第10話 異世界バウリンガルを求めて

 魔女の家の裏手には森の奥へ進む道があった。

 私たちは魔除けの力を信じて、モンスターがはびこるという森に足を踏み入れた。

 森の中を進んでいくにつれて、私はモンスターのにおいを強く感じるようになった。ゴブリンにリザードマンにオーク、それから未知の魔物たち……しかし、においの発生源は一定の距離以上は私たちに近づいてこなかった。


「すごいな、このお守り……」


 プラムが手首に結ばれた組紐をじっと見つめる。

 ローズマリーも感心しているらしく深々とうなずいていた。


「魔女ってのはマジですげーですよ。こんな便利なものをホロストーンなしに作っちまうんですからね」

「ホロストーンなしにって……瘴気術(ミアズマクラフト)じゃないってことか?」


 私も気になっていたことをちょうどプラムが聞いてくれた。

 こういうところの知識はやはり神学校に通っていたローズマリーの方が詳しいらしい。


「瘴気術はあくまで浄化された瘴気の固まりであるホロストーンの力を源にしてるです。瘴気術を使って体が疲れたなーって感じるのは、ホロストーンから生み出された『エーテル』が体の中を通ったからです。この通りが悪い人間はエーテルを何にも変換できないため、瘴気術が使えないというわけなんです」

「ははぁ……それで私は瘴気術が下手なわけだな」

「でも、それも悪いことばっかりではねーです。エーテルの通りが悪いってことは、瘴気術の効果を受けにくいっていう面もあるですから。まあ、あくまで体内に作用する瘴気術に抵抗があるだけで、火の玉とか電気とかを浴びせられたらひとたまりもねーですが……」

「それやっぱ微妙じゃね?」


 勉強になるなあ、と私は説明が分かりやすくて素直に感心する。

 実は私も瘴気術が使えるようになったりするのだろうか?

 人間の体に戻れたら、ぜひとも瘴気術を勉強してみたいものだ。


「で、私たち普通の人間はホロストーンを使わないと瘴気術を使えないんですが、魔女の場合は体内にある『第二の心臓』と呼ばれる器官でエーテルを生成できるらしいです。ホロストーンを必要としない魔性の術……故に魔法ってわけですね」

「ホロストーンを消費しないなら換金し放題だな」


 プラムの感想が実に彼女らしくて、私は漫画みたいにずっこけてしまう。

 いつも生活費に悩まされているとはいえ、やっぱりお金なのね……。


 しばらくの間、私たちは暢気に話しながら歩き続ける。

 しかし、歩くにつれて周囲が霧に包まれてきた。

 下手に道を外れたら、あっという間に迷ってしまいそうだ。

 体毛が湿ってひんやりとしてくる。

 プラムとローズマリーの服も湿ってきているようだが、歩きっぱなしで服の中はむしろムシムシしているのか、先ほどから頻繁に襟元をパタパタしていた。


「あーもう、鎧脱ぎたい……あと腹減った」

「そろそろ昼食の時間ですね」


 森の木々と濃霧のせいで分かりにくいものの、太陽はちょうど頭上になるようだ。

 私たちは岩の上に腰掛けて、昼食のお弁当を食べることにした。


「うっ……尻が冷たい」

「私は法衣を羽織っているのでお尻は大丈夫です」


 私たちはビスケットと干し肉をかじり始める。

 どちらもカチカチな保存食の代表であるが、心なしかしんなりしているようだ。


「尻は平気でも全身タイツの中はムレムレだろ?」

「全身タイツって言うなです! これは聖父母教の伝統的な修行着です! プラムだってロザリオをひっさげてるくらいなんですから、小さい頃に教会でこの格好をさせられたことくらいあるんじゃねーですか?」

「うっ……」


 思い当たる節があるのか、プラムが不意にうめいた。

 これはローズマリーもそうなのだけど、二人の過去について私はあまりよく知らない。

 人間の言葉を話せるようになったら、ちゃんと話を聞いてみたいものだ。


「ほーう……その反応を見た感じ、着たことがあるようですね」

「賛美歌を歌うときに無理やり着せられたんだよ」


 プラムが恥ずかしそうに顔を背ける。

 わざわざコスチュームを着せられて賛美歌を歌うなんて、もしかして彼女って育ちが良かったりするのだろうか?

 思い返してみると、言動は粗野な不良少女そのものだけど、食事をするときのナイフとフォークの使い方なんかはとてもしっかりしている。きっとテーブルマナーを学べる機会があったに違いない。


「ほら、食べたらさっさと行くぞ!」

「都合が悪いとすぐキレるんですからもーっ!」


 手短に昼食を済ませて、私たちは再び歩き出した。

 霧の中を進み続けたせいで、私の体毛もプラムとローズマリーの髪の毛も、すっかり水を吸って重たくなってしまった。私は柴ドリルである程度は水をはじき飛ばせるけど、二人は顔に貼り付いた前髪が本当にうっとうしそうだ。


 そうして、おやつ時を過ぎたあたりのことである。

 私は唐突に奇妙なにおいを感じ取った。

 これは……人間のにおい? でも、どうしてこんなところに?

 しかも、かなり強い血のにおいも混ざっている。


「わんわんわんっ!」


 私は吠えて二人を呼び止める。

 プラムが振り返るなり首をかしげた。


「どうした、コムギ? その吠え方……モンスターってわけじゃないな?」

「ちょっと待って! あれを出しますです!」


 ローズマリーがササッとアルファベット表を広げる。

 私は「け が に ん か も ?」と文字を指さした。

 その場に緊張が走ったのを感じる。

 日没前に狼神さまの元へ辿り着かないと魔除けの効果が切れる。おやつ時を過ぎた今、そろそろ急がないといけないところだ。そんなときに怪我人を助けに行ったらどうなるか。そもそも、こんな濃霧の中で道を外れることのリスクが高すぎる。


「よし、行こう。コムギ、先行してくれ」

「ですね。迷ってる時間はねーです」


 流石はこの二人!

 私はにおいを辿りながら茂みに飛び込む。

 プラムとローズマリーはあとをついてきながら、ロングソードとナイフで茂みを払った。

 これでにおいを辿れなくなっても元の道に戻れるはずだ。


 茂みの奥に進むと谷間になっていて、私たちは滑り落ちないよう慎重に坂を下った。

 向かい側の坂は地滑りでも起きたのか、湿った土が剥き出しになっている。

 ようやく谷底まで降りると、そこには地滑りで落ちてきたらしき大岩が転がっていて、しかも一人のおばあさんが下敷きになっていた。身なりから考えて、おそらく宿場で暮らしている町人だろう。下半身を挟まれているようで、苦しげに顔をゆがめ脂汗をかいていた。


「ばーさん、大丈夫か!?」


 プラムが体当たりするように全身を使って大岩を押そうとする。

 しかし、大岩はすこしぐらついただけだった。


「あ、あんたたち……助けに来てくれたのかい……」

「この子犬が気づいてくれたんです。もう少しの辛抱ですよ、御老人!」


 ローズマリーが励ますようにおばあさんの手を握る。

 プラムが一瞬考え込み、それから「よし!」とうなずいた。


「てこで岩を動かすから、コムギは棒を突っ込めるくらいの穴を掘ってくれ。私が岩を持ち上げたら、ローズマリーはばーさんの体を引っ張り出せ!」


 私は言われた通り、地面をものすごい勢いで掘り返した。

 流石は犬の体! これくらいは朝飯前!

 プラムが近場から太い倒木を拾ってきて、それを大岩の下に掘った穴に突っ込む。

 それから全体重をかけて押すと大岩が少しだけ浮き上がった。

 ローズマリーがおばあさんの体をすかさず引っ張り出す。

 直後、大岩を持ち上げていた倒木がバキッと折れた。


「……足の骨は折れてねーですね」


 ローズマリーが下敷きになっていたおばあさんの足を確かめた。


「地面が湿って柔らかくなってたから運良く軽傷で済んだみてーです。ヒビが入ってる可能性は高いですから、添え木で固定して瘴気術(ミアズマクラフト)で応急処置するです」

「添え木ってこれでいいか?」


 プラムが早速、真っ直ぐな木の枝を何本か集めてくれた。

 おばあさんの両足に添え木を当て、荷物の中の適当な布を破いて巻き付ける。

 そうして、ローズマリーがいつものように詠唱の体勢に入った。


「ミアズマクラフト、治癒の中級術式――回復(ヒール)!!」


 おばあさんの両足に向けて、十字架のあしらわれた杖から淡い光が放たれる。

 術の効果はあったようで、おばあさんの表情が大きく和らいだ。


「ありがとうね……聖女さま……剣士さま……それにわんちゃんも……」

「せ、聖女さまなんて照れること言わねーでほしいですよ!」

「照れてる場合か! 引き返す時間はないから、さっさと狼神のところに行くぞ!」


 ローズマリーに自分のリュックを投げ渡して、プラムがおばあさんを背負う。

 茂みを刈ったあとを頼りにして、私たちは道を引き返した。

 太陽が傾き始めたのか、森の中が一気に暗くなり始める。

 嫌な予感が……。

 私が妙な胸騒ぎを覚えたときだった。


「おい、なんだよこれ!!」


 先行していたプラムが立ち止まって怒りの声を上げる。


「どうしたんですか?」

「道がなくなってる!!」

「はぁあああああっ!?」


 私はローズマリーと一緒になって前へ躍り出た。

 茂みを刈って作ったはずの脇道が確かになくなっている……というより、刈ったはずの茂みが生えてきた? 自分たちで切り開いた道を引き返していて、道に迷うなんておかしすぎる。でも、このまま茂みの中に突っ込んでいいものか。


「コムギ、においはたどれないのか?」


 プラムに言われて、私は慌てて嗅覚に意識を集中させる。

 たとえ道がなくても自分たち自身のにおいを辿れば戻れるはずだ。


「…………」


 におい、なくない!?

 誰か森の中でファブリーズでも撒いた!?

 私は頭が真っ白になり、口があんぐりと開いてしまう。

 ローズマリーが「あちゃー」という感じにうなだれた。


「これは駄目そうですね……」

「よし、ここをキャンプ地とする」


 濃霧で湿った落ち葉を足で払いのけて、プラムがおばあさんを乾いた地面に下ろした。


「今から急いでも目的地に着ける保証はない。闇雲歩き回るよりも、夜を明かす準備に専念するのが先決だ」

「そいつは同感です」


 プラムとローズマリーは判断も早ければ行動も早かった。

 二人は周囲から太い枝を集めてくると、それを植物のつるで縛って三角形の支柱を造り、大量の枝葉をのっけて3人分の簡易テントを作った。さらにはプラムとローズマリーは自分たちの毛布をおばあちゃんに提供して、ひとつは地面に敷き、もうひとつは体にかけてあげた。


「コムギはばーさんと一緒にいてやれよ。あったかいから」

「わんっ!」


 濃霧の真っ只中で夜に冷え込むのは分かっているだろうに、それでも当然のように毛布を差し出せる二人にはやはり尊敬の念を抱かざるを得ない。

 森に訪れる夜は早く、あっという間に真っ暗になってしまった。

 プラムとローズマリーが薪を集めてきてくれたおかげで、たき火はどうにか一晩は持ちこたえてくれそうだ。

 たき火でお湯を沸かして飲み、ビスケットと干し肉をふやかしながら食べた。

 この張り詰めた空気の中では、食事の温かさが本当に心をいやしてくれる。

 食事をしている間、おばあさんは私たちに何度も何度もお礼を言っていた。


「ローズマリーは魔除け的なミアズマクラフトは使えないのか?」


 プラムは簡易テントの下であぐらをかき、ふやかした干し肉をかじっている。

 簡易テントの中に寝そべりながら、ローズマリーがやれやれと首を横に振った。


「たはー、これだから素人は困るです。ミアズマクラフトは一瞬だけ効果があるものより、効果が持続するものの方が圧倒的に難しいんです。モンスターを寄せ付けないバリアーを展開するなんて、そんなこと大司教さまクラスじゃないと無理ってもんです」

「堂々と講釈垂れてるけど、結局はできないんじゃねーか」

「ああ、そーですよ! どうせ、私は所詮見習いですよ!」


 ガンを飛ばし合うプラムとローズマリー。

 二人とも疲れがドッと出たのか、明らかに空気がピリピリしていた。

 私は「わんわんっ!」と吠えてアルファベット表を要求する。

 ローズマリーに表を広げてもらい、文字をひとつひとつ肉球で指さした。


 い ざ と な っ た ら 、 わ た し が み ん な を ま も る !


 自分で言うのもアレだけど、会心のメッセージである。

 それを目にして何を思ったのか、プラムとローズマリーは途端に顔をほころばせた。


「いやいや、そうだった! うちには頼りになる秘密兵器がいるんだったな!」

「空気が悪くなっちまってたですねー。犬姫さま、和ませてくれて感謝です」


 こ、これはあんまり本気にされてない雰囲気……。

 でも、二人を仲直りさせられたからいいのかな?

 私が予想外の反応に苦笑いしているときだった。

 突如として、頭上から巨大な影が落下してきた。

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