第2話 私、飼い犬になる

 よし、今日は犬鍋にするか。

 女剣士の思いつきによって、私の運命は決められてしまった。

 ゴブリンを顔色ひとつ変えず真っ二つにした彼女である。雨に濡れた可哀想な子犬の毛皮を剥がし、三枚に下ろして鍋で煮込むくらい造作のないことだろう。そもそも犬を食べる文化圏の人なのかもしれない。


 とにかく、なんとかして犬鍋は回避しないと!

 女剣士から逃げるのは得策ではないだろう。そもそも逃げられそうにないし、またゴブリンに襲われたらひとたまりもない。なんとかして、女剣士が私を守ってくれるように機嫌を取らないと……。


 女剣士が顔を近づけてくる。

 よし。

 私は意を決して、女剣士の顔を舐めた。


「うわっぷ!?」


 びっくりして目をつぶる女剣士。

 私は恥も外聞もなく、彼女の顔をぺろぺろしまくった。

 今の自分にはこれくらいしか思いつかない。


「お前、随分と人懐っこいんだな」


 女剣士が私を地面に下ろし、べとべとになった顔をマントで拭う。

 私は八の字を描くように彼女の足下を駆け回った。

 楽しそうに尻尾を振るのも忘れない。

 ほらほら、自分に懐いてくる小動物を食べるのはためらわれるでしょ?

 問いかけるようにわんわんと鳴いていると、


「あーもう、分かった! 分かったから!」


 女剣士が困った顔をして頭を抱えた。


「とりあえず保留! 保留する! 分かったか?」


 私は元気に「わんっ!」と返事して、言葉の通じる犬だとアピールする。

 女剣士が恨めしそうに私を見下ろした。


「凶暴な野犬だったら問答無用で捌いてたんだけどなぁ……もしかして、お前って誰かの飼い犬だったのか? 狩猟犬って雰囲気はしないけど、こんなに人懐っこいやつが森の中で置き去りっておかしいだろ?」


 私は再び「わんっ!」と返事をしておく。

 飼い犬でも狩猟犬ではないけど、今はそう思われていた方が都合よさそうだ。

 とりあえず、今すぐ犬鍋にされるのは回避できて一安心する。

 しかし、その矢先のことだった。

 女剣士の後方から嗅ぎ覚えのあるにおいが漂ってきた。


 犬の嗅覚が優れているからか、微かなにおいなのにはっきり判別できる。においに色と形があるかのようだ。においの発生源が森の奥であることも、それが先ほどのゴブリンと同じにおいであることも、それが大群であることも分かってしまった。


 ゴブリンが10匹以上の集団なのは間違いない。

 しかも、それらが高速で近づいてきているのも分かる。

 いくら女剣士が強くても、空腹の状態で戦えるかは分からない。


「わんっ! わんっ! ぐるるるるるっ!」


 私は森の奥に向かって吠えたり喉を鳴らしたりしてみる。

 女剣士はハッとした顔で振り返ったかと思うと、きびすを返してすぐさま走り出した。


「おい、わんこ! さっさと逃げるぞ!」

「わんっ!」


 私も女剣士の背中を追って駆け出す。

 戦い慣れているだけあってか、彼女の判断は実に素早かった。

 この人はやはり頼りになりそうな予感がする。


 しかし、先んじて逃げ出して余裕ぶっていたのもつかの間、においの発生源はあっという間に距離を詰めてきた。ゴブリンは小柄ながらも、かなり足の速い生き物らしい。すでに背後の茂みから猿のような鳴き声が聞こえてきている。

 それに全力で走っているのに少しずつ女剣士と離れてきてしまった。大雨の中を走っているから、体毛がぐっしょりと濡れて重くて仕方がない。それにそもそも子犬の体では女剣士と体力が違いすぎる。


「わんこ! もっと早く走れないのかっ?」


 無理ですっ!!

 体力面もきついけど、林道もかなり走りづらくてきつい。体高30センチそこそこの柴犬ボディでは、女剣士の踏んだ水たまりが思い切り顔面に降りかかってくるし、自分の前足で跳ね飛ばした小石がお腹に当たったりする。


「わんこ、後ろに隠れろっ!!」


 女剣士がロングソードを抜きながら振り返る。

 そうして振り返りざまに飛びかかってきたゴブリンを切り伏せた。

 茂みの中から飛び出してきたゴブリンの集団は、仲間が目の前で倒されたというのにひるむことなく襲いかかってくる。女剣士は私を背中に隠したまま、ロングソードを振り回してゴブリンを倒し続けるものの、彼女の表情から余裕さは一切感じられない。

 そんな中、1匹のゴブリンが女剣士の斜め後ろから飛びかかってくる。

 真正面に集中している彼女にとっては完全な死角。


「わんっ!!」


 私が反射的にそちらへ吠えると、


「そこかっ!!」


 女剣士が振り返りながら、死角から襲ってきたゴブリンをなぎ払った。

 人間の体だったらガッツポーズを取りたいくらいに連携が上手くいったものの、ゴブリンは倒しても倒しても全然減らない。女剣士は息が荒くなっていく一方で、私を守りながらではじり貧になるのは目に見えていた。


 こうなったら私も一緒に戦って……いや、ムリムリっ!

 道路に飛び出して子犬を助けようとしたのは体が無意識のうちに動いたから。

 自分の意思で命を危険に晒すなんて、そんな大胆なことできるわけがなかった。


「あーもう、仕方ねーなあ!」


 女剣士がやけくそ気味に腰の革袋をひっくり返して、たまっていた虹色に光る石をじゃらじゃらと手のひらに取り出した。ビー玉くらいの大きさの石がこんもりと山になり、雨露に濡れてキラキラと光っている。

 女騎士はそれから呪文らしき文言を詠唱した。


「瘴気術(ミアズマクラフト)、光の下級術式――閃光(フラッシュ)!!」


 直後、地面にばらまかれた虹色の光が強烈な閃光を放つ。

 女剣士は私を抱きかかえると、一目散にその場から逃げ出した。


 ゴブリンたちは目がくらんだようで、顔を手で覆って地面にうずくまっている。こちらを追ってくる様子はないので、今度こそ振り切れたと考えていいだろう。集団で人間(と犬)を襲うなんて本当に危険きわまりないモンスターだ。

 私も目がチカチカしたものの、女剣士がだっこしてくれたおかげで軽く済んだ。彼女の判断の速さには驚かされるばかりだ。あの虹色の石はそれなりに価値があるだろうに、ゴブリンの目くらましにするためにほとんど全部使ってしまった。


 こんなにも子犬の私のために頑張ってくれるだなんて……。

 もしかしてツンデレなキャラ?


「おい、わんこ」


 女剣士が私の顔をじっと見つめてくる。


「お前、今から私の非常食な」


 前言撤回。

 この人、やっぱり容赦ない。


 ×


 女剣士は私を抱きかかえたまま1時間以上も走り続けた。

 驚異的な体力を持つ彼女も流石に走り疲れたらしい。林道から少し外れたところにある洞穴の中へ逃げ込み、近場からかき集めた薪でたき火を起こす。荷物を地面に下ろすと、乾いた岩の上に座り込んだ。

 女剣士が防具を外し、服を脱いでたき火で乾かし始める。

 私もたき火に当たって、ぐっしょり濡れた体毛を乾かした。

 洞穴の外では雨が降り続けており、湿った風が洞穴の中にも時折吹き込んでくる。すでに太陽は沈んでいるため、頼りになる明かりはたき火の明かりだけだ。モンスターを火で追い払えるのを祈るばかりである。


「なーんもねーなあー」


 女剣士が地面に下ろしたリュックを漁る。

 しかし、食料はパンのひとかけらも出てこなかった。

 彼女は恨めしそうに私をにらみつけてくる。

 まさか、もう非常食の私に手を出そうというのか……。

 悪い予感が的中したのか、女剣士が私の体を不意につかみ上げた。


「きゃんっ!?」


 どういうわけか、彼女は私の体を逆さまに持ち上げる。

 それから、真剣な顔をしてじぃっと見つめてきた。


「お前、メスだったのか……」

「わふっ!?」


 私は反射的に後ろ足をぴったりと閉じる。

 う、奪われた……人間の尊厳を……。

 顔から血の気が引いていくのを感じる。


「なんだ? 急に元気がなくなったな?」


 女剣士が不思議な顔をして私の体を下ろす。

 見ず知らずの人に股を覗かれたらこうもなるよ!!

 腹が立って仕方ないけど、柴犬である私は泣き寝入りするしかない。


「なあなあ、そんな腹立てるなって!」


 女剣士が地面に落ちていた小枝を拾い上げる。

 何を思ったのか、それを洞穴の入口めがけて放り投げた。

 私は反射的に投げられた小枝を目で追ってしまい、気がつくと小枝に向かって全力で走り出していた。小枝が地面に落ちる前に空中でキャッチして、口でくわえて女剣士の元までUターンしてしまう。

 女剣士は小枝を受け取ると、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「なんだ、遊んでほしかったのかよ。もっと投げてやろうか?」

「わんっ!」


 わんっ……じゃないよ!

 私は脳内でセルフ突っ込みを入れる。

 犬の本能が働いて、つい投げられた小枝を追いかけてしまった。

 尻尾も私の意思に反して楽しそうにフリフリしてしまっている。

 もしかして、私は段々と単なる犬になってしまっているのではないか……。

 不安に思っていると、急に冷たい雨風が洞穴へ吹き込んできた。

 たき火の火がかき消されて、洞穴の中がほとんど真っ暗になってしまう。

 幸いにも犬である私は夜目が利き、真っ暗な中でも女剣士の姿を見ることができた。


「くそっ……湿気ってる……」


 カチカチと火打ち石を叩く音が洞穴に響き渡る。

 女剣士は何度も着火を試みたものの、たき火はしっとりと濡れたままだった。

 たき火がなくなると急に空気が冷えてくる。

 私は体毛が乾いたおかげで、それほど寒さは感じなかった。

 そもそも犬は裸で生活しているわけで、これくらいの肌寒さはなんともないのだろう。

 それに対して女剣士は本当に寒さと空腹が身に応えているらしい。リュックからボロボロで薄っぺらな毛布を取り出し、体育座りの姿勢でくるまったものの、あっという間に全身が凍え始めてしまった。


「どうしてこんなことになっちゃったかな……」


 女剣士が両膝に顔を埋める。

 彼女の声は今までの威勢の良さからは想像できないほど弱々しい。

 顔色は青白くなり、ピンク色だった唇も血色が悪くなっていた。

 小動物のように震える彼女を見ていると、胸を締め付けられるような気持ちになってくる。

 私はすかさず女剣士の懐へ潜り込んだ。


「わんこ……暖めてくれるのか?」

「わんっ!」


 冷え切っていた女剣士の懐がぽかぽかと暖まってくる。

 彼女は私の体を抱き枕のようにギュッと抱きしめた。

 二人分の体温に包まれて、私はうつらうつらとしてしまう。

 私たちが眠りに落ちるまで、そう時間は掛からなかった。


 ×


 翌朝は昨晩と打って変わって、清々しい青空になった。


 日が昇って目覚めたあと、女剣士は私を連れて狩りに出かけた。森にはシカやイノシシといった普通の獣も暮らしていて、私の鼻はそういった動物たちのにおいも判別できた。私がにおいで獣を見つけて、女剣士が弓矢で狩るというスタイルで、私たちはあっという間に野ウサギを3匹も仕留めることができた。

 女剣士の野ウサギを捌く手つきは鮮やかで、かなり手慣れていることが分かった。私は生まれて初めて、野生の獣が食肉にされる光景を目の当たりにした。大きなショックを受けたものの、覚悟を決めていただきますをした。


 私たちはそうして空腹を満たすと、一夜の宿にした洞穴を発った。

 足下は泥だらけでべちゃべちゃになっているものの、森の木々から木漏れ日が差し込み、マイナスイオンたっぷりという感じで歩いているだけで森林浴を楽しめる。モンスターの気配も全く感じない。


「昨日は……その……助かったよ」


 前を歩いている女剣士が不意に言った。


「おかげさまで凍え死なずに済んだ。今朝もウサギを捕るのを手伝ってもらったしな……そういうわけで、お前を非常食にするのはやめにする。その代わりにわんこ、お前は今から私のゆたんぽ係だ!」

「わんっ!」


 私は元気に返事をして飛び跳ねる。

 よしよし、これで犬鍋やら非常食やらにされるのは避けられそうだ。

 そんな風に一安心していると、女剣士が急に立ち止まって振り返った。


「それから、私の名前はプラムだ。ご主人さまの名前をちゃんと覚えておけよ?」

「わんっ!」


 いや、わんって元気に返事しちゃったけど!

 私、この人の飼い犬になるので本当にいいのかな?

 若干釈然としないものの、旅の仲間ができたことを今は素直に喜んでおいた。

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