第10話

「ユリア!」


 アリスはレストランの個室に入ると、先に来ていたユリアを見つけてぱっと顔を輝かせた。まさに「花がほころぶような」という表現が相応しい、実に愛らしい笑顔である。


「会えて嬉しいわ。この前は急に帰ってしまうから、一体どうしたんだろうってすごく心配してたのよ」

「そうね、この前はいきなり帰って失礼したわね」

「ううん、いいのよ、気にしないで。私とユリアの仲じゃないの。それより一体どうしたの? 急用だって言ってたけど、あのとき何だか真っ青だったし。もしかして、なにか悩みでもあるんじゃないの?」

「ええ、確かに悩みがあるわ」

「まあ、それってもしかしてアンドリューさまのこと? 私で良かったら相談に乗るわよ」

「いいえ、アンドリューさまのことじゃないわ」

「え?」


 虚を衝かれた表情のアリスを、ユリアは真正面からまっすぐに見据えた。


「私の悩みの原因は、貴方よアリス」

「……私?」

「ええそうよ。ねえアリス。教えてちょうだい、一体どうしてアンドリューさまにあんな嘘をついたのか」

「私が嘘を? さっきから何を言ってるの? ユリアったら、なんだか少しおかしいわよ」


 怪訝そうに首を傾げるさまは、無垢な少女のようにあどけなく、まるでこちらが理不尽な言いがかりをつけているような気分になってくる。しかしもう、惑わされるわけにはいかない。


「とぼけないで。アンドリューさまに私が無口でクールな人が好きだとか、ピンクが好きだとか、ダンスが嫌いだとか、嘘八百吹き込んだじゃないの」

「ああ、そのこと。でも嘘八百だなんて、そんな酷い言い方しなくてもいいじゃない……ほんのちょっとした冗談なのに、そんな風に言うなんてあんまりよ……っ」

「泣き真似は止めて。私は理由を聞いてるの。貴方はアンドリューさまにでたらめを吹き込んで、私が彼に不信感を持つよう仕向けた。おまけに私が彼とうまくいきそうになったら、今度はお茶会でわざと鉢合わせさせて、彼が楽しそうに話しているところを見せつけた。……ねえアリス、私は貴方になにかした? こんな仕打ちを受ける心当たりが全くないんだけど」


 アリスはしばらく「ひどいわ……」「ユリアがそんな言い方するなんて……」と肩を震わせてすすり泣いていたが、やがて効果がないと悟ったのか、涙をぬぐって顔を上げた。今までとは打って変わった、ひどくふてぶてしい表情だ。


「別に、理由なんてないわよ。ちょっと意地悪したくなっちゃっただけ。だって理不尽じゃないの。なんでユリアが私の結婚相手よりも格上の公爵さまを捕まえるの? 学生時代はずっと私の引き立て役だったくせに」

「私のことをそんな風に思ってたのね……」

「だって現にそうだったでしょう? 私はお姫さまで、貴方は怖いお目付け役だったじゃないの。自分が男子学生からおっかない女って言われてたのは知ってるでしょう?」

「知ってるわよ」


 知っていたけど、アリスに「ユリアだけが頼りなの」とすがりつかれると断れなくて、いつも憎まれ役を引き受けていた。他の友人たちには「あの子は貴方が思っているような可憐なお姫さまなんかじゃないわよ」とさんざん忠告されていたのに、耳を傾けなかった己の愚かさが悔やまれる。


「じゃあ貴方みたいな人は、アンドリューさまには釣り合わないって分かるでしょう? 私の方がよっぽど彼に相応しいのにって思ったら、ちょっと意地悪したくなっちゃったの、それだけよ」

「それだけ、ですって?」

「大騒ぎするようなことじゃないわ。この程度で壊れるんなら、しょせんその程度の仲だということだしね」

「……貴方はルイスさまと愛し合ってるんだとばかり思ってたわ」

「そりゃあルイスさまのことは愛してるわよ? なんといっても侯爵さまだもの。それに凄いお金持ちだし、求婚されたときは嬉しかったわ。でも貴方の相手が公爵さまなら、嬉しさだって半減だわ。ルイスさまは見た目もぱっとしないしね」

「貴方の考えはよく分かったわ。この件はルイスさまにも報告させてもらうから」

「どうぞどうぞ、好きにすればいいんじゃない? 貴方やアンドリューさまが何を言おうと、ルイスさまは私の方を信じるわよ。あの人私のことを天使だって崇め奉ってて、どんな馬鹿な嘘でも信じ込むのよ。笑っちゃうわ」

「ああ、本当に笑えるね」


 突然響いたバリトンに、アリスは慌てて辺りを見回し、驚愕に目を見開いた。


「ぱっとしなくてすまなかったね。まさか天使のような君が、僕のことをそんな風に思ってたなんて知らなかったよ」


 部屋の奥にある衝立の陰から現れたルイス・アンダーソン侯爵は冷たい声で言い放った。


「え、うそ……」

「アンドリューに君のしたことを聞かされたときは信じられなかったし、信じたくはなかったよ。こうして隠れて立ち聞きしてたのも、アンドリューに頼まれたから、それで彼の気が済むんならって気持ちだったんだが……まさか本当にそれが君の本性だったとはね」

「え、そんな、違うの! これは違うのよ! 誤解なの!」

「もういいよ。いくら僕でもさすがにもう騙されるつもりはない。あとで屋敷の方に弁護士を寄越すから、今後のことはそいつと話し合ってくれ。僕は君がいなくなるまで……いやあのピンクの屋敷の再改装が終わるまで、ホテルにでも泊まるつもりだ。じゃあな、アリス、もう顔も見たくない」

「私も同じ意見よ、さようなら、アリス」


 ユリアとルイスは「違うの! 違うのよぉ!」と泣き叫ぶアリスを置いて、店を出た。

 


 

 通りに出ると、ルイスはため息とともに言った。


「なんというか、妻が迷惑をかけたね。まあ、もうすぐ元妻になるわけだけど」

「いえこちらこそ、友人がご迷惑をおかけしました。もう元友人ですけどね」

「色々あったみたいだけど、アンドリューのことよろしく頼むよ。あいつはすごくいい奴で、君のことが大好きなんだ」

「はい、知ってます」


 彼がどれだけ自分のために一生懸命で、あれこれ心を砕いてくれたか、ずっと鏡越しに見て来たのだから。

 ユリアは柔らかにほほ笑んだ。

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