第9話 岩塩プレートのサーロインステーキ

 宿場で旅の準備を終えたあと、私たちはグレイウルフの森を目指して出立した。

 ここから先はずっと山道が続き、いっそ馬車よりも歩いた方が早いとのことで、私たちは街道を徒歩で進んでいった。

 朝早くに宿場を発ち、日が沈む前に次の宿場へ入る。丸1日歩いているととてつもなくカロリーを消費するし、昼食はいつも宿場で購入した保存食なので、夕食はがっつりと食べる。お腹いっぱいになったら宿でぐっすりと寝て、翌朝はまた早めに出立する。疲れのたまっている日は思い切って連泊して体調を整える。ある意味、とっても充実した日々だ。


 道中ではこんなこともあった。


「わんわんっ!」

「コムギが反応してる! ローズマリー、行くぞ!」

「言われなくてもですっ!」


 私の吠えを合図にして、プラムとローズマリーが勢いよく走り出す。

 山道を駆け上がっていくと、私の嗅覚が反応した通り、行商人の馬車の一団がモンスターに襲われていた。

 モンスターの多い場所では行商人たちが集まり、こうしたキャラバン隊を作って行動しているらしい。しかし、キャラバン隊は護衛を雇っているものの、モンスターの数が多すぎて明らかに手が足りていないようだった。

 プラムとローズマリーは護衛に加勢して、あっという間にモンスターを退治する。

 モンスターを倒し終えると、プラムはキャラバン隊の隊長に迫った。


「……で、それなりのお礼はあるんだろうな?」

「な、なんだね、きみたちは! うちで雇ってるわけでもないのに……」

「私たちが加勢していなかったら、キャラバン隊はどうなってたと思う? たっぷりとお礼を用意してもらおうか」

「そんなことを言われてもだね……」


 プラムのあんまりな物言いにキャラバン隊の隊長が渋い顔をする。

 すると、すかさずローズマリーが前へ出た。


「このたびは私の連れが飛んだ失礼を……」

「おや? あなたは見たところ、聖父母教の聖職者では?」

「はい。実のところ、私たちは聖地巡礼の旅をしている最中でして、彼女は足らなくなった旅費をまかなおうと必死だったのです。何しろ前の宿場で思うように寄付が集まらず、パンも買えない有様で……」

「ううむ……そういう事情があるなら仕方ありませんな」


 キャラバン隊の隊長は納得したようで、銀貨数枚をローズマリーに握らせる。

 馬車を追い抜きながら、プラムとローズマリーが顔を見合わせてニヤリとした。

 プラムが強引に迫り、ローズマリーが説得する。

 そんな風に連携しては小銭を稼いでいるのであった。

 この二人、やっぱり気が合うのでは?


 押しかけ用心棒についてローズマリーに聞いたところ、彼女は「モンスターから守ってやったんだから、あくまで正当な報酬です。女子供と侮られて支払いを渋られるのが一番尺ですから、あれくらいやっておかなくちゃです!」と言っていた。

 三人旅が順調すぎて全然感じていなかったけど、若い女の子だけの旅は本来もっと大変なものなのだろう。図太くて図々しいくらいのたくましさを、むしろ私の方が学ばなくてはいけないのかもしれない。


 ×


 さて、村を発ってから1週間ほど過ぎた頃である。

 私たちはグレイウルフの森近くにある宿場に到着した。

 この宿場にも宿と酒場を兼ねた店があり、いつものように夕食へとしゃれ込んだ。


「うまっ! これ、うまっ!」


 プラムが熱々の石製プレートにのって出てきたサーロインステーキをほおばる。

 ステーキの表面にはすり下ろしたニンニクとコショウが擦り込まれていた。添えられている手作りのバターがとろけて、あふれ出す肉汁や脂と混ざり合い、ニンニクとコショウのスパイシーさと上手く調和している。

 ローズマリーがステーキをひとくち食べるなりに目をカッと見開いた。


「なっ……塩を掛けていないのに、ほどよい塩気が肉の甘みを引き出してるです!」

「くっくっく、その秘密は肉の下に敷いてあるプレートさ」


 ワイルドな酒場の店主が得意げに笑った。


「そのプレートは単なる石でできているわけじゃない。この近くの山から採れた岩塩を加工して作ったものだ。熱々のステーキを上に載せるだけで、岩塩プレートからほどよい塩気とたっぷりの旨みが染み出してくる。だから、わざわざ塩を振る必要はねえのさ」

「大将……天才!」


 ローズマリーがグッと親指を立てる。

 プラムが木製のジョッキで赤ワインをぐいぐいと飲んだ。


「そんでもって、これがまたワインと合う! ぷはーっ!」

「嬢ちゃんたち、若いのにいい飲みっぷりだな!」

「これのためだけに生きてるんで、マジで!」


 あっという間に赤くなりながら、プラムは岩塩プレートのステーキを食べ続ける。

 ちなみに私は安定の麦粥&生野菜のヘルシーメニューに加えて、牛肉の切り落としもつけてもらった。

 毎日のように山道を歩き、ばくばくと食べているといるためか、心なしか体が大きくなってきた気がする。

 子犬の体で転生したということは、私は成長期の真っ只中なのかもしれない。

 プラムと同じく赤ら顔になったローズマリーが酒場の店主に尋ねた。


「店主さんはグレイウルフの森って知ってるですか?」

「あぁ、この近くにある森だろう? 賢き灰色狼が住んでいるっていう……」

「私たち、その狼神さまに会わなくちゃいけねーんです」

「狼神が実在するかどうかは分からんな。グレイウルフの森は狼の住処であると同時にモンスターの住処でもあって、地元の人間でも滅多に立ち入らない。モンスターが森から出てこないように狼神が見張っていて、人間が立ち入ろうとすると怒るって話さ」

「ははぁ……そりゃもっともらしい話ですね……」


 森に立ち入るだけで怒られたら、助力を求めるどころの話ではない。

 これは困ったことになった。

 他に手はないのかと頭を悩ませていると、


「そうだな……うーむ、こう……何かあると思い出せそうなんだが……」


 店主が唐突に露骨すぎるとぼけ方をし始めた。

 ローズマリーが銀貨1枚をカウンターテーブルに差し出す。

 どうやら、情報料というやつらしい。


「しっかりしてるですねー」

「へへへ、悪いな。こういうのも商売の一環でね」


 店主はほくそ笑みながら、テーブルにここ近辺の地図を広げた。


「森の入口に住んでいる魔女なら助けてくれるかもしれん。宿場の北口を出たあと真っ直ぐに進み、右手に現れた小道に入るといい。小一時間で魔女の小屋に着くはずだ」

「そりゃあ、いい話を聞いたです。プラム、聞いてたですか?」


 ローズマリーが隣の席を見る。

 案の定、プラムはジョッキを手に持ったまま寝息を立てていて、ローズマリーは猛烈な勢いで彼女につかみかかった。


「何を一足先にぐっすりしてやがるんですか! あんたが眠っちまったら、誰が酔いつぶれた私を寝室に運ぶんです!」


 酔いつぶれる前提で飲まないでよ!!

 私のツッコミが届くはずもなく、ローズマリーはプラムの体を揺さぶり続けた。

 このあと、私をだっこする順番に加えて、酔いつぶれる順番について話し合われたのは言うまでもない。


 ×


 翌日、私たちは朝早くに宿場を出発した。

 昨晩は酔いつぶれるほど飲んだくせして、なまじ翌日になると早朝から元気に歩けてしまうから、あの二人は一向に懲りないのである。せめて1回くらい強烈な二日酔いになって反省してくれないかな?


 酒場の店主が教えてくれたとおり、私たちは街道の右手に現れた小道に入る。小道はほとんど人が通らないようで、入口が茂みに覆われて見えにくくなっていた。ちゃんと情報を買っておかないと自力で見つけるのは難しいだろう。

 小道を進んでいくにつれて、木々の密度が徐々に高まってくる。

 野生動物のにおいはするものの、今のところモンスターのにおいはしない。


 小一時間ほど歩いたところで、少し開けた場所にログハウス風の家屋を見つけた。

 家屋の庭先には野菜とハーブの植えられた畑があり、近くには清流が流れている。まるで田舎暮らしに憧れて、都会から移り住んできたガーデニング好きの人が建てた家みたいだ。魔女の住処にしては、ちょっと綺麗すぎるくらいである。


「ごめんくださーい!」


 プラムが家のドアをドンドンとノックする。

 家の中からは人間のにおいも気配も感じない。

 ローズマリーが不思議そうに首をひねった。


「留守ですかねー。こんな朝早くから……」


 どうしたものかと立ち尽くしていたときである。

 私は背後に今まで嗅いだことのないにおいを感じて振り返った。


「わんわんっ!」

「ん? なんだよ、コムギ――」


 プラムとローズマリーも遅れて振り返る。

 私たちの背後には、いつの間にか妙齢の女性が立っていた。

 彼女は畑仕事をするには向かない、体のラインが浮き出るセクシーな黒のドレスを身につけている。ふわふわとしたシルバーの髪はくるんとロールしていて、まるで昔の少女漫画に出てくる貴族の令嬢のようだ。森の中に住んでいる魔女というから、もっと素朴でジブリ的なやつかと思っていた。


「きみたち、何用かな?」


 魔女が余裕たっぷりの笑みを浮かべて聞いてくる。

 いきなり家を訪ねられたら、少しは焦ったり警戒したりしそうなものなのに、そんな気配が全くないところがちょっと怖い。

 プラムが私を隠すように一歩前に出た。


「狼神と会いたくて、あんたを頼りにきた」

「ふうん……とすると助力が必要なのはそっちのわんちゃんの方だね?」


 ねっとりとした視線を向けられて、私はビクッとしてしまう。

 この人、なんか怖い!

 ただならぬ雰囲気を感じながらも、私たちは魔女の家へ招き入れられた。


 魔女の家は山小屋のようなワンルームで、ホームセンターのフリーペーパーに載っているような室内ガーデニングがあしらわれている。戸棚にはいくつもの瓶が並び、お酒やオイルにハーブが漬けられていたり、金平糖のような砂糖菓子が詰められたりしていた。部屋の中心には大きなテーブルが置かれていて、おあつらえ向きに椅子が4つ置かれている。


「昔話に出てくる魔女のイメージとはえらく違うですね……」


 ローズマリーが部屋を見回して呟いた。

 彼女の口ぶりから察するに、単に瘴気術(ミアズマクラフト)を使える人と魔女は別のカテゴリーであるらしい。

 そう考えると、さっき突然現れたのが魔女の魔法なのかもしれない。


「さてと……きみはもしかして犬姫さまってやつかな?」


 魔女が私の体を抱き上げる。

 かと思うと、いきなり後ろ足をパカッと開かせた。


「わふっ!?」

「うむ、ちゃんと女の子だ」


 この世界の人たちはなんで断りもなく私の性別を確認するの!?

 しかも、この人の場合は私が犬姫だって最初から確信してるのに!!

 魔女が私の体をテーブルの上に下ろす。

 ローズマリーがテーブルにアルファベット表を広げてくれた。


 わ た し は に ん げ ん で す !

 ひ と の ま た を か っ て に ひ ら か な い で !


 私が文字を指さすのを見て、魔女は面白そうにククッと笑い声を漏らした。


「なるほど、確かに犬姫さまだ」

「ま、本当に元人間かどうかは怪しいけどな」


 それにつられてプラムが鼻で笑った。


「人間の姿には一瞬戻ったことはあるけど、なんでか素っ裸だったしな。他にも人の顔をぺろぺろしてきたりするし、犬に言い寄られたこともあるみたいだし、あとそこら辺でおしっことかするし……」


 おっ……おっ……おっ……。

 なんでそんなこといちいち言うの!?

 犬の本能でマーキングしちゃうんだから仕方ないでしょ!?

 私はアルファベット表で「ば か」を指さす。

 それを目の当たりにしたプラムのこめかみがピクピクした。


「バカってなんだ! 私は事実を述べてるだけだ!」

「ハッ! ほんと犬姫さまに対して失礼なやろーですね!」


 ローズマリーがすかさずマウントを取ろうとしてくる。

 正直なところ、彼女もプラムとどっこいどっこいのような気がする。

 私の体を洗う手つきがなんとなくいやらしいし……。


「まあ、きみたちが狼神に会いたがっている理由は分かった。そんな面倒な方法でしか話せないのはさぞ不便なことだろう。狼神に気に入られたなら、人間と話せる術を教えてもらえるかもしれないな」


 魔女が戸棚から組紐を取り出し、それを私たちの手に結んだ。


「これはグレイウルフの森でモンスターと遭わなくなる魔除けだ。しかし、身につけてから半日しか効果がないから注意しろ。日没までに狼神と会うことができたら、そのときは狼神の元で一夜を明かすといい」

「狼神さまに気に入られなかったら、モンスターがうようよいる森の中で野宿ですか」


 うげー、とローズマリーが本当に嫌そうに舌を出す。

 魔除けまで渡す念の入れ様から考えて、私とプラムが二人旅をしていたときよりも危険な夜を過ごすことになるだろう。

 プラムとローズマリーを危険に晒すくらいなら、もしかしたら狼神さまに会いに行くのを我慢した方が――


「おい、なーに不安そうな顔してんだ! さっさと行くぞ!」


 うつむいている私をプラムがひょいっと抱き上げた。


「私だってコムギとちゃんと話してみたいんだからな? お前がどんな人間なのか、どういう暮らしをしてたのか、好きなものはなんなのか色々と知りたいし、あとはさっきみたいな軽い口喧嘩とかも悪い気はしないし……」

「うわっ! なんかエモいこと言い出したですよこいつ!」

「う、うるせーな!」


 ローズマリーに茶化されてプラムが顔を赤くする。

 二人のやりとりを聞いていて、私はついニヤニヤとしてしまった。

 この二人と一緒なら、きっと狼神さまとも無事に会えるだろう。

 私はそう信じて魔女の家をあとにした。

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