第17話 どうぶつ姫さま対決

 十字架にかけられたようなポーズで空中に浮き上がり、目からレーザービームのような光を放っている三毛猫。

 宇宙猫を彷彿とさせる神々しすぎる光景を目にして、私たちは思わず息を呑む。

 目から放たれていた光はいよいよ全身からあふれ出し、ヒナギクの全身が天を突く光柱に包まれたかと思うと、彼女の姿は三毛猫から女性へ変貌した。


 本気モードになったヒナギクが地に降り立つ。

 第一印象は舞台に降り立った大女優。背丈はプラムよりさらに高く男性顔負けで、背筋は糸で吊られているようにピンとしている。いわゆるモデル立ちというやつで、高身長と相まって立ち姿に迫力と品があった。

 体の奥底からあふれ出る光の中で、ふわっふわのブロンドヘアーがなびいている。麦畑が波打つように揺れている金髪の中に一筋だけショッキングピンクのエクステが混じっていた。大学生なだけあって、転生前はおしゃれに気を遣っていたらしい。

 頭には三毛猫の猫耳、両手足には肉食獣らしさのある獣の爪、お尻にはしなやかな猫の尻尾が生えている。ふさふさとした体毛で隠されている胸は、しかしハッキリとかなりのボリュームがあるのが一目で分かった。


 ヒナギクが自分の体を確かめるように手を握ったり開いたりする。たったそれだけの動作からも強者の風格があふれていて、危機感を刺激されてしまったのか、ローズマリーが反射的に呪文の詠唱を始めていた。


「瘴気術(ミアズマクラフト)、光の中級術式――聖槍(ランス)!!」


 ローズマリーの杖から光の槍が放たれる。

 並のモンスターなら一撃で倒せるほどの威力を持つエネルギーのかたまり。

 しかし、それはヒナギクの中からあふれ出す光によって一瞬でかき消された。


「ほ、ほーう……あんたもコムギちゃんと同じってわけですか」


 ローズマリーが信じられないものを見たかのように苦笑する。

 私も自分の本気モードと同じ強さの敵と戦うなんて、ハッキリ言って血の気が引ける。私自身、どれくらい力が秘められているのか未だに分かっていないし、フルパワーを出したら何が起こってしまうか予想がつかない。


「瘴気術(ミアズマクラフト)、守りの中級術式――障壁(ウォール)!!」


 ローズマリーの杖から光が放たれ、半球状のバリアが展開される。

 モンスターが体当たりしてもビクともしないミアズマクラフトなのだが、


「ふふふ、これで逆転ね」


 ヒナギクはちょっと手で押しただけでバリアを粉々に砕いてしまった。

 バラバラになったバリアの破片が光の粒子になって霧散する。


 光の槍がかき消された時点で、この結果は覚悟できていたのだろうか……ローズマリーはその光景を目の当たりにしてもひるまなかった。

 腰から提げている袋に手を突っ込み、こぼれおちるのもお構いなしでホロストーンをつかみ取ると、ミアズマクラフトで光の槍を連射する。しかしヒナギクに避ける素振りはなく、それどころかシャワーでも浴びるみたいに仁王立ちしていた。


 ヒナギクが余裕の表情でゆっくり近づいてくる。

 まるでミサイルもビームも効かない怪獣のようだ。


「おっと……そこからは一歩も進ませねーです!」

「ふうん、あなたにこれ以上何ができるの?」

「いや、実を言うともう間に合ってるです」


 ローズマリーの言った通りだった。

 ヒナギクの注意を彼女が引きつけてくれている間、プラムが私のところまで這ってきてくれていたのである。

 プラムは「首輪とか縄とか着けられてるんだと思ってさ」と分厚いナイフを取り出し、私の首にはめられていた首輪を切断してくれた。

 体内のエーテルを枯渇させるというエーテルドライから解放されたことで、私は体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じていた。


「あっ……いつの間に!」


 目をパチパチさせているヒナギク。

 私はプラムとローズマリーの前に躍り出た。


「ローズマリー、プラムを回復してあげて!」

「分かったです! コムギちゃん、頼んだですよ!」


 ミアズマクラフトを立て続けに使用したせいで、ローズマリーはあっという間に汗だくになっていたけれど、すぐにプラムを治癒の術式で治療し始めてくれた。


 私は胸の奥に意識を集中させる。

 変身のコツはグレイウルフの森ですでにつかんでいた。

 傷ついた仲間を守るため……そして圧倒的な脅威に対抗するためなら、私はいつだって本気になれる。


 ヒナギクのときと同じように私の胸の奥から光があふれ出してきた。

 真っ白な光の中で私の体が柴犬から少女へと変身する。極限に高まった集中力によって、人間になった私の体から犬耳や爪や尻尾、そして体毛が生えてくるのが認識できた。体内に収まりきらないエーテルが全身からあふれ出しているのが分かる。このままではあふれるだけでは間に合わず、もてあました力が爆発してしまいそうだ。


「あなたもやっぱり変身できるのね」


 ヒナギクがうっとりと頬を赤らめた。


「いいわぁ! 一度、全力を出してみたかったの!」

「そんな不純な気持ちで力を使って! 私はあなたをこらしめる!」


 私は右腕を振りかぶりながら突進する。

 ヒナギクも同じように右腕を振り上げて突っ込んできた。

 私たちの放った右ストレートパンチが拳と拳で衝突する。

 瞬間、ダイナマイトでも爆発したんじゃないかと思うような衝撃波が中庭を襲った。

 戦いのダメージで動けないプラムとサフラン、そして治療中のローズマリーが神殿の建物の中まで吹っ飛ばされる。地面に生えていた雑草はことごとく消し飛び、拳と拳がぶつかり合った爆心地は赤茶けた土が剥き出しになった。


 これでも私は全力を出していない。

 ヒナギクも腕試しのつもりだったのか、余裕そうにニヤリと笑っていた。

 ここで彼女を暴れさせちゃいけない。

 殴り合って吹っ飛んだりしたら、神殿の壁を突き抜けたり、石柱をへし折ったりしてしまうかも……そうなったらプラムたちも巻き込んでしまう。


 私はプロレスラーが力試しをするみたいにヒナギクの手をつかみ、フルパワーで押し倒そうと試みた。

 しかし、小柄な私と長身のヒナギクでは20センチくらい身長に差がある。秘められている能力が同レベルなら、決め手になるのはやはり体格の差なのか、私の方がじりじりと押し倒され始めていた。


「コムギはちっちゃくて可愛いわね。あなたはやっぱり私と一緒にいるべきよ」

「わ、私は……人間に戻りたいし、ヒナギクのことも人間に戻したい……」

「本当に人間へ戻る方法なんてあるのかしら? あの聖職者の言っていること、どれだけ信じられるの? 証拠はあるの?」

「私は信じてる! それに行ってみなくちゃ何も分からない!」


 力負けして地面に膝をついてしまう。

 すると、ヒナギクは何故か私の手からパッと手を離した。


「周りに被害が出ないようにすればいいわよね?」

「えっ――」


 ヒナギクが不敵な笑みを浮かべたかと思うと、彼女はサッカーボールでも蹴るように私を蹴り飛ばしてきた。

 私の体は花火を打ち上げるみたいに真上へ吹っ飛ばされる。

 神殿の白い屋根が一望できるほどの高さまで到達したところで、全力でジャンプしてきたヒナギクが追いついてきた。

 振り下ろされる右の拳。

 全力のパンチを背中に食らって、私は真っ逆さまに地面へ叩きつけられた。

 隕石が落下したみたいに地面にクレーターができあがる。

 凶暴化したオークに石斧で殴られたときは痛くもかゆくもなかったけど、今回ばかりは呼吸もできないくらいに痛かった。大型トラックに轢かれたときに痛覚が残っていたら、今と同じくらいに痛かったかもしれない。


「あっ……ぐっ……」

「ここら辺で終わりにしましょう。勝負ありよ」


 私のすぐそばにヒナギクが着地する。

 地面に叩きつけられた私は泥まみれで、その一方で彼女は今も神々しく輝いていた。


「プラムと……ローズマリーは……見逃して……」

「み、見逃してって……別にあの子たちを傷つけるつもりは最初からないわよ!」

「……よかった」

「私は犬姫だけがちやほやされるのを指をくわえて見ているのが嫌なだけよ。そりゃあ、自分の言ってることが頑固だってことは分かってるけど……でも、本当に人間へ戻る方法があるかなんて分からないし、あの子がアサシン教団の人間だったことは変わらないし……」


 ヒナギクが今までに見せたことのない寂しげな表情を浮かべる。

 彼女はみぞおちを押さえながら倒れているサフランを見やった。

 宿場の教会でネズミか何かみたいに扱われているのを見ていたら、ヒナギクが聖職者たちを信じられなくなった気持ちも分からなくはない。ローズマリーのように話が通じる人ばかりではないだろう。

 そうだとしても、やっぱり私の気持ちは変わらないし諦めない。


 私は戸惑いを見せたヒナギクの隙を突いて、飛び起きると同時に彼女のあごめがけてアッパーカットを放った。

 今度はヒナギクの体が花火の如く天高らかに打ち上げられる。

 私は真上に向けて右腕を突き上げた。

 本気モードに変身するのに体内のエーテルを使っているのなら、エーテルを必要とするミアズマクラフトを私も使えるということになる。練習したわけでもない完全なぶっつけ本番になるけど、それでも私は本能で可能なことを感じ取っていた。


「これで終わり!!」


 突き上げた右腕から膨大な量のエーテルが放出される。

 炎にするのでも、氷にするのでも、光の槍にするのでもない力そのものをぶっ放した。

 太陽を消し飛ばせるほど巨大なレーザービームがヒナギクに襲いかかる。

 彼女の姿は光の奔流に飲み込まれて一瞬で見えなくなった。


 光の奔流は5秒……10秒……1分を超えてもエーテルは尽きる気配がない。

 私は自分の右腕を左手でつかみ、無理やりエネルギーの放出をストップさせた。

 上空に打ち上げられたヒナギクの体が真っ逆さまに落ちてくる。

 私はぐったりと脱力している彼女をできるだけ優しく受け止めた。


「ナ、ナイスキャッチね……」


 ヒナギクが辛そうに顔を歪めながらも微笑みかけてくる。

 命に別状はないようで私はホッと胸を撫で下ろした。

 それと同時に私たちの体が元の柴犬と三毛猫に戻ってしまう。

 ヒナギクを受け止めたところで私の体力も空っぽだ。

 プラムとローズマリーが私の方へ、サフランがヒナギクの方へ駆け寄ってきた。


「平気か、コムギ!」

「う、うん……プラムこそ大丈夫?」

「マリーが回復してくれたからな。しばらくは保つさ」

「プラム、いつの間にかマリーって呼んでるね」

「あぁ? そ、そんなことは今関係ないだろ!」


 気恥ずかしそうにプラムが顔を背ける。

 そんな彼女を見ながら、ローズマリーがくすくすと笑っていた。


「コムギちゃんがいない間、プラムは私よりも取り乱してたです。ゆたんぽの代わりになれとか言って、私のベッドに潜り込もうとしてきたりとか――」

「おい、やめろ! 殴るぞ!」


 二人の掛け合いを聞いていると疲れた体に元気が湧いてくる。

 やっと家族の元に戻れたんだという実感が湧いてきた。


「猫に戻っちゃったッスね、教祖さま。でも、こっちの姿も可愛いッス!」


 サフランがくたくたになっているヒナギクを抱き上げる。

 それから、辛抱たまらずといった感じに何度もほおずりをした。


「……ま、今回は私の負けね」


 ヒナギクが潔い態度で……しかし、ちょっぴり悔しそうに言った。


「好きなところに行っちゃいなさい、コムギ」

「よかったら、ヒナギクとサフランも――」

「私たちは私たちなりに人間に戻る方法を探すことにするわ。この国の各地にあるアサシン教団のアジトには、今も聖父母教会の知らない過去の文献が残っているはず。私たちはそれを追ってみるつもりよ」


 みんなで仲良く、というわけにはいかないらしい。

 でも、ヒナギクが一歩踏み出してくれたことが嬉しかった。


「ここを離れるとなると寂しくなるッスね。でも、二人旅も楽しそうッス」

「あれっ? 他の信者の人たちは?」

「そんなのいないッスよ。コムギちゃんを警戒させるための嘘ッス」

「ええっ!? それじゃあ、どうやって一人で私を見つけたのっ!?」

「そんなの片っ端から野良犬に話しかけまくったに決まってるじゃないッスか」


 あっけらかんと言い放つサフラン。

 てっきり信者たちを総動員して情報収集していると思ったのに……。

 プラムとローズマリーも開いた口がふさがらないようで、ヒナギクは「こういう子なのよ」と苦笑いしていた。


 さて、これでひとまずは一件落着である。

 ローズマリーがサフランにも回復の術を施してくれたり、戦いの衝撃で吹き飛ばされた荷物をみんなでかき集めたりして、私たちは出立の準備を整えた。

 いざここを離れるとなると少し寂しい気持ちになってしまう。プラムとローズマリーの二人と離ればなれになってのは辛かったけど、ここにいる間も楽しいことはいくつもあったし、何より同じ境遇のヒナギクと出会えたのは嬉しかった。


「二人とはまた会いたいな。そのときは喧嘩はナシね」

「人間に戻る方法を探していたら、自然と行き会うこともあるかもしれないわ」

「私は剣士ちゃんとまた勝負したいッス!」

「け、剣士ちゃんっ!?」


 可愛らしい呼び方をされて、プラムがぷいっと背を向ける。

 それから、私の体をいつものようにひょいと抱き上げた。


「ほら、さっさと帰るぞ! 回復の効果が切れて動けなくなったら大変だからな」

「どうしても困ったら、エディンポートにある聖グレイシア大聖堂を頼るといいですよ! 大聖堂の大司教さまはアサシン教団だからって追い返すような人間じゃねーです。私たちもその人に会いに行くところです。きっと助けてくれるはずですよ!」

「参考までに聞いておくわ」


 ヒナギクとサフランに見送られながら、私たちは教団のアジトを出立した。

 人間の体に戻りたいのは確かだけど、プラムの腕に抱かれるのは本当に心地よい。

 こればっかりは犬になってよかったと思う。

 私たちの背後からはヒナギクとサフランの話声が聞こえてきた。


「もう教祖さまって呼ばなくていいわよ。教団ごっこも飽きてきたわ」

「よろしくッス、ヒナちゃん!」

「順応するの、早っ!? ちょっとはためらいとかないの!?」

「教祖さまよりもヒナちゃんの方が可愛いッス!」


 あの二人なら心配なさそうだ。

 そんな風にホッとしていると、プラムがローズマリーに問いかけた。


「お前、いつもみたいに自分にも抱っこさせろって言ってこないな?」

「そりゃあ、わざわざ言う必要はねーです」

「なんで?」

「どうせ回復の術式の効果が切れたら、プラム2~3日は動けねーですからね。その間、私はコムギちゃんを独占させていただくですよ」

「くそっ、そうだった……温泉にでも入って休みたくなってきた……」


 私たちは笑い合いながら宿場への道を進む。

 寄り道してしまったけど、さあ旅の再開だ!

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