第5話 金欠
ローズマリーと出会った翌日、私たちは乗り合いの幌馬車に乗ってサウスウェッジの街を出立した。
二頭立ての幌馬車の中には私たち以外にも、槍を携えている旅人らしき青年や、農夫らしきおじさんといった人たちが乗っている。アルファベット表で意思疎通できるようになったものの、人前で大っぴらにできないのは困ったものだ。
幌馬車は山間の道をゆったりとした速さで進んでいる。
道には馬車のわだちが深く刻まれており、1時間に1回は別の馬車とすれ違っていた。
ここは日本の江戸時代でいうところの東海道のような交通の要所なのかもしれない。
「なんつーのんびりした旅なんだ。徒歩よりはマシだけどな」
プラムは荷台の床にドカッとあぐらをかいて、足の間に乗せた私を撫でている。
私は人間らしく扱ってほしいと再三アピールしていたものの、こうして体を撫でられるとつい気持ちよくなってしまうのでいまいち強く言えない。もしかして、このまま放っておいたら本物の犬になってしまわないだろうな。
「……で、私たちはどこに向かってるんだっけ?」
「ちゃんと聞いてなかったんですかぁ?」
ローズマリーはプラムの隣にいわゆる女の子座りをしている。
プラムをじろっとにらみながら、何気なしに私を自分の膝の上に移動させた。
「昨日の夜にみっちりと説明を……説明……しましたですよね?」
「いや、知らねーよ! 私、酒飲むと記憶なくなるし!」
「私だって酒飲むと記憶なくなるんですよ!」
この人たち、なに張り合ってんの?
私は酒に飲まれるような大人にはなるまい……大人?
二人とも日本の法律でいったら未成年じゃん!!
「しょーがねーですね。最初から説明してやるです」
ローズマリーが私の顔をむにむにした。
「私たちが向かっているのはエディンポートにある聖父母教会の四大聖堂のひとつ、聖グレイシア大聖堂です。そこには犬姫さまを人の体に戻すための方法が残されていて、大司教さまはその術に精通しているです。しかも、超美人なんです!」
「エディンポートかぁ……行ったことないな。どれくらいかかるんだ?」
「毎日こつこつ移動を続けて1ヶ月ってところじゃねーですかね」
「そんなにかかるのか……」
「寄り道とか旅費稼ぎをしなければ半分くらいで着きそうですけど?」
「そりゃ無理だな」
プラムが私をローズマリーの膝から奪い返した。
二人とも、そんなに私の体を触りたいの?
「私らはなにしろ金がない。どこかで旅費を稼がないと話にならない……ていうか、昨日の出立の準備をした時点で金がなくなった。それに私一人ならともかく、この三人で野宿をするのは危険すぎる。どこかちゃんとした宿に泊まりたいが、それもそれで金がかかる」
「ほほーう……ちゃんと犬姫さまの身の安全を考えてるじゃねーですか」
ローズマリーがニヤニヤ顔でからかう。
プラムは不本意そうに口をへの字にしていた。
「べ、別に心配してるわけじゃねーよ! コムギはそもそも私のゆたんぽ係なんだからな。寒い夜に凍え死にたくないだけだ。それに人間の言葉を理解しているからって、こいつが犬姫かどうかも分からないわけだし、ちゃんと確かめないことには……」
「はいはい、分かったですよ」
ローズマリーが私を奪い返そうと手を伸ばす。
それに気づいたプラムが私の体をガッと押さえた。
私の体を巡って二人の押し相撲が始まる。
やめてやめて! 二つに裂けちゃうから!
そんな風に二人が小競り合いしているときだった。
前方にモンスターのにおいを感じて、私はそちらへ向かって吠えまくった。
このにおいには森の中をさまよっていたときに嗅いだ覚えがある。
リザードマンと呼ばれる人型は虫類のモンスターだ。
人間の子供くらいしかないゴブリンとは違って、背丈は人間の大人と同じくらいあって、しかも木に登ったり四つん這いで走ったりと器用な動きをする。そんなやつらが10匹ほど、この馬車に向かって接近してきているようだ。
幌馬車の荷台と運転席を仕切っているカーテンから、プラムが立ち上がるなり顔を出した。
「モンスターが近づいてるっ! そこを代われっ!」
「ええっ!? いきなりそんなこと言われても――」
「つべこべ言うんじゃない!」
戸惑っている御者を荷台に引きずり込み、プラムは手綱を奪って運転席に座ってしまう。
手綱を力強くふるって、二頭立ての馬を猛スピードで走らせた。
でこぼこ道で車輪が跳ね上がり、荷物を積み卸しする側のカーテンがはためいて、荷台の片隅に転がっていたジャガイモが馬車の外へすっ飛んでしまった。このまま荷台に座っていたらお尻が痛くなりそうだ。
「ローズマリー、こっち来い!」
「ああもう、仕方ねーですね! 迷える子羊を守るのも聖職者の使命です!」
プラムから呼ばれて、ローズマリーも荷台から運転席に移る。
ちなみにいかにも戦えそうな槍を持った青年は、他の客たちと一緒になって頭を抱えてブルブルと震えていた。その槍は飾りなの!? とツッコミを入れたくなってしまうけど、きっとあの二人の肝の据わり方が特別なのだ。
「来たぞっ!」
山道を挟んで生え広がる木々の合間から、人間から奪ったとおぼしき武具を身につけたリザードマンが飛びかかってくる。
ぎょろりとした目つきに緑色の鱗、長い尻尾に地を這うしゃかしゃかした動き。
人型はしているものの間違いなく人間とは異なる生物だ。
プラムは左手に手綱を握ったまま、器用にショートボウの矢を放つ。
矢は一発で脳天に命中し、倒れたリザードマンは黒煙になって消えていった。
「なけなしの石ですが仕方ねーですね!」
ローズマリーが左手でホロストーンを握り、右手の杖をリザードマンへ向ける。
「瘴気術(ミアズマクラフト)、氷結の下級術式――氷柱(アイシクル)!!」
杖から放たれたのは投げ槍のように鋭い氷柱だった。
氷柱はリザードマンの胴体に突き刺さり、その全身をあっという間に凍らせる。
地面に落下したリザードマンの体は氷もろとも砕け散った。
二人は襲いかかる敵の群れを次々と蹴散らす。
これなら安全か、とホッと胸を撫で下ろしたときだった。
荷物を積み卸しする側のカーテンが切り裂かれたと思うと、突如として鉈を持ったリザードマンが荷台に乗り込んできた。プラムとローズマリーの注意が正面へ引きつけられている間に単独で回り込んできたらしい。
「わ、わんっ! わんっ!」
私は震える声で必死に吠える。
しかし、でこぼこの地面を全力疾走している馬車がガタガタと音を立て、リザードマンたちが奇声を上げている状況では、私の吠える声は簡単にかき消されてしまった。
私とリザードマンの目が合う。
ここで目をそらしたら、きっと他の客たちが襲われる……そんな予感を覚えた。
命の危険を感じて体が震えてくる。
頼りない子犬の体で何かできるとは思えない。でも、プラムとローズマリーが頑張って戦っているのに私だけ守られているだけでいいの? わんわん吠えてモンスターの接近を知らせるだけで満足なの?
「……ぐるるるるっ!!」
私は鉈を持ったリザードマンを精一杯に威嚇する。
負けたくないと思った瞬間、体の奥底から力が湧いてきたのを感じた。
なんだろう、この初めて覚える感覚は……。
私の威嚇に気圧されたのだろうか、リザードマンが一瞬ひるんだときだった。
「コムギ、よくやった!!」
操縦席から荷台へ戻ってきたプラムがロングソードでリザードマンを一突きにする。
胴体の中心を貫かれたリザードマンは、全力疾走する馬車から放り出された。
「さて……これで全部か?」
プラムに聞かれて、私は「わんっ!」と返事する。
さっきの1匹でモンスターのにおいは全てなくなっていた。
「馬車、一旦止めるですよーっ!」
手綱はローズマリーが握っているらしい。
車輪が跳ね上がりそうな勢いで走っていた馬車がようやく停車した。
荷台にいる御者と乗客たちがホッと胸を撫で下ろす。
すると、プラムがいきなり御者の肩をぽんぽんと叩いた。
「……で、それなりのお礼はあるんだろうな?」
×
「あの御者、自分は雇われだからって全然お礼しないでやんの!」
「全くシケたやろーです! 親父さん、赤ワインのおかわり!」
リザードマンの群れを退けたあと、私たちは馬車に揺られて次の宿場にやってきた。
馬車を守ってもらったお礼として、御者はポケットマネーからなけなしの銀貨をプラムとローズマリーに渡した。雇われの身の上なら、お礼できるようなお金を持っていなくても仕方ないだろう。けれども、実際に命懸けで戦ったプラムとローズマリーは納得しなかった。その結果、二人は憂さ晴らしとばかりに酒場で飲んでいるである。
お金がないなら飲んでる場合じゃないんじゃないの?
そう思いつつも人前ではアルファベット表を使えないので、私は酒場の床で大麦と豆の入ったミルク粥を食べていた。
ヘルシーで体にはよさそうだけど、お肉が食べたかったなぁ……。
「ていうか、お前は聖職者なのに酒なんか飲んでいいのかよ!」
もっともな指摘をするプラム。
ローズマリーは「ふっふっふ……」としたり顔になった。
「あんた、ちゃんと聖書は読んだんですか? 神さまが地上へ使わした最初の人間である聖父母ですが、聖父の仕事はワイン職人、聖母の仕事はパン職人なんですよ? すなわち赤ワインは聖父からの恵みだから、どんだけ飲んでも構わねーってことです!」
「それじゃあ、その肉はどうなんだよ」
二人の目の前にある木皿には、厚切りの炙りベーコンが何枚も載っている。
丹念にスモークされているようで、燻製特有のかぐわしいにおいが漂っていた。
「聖父母教の敬虔な信徒は肉を食わないって聞いたことがあるぞ」
「私は見習いだからいーんですよ!」
ローズマリーが炙りベーコンをかじり、それから木製のジョッキで赤ワインをあおる。
プラムが飲み始めてから一瞬で真っ赤になったのは言うまでもないが、ローズマリーも負けず劣らずの赤ら顔になっていた。
この子が神学校に通っていたのなら、誰がお酒のおいしさを教えちゃったわけ?
それとも案外、聖父母教の内情はゆるゆるなのだろうか。
「お前みたいなのを生臭坊主って言うんだな……親父、ワインおかわり!」
「お嬢ちゃん、おかわりはいいけど金はちゃんとあるんだろうね?」
「あるに決まってるだろ! これで最後だけど!」
プラムがカウンターに銅貨を叩きつける。
最後のお金なら自信満々に出さないでよ!?
酒場の店主はあきれ顔で銅貨を受け取ると、空っぽのジョッキに赤ワインを注いだ。
ちゃんと宿代は確保してあるのだろうか。
プラムとローズマリーが同時に赤ワインを飲み、空っぽになったジョッキをカウンターテーブルに叩きつけて、顔を見合わせるなり「あっはっは!」と笑い出す。
こ、この酔っ払い共め……。
私が呆れて二人に背を向けたときだった。
「ああっ! ここにいらっしゃった!」
ドアを押し開けて男の人が酒場に入ってくる。
私はその顔に見覚えがあった。
この宿場に来るとき、同じ馬車に乗っていた農夫のおじさんである。
おじさんは私たちに近づいてくるなり、
「あなたたちに我々の村をお救いいただきたいっ!!」
必死の形相で訴えてきた。
これはまさか、ファンタジーRPGによくあるクエスト的なやつでは!
お金がすっからかんの私たちにとっては渡りに船の提案である。
これは受けるしかないと思って振り返ると、
「くかぁー」
「ふごごご……」
プラムとローズマリーはテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。
ははーん、さては二人とも実は仲良しだな?
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