第18話 温泉たまごと高級ホテルのフルコース

 にゃんにゃんアサシン教団のアジトから宿場へ戻ったあと、私たちは宿屋で3日間の休息を取ることにした。

 ヒナギクとサフランの二人と戦って、私たちはかなり消耗していた。本気モードで体が丈夫になっていた私や、瘴気術(ミアズマクラフト)で体力を使ったローズマリーとは違って、プラムはサフランと派手に殴り合ったときの怪我がある。焦っても仕方ないので、じっくりと体長が戻るのを待った。


 本調子に戻ったあと、私たちは改めて宿場を出発した。

 市場を荒らしてしまった罰金を支払ったせいで、私たちの財布は空っぽになっている。プラムは「せめて罰金の半分でもあいつらにもらっておけば……」と後悔していたが、もはやどうすることもできない。私たちはいつもの『押しかけ用心棒』で日銭を稼ぎながら、街道を進み続けたのだった。


 私はそれで問題なかったのだが、我慢できないのはプラムとローズマリーだ。押しかけ用心棒では生活費を稼ぐだけで精一杯で、お酒を飲める余裕が全然ないのである。それならガツンと大儲けできる仕事でもないかと酒場の掲示板を見てみても、凶暴化したオークを倒したときのような稼げる依頼は見つからなかった。


 さて、そんなこんなで1週間が経過した。


「ミアズマクラフト、氷結の下級術式――氷柱(アイシクル)!!」

「おらおらーっ!! さっさと死んでホロストーンになれっ!!」


 プラムとローズマリーは今日も今日とて押しかけ用心棒である。

 二人はモンスターを数匹片付けると、キャラバン隊を率いる隊長の元へ向かった。

 行商人たちを率いている隊長は妙齢の女性だった。

 馬車の中にふかふかとした絨毯を敷き、大きなクッションに肘を掛けて、優雅にワインを飲んでいる姿は、単なる商人というよりもアラブの大富豪といった風格である。しかも、ハリウッドセレブとして映画に出てきてもおかしくない美人さんだ。


「いやはや、助かった! お嬢ちゃんたちが助けてくれたのかい?」

「あ、あぁ……その通りだけど……」


 女商人の美人っぷりに気圧されたのか、むしろウェルカムな雰囲気に調子を外されたのか、プラムは少し話しづらそうにしていた。


「何かお礼をしないとな……そうだ! うちの宿に泊まるといい!」

「商人さんは宿を経営してるんです?」


 ローズマリーが小首をかしげる。

 女商人が「これまた可愛い子が出てきたね」とニヤリとした。


「これでも宿屋を何軒も経営している身でね。さあ、こいつを持っていきな。うちの宿屋ならどこでも泊めてもらえる」

「ふむ、名刺ですか……」


 ローズマリーが受け取った紙片には女商人の名前が書かれている。

 名前を目の当たりにした瞬間、彼女の目がまん丸になった。


「ははぁ! あなたが宿女王のリンネさんですか!」

「マジか! 正真正銘の大富豪じゃんか!」


 プラムも驚いているとなると相当な有名人であるらしい。

 大富豪の経営している宿屋へ招かれるなんて相当ラッキーだ。


「こいつもいるんだが大丈夫か?」


 プラムが私の体を抱え上げる。

 女商人は馬車の中から身を乗り出して私を覗き込んだ。


「可愛いわんちゃんだねえ……ほう、女の子か」

「わふっ!?」


 なんで今、性別確認したの!?

 話の脈略的に全く必要なかったよね!!


「ペット連れということなら『ホテル・エメラルダス』へ行くといい。あそこはちゃんとペット同伴でもゆっくりできる造りになっているからね。私の名刺を見せて、ゆっくり泊まっていっちゃいなよ」

「ホテル・エメラルダスといったら次の宿場で一番の高級ホテルです!」

「気前が良いな。金がカツカツだったんで助かった」


 私たちはキャラバン隊と別れて次の宿場へ向かって歩き出した。

 運良くタダでホテルに泊まれることになって足取りは軽やかだ。


「次の宿場は温泉で有名らしいからな。旅の疲れもたまってるしちょうどいいわ」

「ですです! あっ……」


 三人でスキップしている最中、ローズマリーがいきなり立ち止まった。


「ペット可とは言ってたですけど、温泉に入れるとは言ってなかったですよね」

「あっ! あぁ……」


 プラムとローズマリーが申し訳なさそうに私の方を見る。

 私はとりあえず苦笑いするしかなかった。


「ま、まあ……寝室に入れてもらえるだけマシだから……」

「いつも私たちばっかり楽をさせてもらってすまねーです」

「せめて美味いもん作ってもらうようにするから元気出せ。な?」

「な、慰められると逆につらい!」


 ペットと入浴できる温泉なんて近代的な施設、この世界にあるわけない!

 でも、大富豪の経営している高級ホテルなら、料理のおいしさとベッドの柔らかさは期待できるだろう。

 あまり高望みしないよう自分に言い聞かせつつ……しかし、心の中ではちょっぴり期待を募らせながら、私は温泉街へ足を進めたのだった。


 ×


 宿場街『スプリングス』は温泉の街らしく乳白色の湯気が漂っていた。

 街の中心には温泉の川が流れている。熱々の源泉がそのまま流れているらしく、沸騰したヤカンのように真っ白な湯気を立ち上らせていた。温泉の川を挟むようにして、宿屋や酒場や土産屋といった店が建ち並んでおり、そろそろ日が傾き始めたというのに旅人たちでわんさかとあふれかえっている。

 落下防止の柵越しに温泉の川を眺めていたら、近くで屋台を開いているおじさんが私たちに声をかけてきた。


「そこのお嬢ちゃんたち! スプリングスの温泉たまごはどうだい?」

「温泉たまご? なんだそれ?」

「そこの源泉にたまごを浸して作ったゆで卵さ」


 屋台のおじさんが柵に引っかけてある紐を引っ張り上げる。

 紐の先には籠がついていて、その中にはたまごがわんさかと入っていた。


「夕食のあてはあるですが、ちょっとこれはそそられるですねえ!」

「せっかくだから食べるかー」


 屋台のおじさんから温泉たまごを3つ購入する。

 たまごのからを剥くと、おじさんが岩塩をごりごりと削ってかけてくれた。


「せっかくだから、あそこで食べねーですか?」


 ローズマリーが指さしたのは温泉の川に併設されている足湯だった。源泉と井戸水を混ぜてほどよく温度調整してあるらしく、電車の車両1台分くらいありそうな広さの足湯に旅人たちが気持ちよさそうに足を浸している。ペットはもちろん入れないので、足湯を堪能するのはプラムとローズマリーに任せた。


「はぁー、早く全身温泉に入りたい」

「疲れが足の裏から抜けていくですねえ……はい、コムギちゃんどうぞ」


 ローズマリーの手から温泉たまごを食べさせてもらう。

 ぱくっとかじった瞬間、濃厚な黄身の味が口いっぱいに広がった。これは見事な半熟! 岩塩の旨みを感じる塩気が、ねっとりした黄身の旨みを引き出している。旨みと旨みのコンビネーションだ。ここまで美味しく感じるのは温泉の魔力なのか……いや、そもそもこの卵自体がかなり美味しい。TKGにでもしたいくらいだ。


「これ、美味かったなー。もう一個くらい食べたい」

「ここは我慢しておくですよ。夕食が入らなくなるです」


 私たちは足湯をあとにして、温泉の川沿いに緩やかな坂道をのぼる。

 歩き始めて数分、ひときわ豪華な宿屋が見えてきた。

 外観は完全に小さめのシンデレラ城だ……いや、ラブホテルとか言ってはいけない。真っ白な石造りの外壁に青色の三角屋根。前庭には温泉を利用した噴水があって、停められている馬車がカボチャの馬車に見えてくる。となると、着の身着のままやってきた私たちは魔法をかけてもらう前のシンデレラ……なのかな?


「ここまで豪華だとなーんか気後れするですね……」

「こっちには招待状があるんだ。入るぞ!」


 プラムを先頭にホテルへ足を踏み入れる。

 ホテルの内装も外観に劣らず豪華の一言だ。エントランスの天井には宝石をちりばめられたように輝いているシャンデリア。足下に敷き詰められた絨毯は芝生くらい深くて、いっそのこと廊下で寝ても問題ないほどだ。壁に掛けられた銀製の燭台はぴかぴかに磨かれており、静かに揺らめいているロウソクの炎すら品がある。


 執事のようなパリッとした服装の従業員たちが私たちを出迎えた。

 女商人の名刺を見せると、荷物を持って部屋へ案内してくれた。

 私たちが通されたのは1階にあるワンルームだった。部屋はこぢんまりとしているけれど、ティーテーブルや化粧台が置かれている様子はさながらお姫様の寝室だ。部屋の中心にはキングサイズの天蓋付きベッドがどーんと鎮座している。ティーセットに茶菓子、アロマキャンドル、部屋着のガウンとアメニティグッズも納得の充実振りだ。

 案内するなりに従業員が申し訳なさそうに一礼した。


「お客様、申し訳ございません。現在、当ホテルは全室満席の状態でして、普段は経営者やその知人が利用しているこの部屋しか空いていないのです。よろしければ、サイズの小さいものになりますがベッドをもう一つ運び込みますが?」

「あー、なるほど。あの人が個人的に使ってる部屋なのか」

「ベッドは運び込まなくてもへーきですよ。私たちには広いくらいです」


 実際のところ、キングサイズのベッドは三人で川の字に寝ても余りそうなくらいだ。

 従業員は「かしこまりいました」とうなずき、それからベランダの方へ向かった。


「こちら、専用の温泉でございます」


 部屋の外へ出てみると、そこは露天風呂になっていた。

 ドラゴンの形をした石像の口から、汲み上げられた温泉が掛け流しにされている。湯船は大理石を組み上げて造られたもので、たっぷりの温泉がもわもわと湯気を上げていた。周囲は高い柵で囲われており、覗き見される心配はない一方で、柵からちょっと身を乗り出すと宿場の町並みと温泉の川を一望できるようだった。


「スプリングスの温泉には美肌の効果があると言われています。温泉が肌に触れると少しぬるぬるとした感じになりまして、肌の硬くなってしまった部分を柔らかくしてくれます。ですからして、お風呂上がりには赤ちゃんのようなつるつるの肌になりますよ」

「美肌か……」

「ほほーう。流石のプラムも美肌効果には興味ありですか」

「い、いいだろ、別に!」


 プラムとローズマリーがテンション高めに乳繰り合う。

 こういうところは年頃の女の子らしい。


「もちろん、お連れのわんちゃんも一緒にお入りいただけますよ」

「わんっ!?」


 思わぬサプライズに思わず犬語が出てしまう。

 感動してぷるぷるしている私をプラムとローズマリーがなで回した。


「よかったな、コムギ! 今日は三人でじっくり浸かれるぞ!」

「いやはや、至れり尽くせりですねえ……」


 従業員の説明を聞き終えて、私たちはひとまずくつろぐことにした。

 プラムとローズマリーは用意されたガウンに着替えた。ちなみに脱いだ服はホテルのサービスで洗濯してもらえることになった。いつも夜な夜な洗濯しては部屋に干していたので、二人は小躍りするほどありがたがっていた。


 そうこうしているうちに夕食の時間になって、台車に載せられた豪勢な料理が次々と運ばれてきた。テーブルに並べられた料理の数々は、グルメ番組でしか見たことのないフランス料理のフルコースそのままだ。


 前菜のサラダはみずみずしくシャキシャキで、宿場の畑で摘んだばかりのものを使っているらしい。クリームスープは野菜の甘みとカニの旨みがまろやかに調和している。そば粉をクレープのように薄焼きしたガレットは外はパリパリ、中はふんわりで、ナイフを入れた瞬間に熱々のチーズが溶け出してきた。

 メインディッシュは牛肉の赤ワイン煮込みで、よく煮込まれているから口の中に入れただけでほろほろとこぼれる。飴色に炒められたタマネギの甘みに赤ワインの風味が深みを与えて、にんにくと香草が濃厚なソースを引き締めメリハリを生んでいた。付け合わせのさっぱりとしたマッシュポテトとの相性も抜群。牛肉と一緒に煮られているマッシュルームも丸々としていて食べ応えがあった。


 というのはプラムとローズマリーの感想である。

 私は私でたっぷりの野菜盛りとローストビーフを頂いた。

 こちらもこちらで抜群に美味しかったので大満足だ。


「どれもこれも赤ワインと合いすぎるだろ!」

「本格的な飲みはあとにとっておくですよ」


 食事を終えた二人はキングサイズのベッドでごろんと横になった。


「食前酒とは比べものにならない高級ワインを出してくれるらしーですからね」

「産地、どこだろうな……サンティアーノかゴールドヒルズか……」

「酒については随分と詳しいですねー」

「金は全部、酒に突っ込んできたからな。いつか産地を全部制覇してやる」


 それからしばらく、プラムとローズマリーはお酒談義に華を咲かせた。

 節約&禁酒生活が続いていたのでテンション上がりっぱなしである。

 そうして満腹感も落ち着いてきた頃、二人はベッドから起き上がった。


「よし、風呂の時間だ!」

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