第12話 ニジマスの炭火塩焼き

「するとつまり、コムギの世界にはモンスターがいない代わりにホロストーンも瘴気術(ミアズマクラフト)も存在しないのか?」

「そうそう」

「ははぁ……そりゃあ安全だけど不便そうだな」


 グレイウルフの森で狼神さまにしゃべれるようにしてもらってから1週間、私たちは宿場を点々としながらくねくねとした山道を歩き続けている。

 以前は暇で暇で仕方なかった道中も、三人いると話すことが尽きなかった。

 今日もこうしておしゃべりしながら次の宿場を目指している。

 プラムが不思議そうな顔をして聞いてきた。


「それじゃあ、街の明かりとかどうなってるんだ?」

「あー、そういうところが気になるんだ」


 この世界の街灯には加工されたホロストーンが入っている。

 ホロストーンを構成しているエーテルが、暗くなると自動的に光へ変わるような仕組みになっているらしい。値が張るため一般家庭では使われていないものの、これまで立ち寄った宿場には(サウスウェッジのような大きめの街にも)設置されていた。


「世界中の明かりは電気でまかなってるの」

「電気って雷のことか?」

「ざっくりと言ったらそう。私の世界では電気を24時間供給できる施設があって、私たちはそこから電気を送ってもらって、家の明かりを付けたり、倉庫に入っている食べ物を冷やして保存したりしてるわけ」


 改めて口にしてみると元の世界ってめちゃくちゃ便利だ。

 三人で家族の誓い的なことをしてから気持ちがスッキリして、元の世界への未練はすっぱりと断ち切れた。しかし、電気に水道にガスに水洗トイレにテレビに電話にインターネットに……と元の世界のインフラだけは恋しい。

 歴史の授業はあまり好きではなかったけど、偉人たちの名前が教科書に載るのも今なら納得できる。革新的な発明をしたり、国のインフラを整えるのに尽力したりした人たちの多いこと多いこと。その人たちのおかげで、私は暑い日にクーラーのかかった部屋で動画配信を見ながらごろごろしていられたわけである。


「いやホントめっちゃ重要な意見ですよマジで」


 ローズマリーもさっきから感心しっぱなしだ。


「遠方からの安定したエネルギー供給、電波や光を使った音声や風景の送受信、燃える水で走る車……コムギちゃんから聞いた別世界の技術の大半はこの世界で実現できてないです。なんなら聞いた話を本か何かにまとめておきたいくらいです」

「そ、そんなに重大なことなのかな?」

「そりゃそうです! 今のところ一番熱心に研究されてるのは瘴気術ですが、この世界にだって科学者や錬金術師は存在してるです。その人たちにコムギちゃんの話を聞かせたら、きっと素晴らしい発明をしてくれるにちげーねーですよ!」


 ということは、私の中学生レベルの科学知識が異世界に産業革命をもたらすことに?

 別世界に革新的すぎる技術をもたらすと戦争にしか使われないイメージが……。

 もしも科学者や錬金術師に出会うことがあったら、お酢と卵黄とサラダ油でマヨネーズが作れるとか、食物繊維を取るとお腹の調子が良くなるとか、青カビからペニシリンが作れるとか……そういう平和的な知識を話すことにしよう。


「あとはそーですね……もしかしたら、コムギちゃんの世界と似ている文化や技術が意外とこの世界にもあるかもしれねーですね。コムギっていう名前の響きには、なんとなく東部っぽい雰囲気を感じるです」

「それじゃあ、この世界にも日本みたいな国が――」


 お醤油とかお味噌とか納豆とかも実はこの世界に!?

 ほかほかの白米もあったりして!?


 そんな風にして、ちょっとした期待に胸を躍らせていたときだった。

 背後から馬のヒヅメの音が聞こえてきた。

 私たちは一斉に口をつぐみ、馬に乗った旅人が通り過ぎるのを待つ。

 馬の背中が見えなくなってから、私たちはホッとため息をついた。


「ふぃー、危うく聞かれるところだったな」

「コムギちゃんと話しているところを見られたら面倒ですからね」

「はぁ……人の体に戻れないうちは苦労が続くね……」


 犬姫さまであることがバレて、周りから注目を集めるのは避けたい。

 それに犬姫さま伝説を知らない人からすると、私は世にも珍しい人間の言葉をしゃべれる犬である。人さらいならぬ犬さらいに遭って、サーカスにでも売られてしまったら、私の人生ならぬ犬生はおしまいだ。

 プラムがやれやれと言った感じに私を抱き上げた。


「そろそろ次の宿場が近い。おしゃべりはこの辺にしておくか」

「ですです……って、なについでにコムギちゃんをだっこしてるですか!」

「ここ数日、モンスターと戦ってないから腕の力が訛ってんだよ。別にいいだろ?」

「よくねーですよ! コムギちゃんのだっこ権は、犬姫さまをお守りする立場である私にあるべきです!」


 いや、あの……私の意思は?

 私はプラムとローズマリーに抗議したかったものの、宿場へ近づくにつれて人通りが増えてきてしまって、結局はいつものように二人の小競り合いに挟まれることになった。

 早く人間になりたーい!!


 ×


「おっさん、塩焼き2本、わんこ用に塩少なめのやつ1本ね」


 私たちが辿り着いたのは渓流に面した宿場だ。

 大木を組み上げて作られた門をくぐり、宿場の中へ足を踏み入れると、すぐ目の前の露天でニジマスを焼いていた。お昼に保存食を食べてから歩き通しだった私たちは、串に刺して炭火で炙られているニジマスの香りに吸い寄せられたのだった。


「あいよ! 塩2本、塩少なめ1本ね!」


 露天のオヤジさんから、ニジマスの塩焼きを受け取る。

 こんがりと焼かれたニジマスの表面は、乾いた塩が浮き上がって白くなっている。ちょっぴり塩辛そうに見えるけれど、たっぷり汗をかいた体にはちょうどいいし、湯気と一緒に焼き魚のいい香りが立ち上ってきていた。


 たき火の近くに置かれた丸太のベンチに腰掛けて、私たちは夢中になってニジマスの塩焼きを食べた。

 こうして三人並んでニジマスの塩焼きを食べていると、小学生のとき、家族でキャンプに行ったのを思い出した。

 キャンプ場には釣り堀があって、お父さんとお母さんと一緒にニジマスを釣った。釣り針にエサの虫をつけるのが怖くて、お父さんに泣きついてつけてもらったのを覚えている。それでも苦労して釣ったニジマスは本当に美味しくて、確か2匹も食べてしまったのだった。


 三人で肩を並べて美味しいものを食べる。

 こうしていられるうちは寂しい思いをする心配はなさそうだ。


「コムギちゃん……今のうちに言っておくです……」

 ニジマスを食べ終わりそうになった頃、ローズマリーが小声で耳打ちしてきた。

「犬の振りをしたまま聞いてくださいです。犬姫さまであることがバレちゃいけないのは、注目を集めるのが面倒だからというのも、もちろんあるんですが……実を言うともっと大きな理由があるんです」


 ローズマリーの声を聞こうとして、プラムも大きく体を傾けている。

 きっと旗からは二人して犬の耳をはむはむしているように見えるだろう。

 いや、そんなほんわかした光景はさておき……。

 私はごくりと生唾を飲み込んだ。


「これは聖職者たちの間でまことしやかに噂されていたですが……どうやら、私たち聖父母教会以外にも犬姫さまを探している組織があるらしいです。しかも、それは1年前に壊滅したはずのアサシン教団だって噂です」

「ア、アサシ――むぐっ!?」


 言葉を発してしまって、二人から口を押さえられる。

 いやでも、こんなのびっくりせずにはいられないよね!?

 アサシンとはつまり暗殺者ということで、そんな暗殺者集団の残党が私を狙っているということは、きっと私の命を狙っているのだろうし……でも、わざわざアサシンが犬姫さまを狙う理由ってなんだろう? もしかして、あの変身能力が危険だから?


「アサシン教団か……あの子供をさらって殺し屋に仕立て上げるという……」


 いつになくシリアスな顔つきで呟くプラム。

 待って! 本気で怖くなってきた!

 真正面からモンスターと戦うのなら、気合いで変身すればなんとかなる。

 でも、いきなり背中から刺されたりしたらひとたまりもない。


「あ、あくまで噂! あくまで噂ですから! ね?」


 ローズマリーが慌てて念を押してきた。


「そもそも、話を聞かれなければ安全ですし……」

「つーか、いざとなったら私たちが守るから平気だろ」


 プラムが私の頭をわしわしとなでる。

 二人とも戦いでは敵なしだけど、心なしかフラグっぽく聞こえるのは気のせいか。

 そうこうしているうちに他の客も集まってくる。

 私たちはニジマスを食べ終えると、宿泊先を見繕いながら宿場を歩いた。

 疑念を一度植え付けられると、通りすがる人たちが全部怪しく見えてくるから困る。

 宿場の一番大きな通りを歩いていると、プラムが不意に立ち止まった。


「うーん……」

「どうしたんですか、そんな深刻そうな顔をして?」


 立ち止まったのはファンタジーRPGに出てくるような武器屋さんの前だ。窓から店の中を覗いてみると、店先には剣や斧や槍といった新品の武具がずらりと並べられている。値札を見てみると安いものは銀貨2~3枚、高いものは金貨1枚を超えていた。

 プラムが悩ましい顔をしながら、愛用のロングソードをちょっとだけ鞘から引き出す。ロングソードの持ち手に撒かれた革はボロボロで、刀身にも細かい傷がたくさんついていて、いつ折れたり曲がったりしても不思議ではなさそうだ。

 ローズマリーが「うわぁ……」と不安そうな声を漏らした。


「戦ってる最中に折れたりしたら洒落になんねーですよ? ていうか、剣だけじゃなくて防具の方もかなりボロボロじゃねーですか。この際ですし、思い切って装備一式を一新したらどうなんですか?」

「いや、お前……それでどんだけ金がかかるかと……」


 現実から目を背けるかのようにプラムが手で顔を覆う。


「銀貨数枚の剣だと簡単に折れるから、銀貨10数枚クラスの剣に買い換えなくちゃいけないだろ? 鎧を買い換えるとなると、胸当てと腕当てと足当てにやっぱりそれぞれ銀貨10枚弱はかかるだろ? そうしたら私の財布は空っぽだ!」

「……仕方ねーですねー」


 ローズマリーがため息をつきながら、武器屋さんの玄関のドアを押し開けた。


「半分出してやるです」

「なんか悪いもんでも食ったか?」

「おまっ……半分払ってやらねーですよ!?」


 ああだこうだ言いながら二人が店に入り、私はそのあとをついていく。

 ホント、仲が良いんだか悪いんだか。


「言っておくですけど、あんたが酒を飲む金もなくてふてくされてる横で、気持ちよく酔っ払える気がしないから払ってやるだけです! いつも前衛で頑張ってもらってるお礼とかじゃねーですから、絶対に勘違いするんじゃねーですよ?」

「お、おう……それなら……まあ……うん……」


 不器用!!

 小学生どころか幼稚園児レベルの素直になれなさ!!

 いつもありがとう、くらい言ったらいいのになぁ……。

 二人のぎこちないやりとりを聞いていたら、さっきまでの不安もほぐれてきた。

 そんな感じである意味微笑ましくなっていたら、


「おっと、ペットは遠慮してくれよ」

「わふっ!?」


 武器屋の店員さんが私を抱えて、武器屋の外へ放り出してしてきた。

 それに気づいたプラムとローズマリーが慌てて駆け寄ってくる。

 二人は店員さんに殺意のこもった眼差しをぶつけた。


「おい、店員こら! 私のゆたんぽ係になにしやがる!」

「あんた、神罰を下されてーようですね」

「いやいや、うちの商品に歯形を付けられたりしたら困るんだって……」

「てめー、こいつがそんなバカ犬に見えんのか?」

「コムギちゃんの歯形がついたら、むしろ価値が上がるってもんです」

「そ、そんなめちゃくちゃな……」


 完全にヤンキーJKに絡まれたおじさんの図である。

 私は「わんっ!」と二人に向かって吠えた。

 二人が武器を選んでいる間、ちょっと外で待っているくらいわけないことだ。それに予算の半分を握っているローズマリーと一緒なら、プラムも無茶な買い物はしないだろう。

 ちゃんと意図は伝わったようで、


「それじゃあ、ちゃっちゃと選んでくるわー。コムギ、少しだけ辛抱な?」

「申し訳ねーです。店員さんも、さっきは失礼したです」


 二人は店員さんに絡むのをやめて店内に戻っていった。

 私は武器屋の外で普通の犬の振りをしながら待つことにする。

 よくよく考えてみると一人きりの時間は初めてだ。

 こちらの世界に来てからこの方、ずっとプラムかローズマリーが一緒に居てくれている。あの二人の気遣いは感謝してもしきれないものの、たまには一人の時間があってもいいかな……と思えるくらいには私もこの世界に慣れてきていた。


 街の人たちをのんびりと観察する。

 ニジマスの塩焼きを食べ歩きしている旅人、酒場や宿の呼び込みをしている町人、人間とエルフの冒険者パーティー、大きな荷車を馬のような牛のような生き物で引いている行商人……私の視線の高さから野良犬や野良猫もよく目に止まった。きっと人通りの多い場所ではエサをもらえたり、残飯を拾えたりするのだろう。


 ステラさんみたいに話せる犬はいないものか……。

 そんな風にぼーっと通りかかる野良犬たちを眺めていたときだった。

 路地からマフラーを巻いた女の子が飛び出してきて、野良犬の1匹をいきなり抱き上げたかと思うと、地球の裏側まで聞こえるような大声で問いかけた。


「もしもーしっ!! あなたがしゃべれる犬ッスかーっ!?」

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