第13話 狙われた犬姫さま
「もしもーしっ!! 返事してくださいッスーっ!!」
通行人たちから奇異の目を向けられているのも意に介さず、女の子は抱き上げた野良犬に向かって問いかけ続けている。
大声で怒鳴られていると思ってたらしく、野良犬の顔はしわくちゃになっていた。
犬に向かって大声で話しかける女の子なんて、通行人したらめちゃくちゃにバカっぽい光景かもしれない。しかし決して侮れない。彼女は明らかに人間と話せる犬を……それも犬姫を探しているようだった。もしかして、人間と話せる犬が噂になっているとか?
女の子はミステリアスな紫色の髪をさっぱりとしたショートカットにしている。短くした髪も相まって、彼女の顔立ちは実にボーイッシュ……無邪気……おバカっぽい……いや、こういう表現はよくない。でも、道のど真ん中で犬に話しかけるのは流石に……。
そんな男子小学生然とした彼女であるものの、服装はかなりセクシーに見える。ローズマリーのようにぴっちりとしたインナーを着ていて、その色はなんと黒! 革製の胸当てを身につけて、同じく革製のホットパンツを穿いているものの、どちらも体のラインを隠すどころかくっきりと強調していた。地面につくほど長いマフラーはほっそりとした首を守ってくれているものの、全体的なコーディネートはとても彼女の趣味には見えない。
女の子がようやく野良犬を解放する。
いやいや、見入ってる場合じゃない!
私は急いで武器屋の中へ戻ろうとしたのだが、
「はいはい、逃げない逃げない」
気づいたら女の子の腕に抱き上げられていた。
あまりに一瞬のこと過ぎて、度肝を抜かれる。プラムもローズマリーもファンタジーRPGに出てくるキャラの如く華麗に戦うけども、この女の子の動きはさながらバトル物の少年漫画のように素早かった。
「わんわんわんっ!! わんわんわんわんっ!!」
私は助けを求めようと吠えまくる。
すると女の子は何を思ったのか、いきなりその場から走り出したかと思うと、垂直の壁を駆け上がるようにして武器屋の屋根にのぼってしまった。
この身体能力……まさか、本当に例の……。
「あらよっと! あ、ちゃんと女の子じゃないッスか!」
女の子が何気ない動作で、私の下半身をパカッと開かせる。
股の間を冷たい風が通り、私は反射的に叫び声を上げていた。
「やめて、バカ!! あっ……」
キョトンとした女の子と目が合う。
焼け石に水とは思いながらも、私は「くぅーん、くぅーん」と甘え声で彼女の顔を舐めた。
人間なら他人様の顔を舐めたりしませんよ?
あなたもそう思いませんか?
私の主張になんて聞く耳を持たず、女の子は空が晴れるような笑みを浮かべた。
「見つけた! 犬姫さまッス!」
「プラム!! ローズマリー!! 助けてっ!!」
なりふり構っていられず、人間の言葉で助けを求める。
武器屋の外に飛び出してきて、私を探していた二人が同時に振り返った。
「マリー、上だっ!!」
「げっ!? アサシン教団のエロい黒タイツっ!?」
追っ手に見つかったと分かるや否や、アサシン少女が隣の宿屋に飛び移る。
武器屋は1階建て、宿屋は2階建てだというのに高低差をものともしない。
アサシン少女の腕の中で必死に暴れ回ろうとする。
しかし、私の体はぬいぐるみになったかのように力が入らなくなっていた。それどころか声すらまともに出せなくて、かすれた呼吸音が繰り返されるだけだ。体の奥底から力を振り絞ろうにも、自分の体がちゃんと実在するのかも分からないくらいふわふわしている。変身するどころか何一つ抵抗できない。
アサシン少女が少年のように屈託のない笑みを浮かべた。
「ちくっとしました? しびれる程度の毒なんで安心ッスよ!」
「かひゅ……ひゃひゅっ……」
安心なんてできるかーっ!!
それちゃんと犬の体に転生した人間用に調合してある!?
ないでしょっ!!
「そんなに見つめられたら照れちゃうッスよ」
アサシン少女は的外れなことを言いながら、屋根から屋根を飛び移り続けている。
プラムとローズマリーは通行人をかき分けながら、なんとか追いかけてくれていた。
私たちは宿場の中心にある広場にさしかかる。
アサシン少女は建物の屋根から、広場に建てられている街灯に向かって跳躍した。
「瘴気術(ミアズマクラフト)、神罰の下級術式――束縛(バウンド)!!」
ローズマリーの杖から一筋の光が放たれる。
光線は生き物のようにうねりながらアサシン少女を追尾した。
「余裕ッスね!」
体操選手のように空中で体をひねり、アサシン少女が追尾してきた光線を避ける。
広場に停めてあった荷車を踏み台にして飛び上がり、
「逃がすかッ!!」
プラムが宙返りを決めるアサシン少女の足をつかんだ。
私もろとも二人は果物を売っている屋台に突っ込む。
レモンにオレンジにマスカット……色とりどりの果物が花火のようにまき散らされた。
広場では青空市場が開かれており、いきなりの大捕物で騒然となる。
同時に起き上がる二人。
私は未だにアサシン少女の腕の中にいた。
「あたた……思ったよりやるッスね……」
「コムギを離せ、犬泥棒!」
プラムが愛用のロングソードを抜いて斬りかかる。
大丈夫!? それ私に当たらない!?
アサシン少女はキュッとお尻を引き締めるように身構えたかと思うと、レザーブーツの靴底でロングソードの刀身を蹴り上げた。
パキッ甲高い音を立てて、つららでも折るみたいに刀身が真っ二つになる。
今まさに買い換えようとしていた愛剣……タイミングが悪すぎた。
アサシン少女はそのまま身をひねって、プラムの胸に向かって回し蹴りを叩き込む。
プラムはみぞおちのあたりを蹴り飛ばされて、八百屋の屋台を巻き込みながら勢いよく吹っ飛んでいった。
「ミアズマクラフト、神罰の――ぶべらっ!?」
アサシン少女の投擲した林檎が詠唱し始めていたローズマリーの額を直撃する。
ふらふらと地面に倒れ込むローズマリー。
その場をあとにするアサシン少女に向かって、
「コムギーっ!! 絶対に助けるからなーっ!!」
野菜の山から這い出してきたプラムが叫んだ。
目の前で起こったことが信じられない。
私を人質に取られているとはいえ、あの二人が一瞬で負けた。
あの最強コンビが……。
「きみ、コムギちゃんって名前なんスね?」
建物の屋根を飛び移りながら、アサシン少女が無邪気に微笑みかけてきた。
「先に言っておくのを忘れてたッスけど、犬鍋にして食べたり、見世物小屋に売ったりするのが目的じゃないので安心してほしいッス。こちらにはむしろ、おもてなしの準備があるので期待してもらいたいッスよ」
おもてなしするつもりなら、何故連れ去る!
あれこれ言いたいことはあるけど、上手く口が回らない。
アサシン少女は宿場を囲っている壁すらも悠々と飛び越えると、道端の木の幹に繋いであった馬にまたがって街道を走り始めた。
彼女の巻いているマフラーが鯉のぼりのようにたなびいている。
悔しいことにこれまた手綱さばきが上手い。
「あ、ありゃ……」
体はしびれたままだけど、かろうじて舌は回ってきた。
「ありゃりゃのもくれきはにゃんらの!?」
「目的ッスか? そういう難しいことは、うちの教祖さまに聞いてほしいッス!」
教祖……ということは、この子はやはりアサシン教団のアサシンなのだろう。
連れ去られた子供が暗殺者に仕立て上げられているという話だけど、もしかして教祖とやらに洗脳されているのだろうか?
というか、1年前に壊滅したはずのアサシン教団が犬姫さまを必要とする理由って?
何もかも謎だらけすぎて頭が重くなってきた。
アサシン少女にだっこされっぱなしで全身がポカポカして仕方ない。
ううっ……意識が遠のいてきた……。
せめて、どこへ連れて行かれているのかくらい覚えておかないと……。
「あれ? 眠くなってきちゃったんスか? これからしばらく走りっぱなしなんで、眠っちゃっても大丈夫ッスよ! せっかくなんで子守歌を歌ってあげるッスね。うなぎの親子はめっちゃぬるぬる~♪ つかんでもつかみきれない~♪ まるで私から逃げるあなた~♪」
な、なにその子守歌……。
私の意識はアサシン少女のアホアホな歌声に吸い込まれていった。
×
「帰ってきて、あなた~♪ 私が全面的に悪かったわ~♪ レシピ通りに料理しないで勝手にアレンジするのも謝るから~♪」
アサシン少女のアホアホな歌声で目を覚ます。
彼女は私をだっこして、暢気に歌いながら歩いていた。
寝たままの振りをして周囲を観察する。
どれくらいの時間が経ったのか、どれくらいの距離を移動したのかは分からないが、私は神殿調の建物に連れてこられていた。
マーブル模様の大理石で造られた建物で、2階建ての建物に匹敵するくらい天井が高く、その天井を支えている石柱は巨木の幹のように立派だ。しかし、床には足跡が残るくらいにほこりが積もっている。石柱にかけられている燭台には溶けたロウソクがこびりついていて、まともに人が住んでいるようには見えなかった。
ここがアサシン教団のアジトなのだろうか……。
窓を塞いでいる木の板がつっかえ棒で押し上げられている。
そこから草がぼうぼうに生えた外の風景が覗いていた。
もしかしたら逃げられるかも!
私は思いきって、アサシン少女の腕の中を飛び出した。
「ぐえっ!?」
勢いよく飛び出したのはいいものの、空中で首を引っ張られて地面に叩き落とされる。
私の首にはいつの間にか、革製のしっかりした首輪がはめられていた。
首輪って……人間なら犯罪でしょ!?
慌てて首輪を外そうとしてみたけど、子犬の肉球では手が引っかかりすらしない。それならリードの方を……と思って噛みついてみたが、ヒモの中に鋼鉄製のワイヤーでも編み込まれているのか、私の噛みつき力ではビクともしなかった。
「あっ! 起きたんッスね!」
「シャッ!!」
身も心も犬になりきり、アサシン少女の太ももめがけて飛びかかる。
ここは革製のブーツにもホットパンツにも守られていない部分。
私は心を鬼にして太ももに噛みついた……が、黒インナーに牙を阻まれてしまった。
単なるエッチなタイツかと思ったら、びっくりするくらい歯が通らない。
「ちょっ……いきなり甘噛みはやめてくださいッス!」
甘噛みじゃなくて本気噛みだ!
でも、これくらいで諦めていられない。
今は連れ去られたときと違って、全身にちゃんと力が入る。
本気モードに覚醒してやろうと、私は胸の奥に意識を集中させた。しかし、自分の体から心臓が抜け落ちてしまったかのように力の入れ所が分からない。もしかしたら力は入っているのかもしれないが、エネルギーが全然湧いてこなかった。
「変身はできないッスよ。エーテルドライしてあるッスから」
「エ、エーテル……」
この子、私が変身できることまで知ってるの!?
もしかしたら、犬姫さま伝説についてはローズマリーよりも詳しいかもしれない。
「エーテルドライは体内のエーテルを枯渇させたり、エーテルの通りを悪くする技術で、つまりは瘴気術(ミアズマクラフト)や魔法が使えなくなるッス。その首輪をしている限り、コムギちゃんは変身できないッス」
私の変身にはエーテルの力が関わっていたのか……全然知らなかった。
でも、この首輪を外せれば変身できると判明しただけでも今はありがたい。
この子、かなりのおしゃべりみたいだし、他にも色々と聞き出せそうだ。
リードに引かれてアサシン少女の背中を追いかける。
廊下の突き当たりにある両開きのドアを押し開けると、その向こうからふんわりとした花の香りが漂ってきた。微かにハチミツのような甘さも混じっている。きっとアロマキャンドルを焚いているのだろう。
「教祖さまー! 犬姫さまを連れてきたッスよー!」
アラシン少女が元気に報告しながら部屋に入る。
教団の構成員も幹部も通さず、いきなり教祖自ら出てくるとは……それほど犬姫さまの存在を重要視しているのだろうか。
生唾を飲み込みながら部屋の中に踏み入る。
部屋はいわゆる寝室であるらしく、ドアの正面奥には天蓋付きのベッドが置かれており、足下には黒いツヤのある絨毯が敷かれていた。神殿の廊下よりは綺麗にされているものの、ベッドも絨毯も部屋の隅に置かれている調度品も所々ボロい。床には空っぽのワインボトルや脱ぎっぱなしの服がそのまま放置されていた。
なんだろう、この生活感にあふれている雰囲気は……。
妙な空間に戸惑っていると、1匹の猫がベッドの上へひょいとのぼってきた。
野良でもよく見るような三毛猫だ。
でも、この世界に来てからは三毛猫なんて見かけていないような――
「よく来たわね! 私たちの『にゃんにゃんアサシン教団』へ!!」
やけに自信たっぷりな女性の声。
それは紛れもなく、ベッド上の三毛猫から発せられていた。
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