船を脱出したのだった。
×
私たちは温泉から上がったあと、ルームサービスのマッサージを受けた。
ホテルにはマッサージの得意な女性の従業員が何人もいるようで、プラムとローズマリーは温泉に浸かって暖まった体をオイルで柔らかくもみほぐされていた。私も体をもみほぐしてもらったり、毛をブラッシングしてもらったり、おかげさまで疲れも取れたし毛並みもツヤツヤのふわふわになった。
マッサージが終わったあとはプラムとローズマリー待望の飲み会タイムになった。
プラムの予想していた通り、ホテルの出してくれたワインは有名な銘柄だったらしく、二人は感動で目を輝かせながら飲んでいた。これはホテル側の好意にかこつけて、大量にワインを飲みまくるつもりなのかと思ったが、流石の二人も温泉とマッサージによって疲れがドッと出てきたらしい。ワインを1本開けたところでぐっすりと眠ってしまった。
翌朝、目を覚ましたプラムとローズマリーが露天風呂で汗を流していると、ホテルの従業員が朝食を運んできてくれた。
朝食のメニューはなかなかに豊富だ。お腹に優しくて栄養豊富な麦粥、とろとろの半熟に仕上がっている温泉たまご、カリカリに焼かれているベーコン、甘さと酸味の引き立つ焼きトマトの輪切り……食後には紅茶もたっぷりと出てきた。
ここ最近は安宿に泊まってばかりで、朝食といったら麦粥単品とか焼きジャガイモ丸かじりとかだったので、今回の朝食は本当に「栄養を取っているなあ!」と思えた。この世界の文化レベルで栄養バランスなんて概念はないだろうから、なおさら自分でしっかり栄養を取るように考えなくてはいけない。
朝食を終えるとホテルの従業員が洗濯物を持ってきてくれた。さらには石鹸やタオルやランプオイルといった消耗品を補充してくれて、おまけにお弁当も持たせてくれた。本当に旅立つのが惜しくなるサービスの充実振りである。
「なにくわぬ顔でもう1泊するか……」
「冗談言ってないで、さっさと出発するですよ」
私たちは後ろ髪を引かれながら、ホテル・エスメラルダを出立した。
ホテルの手厚いおもてなしのおかげで、私たちは気力も体力も十分にチャージされて、まるで今から新しい旅に出発するような清々しさを感じていた。
「一生に一度、あるかないかの体験だったな……」
温泉の川に沿った坂道を下りながら、プラムがしみじみと呟いた。
「あのワイン1本だけで銀貨30枚……いや、40枚……」
「げげっ!? 確かに美味しかったですけど、そんな値が張る物だったんですかっ!!」
驚きのあまりローズマリーの目が点になる。
美味しいワインが高価なのはこの世界も変わらないらしい。
「それなら無理やりにでも、もっと飲んでおきたかったですよーっ!」
「温泉とマッサージが気持ちよすぎたからな……マジで一生の不覚だ」
せっかく清々しい雰囲気だったのに酒のことで悔しがる二人。
まあ、無類の酒好きである彼女たちのことだから、いつものように酒場で飲んだらあっという間に立ち直るだろう。
しょんぼりとしていたプラムがしゃんと背筋を伸ばした。
「……それで、このあとはどこに向かうんだ?」
「ここまで来たら、目的のエディンポートにある聖グレイシア大聖堂はもうすぐです」
「もうすぐってどれくらいだ?」
「1週間は軽くかかるですね」
「割とあるじゃねーか!」
目的地まであと1週間と聞いて、否応なく期待が高まってくる。
人間の体に戻れたら何をしよう? 二人と一緒に堂々と街を歩いて、人目も気にすることなくおしゃべりして、美味しいものもたくさん食べて、おしゃれもして、あとはプラムに剣の振り方を教わったり、ローズマリーに瘴気術(ミアズマクラフト)を教わったりもしてみたい。戦うのは怖いけどモンスターの生態も気になるし、この世界のことならなんでも知りたい。あとはマヨネーズを世界中に広めたりとか……。
「そういや露天風呂で変身してたけど、あれってもう一度できないのか?」
「もしかして、また体をくすぐったら変身できないですかね?」
二人が真剣な目で見つめてきて、尻尾がピンとしてしまう。
それから何度か宿に泊まる度にくすぐられたものの、私は結局、お風呂で本気モードに変身することはできなかった。まさか、あのときのローズマリーの手つきが特別いやらしかったのが原因なのだろうか?
私はしばらくの間、くすぐられ損の日々を送ったのだった。
とほほ……。
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