第11話 新しい家族

 頭上から落下してきた影がたき火を粉砕しながら着地する。

 それは四足歩行の巨大なモンスターだった。

 ライオンの顔が私たちを斜め上から見下ろしている。

 真正面からではない。斜め上からだ。


 巨体は四足歩行の肉食獣ではなく、サバンナを悠々と歩くアフリカ象に匹敵していた。胴体は山羊に似ていて、頑丈そうなヒヅメが黒々と光っている。背中からはコウモリのような羽が生えていたが、広げたときの大きさは私たちの視界を丸ごと塞ぐほどで、太古の地球に生きていた翼竜を思わせた。極めつけは尻尾として生えている大蛇で、それですら私たちを丸呑みにできる大きさをしている。モンスターが低い唸り声を上げるたび、その口からは炎が漏れ出していた。


 子犬の体が凍り付いたように硬直する。

 これまでのモンスターとは格が違うのが本能で感じ取れた。

 高濃度の瘴気(ミアズマ)を吸って凶暴化したオークすら足下には及ばない。

 プラムとローズマリーが立ち上がり、おばあさんを守るように前へ躍り出た。


「キマイラ!? なんでこんなところにいるんだよ!!」

「軍隊が相手にするレベルのやつじゃねーですか! やばすぎるですよ!」


 巨獣キマイラの危険性は二人の動揺っぷりからもよく分かる。

 私は歯を食いしばって体を震わせた。

 プラムとローズマリーがピンチになってから、あの姿に変身できても遅い。

 仲間の血を見てからしか本気になれないなんて駄目だ。

 胸の奥に意識を集中させて、自分の中に眠っている力を呼び覚ます。

 恐怖を味方に付けろ。

 怖いときこそ勇気を振り絞れ。

 約束したんだ……私がみんなを守るって!


 そのとき、胸の奥から強烈な光があふれ出してくる。

 来た! この感覚!

 私の体が閃光に包まれて、犬の体から人の体へと変化する。

 最初は一瞬過ぎて分からなかったけど、今は変身の全てを感じ取れる。犬耳と尻尾が生えてくるのも、ふさふさとした毛並みが胸元と下腹部を隠すのも、手足の爪が鋭く伸びるのもハッキリと分かった。

 素肌にまとわりついてくる濃霧を圧倒的な熱量が吹き飛ばす。


 私の変身を目の当たりにして、キマイラがわずかにひるんだのを感じた。

 その隙を突き、先制攻撃を仕掛ける。

 プラムとローズマリーの視界から、私の姿が消えたその瞬間――


「ストップ!! はい、ストップ!!」


 聞き覚えのある声が私たちの背後から聞こえてきた。

 それと同時にキマイラがどろんと白い煙になって消えてしまう。

 全力の突進を仕掛けていた私は、大木に突っ込む寸前でギリギリ踏みとどまった。

 踏ん張ったせいでショベルカーで掘ったみたいに地面がえぐれる。

 私たちが振り返ってみると、足に怪我をしていたはずのおばあさんが元気に立っていた。


「キマイラを見ても逃げないとはあっぱれ!」


 おばあさんの体までぼわんと白い煙に包まれる。

 かと思ったら、おばあさんの立っていた場所に今朝の魔女が立っていた。

 いつの間にか森に立ちこめていた濃霧が晴れている。

 森を駆け抜ける爽やかな風に魔女は銀色の髪をなびかせていた。


「なんで魔女さんが――」


 言い終わらないうちに私の体は元の柴犬に思ってしまう。

 あぁ、もうちょっとキープしていたかったのに……。

 改めて意識を集中させてみても、胸の奥から力は湧いてこなかった。


「こっちの姿を見せたら分かってくれるかな?」


 白い煙がぼふっと魔女の体を包み込む。

 次の瞬間、先ほどのキマイラに負けず劣らずの巨体をした狼が煙の中から現れた。

 立派な灰色の毛並みが月の木漏れ日を浴びて銀色に輝いている。

 威風堂々たるその姿を目にして、彼女が賢き灰色狼と呼ばれる狼神さまであることは容易に確信できた。


「さ、最初から私たちを見てたっつーことですか!?」


 ローズマリーがぺたんとその場に尻餅をついてしまう。

 まだ信用できないと言わんばかりにプラムがロングソードを担いだ。


「私たちを試していたってことか?」

「すまなかったね。悪用する人間に力を貸すわけにはいかないからさ」


 狼神さまが顔をしわしわにしてニッコリと微笑む。

 このヒトは「黙れ小僧!」とは言わなさそうだ。


「その点、きみたちは満点はなまるだ。おばあちゃんに変身した私を迷わず助けに行って、キマイラに襲われたときも逃げ出さなかった。そんなきみたちになら力を貸すこともやぶさかじゃないよ」


 狼神さまがくるりと私たちに背を向ける。

 ふわっふわの太い尻尾が楽しそうに揺れていた。


「私たちの寝床へ案内しよう。この森でモンスターが寄りつかない唯一の場所だ。ほら、私の背中につかまるといいよ」


 私たちはきょとんとして顔を見合わせる。

 大きな生き物にしがみついて移動するなんてますますジブリっぽい!

 とにかく荷物をまとめて、私たちは狼神さまの背中によじ登る。

 狼神さまの背中は絨毯のように柔らかく、しかも畳のようないいにおいがした。

 私たちを乗せて狼神さまは高らかに跳躍する。

 まるで海の上を走り抜けるかのように彼女は木々の上を走り抜けた。


「風になってるみてーですね!」

「ま、悪くないな」


 これにはローズマリーとプラムも大満足。

 空中散歩はほんの1分少々で終わり、狼神さまは森の奥深くにある巨木の下に着地した。

 巨木には大きなうろが空いていて、どうやらそこが彼女の寝床であるらしい。周囲は開けた場所になっており、灰色の毛並みの狼たちが集まっていた。狼たちは一瞬警戒したものの、狼神さまが「私の客人だよ」と一声かけると大人しくなった。


「さてと、早速コムギに人語を話す力を与えようか」


 狼神さまが巨木のうろに寝そべる。

 私は期待で身を震わせながら、彼女の前にしゃがみ込んだ。

 何かのパワーを注入するのに頭がめっちゃ痛くなるとかはないよね?

 ちょっぴり不安に思っていると、狼神さまの両目がフラッシュライトのように光った。

 光の粒子が頭の中を猛スピードで通り抜ける。

 自分の中で何かが変わった……ように感じた。


「ほら、しゃべってしゃべって!」

「あ……う……」


 狼神さまに促されて、私はしゃべろうと試みる。

 ステラさんとは話していたけど、あれは心と心の会話という感じで、自分の喉から声を出していたわけではない。柴犬の喉で人間の言葉を発音できるのか、動物番組に出てくる人間の言葉をしゃべる犬みたいにならないか少々不安だ。


「わ、私……しゃべれてる、かな?」

「しゃべれてます! しゃべれてますよ、犬姫さまぁ!」


 ローズマリーがヘッドスライディングで抱きついてくる。

 成り行きを見守っていたプラムも駆け寄ってきた。


「ふう……これでコムギの悩みの種も一つ解決だな」

「プラムもローズマリーも……ありがとう。本当にありがとう!」


 感動で胸が一杯になって、しゃべろうと思っても言葉が出てこない。

 そんな私を見かねてか、


「ここは人の身には寒いだろう? とりあえず、火でも焚いたらどうかな?」


 狼神さまが私たちに提案してくれた。

 乾いた薪を集めて火をおこし、私たちはたき火で体を温める。

 私を挟むようにしてプラムとローズマリーが座った。

 狼たちも火になれているのか、たき火の周りに続々と集まってくる。

 たき火に手をかざしながら、ローズマリーが聞いてきた。


「犬姫さまって何歳なんです?」

「じゅ、14歳……」

「じゃあ、私の2つ下です。私が16歳ですからね」

「それなら、私の4つ下になるのか。私、今年で18だからな」


 ローズマリーとプラムの年齢はおおよそ私の見立て通りだったらしい。

 あと、その年齢であれだけお酒を飲みまくるのはやっぱりおかしい。


「ということは、元の世界では14歳で亡くなったってことですよね」

「う、うん……」


 こちらの世界に転生して1ヶ月も経ってないけど、なんだか遠い昔のように思える。

 それほど、生まれ変わってからの日々は密度が高かった。

 テスト勉強を頑張ったり、クラブ活動を頑張ったりしたことはある。

 でも、生きるのにこんなに一生懸命になったのは初めてだった。


「私は元の世界で学校に通っていて、大型トラックに……大きな車に轢かれそうになった子犬を助けようとして死んじゃったの。実は助けたくて助けようとしたんじゃなくて、なんか反射的に手が伸びちゃっただけなんだけど……」


 改めて口に出してみると、本当にバカっぽい理由である。

 でも、ローズマリーはそんな私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。


「それでも立派ですよ、犬姫さま! 無意識のうちに手を伸ばせるのは、本当の優しさを持っている聖女さまだけですから。やっぱり生まれ変わるべくして生まれ変わったんです。このローズマリー、ますます犬姫さまを応援したくなりました!」

「せ、聖女なんて大げさだよ!?」

「聖女さまは自らを聖女とは言わないものです。うーん、謙虚ですねえ!」


 ローズマリーのべた褒めがムズかゆくて仕方がない。

 そんなにおだてられると調子に乗ってしまいそうだ。

 私がちょっとにやけていると不意にプラムが問いかけてきた。


「コムギにも家族はいたんだよな……」

「……うん」


 私は小さくうなずいた。


「うちはお父さんとお母さんの三人家族だった。団地っていうたくさんの人たちの家が集まった大きな建物に住んでいて、そこで暮らしている子供はみんな同じ学校に通ってて、私は大人になってもずーっとこの場所にいるんだって思ってた……」

「自分の居場所に愛着が持てるのはいいことだ」

「お父さんは普通の会社員で、帰ってくるのが夜遅かったり、たまに出張で何日も帰ってこなかったり……でも、休日になると私とお母さんをどこかへ連れて行ってくれたり、運動会とか授業参観とかにも来てくれたり……仕事で疲れてるはずなのに……」

「いい父親だな」

「お母さんも今になって思うとすごく優しかった。お母さんだって仕事してるのに家のことだってちゃんとやってたし、それなのに文句一つ言わなかった。私のやりたいことをやっていいって言ってくれて、クラブ活動をやらせてくれたり、送り迎えをしてくれたり……」


 これまでの人生で生きるのに一生懸命になったことないのも当たり前だ。

 お父さんとお母さんが必死に私を守ってくれていて、それを私は守られていることに気づいてすらいなかったのだ。

 あの場所にはもう帰れない。

 だって、私、死んじゃってるし……。

 目の奥が熱くなってくる。

 でも、涙はあふれてこない。

 悲しくて泣くのは人間だけだから。


「犬姫さま……いや、コムギちゃん!」


 ローズマリーが唐突に私を抱きしめて、これでもかと言わんばかりに草むらの上をごろごろと転がり始める。

 め、目が回るんだけど!?

 彼女はひとしきり転がったあとで、私を抱いたまま上半身を起こした。


「今日から私たちがコムギちゃんの家族になるです! 具体的には私がママで、あいつがパパです」

「誰がパパだ」


 苦々しい顔になるプラム。

 私はローズマリーの提案をぽかーんとした顔で聞いていた。


「二人はパパとママというよりも、普通に学校の友達って感じが……」

「遠慮することねーですよ、コムギちゃん! ほら、ママって呼んでみてください!」

「酒浸りのママはちょっと……」

「がーん!」


 ローズマリーは本当に「がーん!」と口に出しながら地面に倒れた。

 いやホント、その酒癖だけはどうにかしていただきたい。

 それでも、家族になるという彼女の申し出は素直に嬉しかったし、なんだか目から鱗が落ちる思いだ。家族って結婚するときとか、子供が産まれるときとか……そういうときにしか増えないものだと思い込んでいた。

 なりたかったら家族になっていい。

 きっとそれでいいのだろう。


「私、プラムとも家族になりたい……駄目かな?」


 座り込んでいるプラムの元に駆け寄る。

 彼女は私をそっとあぐらをかいている足の上に載せた。


「そういうこと、わざわざ聞くなよな」


 プラムはそっぽを向いていて、どんな顔をしているのか分からない。

 でも、私には確かめなくてもなんとなく分かった。


 ×


 翌日、私たちは狼神さまに森の外まで送ってもらった。

 私が人語を話せるようになって、プラムとローズマリーに話したいことや、二人が聞きたいこともたくさんあったけど、結局あれから疲れが出て三人とも眠ってしまった。森の中を一日中歩き回り、おばあさんを助け、キマイラに襲われたらそうもなるだろう。

 私たちは宿場へ向かって道を引き返す。

 三人の手には狼神さま(魔女のとき)のくれた魔除けの組紐が結ばれていた。


「ちょうどいい記念になったですね」


 ローズマリーが右手を掲げて、さんさんと降り注ぐ太陽に組紐を透かす。

 私も同じ気持ちで「わんっ!」と同意した。


「あっ……」

「お前、やっぱ犬なんじゃないのか? 大人しく私のゆたんぽ係やってろよ」


 ぷくく、とプラムと含み笑いをする。

 私は顔が沸騰するように熱くなるのを感じた。


「わ、私はゆたんぽ係に収まるつもりはないからね!」


 人間の言葉をしゃべれるようになったくらいで満足してはいられない。

 絶対に人間の体に戻ってやるんだ。

 私は眩しい朝日に改めて誓った。

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