World.3 リンネ
1
柱に縛りつけられた金髪の少女。
「お願い…………たすけ…………」
悲鳴にも似た掠れ声。
その必死の呼びかけに、カイは一言も応えられなかった。言葉を失っていたからだ。
……この女の子……。
……人間じゃない。いったい何の種族だ!?
少女の背中には
背中に生えた一対の翼の
黒と白のグラデーション。
悪魔族? それとも幻獣族の天使種か?
「天使と悪魔……」
天魔? そんな種族など存在しないはずなのに。少女の
「────」
じゃらり、と。
少女を
「……あなたは……だれ……?」
呼びかけに応えなかったことを、声が届かなかったと判断したのだろう。少女が再び、今にも消え入りそうな声を必死に唇から紡ぎだす。
「誰って……」
カラカラに
聞きたいのはこちらの方だ。いったい何者なのだ。なぜこんな空間で、こんな痛ましい
「──リンネ」
「リンネ? お前の名前か?」
「…………」
こくんと少女が
「お願い……たす……け…………」
「お、おい!?」
言い終える前に、少女は意識を失って
……だけど。助けろって、あの
……それを
近づいた途端に
だが、カイが
「────わかったよ」
第九
少女からはその
「助けてすぐ襲いかかってくるのは無しだからな」
リンネと名乗った少女を見上げて
──金属音。
堅い音が響きわたるなか、カイは目を見ひらいた。
「硬っ!?……この鎖、どんな強度してるんだ!?」
鎖が、剣を
「なら──」
略式ドレイク弾の
少女を傷つけないよう柱の裏側にあたる鎖を破壊する──だが、
「……
悪魔を倒した炸裂弾でさえ傷一つ付けられない。
無理やり引っ張れば人間の腕力でも引きちぎれそうな細い鎖が、まるで魔法でもかかったかのように硬いのだ。
「これで無理なら、どうしろっていうんだよ……」
カイの手持ちの武器はこの銃剣のみ。
それがまるで通じないとなると、他にどんな手段なら鎖を破壊できる?
「…………待て。そういえばさっきの声」
墓所の内部にいた時のこと。
リンネの声とは別に、
「
刹那。
右手に
「熱っ!?……っ。これは!?」
黒塗りの
──剣名に反応する
放熱が収まった後に。
カイの手には、
うっすらと透ける刀身は、これそのものが至上の宝石であるかのごとく美しい。
剣でありながらも巨大な一本の「
その神々しき刀身。
「頼む!」
──しゃらん、と。
鈴のような音を立てて鎖の
落下する
「…………」
「お、おい!?……何がどうなってる。ここは
意識を失ったまま落下する少女をカイは抱きとめた。
驚くほどに軽い
「だけどこの子の耳」
あらためて彼女を眺めて気づいたことがある。
「エルフ?」
淡い金髪からうっすらと
……エルフの耳。いやエルフの耳って多分もっと長いよな。記録で見たかぎり。
……人間とエルフの耳の、ちょうど間くらいか。
蛮神族に分類されるエルフ種の耳。そして背中には天使と悪魔の翼。
「エルフも天使も蛮神族だっけ。ってことは悪魔族と蛮神族のハーフ? だけどこの子、それ以外は人間そっくりだし……」
そう。
倒れている
愛らしく
翼さえ隠せば、十六歳前後の少女で押し通せるに違いない。
それも神秘的な可憐さを
「人間と蛮神族と悪魔族の……混血? いやまさか」
存在するわけがない。異種族間で子供が生まれることなど起きないはずなのだ。
しかし、だとすればリンネと名乗るこの少女は?
「……っ、…………ぅ…………」
少女の
肩が小さく震える。その後に、閉じていた
「お、おい? 意識、戻ったんだよな?」
「────」
前ぶれもなく少女が目をみひらいた。
と思いきや、
「ヴァネッサ────────────ッッ! よくもわたしを閉じこめてくれたわね。負けてない、わたしはまだ負けてないんだから!」
少女が、背中の翼を大きく広げて
目の前のカイを指さして。
「こんな弱そうな下級悪魔でわたしを止められるとでも?
「え!? ちょ、ちょっと待て!?」
「勝負はここからよ!」
少女が叫んだ名は
ウルザ
……悪魔に
……だけど
「待て勘違いだ、俺は悪魔なんかじゃない。そもそもお前を──」
「うるさいうるさい、さっさとヴァネッサを連れてきなさいってば!」
激しく首を横にふった少女が両手を
その両の掌に、混色の光を放つ
「法術っ!?」
しかし、あの輝きは何だ。
法術は種族によって色が違うとされている。悪魔族なら紫や黒。天使やエルフなら白を
しかし何十、何百という色が重なり合った法術はいったい?
「アンタみたいな下級悪魔、わたしの敵じゃないんだから!」
法術の光が押し寄せる。
「っ、エルフ弾──」
法術の輝きが視界を埋めつくす。
その刹那に。
〝
剣から響く、
「くっ!」
それに疑問を
シドの剣。陽光色に輝く
──リィン、と。
鈴の音にも似た音を
「……法術が消えた?」
思わず
法術を斬る
一方で、法術を放った少女は。
「…………うそ」
リンネが
カイと、カイの
「な、何よ今の!? 悪魔のくせにそんな武器を使うなんて知らないわ!」
「だから悪魔じゃないって言ってるだろ」
「え?」
「頭に血が上って聞いてなかったわけか。……ほら、人間だろ。悪魔の
両手を広げてみせる。
少女の全身から立ち上っていた敵意が消えていくのを感じながら。
「助けてやった身だし。俺に敵意がないことくらいはわかってほしいんだけど」
「……あなたが、わたしを助けた?」
「他に誰がいるんだよ。ここ、俺たちしかいないんだから」
「…………」
開いていた翼が折りたたまれていく。
カイから見えなくなるくらい翼を小さくする。それが「不戦」の意思の表れだろう。
「ごめんなさい。わたし、悪魔に
しゅんと
だがすぐに、少女は小さくうめき声を上げてふらりと膝をついた。
「
「ああ。さっきまで意識を失ってたからな。急に光を浴びたから」
明らかに人間ではないはずなのだが、その仕草からして人間そっくりだ。
「さっきヴァネッサって呼んでたよな。悪魔の英雄のこと?」
「…………」
無言で、リンネがこくんと
「わたしを閉じこめた張本人だもん。だから、ここにいるのはアイツの部下だと思ったの」
「俺のどこを見たら悪魔に見えるんだ?」
「わ、わかんないわよ! わたし……種族が違うし……気が気じゃなかったから」
そう言うリンネの翼は、長髪に隠れてカイからは見えない程に小さくなっている。
「種族が違うってことは悪魔じゃないんだな?」
「天魔──」
偶然か。
リンネが名乗った種族はカイが思い浮かべたものと同じだった。
「……って呼ばれたこともあったわ」
「『本当は違います』って意味に聞こえるけど」
「ど、どうでもいいでしょ種族なんて。そんなの何でもいいじゃない!」
語気を強めてリンネが叫んだ。
──ふれて欲しくない。
そう思わせるように、その大粒の
「助けてくれたことには礼を言うわ。攻撃しちゃったことも謝る。でも種族のことは……言わないで。その話は好きじゃないの」
「……わかった」
「わかってくれて
ともすれば社交辞令のような返事だが、ほっとしたように表情を
「ねえ人間、あなたは」
「カイ」
苦笑を押し隠してカイは答えた。種族は間違っていないが、目の前でそう呼ばれるのはさすがに抵抗がある。
「人間なんて言われるの慣れてない」
「……わたし、リンネ」
「一つ聞きたいんだけど、俺たち今どこにいるんだ。悪魔の英雄と戦って、それでここに閉じこめられたって言ったよな」
「うん。でもここが
リンネがふり返った。
繫がれていた円柱を見上げ、続いて何かを警戒する面持ちで辺りを見回して。
「
「一騎打ち!?」
さらりととんでもない言葉を口にするリンネ。
……相手は、悪魔の英雄だぞ?
……ソイツと戦って生き残ってるだけで、とんでもないことじゃないのか。
だがこんな場所に
「……もしや、めちゃくちゃ強い?」
「ふふん
自慢げにリンネが胸を張る。
「わたし強いのよ。悪魔の大群も、よっぽど強い奴がいなかったら
「……そんな強さで
「だ、だからソレは謝ったじゃない! 本当に誤解だったの!」
少女の顔が耳まで真っ赤に。
エルフに似た耳がぴょこんと横に跳ねたのは、おそらく動揺の表れだろう。
「でも危なかったのね。カイが
「俺が防いでなかったら?」
「
「手加減なしにも程があるだろ!?」
「ねえ、でもどうやったの? わたしの法術を防いだのって」
「ん? ああ、実は俺もよくわかってないんだけど……」
英雄の剣をちらりと見下ろす。
かつて預言者シドは、この剣で大戦を戦い抜いたとされている。
……四英雄に剣一本でどう
……さっきのがその答えか?
剣から聞こえた声の通りならば「運命」を斬る。
リンネの法術で
「たぶんこの剣が──」
「うんうん。この剣が?」
何もないはずの空間に、音もなく
〝運命特異体■■■が覚醒。新世界への
〝
さながら残虐に破壊された
現れたのは、身体のあちこちが欠損した奇怪な異種族の少女だった。
外観は人間のそれに
そして頭部が二つ。
だが違う。
……リンネとは違う。
……なんだ、このどうしようもない寒気!?
「こいつよ!」
声を引き
「
「じゃあ悪魔か?」
だが本当に? この怪物が
「逃げましょう。こっち!」
リンネの決断は早かった。
こちらに向かって手招きするや、三本の円柱の奥に向かって走りだす。
「わたしがここに引きずり込まれたのは
だが、そのリンネの頭上に影。
「リンネ! 上だ!」
「……え?」
宙に生まれたもう一つの黒点。そこから怪物の右手にあたる触手が
『運命特異体■■■を捕獲』
少女の悲鳴が、こだました。
『
無数の
そして消去。
リンネの
「あ……あ?……い、いや……いやぁぁぁぁっっ!」
リンネが
救いを求めるように。だが、その手さえも黒渦に
少女の身体が消えていくのを
「────────っっっふざけんじゃねえよっ!」
……この何もかも理不尽みたいな世界で。
……目の前にとんでもない怪物がいて……だからどうした!
ここには英雄の剣がある。
カイ自身も、四種族という強大な相手のために死に物狂いで修練を重ねてきた。
どんな敵にも
ゆえにカイが
「止まってんじゃねえよ
陽光色の剣を全力で
「シド、あんたの剣を借り受ける!」
輝く
──リンネを離せ!
ざぁっと音を立てて、雲が晴れるように
『………………!?』
触手を切断された怪物がよろめく。
『
「こっちだリンネ!」
それに構わず少女の手を取って引き寄せた。
「走れるか!?」
「……だ、だいじょうぶ!」
「行くぞ。あんな奴の相手する必要なんてない!」
その手を取ったままカイは
リンネが指さす方角へ走り続け、その先に──
「あった! あれよ!」
光の
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
悪魔の墓所。
「……はぁ……っ……ぁ……逃げ……られたの、か……?」
あの異様な怪物がいつ追ってくるか。
乱れる息であたりを
「リンネ?」
倒れこんだ格好で少女は動かない。そう思いきや。
「──────っ!」
リンネが跳ね起きて、しゃがみこむカイへと抱きついてきた。
「お、おい!?」
「………………こわかった……の…………っ…………
声にまじる
カイの首に手を回して抱きつく少女は、ふるえていた。
「本当に……本当に…………こわく……て…………」
「────」
「……うそ……じゃない、もん…………」
「ああ。俺だって本気でヤバイと思った。同じだよ」
無理もない。あんな怪物に
「しばらくこうしてろ。落ちつくまで待っててやるから」
リンネは無言。
言葉のかわりに小さく
「…………あたたかい……」
やがて、
「ん?」
「こんなことしてもらったの、初めて……」
初めて感じる温もり。
それが意味するところを察し、カイは思いきって問いかけた。
「仲間は?」
「そんなのいない」
少女の答えはあまりにも
「ずっと……一人だもん…………わたし、仲間なんていない…………親もいない……何もいないの。わたし、気づいたら一人だったから」
「────」
気づいたら世界に一人。
リンネが口にした言葉に、カイは顔をしかめていた。身を以て知っている。この少女の苦しみが痛いほどに伝わってきたからだ。
……何の皮肉だろうな。
……俺だけじゃなかったわけだ。
世界すべてから
まさか、その感情を共有できる相手がこんなところにいるなんて。
「わたし……自分の種族のこと知らないの。だからずっと一人ぼっち。蛮神族にも聖霊族にも幻獣族にも『お前は違う』って言われたから」
「悪魔族も?」
「一番ひどかったわ。『醜い
戦いは激化し、
それが、ここに
「……俺もだよ」
その一言に。
抱きついていたリンネが顔を上げた。
「カイも? どういうこと、人間なんでしょ。人間なんて沢山いるじゃない」
「知り合いがいない。一人もいなくなったから、似たようなもんさ」
幼なじみのジャンヌも、
「……いなくなったって。死んだの?」
「いいやピンピンしてる。だけど何もかも忘れちまったらしい。……ま、おかしくなったのは俺の方かもしれないけど」
「どういうこと? カイはおかしくなんかないでしょ」
「いや。これを言うとリンネにも笑われるかも」
「笑わないよ?」
抱きついたままの態勢で、リンネ。
「わたし、カイのこと笑ったりしない。カイがわたしのこと笑わないから」
「……俺、人間が負けたのが信じられないんだ」
首を横に振ってカイは続けた。
「俺が覚えてるかぎり、五種族の大戦に勝ったのは人間だった。なのに、歴史が逆転したとしか思えない。人間は負けて、かわりに人間の都市を悪魔が
「え? 待ってカイ」
抱きついていたリンネが離れた。
「どういうこと。悪魔がのさばってるって」
「ん?」
「わたしが
「そんなことっていうのは?」
「悪魔が人間の都市を占領してるっていう話。そんなの聞いたことないもん」
ぼんやりと宙を見つめる彼女。
しばらく無言で考えて、リンネが「あっ」と声を漏らした。
「わたしが覚えてるのもカイと似てるかなぁ? わたしが
「っ! それはどうして!」
「人間の英雄……だったと思う。カイの方が詳しいでしょ?」
耳を
まさか異種族であるリンネの口から、その言葉が紡がれるなんて。
「人間の中にすごく強いのが出てきて、それが人間の英雄だって悪魔が騒いでて──」
「シドを知ってるのか!」
「きゃっ!?」
思いあまって、カイの方がリンネを抱き寄せていた。
「リンネ、シドを見たことがあるのか!?」
「ちょ、ちょっとカイってば……し、知らないわよ。人間の名前なんて興味ないもん」
「あ……そうか。そりゃそうだよな」
だが、この世界のサキやアシュランは「人間の英雄などいない」と言っていた。
つまり「人間の英雄」という言葉が出ることそのものが、リンネが、
「カイ?」
「……よかった……」
抱きついていたリンネから手を離す。
暗い天井を見上げ、カイは心の底から
──やっと出会えた。
こんな何が起きたのかもわからない状況で、人間が大戦に敗れて都市を
自分の
「? カイ? ねえ、何がよかったの?」
「俺たちが仲間だってこと。同じ記憶を持ってる仲間だったんだよ」
「……なかま?」
リンネは今ひとつ要領を得ていない面持ちだ。
それもそう。親も同類の種族もいない中、こんな突然に出会った人間から「仲間だ」と言われても、すぐには釈然としないだろう。
「ほっとしたってこと。さっきリンネが、助かったって俺に抱きついてきたのと同じ」
「……そうなの?」
「ああ。どうやら俺たち、お互い一人ぼっちってわけじゃないらしいぜ」
預言者シドは実在した。
そして五種族大戦でシドが勝利した歴史も間違いなく存在する。
世界中のすべての人間が忘れてしまったのだとしても、自分とリンネだけは正しい歴史を覚えている。同じ記憶を共有していたのだ。
「……わたしが一人ぼっちじゃないって?」
「俺がいる。頼りになるって保証はできないけどさ」
「…………」
リンネがまじまじとカイを見上げた。
四つんばいに近い姿勢で、
「……なんだよ」
「そんなことわたしに言うの、カイが初めて」
「俺だってこんなこと言うの初めてだよ」
「そっかぁ……」
そう言って。
リンネが口元をくすりとほころばせた。
「じゃあ一緒だね」
彼女が初めて誰かに見せる、慣れない不器用な
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