第5話

 それからしばらくして、ユリアは王太子夫妻が主催する舞踏会に招かれた。伯爵以上貴族は軒並み出席する大規模なもので、エスコート役はもちろん婚約者であるアンドリュー・グリアスン公爵だ。

 夜会の当日、アンドリューが迎えに来るのを待ちながら、ユリアは鏡の中の己に苦笑いを浮かべた。


「我ながら哀しいくらいに似合わないわね」


 大人びたきつい顔立ちに、エレガントなドレス。そして甘くて可愛らしい首飾り。アクセサリーだけがまるで借り物のように浮いている。


 とはいえ今日はあれから最初の夜会だし、身に着けないのはやはり非礼に当たるだろう。また鏡の中の彼が「婚約者が贈ったものを使ってくれない」ことをやたらと気にしていた件も、ユリアに身に着けることを決意させるに十分だった。

 もっともアンドリューは「彼」と違って婚約者に対して関心はないし、ユリアが何を着けようが気にしないかもしれないが。


 やがてメイドに呼ばれて階下へ降りると、迎えに来たアンドリューが正装姿で立っていた。普段の外出着も素敵だが、やはりこういう格好をすると、水際立った美男子ぶりが眩しいほどに感じられる。


「こんばんは、ユリア」

「こんばんは、アンドリューさま」

「それは……」

「ええ、アンドリューさまにいただいた首飾りですわ。とても気に入っていますのよ」


 ユリアが精いっぱいの作り笑いを浮かべると、アンドリューは無言のまま、気まずそうに視線を逸らした。


(なによその態度! 貴方が贈った首飾りじゃないの!)


 どうせ「別の女をイメージしながら婚約者にピンクを贈ってみたら、思った以上に似合わなくて、いたたまれなくなった」といったところだろうが、それにしたって嘘でもいいから一言くらい褒めるものではなかろうか。


(こんなことなら着けなきゃ良かった。今からでも外したい気分だわ)


 怒り心頭のユリアに対し、アンドリューはおもむろに革張りの箱を差し出した。


「その首飾りなんだが……私の手違いで、君の趣味に合わないものを贈って申し訳ないと思っている。代わりにこれを贈りたいので、今日はこっちを着けてくれないか?」

「これを私に……? 開けてみてもよろしいですか?」

「ああ、もちろんだ」


 箱を開けると、そこにはブルーサファイアをメインに据えた、シックで洗練されたデザインの首飾りが燦然と輝いていた。


「まぁ……」

「今度は気に入って貰えただろうか」

「ええ、もちろんです、本当に素敵……」

「そうか。それは良かった」


 そういうアンドリューは相変わらずの仏頂面だが、なにやら少し嬉しそうに見えた。

 

 実際に身につけてみると、新しい首飾りは本当に驚くほどユリアにしっくりと似合っていた。ユリアの艶やかな黒髪や青い瞳、きつい顔立ちを見事に引きたてながら華やかさを添えて、なんだかいつもの二割り増しくらいに美人になった気分である。




 高揚した気分のままパーティ会場に到着して、主催の王太子夫妻に挨拶すると、二人はさっそく踊りの輪の中に加わった。

 ユリアはもともとダンスが得意だが、今日はいつも以上に身体が軽く感じられた。アンドリューの巧みなリードで羽が生えたような心地である。

 アンドリューはいつもファーストダンスが終わるとあっさり離れてしまうので、今までじっくりと堪能したことはないのだが、実は結構な踊りの名手ではなかろうか。


「アンドリューさまはダンスがお上手なんですね」

「そうか?」

「はい。もうすぐ曲が終わるのがもったいないくらい。もっと踊っていたい気持ちですわ」


 はしたないと思われたかしら、とアンドリューの顔色をうかがうと、彼は「君はダンスが嫌いじゃないのか?」などと意外なことを言い出した。


「いいえ? 踊るのは大好きですわ」

「そうなのか……やはり変わるものなんだな」

「はい?」

「いや、君さえよければ二曲目もこのまま踊ろう」

「はい!」


 三曲目も、四曲目も二人はそのまま踊り続けた。ユリアが挑発するように難しいステップを踏むと、アンドリューは危なげなくそれに応えて、さらに難易度の高い技を入れてくる。まるで競い合うように踊り続けて、ようやく輪を抜け出したときには、周囲からわっと拍手が沸き起こった。

 気が付けばすっかり注目の的になっていたようである。


「なにか飲み物を取って来るよ。リクエストがあれば教えて欲しい」

「ありがとうございます。それじゃ炭酸が入っててさっぱりした物をお願いします」

「分かった」


 ユリアが椅子に座って息を整えていると、後ろから「久しぶりねぇユリア!」という甘えた声がした。振り返ると案の定、親友のアリス・アンダーソンが満面の笑みを浮かべて立っていた。

 ふわふわしたピンクブロンドにはしばみ色の大きな瞳。すでに人妻だというのに、相変わらず妖精のような愛らしさだ。


「この前のラフロイ邸のお茶会以来かしら。もうユリアったらアンドリューさまと婚約してから、私にはちっとも構ってくれなくなっちゃうんだもの、私さびしくてたまらなかったわ。ねぇユリア、私のこと嫌いになっちゃったの?」

「なにを言ってるのよアリス、そんなことあるわけないんじゃない。でも、そうね。最近はちょっと会えてなかったわね。近いうちにまたお茶会を開きましょう」

「じゃあ今度は私が招待するわね! おうちの内装を全部ピンクに変えたからすっごく可愛いのよ。ユリアにも見てもらいたいわ」

「そうなの、それは楽しみだわ」


 以前アンダーソン侯爵邸に招かれて行ったことはあるが、重厚で格式のある大変すばらしい内装だったと記憶している。あれを全てピンクに染め上げるとは、アリスは夫のルイスからよほど愛されているに違いない。


「ところでユリア、その首飾り、とっても素敵ね」

「ありがとう。アンドリューさまからいただいたの」

「え、アンドリューさまから? ……ふうん、ユリアってアンドリューさまとは上手くいっているのね」

「ええまあ、上手くいっているというか……まだちょっとぎくしゃくしてるけど、少しずつ打ち解けてきたところなの」

「そうなのね。でもアンドリューさまって……」


 言いかけて、アリスはふいに声をひそめた。視線の先には、飲み物を手に戻ってくるアンドリューの姿があった。


「それじゃ、また今度ねユリア」

「え、ええ……」


 アリスはなにを言いかけたのだろう。その不自然な態度は心に引っかかったものの、休憩を終えて踊りを再開すると、あっという間に忘れてしまった。



 その晩はまさに舞踏会の名にふさわしく、一晩中踊り続けた。そして心地よい疲労に包まれて家に帰ると、日が高くなるまで熟睡した。


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