第4話 犬姫さま伝説
犬姫さま。
目の前に現れた女の子は私をそう呼んだ。
「おいおい、揉め事ならよそでやっておくれよ?」
女の子につかみかかる寸前のプラムを目の当たりにして、優しい女将さんも流石に顔をしかめている。
プラムは大きくため息をつくと「とりあえず、外で話すか」とドアを指さした。
興奮していた女の子も冷静になったようで「望むところです!」と決闘のような口上を言い放ち、私を床に下ろして酒場から出て行った。
私たちは牛の角亭をあとにして、落ち着いて話せる場所を求めて街を歩いた。
いきなりやってきた女の子は聖職者……なのだと思う。
全身タイツのようなぴっちりとしたインナーの上に、十字架をモチーフにしたデザインの法衣を羽織っている。彼女も長旅をしているのか、服には若干の砂埃が付着しているものの、白を基調とした着こなしには清潔感があった。荷物は背中のリュックと右手に持っている金属製の杖で、杖には服と同じように十字架があしらわれている。
透明感のある水色の髪を伸ばしており、風に吹かれてさらさらとなびいている。気合いが入っているのか、それとも元からなのか、目つきはにらめつけるような三白眼だ。背丈はプラムより拳一つ分は低く、見たところ15~6歳くらいなので女の子としては平均的だが、この体格で一人旅をしているのかと思うと流石に心配になってくる。盗賊に襲われたら簡単に連れ去れてしまいそうだ。
プラムが立ち止まったのは馬車駅の片隅だった。
駅には荷馬車や箱馬車がたくさん集まっている。旅人たちが乗り合いのために話し合っていたり、行商人たちが荷物の積み卸しをしていたりと忙しそうで、誰も私たちのことなど気にしていないようだった。
「……で、あんた何者だよ?」
プラムが丸太を組んだ柵に寄りかかる。
聖職者らしき女の子は杖でトンと地面を叩いた。
「ローズマリー・エッセンシアと申しますです。聖父母教会の見習い司祭です」
聖父母教というのは、このフォースランド王国の国教にあたる宗教らしい。馬車に揺られてサウスウェッジに向かう途中、十字架や聖人らしき夫婦像を奉っている教会や、それらに向かって祈っている人々を何度も見かけた。
プラムが露骨に顔をしかめた。
「うっ……やっぱり教会関係者か……」
「あなたも聖父母教の信徒であるとお見受けするですが?」
「私はプラムだ。旅の剣士……」
ローズマリーと名乗った女の子に指摘されて、プラムが首から提げているロザリオをブラウスの中へ仕舞う。
森の中をさまよっていたときは気づかなかったけど、彼女はいつもロザリオを身につけていたらしい。もしかして意外と信心深いタイプなのだろうか? それにしては聖職者に苦手意識を持っているようだけど……。
別に何でもいいですけど、という具合にローズマリーが肩をすくめた。
「私は神学校を卒業して、地方の女子修道院に派遣される途中でした。その途中、何気なく覗き込んだ酒場でその子犬さんを見つけたわけです。この見たことない不思議な犬種……この方は伝説の犬姫さまに間違いねーです!」
犬姫さま。
実に気になるワードであるが、ちゃんと説明してもらえるだろうか?
私にはプラムとローズマリーの会話に耳を傾けることしかできない。
「犬姫ってあれだろ? 教会の本棚にある昔話の絵本の……」
「あれは子供向けに書かれたものですが史実です。犬を助けるために命を投げ出した別世界の少女が、犬の姿を借りて私たちの世界へ転生する。その犠牲の心はまさに聖人。聖父母教会の信徒にとって、その転生した心優しき少女を保護して人の体へ戻してあげることも、大切な使命の一つなのです。ちゃーんと元に戻せる方法もあるです」
ローズマリーの説明を聞いて、私の体毛がぞわっと逆立った。
心優しいという部分はともかくとして、犬を助けるために命を落とし、犬の姿を借りて転生したという流れは完全に私と一致する。しかも、ローズマリーの言い方からすると人の体へ戻る方法があるようにも聞こえた。
「で、こいつがその犬姫さまだって?」
プラムが無造作に私の体を持ち上げる。
「私も小さい頃、野良犬を捕まえては犬姫さまかもしれないって教会へ連れて行ったな……つまるところ、元々は人間かもしれないから野犬を放置するなっていう教訓から生まれたタイプの昔話だろ? 実際に教会で捨て犬の里親探しとかしてたしな」
「ちーがーいーまーすーでーすーっ!」
ローズマリーが唐突に私の後ろ足をガバッと開かせた。
「よし、ちゃんと女の子ですね」
「わふっ!?」
私は反射的に彼女の顔面を蹴り飛ばしてしまう。
人間だって分かってるなら、もっと人間らしく扱ってよっ!!
「あたた……ともかく、本人に確認するのが一番です。犬姫さま、あなたは人間ですか?」
「わんっ!!」
ローズマリーに問いかけられて、私は大きくうなずきながら返事する。
プラムが呆れたように天を仰いだ。
「いやいや、呼ばれて返事してるだけだろ……」
「フッ……こんなこともあろうかと意思疎通の手段を用意してあるです」
ローズマリーが背中のリュックから丸めた羊皮紙を取り出して地面に広げる。
そこにはこの世界のアルファベットが書かれていた。
「こちらは旅先の学校や巡礼教会で、フォースランド語の授業をするときに使っているアルファベット表です。犬姫さま、この表を使って試しに私たちと話してくださいです」
よしきた!
私は意気揚々と右の前足でアルファベットを指し示していった。
わ た し の な ま え は コ ム ギ 。
べ つ の せ か い か ら、 う ま れ か わ り ま し た 。
に ん げ ん に も ど り た い で す 。
「ほらーっ! やっぱり犬姫さまだったですよーっ!」
「これ、ホントかぁ?」
鬼の首を取ったように喜ぶローズマリーに対して、プラムは顔をしかめて訝しんでいる。
これで信じてもらえないと本当に困るんですけど!
「偶然じゃないのか?」
徹底的に疑ってくるプラムに対して、流石の私も少しイラッとしてくる。
私は怒りを込めてアルファベットを次々と指さした。
プ ラ ム 、 た す け く れ て あ り が と う 。
怒っているといっても、いきなり文句を言うわけにもいかない。
お礼を言ってみて反応を伺ってみると、プラムはぷいっと後ろを向いてしまった。
「な、なんだよ……いきなりお礼なんか言ってきて……」
「分かったですか、プラムさんとやら? このお方は犬を助けるために命を投げ出した心優しき聖人……人の体に戻してあげなければ申し訳ねーわけですからして、このローズマリーが責任を持って引き取るです!」
「はぁっ!? 待て待て待てっ!!」
プラムが慌てて振り返ってローズマリーに詰め寄る。
「こいつは私のゆたんぽ係だぞ!」
「なんですか、ゆたんぽ係って?」
「肌寒い夜にこいつを懐に入れて寝ると暖かいんだよ!」
「それなら別の犬でも構わないでしょう」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
歯切れの悪い言い方をしているプラム。
私はこのままローズマリーに引き取られるのだろうか?
プラムを説得する彼女の表情は真剣そのもので、犬姫さまの伝説についても、人の体に戻せるという話も嘘には思えない。
でも、これでプラムと離ればなれになってしまうかと思うと……それはそれで寂しい。私たちが一緒にいたのはほんの1週間くらいだけど、その間の時間はこれまでの人生を振り返っても断トツに密度が高かった。
モンスターに命を狙われたり、空腹を満たすために獣を狩ったり、生きるために二人とも一生懸命だった。私の嗅覚がプラムの命を救ったこともあったし、プラムの奮闘によって私の命が救われたこともあった。そんな背中を預けられるような相手との出会い、きっと生まれ変わったりしなくても貴重だったはずだ。
それなら、私の取るべき選択は……。
そのときだった。
路地からボロをまとった男が飛び出してきて、いきなり私の体を拾い上げた。
「きゃんっ!?」
男はかすれた麻袋に私を突っ込み、そのまま走り抜けて別の路地へ逃げ込む。
もしかして、私ってば連れ去られた!?
なんでっ? 人間と話してるところを見られたからっ?
麻袋に空いた小さな穴から、
「待てこらーっ!!」
「ちょっ……待ちやがれですっ!!」
プラムとローズマリーが追いかけてきているのが見えた。
二人とも旅の荷物を背負い、プラムに至っては防具を身につけているものの、旅慣れした健脚でしっかしついてきてくれている。
しかし、私を担いでいるのは街の裏路地に精通しているのか、細く入り組んだ道をすいすいと進んで二人を少しずつ引き離していった。
「弓で……いや、わんこに当たったらまずい!」
プラムがリュックにくくりつけた弓へ伸ばした手を引っ込める。
「おい、シスター! 瘴気術(ミアズマクラフト)は使えるんだろ? なんとかして、あの男を足止めしろ!」
「ええっ!? 私がやるんですかっ!?」
ローズマリーが目をまん丸にして自分の顔を指さした。
「そ、そりゃあ、ミアズマクラフトは学校で習いましたけどね……」
「さっさとやってくれ! 私がミアズマクラフトがへたくそなんだ!」
「……ねーんです」
「なに?」
「ホロストーンを1つも持ってねーんです! 昨日換金して飲んじまったんです!」
この子も飲んべえなの!?
というか、聖職者なのにお酒を飲んじゃっていいわけ!?
プラムが顔をしかめながら、腰の革袋をローズマリーに投げ渡した。
「無駄遣いするなよ!」
「よし、神学校式の本格的ミアズマクラフトを見せてやるです!」
ローズマリーが革袋からホロストーンを1つ取り出し、それを左手で握りしめる。
それから、前方を走る男に向かって右手の杖を突きだした。
「ミアズマクラフト、神罰の下級術式――束縛(バウンド)!!」
呪文の詠唱を終えた瞬間、右手の杖から真っ白な光線が発射される。
まさに魔法らしい不思議現象を目の当たりにして、私は麻袋の中でびっくりした。
プラムもミアズマクラフトを使えるものの、これまで見たのは投げたホロストーンを光らせるやつしかない。どうやら彼女自身が言ったとおり、ミアズマクラフトには得手不得手や才能の有無がありそうだ。
ローズマリーの杖から放たれた光線が、生き物のようにうねりながら男を追いかけて、ついにその両足をぐるぐると縛ってしまった。
男は勢いよく前のめりに倒れて、私の入った麻袋が投げ出される。
私は地面を転がりながら、なんとか麻袋から出ることができた。
男がとっさに懐からナイフを取り出す。
そこに追いついたプラムはナイフを蹴り飛ばすと、腰から抜いたロングソードを男の目の前に突きつけた。
いくら相手が転んでいるとはいえ、刃物を持った男に詰め寄るとは度胸がある。
プラムの勇敢さには驚かれっぱなしだ。
「てめー、この野郎! 私のゆたんぽ係を誘拐するとはどういう了見だ、こらぁっ!」
「ひぃっ!? す、すいやせぇん……」
ボロをまとった男が地面に頭をこすりつける。
この世界でも追い詰められた人間は土下座で謝るらしい。
「二人で真剣に取り合っているもんだから、てっきり高く売れる犬種なのかと思って……それにお腹が空いていたんで、売れなかったら犬鍋にして食べようかと……」
私、また犬鍋のピンチだったの!?
二人にに助けてもらえて本当によかった。
「こ、こんな可愛い犬姫さまを犬鍋にするなんて罰当たりな……」
犬鍋発言を聞いたローズマリーがあんぐりと口を開けている。
プラムは「そ、そだな……」と複雑そうに同意していた。
「それじゃあ、あっしはこの辺りで……」
ボロをまとった男が両足を光線で縛られたまま、ぴょんぴょんと跳びはねて路地の向こうへ退散する。
ようやく一難去ったところで、プラムとローズマリーが同時に私を抱き上げた。
「全く心配したぞ、わんこ……じゃなくてコムギ!」
「怖い思いをされたですよね……ああ、おいたわしやです……」
本当に心配してくれているようで、二人ともちょっと泣きそうな顔になっている。
そんな二人の気持ちが伝わってきて、私は胸の奥がじわっと熱くなるのを感じた。
「わんわんっ! わんっ! わうんっ!」
「むっ? 何か言いたげですね?」
ローズマリーが意図を察して、アルファベット表を地面に広げてくれる。
私は肉球スタンプを押すように次々と文字を指さした。
わ た し は ふ た り と い っ し ょ に い た い 。
に ん げ ん の か ら だ に も ど り た い 。
さ ん に ん で 、 た び も し て み た い 。
これが私の正直な気持ち。
プラムとローズマリーが顔を見合わせた。
「私は行き先が決まってるわけじゃねーし、三人旅でも問題ないけどな」
「ふむ、ちょうど犬姫さまを守るのに戦力がほしかったところです」
三人の意見がぴったりと一致。
こうして、私とプラムとマリーローズの三人旅が始まった。
私は犬だし、二人はお酒大好きだし……でも、きっとなんとかなるよね。
そんな前向きな気持ちになれる瞬間だった。
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