第7話 勇気を振り絞れ!

「そんじゃ、日没までには帰ってくるから」

「村長さんたちと大人しく待ってるですよ」


 プラムは二つ結びにしたワインレッド色の髪を揺らしながら、ローズマリーは水色のサラサラヘアーを風になびかせながら、血気盛んな若者たちと一緒に山奥へ向かった。

 オーク討伐隊の中にはもちろん狼犬のステラさんもいる。

 私はみんなを信じて村長さんの家で待っていたのだけど、おやつ時を過ぎても討伐隊が帰ってこなくて、ついには日没を迎えてしまった。


 最悪の想像が脳裏をよぎるたび、私は空き部屋のベッドでのたうち回った。

 まさか……いや、間違いなくプラムとローズマリーの身に何かが起こった。

 そうでないと討伐隊が帰ってこない理由が分からない。


 二人が帰ってこなかったら、私はどうなるのかな……。

 一人きりで目的地への旅を続ける?

 いや、そんなことできる気がしない。

 モンスターに襲われたらひとたまりもないし、食べるものも自力で手に入れられない。

 それなら、この村の飼い犬になる?

 ステラさんとは話せるけど、誰も私を人間扱いしてくれないだろう。

 それに……やっぱり……あの二人と一緒にいられないのは寂しい。


 自分が死んでしまったときは全然実感が湧かなくて、悲しさや寂しさをこれっぽっちも感じなかったというのに、あの二人と一緒にいられない未来を想像すると胸が苦しくなって耐えられなかった。

 でも、目から涙は出てこない。

 悲しくて泣く動物は人間だけらしいと聞いたことがある。

 犬の体になった私には、もう泣くこともできないんだ……。


「討伐隊が帰ってきたぞっ!!」


 家の外から大声が聞こえてきて、私は大急ぎで村長さんの家から飛び出した。

 村長さんの家の前にはボロボロになった村の若者たちが集まっている。

 大騒ぎになっているせいで全然状況を把握できないでいると、体に包帯を巻かれているステラさんが私の方にやってきた。


『コムギ! そこにいたのか!』

『ステラさん、無事だったんですね!?』

『ああ……貴様の連れ二人のおかげで村の男たちは全員無事だ。オークの群れも最後の1匹意外は倒せたのだが、しんがりを引き受けた二人が山奥に取り残されてしまった』

『そんなっ……どうしてそんなことに……』


 私に問いかけられて、ステラさんは申し訳なさそうにうつむいた。


『俺たちはオークを最後の1匹まで追い詰めた。しかし、そいつが高濃度の瘴気(ミアズマ)を吸い込んで凶暴化してしまったのだ。あの二人は自らしんがりを引き受けて、俺たち全員を逃がしてくれた』

『それじゃあ、プラムとローズマリーは今も山の中に……』


 怪我を負って動けなくなっている二人の姿を想像してしまう。

 反射的に私は自分でも驚くような言葉を口走っていた。


『助けに行きます!』


 口に出してからハッとする。

 プラムとローズマリーに戦いを任せっぱなしで、わんわんと吠えることしかできない私があの二人を助ける?

 勝算なんて何もないし、行っても足手まといになるだけかもしれない。

 でも、あの二人を今迎えに行けるのは私しかいないのだ。


『俺が道案内しよう』


 ステラさんが言うなり身を翻した。


『医薬品とホロストーンの予備が倉庫に一つ残っている。それを持っていこう』

『はいっ!』


 私は彼の背中を追って走り出す。

 待ってて、二人とも……私が絶対に助けに行くから!


 ×


 医療品とホロストーンの入った革袋を口にくわえて、私とステラさんは夜の獣道を進み続けた。

 人間なら夜目が利かない夜の森でも、犬である私たちなら真昼のように明るく見える。

 獣道は山奥までの近道になるし、モンスターにも見つかりにくい。

 山に入ってから1時間、人間の足の2倍以上の速度で私たちは進んでいた。

 頭上には月が高くのぼっている。

 青白い月は幻想的な雰囲気で、しかし冷たく不気味にも見えた。


『コムギ、気づいたか?』

『はい! ブタに似ている……でも、もっと凶悪なにおい。それから、血のにおいに混じってプラムとローズマリーのにおいも感じます。出血の量はそんなに多くないけど二人とも怪我をしてる。においが薄まっていないので移動はゆっくりだと思います』

『上出来だ。貴様は良い狩猟犬になれるぞ』


 私とステラさんはすっかり師弟のような関係になっていた。

 他の獣からの隠れ方、においのかぎわけ方、効果的な噛みつき方など、ステラさんは狩猟犬の知識や技術を短い時間であれこれと教えてくれた。


『そろそろ合流できるはずだ……むっ!?』


 ステラさんが何かを察知して振り返る。

 私も背後から迫ってくるにおいに気づいて立ち止まった。


『後ろから何か来ます……これは狼のにおい?』

『ああ、しかも話の通じない野生に染まったやつらだ。オークの群れがいなくなったから、侵入者である俺たちを追い出すために出てきたのだろう。俺が足止めしておくから、コムギはあの二人の元へ向かえ!』

『……わ、分かりました! ステラさん、無理しないでくださいね!』


 迷っている時間はないので、私は彼を信じるて任せることにする。

 ステラさんなら、きっと無事に帰ってきてくれるはずだ。

 私一人で再び走り出すと、プラムとローズマリーがさらに強まってきた。

 においの発生源まであと少し。

 心臓が張り裂けそうな思いをしながらも走り続ける。

 私は獣道から飛び出すと、前方に見えた大木のうろに飛び込んだ。


「くそっ……モンスターかっ!」


 うろの中に隠れていたプラムが身構える。

 しかし、飛び込んできたのが私であると分かった瞬間、緊張感でこわばっていた表情が溶けるように緩んだ。


「コムギ!? どうしてここに!?」

「えっ!? 犬姫さまが!?」


 うつらうつらしていたらしいローズマリーも飛び起きる。

 二人とも頭や腕に包帯を巻き、そこかしこに血が滲んでいた。

 かなり体力を消耗しているようで顔色も悪い。


「わんっ!」


 私は口にくわえていた革袋を落ち葉のたまった地面に落とす。

 革袋の中からは医療品と10数個のホロストーンが出てきた。


「よし、これだけあればなんとかなるです!」


 ローズマリーが半分ほどのホロストーンを左手で握りしめる。

 それから、彼女は右手の杖をプラムの傷に向けた。


「瘴気術(ミアズマクラフト)、治癒の中級術式――回復(ヒール)!!」


 杖から暖かな光が放たれる。

 すると、みるみるうちにプラムの体にあった生傷がふさがっていった。

 傷口がかさぶたで塞がり、元通りの皮膚になるまでを早送りで見ているようだ。

 力を取り戻したプラムが立ち上がった。


「これで戦える……で、お前は?」

「自分自身に術をかけるのは上級者でもなかなかできねーことです。せっかく新しい傷薬や包帯もありますし、それで手当てしてもらえたら私は十分です」

「分かった。包帯を変えよう」


 プラムがてきぱきとした手つきでローズマリーの手当てを始める。

 オークの武器が掠めたのか、血の滲んでいる傷口が生々しい。


「悪かったな、コムギ……私たちのことを心配させて……」


 いつになく深刻そうな顔をしているプラム。

 ローズマリーも申し訳なさそうにうなずいた。


「危うく犬姫さまを一人にしてしまうところでした。とっさに格好つけすぎたです」


 格好つけたとはしんがりを引き受けたことを言っているのだろうか?

 プラムとローズマリーは判断を誤ったかもと思っているようだが、私はむしろ村人たちを守るために奮闘してくれた二人のことが誇らしい。

 そもそも二人とも年齢でいったらまだ子供だ。剣や弓の腕が立ち、瘴気術を使えるからといって、命を懸けて戦うことが恐ろしくないわけがない。だらしないところもあるけれど、私はプラムとローズマリーを勇敢なところを素直に尊敬する。


「わんっ! ぐるるるるっ!」


 オークのにおいが近づいてきたのを感じて、私は山の奥に向かって吠える。

 プラムとローズマリーが荷物をまとめて大木のうろから飛び出した。


「よし、逃げるぞ! 私が後ろを警戒するから、コムギが先導して――」


 直後のことだ。

 先ほどまで休んでいた大木が真っ二つに切り裂かれた。

 倒れてきた大木に巻き込まれそうになり、私たちは慌てて茂みの中に飛び込む。

 振り返ると2メートルを軽く超える巨体が倒木を踏みつぶしながら現れた。


 その姿を見た瞬間、私の体が恐怖ですくんでしまう。

 凶暴化したオークの体は通常個体の倍、4メートルはあった。体重はもしかしたら1トンに達しているかもしれない。こいつに体当たりされるということは、私が死んだトラックに轢かれるのと同じということだ。凶暴化する前から使っていただろうと思われる大きな石斧が、今のオークが持つと手斧サイズにしか見えなかった。

 オークの全身には槍や矢が突き刺さっている。しかし、痛みで動きが鈍るどころか、あふれんばかりの殺意をみなぎらせていた。血走った目は私たちを捕らえ、口からは唾液をぼたぼたとこぼしている。


「逃げろ、二人とも!」


 プラムがロングソードを振りかぶって攻撃を仕掛ける。

 けれども、オークが無造作に空いている方の手で振り払った瞬間、彼女の体は簡単に弾き飛ばされてしまった。

 木の幹に背中を叩きつけられて、プラムがぐったりと動かなくなってしまう。

 恐ろしい想像が浮かんできて、私は喉をキュッと絞められたような感覚を覚えた。


「犬姫さまだけでも逃げてください!」


 ローズマリーが残りのホロストーンを左手でつかむ。

 彼女は体の支えにしていた右手の杖をオークに向かって掲げた。


「ミアズマクラフト、光の中級術式――聖槍(ランス)!!」


 ローズマリーの杖から目映く輝く槍が放たれる。

 光の槍はオークの右目に命中し、そこから黒煙が噴き上がった。

 右目の視界を奪ったものの、致命傷にはほど遠い。


「逃げて……逃げて、ください……」


 ローズマリーが力なく地面に倒れ込む。

 彼女の手から十字架のあしらわれた杖が転がり落ちた。

 オークの眼光が私の体を貫き、その場に釘付けにする。


 逃げるって……二人を見捨てて?

 私にできることはきっと何もない。

 凶暴化したオークは私の体の何十倍あるだろう。

 もしかしたら、一口で丸呑みにされてしまうかもしれない。

 でも、私にはプラムとローズマリーが必要だ。

 私の旅に二人がいないのは考えられない。

 破れかぶれの勇気とすら呼べないものかもしれないけれど、私は今……命の危機に直面して初めて逃げたくないと思っていた。


 そのとき、体の奥底から突如として光があふれてくる。

 スポットライトが当たったかのように体が温まり、入念なストレッチを済ませたあとのようにほぐれてきた。

 後ろ足に力が入り、上半身が自然と持ち上がる。

 私は光に包まれながら、気づくと人間のように二本足で立ち上がっていた。


 思わず自分の体を確認する。

 そこにあるのは見間違うはずもない……私の人間の体だった。

 犬の体から戻ったからか、ほとんど一糸まとわぬ姿である。

 胸や股には柴犬の毛を思わせる体毛がふさふさと生えていて、まるで毛皮の下着を身につけているかのようになっていた。

 普段なら驚きと恥ずかしさで取り乱していただろうけど、今の私はまるで風の吹いていない湖面のように落ち着いている。

 ふと自分の背中側で揺れ動いているものがあることに気づく。

 気になって触ってみると、ふわふわとした毛並みの尻尾だった。

 それじゃあ、まさか頭には……。

 ふにっ!

 三角形の犬耳が生えてる!?


 まばゆい光に目がくらんでいたオークが、再び私に鋭い眼光を向けてきた。

 それから、私の脳天めがけて石斧を振り下ろしてくる。

 勢い余ってオークの右手が地面に叩きつけられ、地面を抉り飛ばしたものの、その手に石斧は握られていなかった。

 私の頭に叩きつけられたとき、石斧の方が粉々に砕け散っていたからである。

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