World.4 救いがたき人類を救うもの

       1


 しつこくのピラミッドの外へ。

 さっと頭上を照らす西日に、カイは反射的に目をつむった。

「……夢じゃないんだよな。これまでのこと全部」

 墓所の内部でシドの剣を見つけた。

 さらに、奇妙な異空間に閉じこめられていた少女リンネを助けた矢先に、奇怪な怪物におそわれて命からがら逃走してきた。

 こんな話を誰が信じるというのだろう。

「俺だってまだ半分くらいゆめうつつの感じだけど……」

 まぎれもない現実だ。

 なぜならカイのすぐ後ろに、その少女リンネがついてきているのだから。

「うー、まぶしい! 太陽なんて久しぶりかも」

 目を細めたリンネが、おそるおそる墓所の外へと顔を出した。

 とがった耳を金髪から少しだけのぞかせて、その背中に天魔のつばさを広げて歩いてくる。

 蛮神族と悪魔族と、人間。

 一目見ただけでも三種族の特徴を宿やどした少女──

「ねえカイ、ここどこ?」

 そんなリンネが、げんそうな顔つきで荒野を見渡した。

「ウルザれんぽうにある荒野。世界大陸の北側だけど見覚えないか?」

「……覚えてないの。ずっと閉じこめられてて」

 地平線の端から端までをリンネがじっとにらみつける。

「このあたりが悪魔の支配地になってるの? 悪魔の姿は見えないけど」

「悪魔の大半は人間の都市にみついてる。この辺りは悪魔の数も少ないさ」

 人類反旗軍レジストの資料から得た知識だ。

 ウルザ連邦の王都ウルザークは悪魔のそうくつになっている。同時に、とらわれた人間たちがれいとして暮らす場所でもある。

「この国の王都が、リンネの戦った冥帝ヴアネツサねぐらになってる。ここは王都から離れてるけど一体か二体は見回りがいるかもな」

「……ねえ」

 翼を広げたリンネが背中を反らして天をあおいだ。

「カイはこの先どうするの」

「俺? ああそこだよな。墓所に来たのも思いつきだし、ここから先は」

 言いかけた矢先。

 カイの見ている目の前で、翼の少女がふらりとよろめいた。

「リンネッ!? おい!」

 翼を広げたまま地に膝をつき、リンネがうつぶせにくずおれる。

「……あ。あれ? おかしいな。全然、力なんて使ってないのに……」

 声をふるわせながら、リンネ。

 上半身を反らして起き上がろうとするも、すぐに力つきてまた倒れこむ。

「たぶん、ずっとはりつけになってたからだ。急に歩いたせいだと思う」

「……わたし、一人で立てるよ?」

「無茶するなって」

 肩を組んで起き上がらせる。

 リンネから伝わってくる力は、生まれたての赤子のように弱々しい。カイが肩を組んで起き上がらせても、まだ足がおぼつかずにぎゅっとしがみついてくる。

 そんな彼女をしばし見つめて。

「リンネ、どこも行くアテがないなら一緒に来るか」

「カイと?」

「俺につかまってないと立てないくらい疲れてるんだから、一緒にいなきゃダメだろ。人間の町なら悪魔におそわれる心配もないだろうし」

「……わたしが人間のところに?」

 声のトーンが跳ね上がったのは、それだけ予想外の申し出だったからだろう。

 うつむくリンネが無言で思案して。

「……嫌」

 血を吐くような口ぶりでそう言った。

「五種族はぜんぶ信用できないよ。悪魔族も蛮神族も聖霊族も幻獣族も。わたしが近づいただけで『違う』って匂いでバレちゃうから……」

「人間も?」

「……人間も信用できない……好きじゃないもん」

「俺は?」

 リンネが口ごもった。

「……カイは……わたしのこと助けてくれたから……」

「俺はいいんだな」

「でもっ! カイがそうでも、人間は違う」

「だったら俺だけ信じてついてくればいいさ。俺がうそついてると思ったり信用できないと思ったら引き返せばいい。それで済む話だから」

「────」

 リンネは言い返さない。

 それが無言の肯定であるとわかって、カイは墓所を下っていった。

 そうこう車へ。

「……これ、動いてるの見たことあるわ」

「なら説明が楽で助かるよ。リンネは俺の隣な。そうそう、その助手席」

 車輪が、回転。

 四輪どうのオープンカーが走りだすなか、初めて「乗車」を体験するリンネはというと、早くも真っ青な顔で滝のように脂汗を流していた。

「リンネ? おいリンネ?」

「な、なな、何よこれ!? 動く! 動くわ。お尻がムズムズして気持ち悪いっ!」

「タイヤの振動だよ。すぐ慣れる」

「ウソ! いくらカイでも信じられない……い、いやぁ降ろしてぇぇぇっっっ!?」

 助手席で、無理やり絶叫マシンジエツトコースターに乗せられた子供のごとく泣き叫ぶリンネ。

 挙げ句のはてに、隣で運転するカイにしがみついて。

「たすけてカイっっっ!」

「わっ!? っておい、待てリンネ。踏んづけてる! ギアの操作レバー踏んづけてる! 車が────」

 二人の悲鳴が荒野に響くまで、時間はさほどかからなかった。


       2


 ウルザれんぽう・第十主要駅ターミナル

 はいきよと化したビル群が連なる市街地を、そうこう車が走りぬけていく。

 警戒すべきは、巡回する悪魔の存在だ。

 ……悪魔に尾行されてる可能性もあるもんな。

 ……サキとアシュランからも絶対にバレるなよって念押しされたし。

 人類特区ヒユーマンシテイへの入り口だけは知られてはいけない。運転しながらも常に尾行を警戒しなければならないのだが。

 今は、リンネが悪魔族の法力を感知できる。

「リンネ、どうだ?」

「ううん平気。悪魔の法力は感じないよ」

 助手席のリンネ。

 初めての乗車体験も落ちついて、今は安心しきった様子で座席に身体からだを預けている。

「ねえカイ、こんな場所に人間の住処すみかがあるの?」

「ああ。もうすぐ大きなビルが見えてくるけど、その地下から町に行けるから」

「……本当になってるのね」

 ひびだらけの車道。

 れきの山が埋めつくす風景を眺めて、リンネが助手席から身を乗りだした。

「わたしが冥帝ヴアネツサと戦った時は、悪魔はずっと東の火山にんでたわ」

「俺もそう覚えてるよ」

 悪魔の本来の住処は、しやくねつの火山地帯。

 カイの所属する人類庁ではそう記されていた。

 五種族大戦時の記録と推測できるが、リンネがめいていヴァネッサと戦ってこうそくされたのが、まさにその頃のことだろう。

「カイは、この世界が『変わった』って言ったよね?」

「ああ。こっちじゃリンネしか信じてくれないだろうけど」

 ここにいたるまでの車内で、カイは自分が見たままをリンネに伝えた。

 ──あの時からだ。

 世界が急変した。ビルも道路も人も何もかもが空に吸いこまれていって、それからだ。人類が大戦に勝利した歴史が、逆に敗れた歴史になっていた。

「昨日までは俺も半信半疑だった。でもリンネと会えたから、もう迷わない」

「迷わないって、何を?」

「ここは俺たちのいた世界じゃない。俺たちは、大戦の結果が逆転した歴史の世界にいる──って。そう信じぬくことをさ」

 同じ歴史きおくを共有しているリンネがいる。

 彼女の存在が、今の自分にとって何と心強いことか。

「どうせ俺たちの間でしか話さないし、二人で覚えてる歴史が正史ってことにしていいと思う。シドって人間がいた歴史の方な」

「じゃあこっちは?」

「俺たちの覚えてる歴史とは違う『別史』の世界。そういう認識になると思う」

 正史と別史。

 この両者の歴史をわけへだてるもっとも大きな違いが、「預言者シドの存在・不存在」であることはうたがいがない。

 シドがいたことで、百年前に大戦で勝利した正史の世界。

 シドがいないことで反撃の機を失い、三十年前に大戦で敗北した別史の世界。

 その両者が入れ替わった瞬間が、カイの目撃した事象だった可能性が高い。

「リンネはこっちの世界は好き?」

「大っ嫌い」

 少女が口をとがらせて断言した。

「一番嫌いなのが悪魔族で次が蛮神族。どっちもわたしのこと『きたない』とか『のろわれてる』とか言うの。そいつらが世界をぎゆうってるんでしょ? 絶対にお断りよ」

「なら──」

。でしょ?」

「ああ。『脱出』って表現が正しいのかもまだわからないけど、とにかく俺たちの覚えてる正史の世界に戻りたいな」

 なぜこんな世界の異変が起きたのか。

 人間の技術でできることとは思えない。

 ならば人間以外。真っ先に思いあたるのが四種族のいずれかという説だ。強大な法力を有する四種族ならば、これだけの事象も可能かもしれない。

「リンネさ、これが法術のせいってことは考えられる?」

「わかんない。聖霊族の法術に変わったものが多いんだけど、違う気もするし……」

 と。

 とうとつに言葉を区切ったリンネが、顔を上げた。

「人間のにおいがする?」

「もうすぐ着くよ。車を停めたら到着だ」

 第十主要駅ターミナルビルの裏側へ。

 うずたかく積もったれきの間に車を留め、リンネを降ろす。

「ここの地下に人類特区ヒユーマンシテイがあるんだ。俺も昨日来たばかりだけど」

 辺りをうかがうリンネ。

 そんな彼女の出で立ちで、カイの目についたのは背中のつばさだ。

 ……リンネの場合はやっぱりコレだよな。

 ……着てる服はエルフの霊装らしいし、ちょっと変わった衣装で通すとしても。

 リンネの特徴は天魔の翼、そしてエルフのようにとがった耳。

 もっとも後者はエルフほど大きくないので横髪に隠れて目立たない。問題は、背中からのぞいている翼だろう。

「俺の上着を羽織ってもらってリンネの背中だけ隠すか。ホテルに着けば──」

「わたし、翼しまえるよ?」

 そう言うリンネの背中で、翼がみるみる小さくなって服の下に隠れていく。

「え!? どうやったんだ?」

「すっごく小さくしただけ。外から見えないでしょ?」

 驚いたカイを見てリンネがいたずらっぽい笑顔。

 仲間の種族がいないから、こうして誰かに驚かれる反応がリンネにとっても新鮮な感覚なのかもしれない。

「ねえねえ、すごい?」

「……ああ。すごいすごい」

「もっと褒めていいわよ!」

「子供かよ。ほら、こっち。あんまりはしゃいで悪魔に見つかったらおおごとなんだから」

 自慢げなリンネに苦笑で応え、カイはビルの入口を指さした。


       〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


 世界を支配する四種族から逃れ、人間は大陸の辺境に人類特区ヒユーマンシテイおこした。

 荒れはてた荒野や砂漠、あるいはだんがいぜつぺきけいこくに。

 そしてここ人類特区ヒユーマンシテイネオヴィシャール』はウルザれんぽうの王都の近郊、その地下鉄構内を利用した街である。

「ここだよ。このホテルに俺も昨日から泊まっててさ」

 この人類特区ヒユーマンシテイの唯一のホテルだ。ネオヴィシャールにちゆうとんする人類反旗軍レジストも利用しているため、通路にはようへいが歩く姿もある。

「って、リンネ?」

 肩に触れる、やわらかい肌の感触。

 ふり返ったそこに、左肩にぎゅっと抱きつくリンネの姿が。

「だ、だだだ、だめよカイ! 離れちゃダメ。ここは危険よ!」

「……危険?」

「人間がいっぱいいるわ! みついてくるかも……」

「誰も嚙みつきゃしないよ。ほら見ろ、誰もリンネのことうたがってないし」

 ホテルの通路を行きかう宿泊客をにらみつけるリンネだが、当の宿泊客たちはそんな視線にも気づかず通りすぎていく。

「言ったろ。つばさと耳だけ隠せば大丈夫って」

 今のリンネは、もはや可愛かわいらしい人間の女の子そのものだ。

 エルフの血──透きとおるようなはく色の肌の美少女だからこそ、公衆で堂々と抱きつかれるカイの方が、実は人目が気になって恥ずかしい。

「……リンネ、できれば腕にしがみつくのは勘弁してくれ。たぶん目立つ」

「わ、わかったわ!」

 今度は背中にぴったりくっついてくる。

 それもできれば勘弁してくれと言うべきか、悩んでいる間に。

「ようカイ戻ったのか」

「あーホントだ。お帰り。そろそろかなって思ってたんだよね」

 サキとアシュラン。

 長身の青年と小柄な少女が向かい側の通路から。どちらもウルザ人類反旗軍レジストの戦闘衣に身を包み、小銃を肩にけいこうしている。

「車、助かったよアシュラン」

人類反旗軍レジストの上司には内緒な。勝手に備品クルマを貸したなんて知られるとうるさいからよ」

 カイの放った自動車のかぎを受けとめるアシュラン。

「悪魔のせつこうに見つかってないよな?」

「そこは保証する。見晴らしのいい荒野だったし、悪魔の見張りがいればすぐわかる」

「上出来だ……で。さっきから気になってるんだけどよ」

 アシュランが、カイの背中から見え隠れする少女を見下ろして。

「そっちの可愛い子は?」

 びくんっと背後のリンネが全身をこわばらせた。

「なあ、俺アシュラン。アンタは? どこの人類特区ヒユーマンシテイの出身?」

「こらアシュラン、まーたすぐナンパする」

「挨拶くらいいいだろサキ。なあ?」

「……い、嫌っ! 人間のくせに、わたしに話しかけないで!」

 カイの背後から飛びだすや、リンネが二人めがけて両手を突きだした。その手に法術の光がまたたく間に収束していって。

「吹き飛──」

「吹き飛ばすな!?」

 そんな少女を、カイは後ろからめにしてせいした。

「落ちつけリンネ!」

先手必勝あいさつよ。出会いがしらの法術は世界の常識ルール

「そんなぶつそうな挨拶ないから!? とにかくダメだ!……サキ、アシュラン。俺ちょっとこの子と話がある。さっき外で倒れてたのを見つけたんだ!」

 リンネの首根っこを捕まえるや通路を走りだす。

「あ。おいカイ──」

「また後で!」

 自分の部屋に大急ぎで駆けこんでかぎを閉める。

「……危なかった」

 もしリンネが法術を放っていたらと思うとぞっとする。

 彼女の正体が異種族であるとバレてしまうのもそうだが、何より人間の街を破壊した罪でお尋ね者になるところだ。

「ねえカイ」

 扉によりかかるカイを前にして。

 そのリンネが、まばたきもせずにこちらを上目遣いに見つめてきていた。

「わたし、カイを困らせた?」

「…………」

「わたし、やっぱり邪魔……かな」

「……なに言ってんだよ」

 を困らせた。

 そうと悟れば、リンネは躊躇ためらわず人類特区ヒユーマンシテイを出ていく。そんな気がした。

「リンネは悪くない。俺がきちんと説明するべきことだった」

 扉ごしに通路の方を指さして。

「さっきのはアシュランっていう俺のどうりよう。リンネに攻撃したりしないから」

「…………」

「だからリンネもな。間違っても攻撃しちゃだめだ」

「……うん。カイが言うなら信じる」

 しようしようながらもリンネがこくんと首肯。

「ここがカイの住処すみかなの?」

「今のところな。ここなら他の種族に見つからない。でもベッドが……」

 肝心のベッドが一人用である。

 きゆうくつを我慢するなら二人で横になれるかもしれない。が……リンネの外見はまごうことなき美少女だ。同じベッドで寝るとなればカイの方が緊張する。

「俺、受付で予備の寝具もらってくるよ。リンネはそこのベッドで寝てていいから」

「……やだ」

「やだ?」

「ここで一人で寝るの、恐いもん」

「あー……そうか。じゃあ俺を待ってる間、シャワーでも使ってるか?」

 扉近くのシャワールームを指さした。

 電気と水が貴重である人類特区ヒユーマンシテイでは、公衆浴場を除けば入浴という行為は各部屋にとりつけられたシャワーになっている。

「電気の節約でぬるま湯しか出ないけど、冷水よりマシだろ?」

「シャワー?」

「水浴びのこと」

 シャワールームの扉を開けて、壁に取りつけられた小型の取っ手ハンドルを右に回す。

 ぽちゃんとしずくこぼれ、ノズルから勢いよく水がきだした。

「わっ!? すごい、聖霊族の法術みたい!」

 ノズルから噴きだすお湯におそるおそる手を伸ばし、リンネがうれしそうに声を上げた。

「水浴びしてていいの?」

「ああ。俺はちょっと外に出てくるからその間に……って待った────っ!?」

 うすぎぬが軽やかに宙を舞う。

 きめ細かな肌を惜しげもなくさらしたリンネから顔をそらし、カイは声のかぎり叫んだ。

「裸になるの早すぎる! 俺が出ていってからにしてくれ!」

「? なんで?」

 一糸まとわぬ姿でリンネが正面に回りこんでくる。

「ねえカイ? どうして?」

「裸で回りこむのも禁止!」

「だって水浴びは裸でしょ?」

「それは間違ってない。だけど見た目が……リンネ、人間そっくりで俺が困る」

「?」

 ぽかんと首をかしげる異種族の少女。

 人間の少女に近い肉体ベースに、色白のエルフや天使も混じっているからだろう。リンネの肌は人間以上に白く透きとおっていてなまめかしい。

「あっ、そうそう。カイ見て、つばさすっごくれいに隠せてるでしょ!」

 くるんとリンネが半回転。

 きやしやな背中を見せつけてくるのだが、確かに、人間で言えば背中から腰部にかけて翼が生えていたであろう場所には羽毛一つ見あたらない。

 とはいえカイの目にまず映ったのは背中ではなく、その下。あでやかな曲線を描くお尻のふくらみだ。翼を見ろと言われても、正直そちらに集中できる気がしない。

「ねえカイ?」

「……わかった。だけどシャワールームの外にいる時はバスタオルを巻いてくれ。俺以外の人間に万が一でも背中が見られるとまずいだろ?」

 俺にお尻が見えないように。そう言いたい気持ちをこらえ、シャワールームにそなえつけのバスタオルを彼女の肩にかけてやる。

「じゃあ外に行ってくるから。シャワー浴びて待っててくれ」

「うん! すぐに戻ってきて!」

 うれしそうに応じるリンネに見送られて部屋の外へ。

 と──

 通路に出た目の前を、つい先ほど別れたアシュランが横切っていく。

「カイ? お前、なんかさっきより疲れてね?」

「……気の休まる暇がない」

 肩をすくめてそう応じて。

 カイは、通路の壁によりかかったのだった。


 水しぶき。

 何千何万というシャワーの水滴がとめどなくタイル床に落ちては跳ねる、そんな水音に混じって聞こえてきたのは少女の歌声ハミングだった。

「入浴中って、人間じゃなくても歌ったりするんだな……」

 シャワールーム内のリンネの歌声を聞くかたわら。ベッドの脇に腰かけて、カイはじゆうけんを自分の膝に乗せていた。

 ……シドの剣は、透きとおった陽光色の剣だった。

 ……それがいつの間にか亜竜爪ドレイクネイルに戻ってる。

 シドの剣「世界座標の鍵コードホルダー」は、カイの記憶するかぎり亜竜爪ドレイクネイルひようして現れた。

「どう見ても人間の造った武器じゃないよな……」

 亜竜爪ドレイクネイルに憑依してけんげんし、リンネの法術を切断した。

 こんな並外れた武器を造る種族がいるとすれば。

「エルフとかドワーフなら?」

 蛮神族は「亜人」として知られる種族だ。

 天使やエルフ、ドワーフ。これらは体内に強力な法力器官をそなえているものの、悪魔のように法術として撃ちだすことをとしている。

 だから強力な法力をびた道具を作る。

 シドの剣も、これが蛮神族の武器ならば法術を切断する力もうなずけるのだが……

「もう一度」

 亜竜爪ドレイクネイルを、世界座標の鍵コードホルダーに変化させることができるかどうか。

 ここでも成功するのなら、シドの剣の存在は完全に証明されたと言っていいだろう。

 ……あの時は剣の名前に反応したんだよな。

 ……これが法力を宿やどした武器なら、世界座標の鍵コードホルダーって名前が発動のかぎなのかも。

 その名を口にしようと息をめて。

「たっ、大変! 大変よカイ!」

 リンネの悲鳴が、カイの決心を吹き飛ばしていった。

 シャワールームの扉が割れんばかりの勢いで開いて、そこからバスタオルを巻いただけの少女が飛びだしてきたのだ。

「水が止まらないの! ねえねえ、どうやって止めればいいの!?」

 水にぬれそぼったたい

 肩から首筋にかけて張りついた髪の房から水滴が伝っていって、こつの線をすべりおちて豊かな胸の双丘にそってしたたり落ちていく。その姿のなんとせんじよう的なことだろう。

 ……やばい。

 ……これは多分、俺の精神衛生上とても良くないやつだ。

 リンネは言いつけどおりバスタオルを巻いている。巻いているのだが、慌てて走ってきたことでタオルがずれかけているのもきつきんの問題である。

「あれカイどうしたの? ねえ、こっち向いてよ」

「…………」

「ねえカイ、こっち向いてってば」

「……わかった。リンネ、まずはそのバスタオルをしっかり巻いてくれ。その間に、俺がシャワーを止めてくる」

「? うん!」

 元気よく答えるリンネに気づかれない程度に。

「……心臓に悪い」

 カイは、ぐったりと疲れた息を吐きだしたのだった。

 それから数分後。

「人間はずるいわ」

 髪の水気をタオルで丁寧に拭き取りながら。

 そなえつけの寝間着姿でベッドに腰かけるリンネが、ふと思いついたようにそう言った。

「カイ、人間はずるいわ!」

「……何で?」

「だって、あんなに温かい水浴びをしてるんだもん。わたし、あんな気持ちいいの初めて」

「なんだ、快適だったなら良かっただろ?」

 シャワーの温水にリンネは驚いていたし、入浴中にじようげんでハミングしていたのはカイも耳にしていたことだ。

「わたし……冬の滝で、雪のまじった水にかって水浴びしてたのに」

「ずるいも何も人間の発明だしな。この照明あかりもだけど」

 日光に頼らずとも、四種族は法力で光を生みだすことができる。

 人間だけが法力を持っていない。ゆえに五種族のなかで最弱なのである。

「幻獣族みたいなでっかい身体からだじゃないし。他種族にいどむっていっても生まれた時点で強さの初期値が違うし、それをおぎなう努力がこういう発明だったのかもな」

「…………」

 髪を拭く作業を止めるリンネ。

「人間の銃もそうなの?」

「多分そう。銃や大砲で弾丸を飛ばすのは、法術の遠距離攻撃に負けないように発展してきたんだと思う。それでも全然歯が立たないのが現状っぽいけど」

「……そっかぁ」

 人間も苦労してるのね──リンネが、自分に言い聞かせるようにそう口にする。

 髪を拭き終えて立ち上がる。

 何をするのかとカイが尋ねる前に、リンネは目の前のベッドに飛びついた。

「えい!」

「何してんだ?」

「だってすごいの! こんなにやわらかい寝床って初めて!」

 ベッドの上で寝転がる少女。

 何度も何度も、感触を確かめるためにベッドの上で跳びはねたり転がってみたり。

「……ふわふわ。ふわふわしてる」

「楽しそうだな」

「ふわふわふわふわふわふわふわふわふわっふわ!」

「子供かよっ!?」

 もうおとなしく寝てくれ。

 せいだいにベッドで転がり続けるリンネを横目に、カイはぐったりと肩を落とした。


       3


 早朝。

 地下街であるネオヴィシャールの大通りは、カイが見てきた三日間でもっとも静かで、道行く者の数も少なかった。

 買い物客もまばらで、あとは人類反旗軍レジストようへいたちだ。

「ねえカイ? 昨日の夜より人が少ないよ?」

「昼間はみんな働いてるんだと思う。生産プラントを動かさないといけないし」

 生産プラントの保守メンテナンスが住民の仕事だ。医薬品や衣料の生産プラント。それに排水の浄化装置がなければ人類特区ヒユーマンシテイは維持できない。

 だが、いつかは限界が来るだろう。

 ウルザれんぽう全土をせんきよする悪魔族から地上を取り返さぬかぎり、人類特区ヒユーマンシテイは緩やかなすい退たいの道を歩き続ける。

「……それはさておき、俺たち今日一日は調べ物だな」

 図書館へ。悪魔族のしゆうげきで多くの書物が炎に焼かれたこの世界で、歴史資料が残っている数少ない施設だ。

「まずはこの世界のことを一から調べよう。元の世界に戻るのが最終目的だとして、一つでも手がかりを見つけないと。……リンネは人間の本って読める?」

「うん。カイが読んで聞かせてくれたら読める」

「それは読めるって言わない気がするけど、まあそれでいいか」

 と。

 その矢先に、隣を歩くリンネがさっと背後にふり向いた。

「昨日の人間の匂いがする」

「匂い?……なんだサキとアシュランか」

 通りの向こうから駆けてくる元どうりようの二人。その様子がおかしいとカイが察したのは、いつもは肩にかついでいる小銃ライフルを二人が手に持っていたからだ。

 そして二人のせまる表情も。

「サキ、アシュラン?」

「カイ!? ここにいたのね!」

 サキが振りかえる。彼女がすぐさま指さしたのはホテルの方角だった。

「その子と一緒に今すぐなんして! ホテルの地下から避難ごうに入れるわ!」

「……どういうことだ?」

 小銃ライフル安全装置セレクターレバーを解除するアシュラン。

 その直後に。


 き上がる火炎。


 今まさにカイが目指していた図書館の天井が爆風によってはじけとび、もうもうたる火の粉が噴きだした。

「……法術」

 リンネのつぶやき。

 カイの背後で、耳打ちほどの小声で彼女はそう伝えてきた。

「悪魔の法力。それも一体じゃない。何体かいる」

「……なんだって」

「悪魔のせつこうだ。もうここまでってきやがったか!」

 天井まで届く火の粉を見上げてアシュランが舌打ち。

「奴ら、よりによって地上の避難通路を見つけて、そこからここまでもぐってきやがった。傭兵オレらが食い止めるから、そっちの可愛かわいい子を連れて避難壕へ逃げろ!」

「街が見つかった!? じゃあもうここは……おい、待てサキ、アシュラン!」

 返事も待たずに二人が街の外れへと駆けていく。


『区長より、全住民へ緊急指令──

 特区シテイに敵種族のしんにゆうが確認されました。全住民、なんごうへ退避。全生産プラント長は、隔壁シヤツターによるプラント閉鎖を実行してください』


 けたたましくくり返される緊急放送アナウンス

 天井部から鳴りひびく警報も、収まるどころか秒単位で音量を増していく。

「くそ、最悪のシナリオか……!」

 一瞬で人々の悲鳴に包まれた地下街で、カイは下唇をみしめた。

 人類反旗軍レジストがもっともしていたことだ。人類特区ヒユーマンシテイそのものが見つかってしまえば、もはや街を捨てる以外に逃げようがない。

 住居が火の海に包まれ、生産プラントが破壊される。

「ねえカイ。ここ出よう」

 逃げまどう住民のごうがそこかしこでこだまする中で、たった一人、涼しい表情でいたリンネが袖を引っ張ってきた。

「……出る?」

「地上。わたしとカイだけなら全然大丈夫。余裕で逃げられるから」

「俺たちだけでか……?」

「だってカイを忘れちゃった世界だよ。カイが目の前にいてもカイって気づかない人間でしょ。わたしたちが助ける必要ないと思う」

 非情。そんな心情的側面さえ無視できるなら、リンネの提案は、生き残るという観点でもっとも合理的な選択だったことだろう。だが。

「…………」

「どうしたのカイ?」

「リンネ。俺、まだこの世界を勘違いしてた」

 人間は五種族大戦に負けた。

 一部の者はれい化され、逃げのびた者たちは人類特区ヒユーマンシテイで暮らしている。そう聞かされていたが、この活気ある地下の街並みを見てあんしてしまったのだ。

「人間は、何だかんだでまだ大丈夫って思ってた。だけど……」

 

 ……見誤ってた。完全に俺の失態だ。俺の知ってる歴史が頭に染みついてたから。

 ……人間が大戦で勝った世界に生きてきたから。

 何とかなるだろう。

 誰かがこの世界を何とかしてくれる。まだ心の底でそう信じこんでしまっていたのだ。

 この光景を見てようやく思い知った。


 そんな都合のいい「誰か」など、いない。


 預言者シドの不存在。ゆえに四種族に立ち向かう人間がいないのだ。

 人類特区ヒユーマンシテイに満ちる悲鳴。

 この光景こそが、こちらの世界の真の姿なのだから。

「俺は……」

 右肩に感じる亜竜爪ドレイクネイルの重み。

 そして世界座標の鍵コードホルダー。かつてシドが振るった剣が、今、手元にある。

 ……リンネの言うように逃げることもできるしなんごうだってある。だけど。

 ……だったら何の為だったんだ。

 悪魔の墓所に転落してからの十年間──一日も休まず訓練してきたのは何のため?

 

「リンネ」

 隣の少女に向かって、カイはふっと微苦笑した。

「気が変わった。悪あがきさせてくれ」

「え?」

「確かめたいんだ。俺が死に物狂いでやってきたに意味があったのかどうか。シドのができるのは……多分こっちの世界で俺一人だけだから」

 返事を待たずに地をった。

 すす混じりの気流が吹きつけるなか亜竜爪ドレイクネイル安全装置セレクターレバーを解除。ようへいたちのごうが響くその先へ。

「銃弾、効果ありません!」

「硬すぎる。だめです! 抑えきれない……!」

 悲鳴と絶叫に染まる街。

 カイの見上げる天井にとどまる悪魔のせつこう小銃ライフルの弾丸を受けながらも平然と浮遊する悪魔は、カイが地上で見た種ではなかった。

 石のを持つ鳥獣型の悪魔。

彫像魔ガーゴイルか!」

 銃弾を通さぬがんきような肉体が何よりのきよう小銃ライフル主武器メインウエポンとする人間を苦しめたという記録が残っている。

「だめだ……こいつら小銃ライフルじゃひるまねぇ! サキ、機関銃マシンガンだ。とってこい!」

 銃弾を浴びながら平然と飛びかう石の悪魔たち。

 その接近を前に、小銃を撃ち続けるアシュランがえた。

「早くしろ。この防衛線ラインを突破されたら地下街まで後がねぇぞ!」

「う、うん!」

 サキが走りだす。

 その頭上をおおう黒い影。今まさに銃弾の雨を突破した彫像魔ガーゴイルが、ようへいたちの集団から孤立した彼女めがけて飛来する。

かがめ、サキ!」

 彼女の背中をえぐらんとした彫像魔ガーゴイルくちばしをへし折る、亜竜ドレイクの爪。

 亜竜爪ドレイクネイルと名付けられたじゆうけんが、銃弾をもはじきかえす肉体をもつ悪魔を地面にたたき落とした。

「カイ!?」

「サキ、彫像魔ガーゴイルそうこうには機関銃マシンガンよりも手榴弾グレネードがいい。擲弾銃グレネードガンは?」

「あ、あるけど……」

「それと天井から防火散水機スプリンクラーで放水だ。彫像魔ガーゴイルは法術で身体からだを石化させてる。水を浴びせることで、身体が水を吸って重たくなる。飛べなくなったところを叩け」

「何でそんなに詳しいの!?」

「言っただろ。俺は、大戦が終わった歴史を見てきたって」

 四種族との交戦記録は、すべて人類庁が保管している。

 どれほどの武装と人員、そして戦術でもって勝利を納めたのか。カイはその全記録を頭に叩きこんできた。

彫像魔おまえの法術は『石化』だろ?」

 標的の肉体組織を変質させるきわめてきようあくじゆじゆつ

 法力を持たぬ人間が浴びればソレにあらがすべはない。その発動を示す暗色の法術えんかんが、彫像魔ガーゴイルつばさまくあらわれる。

「そのための略式エルフ弾コイツだ」

 発射された半透明の結晶が彫像魔ガーゴイルの翼を穿うがち、そこに描かれていた円環を消滅させた。

 人間が何をしたのか──

 石の悪魔が我に返る間を与えることなく亜竜爪ドレイクネイルを叩きつける。

 略式ドレイク弾の破裂。石化したうろこをも吹き飛ばす爆風で彫像魔ガーゴイルが倒れる……が。

『ッッッッ』

「……ちっ」

 倒れながらも彫像魔ガーゴイルの腕が伸び、亜竜爪ドレイクネイルの切っ先をつかみ取った。

 さらに亜竜爪ドレイクネイルふうじられたカイの背後へ、新たな彫像魔ガーゴイルが。

「カイ!?」

 とつ小銃ライフルを向けるサキ。

 そんな彼女に対し、カイは瞬時にえていた。

「撃つな!」

「……え?」

「弾の無駄遣いだ」

 カイの手から亜竜爪ドレイクネイルが離れる。うばわれたのではない。カイ自ら手放したのだ。

「銃がなきゃ人間が勝つ手段なんてない」

 背後にせまった彫像魔ガーゴイルに振りかえる。

 のごとき高速せんかい。その勢いに体重を乗せて、振り下ろされる爪を、ひじち一発ではじき飛ばした。

「そのとおりだ」

 敵のふところもぐりこむ。自分の肩と彫像魔ガーゴイルの胸板とが触れあう超至近距離において、カイはさらに歩幅を広め、腰を落として身構えた。

 ……大戦が終わるまではそれが常識。

 ……だから人間はその反省をバネに、種族差にあらがう技を磨いてきた!

 しゆくうけん。四種族との戦いにそなえ、正史の世界の人類庁では、を習得することが義務となっている。

「そのための四界戦闘式アーツだ」

 背打。

 てつざんこうとも称される打撃が、彫像魔ガーゴイル身体からだを宙へと吹き飛ばした。

「うそっ!?」

 質量百キロを超えるであろう石像の悪魔が人間の力で宙に浮く。その異様ともいうべき光景をの当たりにし、サキが我を忘れて叫んだ。

 ──一点さくれつの衝撃。

 全身の筋肉の硬直が生みだす瞬発力と体重を炸裂させる。言うなれば火薬にかわる運動エネルギーの「爆発」だ。

 その衝撃は、彫像魔ガーゴイルを後方へと吹き飛ばすに十分過ぎた。

「リンネ、そっちに飛んだ」

「いいよ」

 リンネが応える。

 その背中に一瞬、天魔のつばさが広がったのを目撃したのはカイだけだろう。

「カイが戦うならわたしも戦う」

 降りそそぐ豪雷。

 光の柱とさえ形容できるほどの巨大な雷が、カイが吹き飛ばした彫像魔ガーゴイルみこんで、さらに周囲の彫像魔ガーゴイルをまとめて雷のほんりゆうぎはらった。

 絶叫。そして消滅していく悪魔たち。

 わずか数秒の時を経て、人類特区ヒユーマンシテイから悪魔族の気配は完全に消えていた。

「……さすが冥帝ヴアネツサけん売るだけあるな」

「でしょでしょ?」

「だけど流石さすがにやりすぎだろこれ」

 今の雷撃群は人類反旗軍レジストようへいも目撃したはず。リンネが発動したとまではわからずとも、うたがいの目を向けられかねない。

「ちょ、ちょっとカイ!? 今の雷……なにアレ、まさか法術!?」

「落ちつけサキ。ただの漏電だ」

 平静をつとめ、カイは興奮しきった口調のサキに向けて肩をすくめた。

「悪魔のせいであちこちの建物が壊れてる。電気系統が短絡シヨートして、その火花と電流だ。超常現象ってわけじゃない」

「あ……そ、そう言われてみれば……でも……」

「もっと先に考えることがある」

「そ、そう?……っていうかカイ、アンタめちゃくちゃ強いじゃない! 何よあの法術を消した弾丸。それにあの打撃!?」

「どっちも説明したんだけどな。俺はこういう訓練をしてきたって」

 一昨日の夜のこと。

 サキとアシュランがどうにか自分を思いださないかと、人類庁の任務や訓練風景を時間のかぎり説明し続けた。亜竜爪ドレイクネイル四界戦闘式アーツも。

 もっとも、二人はその話の間ずっとうわの空だったが。

「おいおいおい何だってんだ!」

 アシュランまでもが駆けてくる。

「とんでもねえよ。おいカイ、お前そんなに強いなら最初から手伝えってんだ!」

「……なんしてろって言ったのは?」

「はは、そういや俺だった。まあ誤解ってのは誰にでもあるわけで────おい。こっちの悪魔どもは片付けた。そっちどうだ」

 小型の通信機に語りかけるアシュラン。

 何度か応答をくり返した後に、元どうりようの青年が舌打ちとともに通話を切った。

「まずいな。この奥にいたせつこう、二体逃がしたらしい」

「え!? まずいじゃないアシュラン! 絶対に逃がしちゃだめって指令が……」

かつに追えばこっちが反撃される。どうしようもねえよ」

 しんにゆうした悪魔の逃走を許した。それはつまり、この人類特区ヒユーマンシテイの位置が悪魔族すべてに伝わってしまうということだ。次はより強力な軍勢でおそってくるはず。

「リンネ」

 ぎりぎりまで押し殺した声で、隣の少女にカイは尋ねた。

「もう一度悪魔のれが攻めてきたとして、俺とお前で守りきれるか?」

「ううん無理」

「……数の差で?」

「上位悪魔なら、地上から法術一発で地面ごと地底都市ここを吹き飛ばすもん。防げない」

「────」

「あ。ご、ごめんね。わたし頑張るよ? カイが戦うならわたしも」

「いや、大丈夫。リンネが悪いわけじゃない」

 むしろ明言してくれたおかげで目がめた気分だ。

 だがどうすればいい?

 冥帝ヴアネツサとの戦歴もあるリンネがしろはたげるなら、まず間違いないことだろう。次のしゆうげきネオヴィシャールはかいめつする。

「ねえカイ。アタシらと一緒に来ない?」

 小銃ライフルを肩にかついだサキが、横顔を向けてきた。

「……どこへ?」

人類反旗軍レジストの本部よ。人類特区ヒユーマンシテイの命運がかかってるし、もう派遣部隊の手に負える話じゃないし。すぐに緊急で作戦会議をしないとダメでしょ」

「俺、部外者だけど構わないのか?」

「あんなすごい戦いで彫像魔ガーゴイルを倒しといて、今さら素人しろうとも部外者もないでしょ。来てくれるならかんげいするよ? カイがあんなに強いなんてビックリしたし」

「…………」

 ウルザ人類反旗軍レジスト本部。

 悪魔族から人類の地域を取り戻すために戦う反乱軍の大本である。

 ……その指揮官は霊光の騎士ジャンヌ。

 ……いや、今は幼なじみだったとかそういうのは忘れよう。

 人類をみちびく騎士。

 ネオヴィシャールを守るにはカイとリンネだけでは足りない。彼女の協力がいる。

人類反旗軍アタシらは万年人手不足だから戦力はいつだって歓迎してる。カイくらい強い兵士なら、ジャンヌ様だって喜んで迎え入れると思うけど?」

「……わかった。人類反旗軍レジストの本部、俺たちもついていくよ」

 リンネに目配せ。

 亜竜爪ドレイクネイルを肩にかつぎ、カイはサキの背中を追って歩きだした。


       4


 ウルザれんぽうヴェルサレム。

 王都ウルザークへのせんによってはいとなった地。使い捨てられた古ビル群が、現代でも取り壊されずに残っている。

「人間がいないはいきよだからこそ、悪魔のしゆうげきまぬがれることができた。盲点でしょ?」

人類反旗軍レジストの本部には最適ってわけか」

「そそ。武器庫に訓練施設。それに生産プラントも。悪魔たちが上空を通っても廃ビルにしか見えないけどね。王都からも近いから絶好の場所よ」

 廃線となった地下鉄線路をサキが進んでいく。

 人類特区ヒユーマンシテイネオヴィシャール』からそうこう車で二時間。辿たどりついたのは旧王都でもっとも巨大な建造物の地下フロアだった。

 連邦議事堂。

 かつてウルザ連邦の議会が開かれていたビルである。

「ちなみに、ここを人類反旗軍レジストの拠点にする発案者がジャンヌ様の父上だ」

 クルマを止めたアシュランが運転席から降りてくる。

「前司令官な。あの方がいなかったらウルザ人類反旗軍レジストはとっくにつぶれてた」

「……その親父おやじさんは?」

「二年前、悪魔の襲撃で重傷を負って引退。それをいだのがジャンヌ様ってわけだ」

 正史の世界では。

 ジャンヌの父は、人類庁の現役幹部である。カイ自身、幼なじみのジャンヌの家に招かれて夕食を共にしたこともある。

 ……そうか。俺以外の人間はこっちでもほとんど変わってないと思ったけど。

 ……こういう違いもありえるのか。

 ジャンヌの父親のように引退をなくされた者がいる半面、ジャンヌのように人類の希望とうたわれる騎士がいる別史の世界。

「ジャンヌ様のしつ室は三階よ。連絡は入れてるから直行ね。あ、ここでも電気は貴重だから昇降機エレベーターは止まってるわ。階段ね」

 建物の中央部にある昇降機エレベーターを素通りするサキ。

「電気のほとんどを生産プラントのどうにあててるの。人類特区ヒユーマンシテイと同じね」

「食料とか?」

「銃と火薬、それに自動車の製造よ。生産量は多くないけど」

 サキが階段を上がっていく。その上方から、十人近くの部下を引き連れて、隊長格と思しきそうねんようへいが階段を駆け下りてきた。

「統括隊長!」

「サキ上級兵、アシュラン上級兵。ネオヴィシャールの件は聞いている」

 眉間にしわを寄せながら続ける壮年の統括隊長。

「数日以内に悪魔のれが押し寄せてくるだろう。過去こうした事例は何度となく経験してきたが、げいげきできた事例は半分にも満たない」

「は、はい……」

「現在、ジャンヌ様を含む幹部陣で検討中だ。二つに一つ。人類反旗軍レジストの総力でネオヴィシャールをぼうえいするか、あるいはネオヴィシャールを捨てるか」

 防衛となれば人間側もせいが出る。その覚悟で戦うか、犠牲を抑えるために街を捨てるか。どちらであっても民衆からは反感と不安が生まれるだろう。

「マキシム統括隊長」

「……君は?」

 とうとつに名を呼んだ少年を見下ろし、統括隊長がわずかに目をげた。

「サキ上級兵。こちらは?」

「は、はいカイと言います。アシュランが報告したとおりすごいんです! 銃を使わずに彫像魔ガーゴイルを吹っ飛ばしてですね!」

「君がそうか。報告は受けている。ずいぶん悪魔との戦いに慣れていると。ジャンヌ様もじきじきに会って話がしたいと言われていた。……しかし私の名を知っているのか。失礼だが、どこかであったかな?」

 人類庁の訓練で。

 部隊に入ったばかりの俺を指導してくれた上官が貴方あなたじゃないですか──両の拳をにぎりしめ、口にしかけた言葉を喉の奥へと押し返した。

「……いえ。お名前だけは聞いていたので」

りようしようした。悪いが、私は他の支部隊長との連携に回るからここで失礼する」

 脇を通りすぎ、階下へと去っていく傭兵たち。

 一方でカイたちは三階へ。廃ビルでありながらも、窓ガラスには外から内部が見えないようとくしゆフィルムが貼られている。

「さあここだ」

 アシュランが緊張まじりで見つめる先には、重厚な造りである両開きの扉が。

「ここがジャンヌの部屋?」

「そそ。一つ言っとくけど呼び捨て厳禁な。お前がよそ者だとしても、霊光の騎士様にめた口きくとウルザれんぽう人類特区ヒユーマンシテイ全部からなんさつとうだ」

「……そんなに?」

「それだけしたわれてるんだよ。なんせ悪魔からりようを取り戻す希望のしようちようだからな。ジャンヌ様は」

 ネオヴィシャールを訪れたジャンヌが民衆に囲まれていた姿を思いだす。ウルザれんぽう全土であのようにすうはいされているとすれば、もはや一司令官という域を越えている。

 さながら民衆をみちびく戦神か。

「失礼します。アシュラン上級兵、サキ上級兵。ネオヴィシャールよりかんいたしました」

 扉をノックし、アシュランがしんちような手つきで扉の片面を開けた。

 司令官しつ室──

 窓から差しこむ光がきらびやかに、そしておごそかに照らしだすのは大広間だった。

 部屋の中心には巨大な円卓。そこに座っているのは七人。うち六人が肩と胸とにごうしやな紋章をつけていることから本部の幹部とわかる。

「ご苦労だった。アシュラン上級兵、サキ上級兵」

 さいおうに座す人物からのねぎらい。

 しくも、まるで少女が無理をしてつくろったような中性的な男声……そう感じるのは、カイが彼女の正体を知っているからなのだろう。

 ──霊光の騎士ジャンヌ。

 銀色のよろいを着こんだウルザ人類反旗軍レジストの司令官が、ゆっくりと顔を上げた。

「今まさにネオヴィシャールの話をしていたところだ」

「あ……あの……本当に申し訳ありませんっ!」

「悪魔を取り逃したことは派遣部隊の未熟さゆえ! 人類特区ヒユーマンシテイの危機を招いたことは取り返しのつかない失態です。どんな処分も覚悟で戻って参りました!」

 サキ、アシュランが深々と頭を下げる。

 せいじやくと緊張をはらむ広間──幹部六人が奇妙なほどの無言をつらぬくなか、司令官がゆっくりと口を開けた。

「重負傷者はダール隊長およびゲイル助隊長。また派遣部隊一班から五班までのほぼ全員が軽傷……それだけの被害を出してもせつこう二体を取り逃したとなれば仕方なきことだ。命をかけて戦ったしよくんらの前で、それを失態と呼ぶことはできない」

 ジャンヌが、円卓の脇に置かれたホワイトボードを指さした。

 箇条書きで書かれた作戦内容。ほとんどが殴り書きであるのは、それだけ急ぎで議論が行われたからだろう。

ネオヴィシャールのぼうえいについては、これより本部が指揮をる。既に統括隊長がウルザれんぽう全域の人類反旗軍レジスト支部から応援を要請している。諸君らにも従ってもらう」

「え。ヤだ」

 そんなリンネの一言が、場の空気を見事なまでに破壊した。

 円卓に座る幹部の目が、カイの隣の少女リンネに集中。

「わたしカイの言うことしか聞かないよ。なんで人間の言うこと────むぎゅっ?」

「わ────っ!? な、なんでもないですから!……リンネ、しっ。下手にお前がしやべって正体がうたがわれたらまずいだろ!」

 リンネの口に手を当てて黙らせる。慌てて円卓にふり返ったカイが見たものは、しげに口元をほころばせるジャンヌだった。

「なるほど」

 いかにも男の指揮官じみたしよで、机にほおづえをつく霊光の騎士。

「これは失敬。私の発言はサキ上級兵とアシュラン上級兵に向けたもの。君たちではない。人類反旗軍レジストの同志でない以上、私は君たちに命令権などないからね。さらに言えば礼を言うのはこちらだろう」

 円卓からジャンヌが立ち上がる。

 ウルザ連邦の希望のしようちようが、カイとリンネに向かって小さくこうべれた。

「報告は受けている。しんにゆうした斥候九体。うち彫像魔ガーゴイル二体を倒したのは君だと?」

「……一応は」

 実際にはリンネの法術だ。さらに言えば彫像魔ガーゴイルいつそうしたのもリンネの雷撃。都市を守ったのは彼女のこうせきといっても過言ではないだろう。

「しかし少年。君は何者だ?」

 円卓の一座に座る女性幹部の、嗄声ハスキーボイス

花琳フアリンだ。ジャンヌ様の護衛を担当している」

「自分は、カイ・サクラ=ヴェントです。こっちは連れのリンネ」

 小さく会釈。

 ……ああなるほどね。一人だけ雰囲気の違う幹部がいると思ったら。

 ……幹部じゃなくて護衛。人類庁でいう要人警護パーソナルガードか。

 正史の世界での面識はない。だがいちもくりようぜんだ。

 

 部屋に入った時から今も、リンネが目を向けているのがこの花琳フアリンという女護衛だ。異種族リンネが目を引くほどの存在感。カイ自身、四界戦闘式アーツたんれん中に多くの達人を見てきたが、ここまでハッキリと「強い」と予感したのは過去に経験がない。

 ──戦士。

 もはやようへいという枠でさえない。いくの死線をも越えてきた無類の戦士のたたずまいだ。

「ジャンヌ様に代わって質問をいくつか」

「どうぞ」

「君が肩にかついでいる武器。剣と一体化したじゆうけんの、その弾丸が彫像魔ガーゴイルの法術を無効化したことがとても興味深い。はがねの弾丸ではなく、水晶のような石を削った弾丸に秘密があるのだろう?」

「……どうやってそこまで?」

ネオヴィシャールの街に設置された監視カメラだ。何度か見直したが」

 亜竜爪ドレイクネイルの弾丸を「見た」?

 とんでもないことを言ってのける。

 略式エルフ弾の弾速は通常の弾丸よりもいくぶん遅い。だが決してせいとは言えないカメラ映像で、この女傭兵はそこまで見切ったというのか。

 どれほどすぐれた動体視力をしているのだ。

「そして見慣れない武術だな。私も傭兵の端くれとしてそれなりに武芸の心得はあるが、悪魔にしゆくうけんいどむ『型』でああも洗練された打撃を初めて目にした。君の銃と武術。それはどこの由来か聞かせてほしい」

「────」

「言えない?」

「俺から逆に聞きます。『ホントのような作り話』と『うそにしか思えない本当の話』は、どっちがいいですか」

「君の話したい方で構わない」

 手慣れている。

 越えてきた場数の多様さを感じさせる落ちつきで、その護衛は即答した。

じんもんではない。好きなように」

「じゃあ言います。俺が話すのは後者、そのつもりで聞いてください」

 無言でリンネにうなずく。ちなみに背後のサキとアシュランの弱り顔は、「うそと思われても知らないからな」という気持ちの表れだろう。

「俺はもう一つの世界を知ってる」

「……ん?」

「人間が五種族の大戦に勝利した。四種族のふういんに成功して、人間が穏やかに暮らしている世界。俺はそっち側の人間です」

 しん、と静まりかえる円卓の幹部たち。

 この若造は何を言っている?──の視線が注がれるなか、カイは亜竜爪ドレイクネイルだんそうを外し、そこから一発の弾丸を取りだした。

「俺の知ってる歴史だと大戦は百年前にもう終わってる。このじゆうけんも、大戦の記録を基に造られた最新の対四種族銃器で、この世界にはない武器ってことになる」

 略式エルフ弾。水晶の欠片かけらにも見える弾丸を、カイは無言で放り投げた。

 放物線を描くソレを花琳フアリンつかみとる。

「質問にあった武術も同じです。ネオヴィシャールをおそった彫像魔ガーゴイルや、ぶ厚いをもつ幻獣族には銃が通じにくい。そいつらとの戦いの反省で四界戦闘式アーツが生まれました。その源流は、四種族の英雄を倒した預言者シドっていう────」

じようだんぬかすな小僧!」

 せきが切れた。そう思わせる男のごうが、円卓のしつ室をふるわせた。

 花琳フアリンの左席。顔をこうちようさせて立ち上がり、大柄の幹部が拳を円卓に打ちつける。

「人間が大戦に勝利しただと……空事を……我々人類反旗軍レジストが、いったいどれほどのせいと執念を費やして悪魔どものしゆうげきあらがっているか考えろ!」

「ですから先に言いました。噓のように思えるかもって」

「限度がある」

 さらに隣の幹部が立ち上がる。

 こちらは口調こそ平静をつとめてはいるが、怒りにほおを激しくけいれんさせながらだ。

「もういい。お前たちは退室し──」

「空気を入れ換えようか」

 れいげんなるあるじの宣言。

 よろいをまとった指揮官の一言に、立ち上がっていた男たちが噓のようにしずまった。

「長い会議で空気がよどんでいる。サキ上級兵、悪いが扉を開けてくれないか」

「は、はい!」

 両開きの扉の前に立つ少女が、あわてて扉を押し開けていく。

 ──幹部二人へのけんせい

 黙れと命令することなく、場の空気をうまく生かすことで幹部たちの気勢をぐ。その鮮やかなジャンヌのしゆわんに、カイは内心で舌を巻いていた。

 ……扉を開けたまま叫べば廊下に怒鳴り声が響く。

 ……そんなしゆうたいは部下に見せられないから、なおさら黙るしかないってことか。

 幼なじみの名残などない。

 目の前にいるのはウルザれんぽうの民衆をみちびく騎士。その手腕を垣間見た気分だ。

「カイと言ったね」

 円卓上でジャンヌが手を組む姿勢へ。

「話はさかのぼるが、ネオヴィシャールをおそった彫像魔ガーゴイルを二体。それも一体は銃をうばわれた状態で返り討ちにした君の実力は、目をみはるものがある。花琳フアリンそうだったね」

「はい」

「彼を人類反旗軍われわれに迎え入れるとすれば、どれだけの待遇を用意すべきと考える?」

「隊長級。あるいは私の下で副護衛として抱えるのも一策かと」

 護衛フアリンの一言に、ゾワゾワと円卓がざわめいた。

 今度ばかりは聞き捨てならないと、白髪の老兵が立ち上がる。

さんぼうとして発言させて頂く。花琳フアリンじようだんにしても程があるぞ」

「至極真剣です」

「今のばなしを聞いた上で、ジャンヌ様の護衛に抱えるというのか。お主、ジャンヌ様の護衛は自分一人で十分だと言っておったではないか!」

「私は、あの者の実力について評価したまで」

 機械じみた平静さで花琳フアリンが続ける。

「しかしジャンヌ様。参謀の言うとおり、彼の発言にはいささか不審を感じる点もある。招き入れることで人類反旗軍レジストの統制が乱れるようであれば不要かと」

「──そうだな。ではカイ。先の発言について、今度は私から聞きたい」

 試すような上目遣いで、ジャンヌの視線が再びこちらに。

「率直に言おう。君の話をどう受けとめて良いか私にもわからない。……だが思いあたる節はある。ネオヴィシャールで、君は私を知っているような反応を示したね」

「……ああ」

「そのことについて改めて説明を願いたい。『もう一つの歴史』とやらで、君と私が何か接点があったということかな?」

「学友だった。もっと言えば、家が隣り合わせの幼なじみだった」

「私と君が……?」

 さすがに予想外だったのか言葉を失うジャンヌ。

 あるじの隣では、花琳フアリンさえも驚いたように片眉をつりあげる。そんな二人の前で──

「オーグと、ジェール」

「っ。それは私の……」

 ジャンヌの父オーギュストと祖父ジエラルド、その愛称ニツクネームだ。二人の名を知るようへいはいても、ジャンヌの家系によほど近しくなければ愛称ニツクネームを知る機会はあるまい。

「ジャンヌは、子供の頃から耳が良くて他人の話声が二つ隣の部屋からでも聞き取れた。耳がよすぎて、雨が降ると雨音がうるさすぎて眠れないって困ってたよな」

「…………」

 ぼうぜんと。

 まるできつねにでもつままれたような面持ちでジャンヌは言葉を失っていた。なぜそれを──返事をすることも忘れて、霊光の騎士がこくんと息をむ。

「だから俺からも聞きたい」

 人類反旗軍レジストきんに触れる覚悟でカイは踏みこんだ。

「ジャンヌ。なんで男装なんかしてるんだ」

「…………っ!」

 ジャンヌが息を吞み、円卓の幹部たちが一斉にジャンヌへとふり返った。

親父おやじさんを越えたいって。立派な娘になったって言ってほしいからって、俺の知ってるお前は言ってた。だけど今のお前はそれと正反対だ」

 よろいを着ることで体型を隠し、自慢の後ろ髪を束ねることで短髪を装う。

 喉をつぶすような裏声は訓練のたまものだろう。眉を描き、日焼けの化粧をほどこした姿は実際に見事な男装ぶりと言える。

 ……しくて中性的な男で十分通じる。

 ……うたがいを持たれても人類反旗軍レジストの指導者に堂々と尋ねる奴なんていないもんな。

 ゆえに人類反旗軍レジストでは平然と「男」として振る舞っていたのだろう。

「ジャンヌ、俺は────」

「そこまでだ」

 手が打ち鳴らされる。

 ただ一人様子を見守っていた花琳フアリンが、たんたんとしたこわでそうつげた。

「ジャンヌ様、南部ユールン人類反旗軍レジストと連絡の時間です」

「……そうか」

 護衛の言葉に、主が一瞬ほっとしたように息をつく。

 だがすぐにその表情を引き締めて、霊光の騎士はしつ室に声を響かせた。

「話の途中ですまないが解散だ。サキ上級兵とアシュラン上級兵は本部に残留。ネオヴィシャール派遣部隊との連絡を命ずる。……カイ、そしてリンネと言ったね」

 ジャンヌが立ち上がる。

 護衛である花琳フアリンと何かをささやきあった後に、その視線がこちらに向けられた。

賓客室ゲストルームを用意する。明日、また話の続きを聞かせてもらおう」


       5


 ウルザ人類反旗軍レジストの本部。

 その内部は、はいきよビルとは思えぬほどすみずみまでせいけつに保たれている。

 カイが案内された賓客室ゲストルームもそう。

 用意された部屋の内装はもちろん調度品も格調高く、手入れの行き届いた物ばかり。

「ねえカイ! すごいよ、このベッドもふわふわ!」

 ベッド脇に腰かけるリンネが、何度も何度も立ったり座ったり。

「ふわふわふわふわふわふわっ!」

「またうれしそうで何より。だけどいいのかリンネ。勝手に俺の部屋に来て」

「カイと一緒じゃなきゃだめ」

 二人分の部屋を用意してもらったのだが、案内役のサキと別れてすぐ、数分と経たないうちにリンネがカイの部屋にやってきた。

 ……人間だらけの場所で一人でいたくないリンネの気持ちもわかるけど。

 ……これ、二人でいるところを見られたら説明に困るよな。

 窓ガラスの奥に映る夜のとばり

 夕陽が地平線の奥へしずんだのはもう何時間も前のこと。兵舎も多くが消灯し、見張りの兵を除いては多くが睡眠をとっている。

「……ねえカイ」

「ん? どうしたんだよリンネ」

「カイが、あの偉そうな人間と知り合いみたいだなって」

 リンネが不思議そうにまばたきをくり返す。

「わたしよくわからないけど、あの人間が一番偉いの?」

「あの人間って」

「ジャンニャ」

「ジャンヌな。サキとアシュランと同じ俺の仲間だよ。世界がこんなになる直前まで一緒にいたから、せめてアイツだけは俺のこと覚えてるかもって思ったけど」

「……ジャンニャってカイに必要なの?」

 上目遣いに、そしてわずかにほおふくらませる。

 まるでねた子供のような表情でリンネは尋ねてきた。

「わたし強いもん。悪魔が二体とか三体集まったって負けないよ? わたしが一緒にいれば心配ないのに」

「そう言ってくれるのは心強いけど、二体三体の話じゃないんだよ」

「十体くらいおそってきても、わたし負けないよ?」

「悪魔の英雄に思い知らせてやりたい」

 はっ、とリンネが押し黙る。

「この本部に来るまでにずっと考えてた。結局、『人間は手強い』って悪魔に思わせないとダメなんだ。悪魔が人類特区ヒユーマンシテイに攻めこめないように。アイツらを従えてる冥帝ヴアネツサに、人間の強さをわからせないと」

「……カイが戦うの?」

「言い出しっぺだからしょうがないだろ」

 真顔のリンネに、肩をすくめておどけてみせた。

 ネオヴィシャールにしんにゆうした彫像魔ガーゴイルれにいどんだ──その時点で、もう後戻りできないところまで来てしまったと思う。

「自分でもしいけど、俺、いつかこんな時が来るんじゃないかって思ってた。こうして世界丸ごと入れ替わる程じゃなくても、いつか……人間は、悪魔や他の種族とも戦わなくちゃいけない時が来るんじゃないかって」

 いつかは墓所を破ってぎやくしゆうに現れる。

 十年前、悪魔の墓所に転落した時に、悪魔たちと対面した恐怖から、子供の身ながらもその予感がしていた。

「俺一人でも悪魔アイツらと戦うんだってずっと努力してきた。……今は、その意味があった気がしてさ。この状況で、俺なりに悪あがきしてみたい。がむしゃらに訓練してきたことが、この世界で生かせる気がするから」

 自分にしかできない戦いがある。そう思うのだ。

「それにシドの剣も」

「……わたしのくさりを斬って助けてくれた剣?」

 カイの亜竜爪ドレイクネイルを見下ろすリンネ。これが陽光色の世界座標の鍵コードホルダー──シドの剣としてけんげんしていたのは彼女も目撃したことだ。

「シドの忘れ形見。なんていうと感傷的になるけど、この剣、俺にとっては特別なんだよ。それこそ本気で運命なんじゃないかって思いたくなる剣だから」

 この剣はきっと力になってくれる。

 悪魔の英雄にも通じる力を。

「ところでさ、リンネが冥帝ヴアネツサと戦った時は一人で攻めていったんだよな」

「うん」

「どうだった」

「配下に囲まれて大変だったわ」

「だよな。でもこの世界はもっと面倒だ。冥帝ヴアネツサがいるのはウルザれんぽうの王都。その一番大きなビル……政府宮殿って言うんだけど、それをうばってねぐらにしてるらしいから」

 ウルザ連邦の国政機能を集約していた建物だ。

 カイの知るかぎりなんこうらくようさいともたとえられていた巨大ビル。それが悪魔族に奪われ、めいていヴァネッサはそこにんでいる。

「政府宮殿を攻めるには数がいる。人類反旗軍レジストの協力が必要になるから」

「だからジャンニャに頼むの?」

「ジャンヌな。まさかアイツがあんな大物になってるなんて思わなかったけど」

 ウルザ連邦の希望とまで言われている幼なじみ。

 彼女が自分のことを覚えていれば、きっと協力を進みでてくれていたはずだが。

 と。

「待ってカイ。人間の匂い」

 リンネがベッドに座ったまま振りかえる。

 とん、と間を置かずに扉からノック音。自分たちが気配に気づく。それを待っていたかのようなタイミングでだ。

「こんな夜ふけにどちら様で?」

「話がある」

 独特の響きをともなった嗄声ハスキーボイスが返ってきた。

 司令官ジャンヌの護衛である花琳フアリン・リナ・ユビキタス。昼の会合に並んだ顔ぶれで、特に印象に残った女ようへいである。

「私ではなくジャンヌ様が、だが」

「……ジャンヌが?」

 ベッド脇にリンネを待機させて開錠。

 扉を開けたそこに、一人で薄暗い通路にたたずむ護衛の姿が。改めてその顔を見つめてみて、花琳フアリンと名乗る護衛は驚くほどに若かった。まだ二十代中頃だろうか。

「ちょうどいい。二人でそろっていたか」

 ベッド前のリンネを見やる花琳フアリン

 冷たい灰色のそうぼうに、彫りが深くたんせいな面立ち。

 背丈は成人男性に並ぶだろう。女傭兵の中でも相当なうわぜいだが、どんじゆうさを感じさせないどころか、この至近距離でカイが飛びかかっても即座に反応するだろう──そう感じさせるほどにたたずまいがするどい。

「昼間のしつ室へ。ジャンヌ様がお待ちだ」

「……こんな夜に?」

「人目につかぬ時だからこそ話せることもある」

 彼女がさつそうと歩きだす。リンネを手招きし、カイはその後を追いかけた。

 照明のない一階の階段へ。

「あのさ、向こうの階段は明かりがついてるけど?」

「あの明かりは巡回兵がいるという意味だ。私たちの姿を見られると面倒くさい」

「……部下にも見られたらマズイのかよ」

 夜ふけに賓客室ゲストルームを訪れる。

 それを人類反旗軍レジストの部下にも見つかりたくないとは、どんな話があることか。

「一つ聞きたい」

 階段を上りながら、花琳フアリン

「サキ上級兵から聞いた話だ。彫像魔ガーゴイル身体からだは、石化の法術を自らにかけたもの。水を大量に散布することで身体が濡れて飛べなくなると」

「それもうたがわしいって?」

「雨天に彫像魔ガーゴイルが現れない疑問が解けた。本部の作戦隊長たちがそうかんしていた」

「……そっか。それならよかった」

「その知識も、お前がいたという別の歴史の世界からか?」

 花琳フアリンの足が止まる。

 二階から三階にいたる階段の踊り場で立ち止まり、女護衛がふり向いた。

彫像魔ガーゴイルの弱点は、『人間が大戦に勝利した世界』とやらでは常識だと?」

「記録に残ってたんだ」

 足を止めて彼女を見上げる。

「キッカケは、悪魔あいつらが放った炎を消火するための散水だった。水が彫像魔ガーゴイルつばさにかかった途端にアイツらの動きがにぶったらしい。偶然の産物みたいなもんだけど」

「承知した」

「……今ので終わり?」

 あっさりと花琳フアリンが背を向ける。カイとしては、こんな人目に留まらぬ場所だからこそ、もっとれつな追及が飛んでくるかと覚悟していたが。

「あの円卓にいた幹部たち、あの五人はお前という男を根本的に勘違いしている。それが私とジャンヌ様の共通認識だ」

 再び階段を上っていく女ようへい

「お前の言う『別の歴史』とやらがうそか真かなど、どうでもいい」

「……っていうと?」

「お前の知識が有用かどうか。言ってしまえば我々に必要か否か、それだけが重要だ」

 三階しつ室。

 両開きの扉に手をついて、女護衛がゆっくりとそれを押し開いていった。

「我があるじは、お前を『る』と判断された」

「──ご苦労さま、花琳フアリン

 照明に照らしだされたジャンヌの部屋。

 広い円卓の手前。開かれた扉のすぐ目の前に「彼女」はいた。


 髪をほどいて少女の姿に戻った幼なじみジヤンヌが。


 ふしぎな光を放つうすぎぬのドレスを羽織り。

 円卓に後ろ手をつく格好で、口元にあわい微苦笑を浮かべて立っていた。

「……ジャンヌ?」

「扉、締めてもらえるかしら。見られたらまずいから」

 よく知る幼なじみの声で彼女はそう言った。

 目撃されたくない──花琳フアリンがそう発した言葉の意味がようやくわかった。

「こんばんはカイ。そしてリンネ」

「…………」

 言葉がすぐには出てこない。

 まさか俺のことを思いだした? そう口にする前に、ジャンヌ自身が首を横にふった。

「カイ。あなたの言うことはまだ信じられないわ。あなたがこことは別の世界からやってきて、その世界では私と幼なじみだったなんて」

「……ああ。そうだろうと思う」

「でも何でかな。初めて会った気がしないの。これは本当」

 ふぅとジャンヌが息をつく。

「なぜ男装なんかしてるのか。答えは一つよ。こういう組織じゃ男のフリが便利だから。ずっと父に教育されてきたわ。じぶんが指揮をとれなくなった時のためって」

親父おやじさん、負傷して引退って聞いたよ」

「ええ。だから私がいだの。子供の頃から男のフリをしてたから、私のことを知ってるのは花琳フアリンと、父の部下だった人類反旗軍レジストの幹部だけ。他の部下には秘密で」

「そんな大事な秘密をどうして俺に?」

「私が男のしてるうちは、あなたは私を信用してくれないでしょ」

 交渉のテーブルにつく為の誠意。

 ということは──

「私も花琳フアリンもあなたを高く評価してるわ。悪魔のせつこうと渡り合える実力と、それに知識。あなたは人類反旗軍レジストに光明をもたらすかもしれない」

「……率直に聞くよ。俺に、具体的に何をしろって?」

ネオヴィシャールの死守」

 護衛の花琳フアリンが前に進みでる。

「過去、人類特区ヒユーマンシテイが悪魔の斥候に発見された場合、奴らの大軍が押し寄せる前に、住民たちになんするよう誘導するのが我々の選択だった」

「……今回は違うと?」

「抗戦する。地の利を生かしてだ」

 壁に貼られたウルザれんぽうの地図。

 その所々に赤インクでマルが記されているのを花琳フアリンが指さして。

ネオヴィシャールは五つの人類特区ヒユーマンシテイに囲まれている。これらの都市すべてに人類反旗軍レジストの支部が存在することから、悪魔やつらネオヴィシャールを攻めてきた時は──」

「そうか。五つの都市からの援軍で悪魔を包囲できる」

 逆にネオヴィシャールがちれば、周囲五つの人類特区ヒユーマンシテイまでしんこうを受ける恐れがある。何が何でも守り抜くというのはとうな判断だ。

「人間は見下されてるわ。今回はそれをさかにとるつもり」

 言葉を続けるのはジャンヌ。

「正当なほうしゆうは用意するから協力してほしいの」

「──ねえ」

 カイに密着していたリンネが、カイの背中から顔をのぞかせた。

「わたしそれじゃキリがないと思う」

「え?」

おそってきた悪魔を返り討ちにはできるよ? でも、今度はその報復にもっと多くの悪魔がやってくると思う」

「……ええ。それは承知の上よ」

 指揮官ジャンヌが無言で拳をにぎりしめる。

 わかっている──そんなことは人類反旗軍レジストの長として誰よりも理解している。

 それでも守り抜くしかないのだ。ネオヴィシャールがつぶれれば、周りの人類特区ヒユーマンシテイまでも悪魔のきようさらされることになる。

「俺もリンネと同感だ」

 ホワイトボードまで歩いていく。

 張りつけられた地図の、その中心を指さしてカイは声を振りしぼった。

「抵抗だけじゃ足りない。こっちから攻めこむべきだと思うんだ。王都へ」

「どういう意味かしら。人類特区ヒユーマンシテイねらわれる前に、悪魔のじろになってる王都に攻め入ってしまえと?」

「結果的にはそうなる。だけど狙う悪魔は一体きりだ」

「……一体ですって?」

 ジャンヌと花琳フアリンいぶかしげに目を細める。心当たりが無いのではない。その「一体」に目星がついたからこその反応なのだろう。

「まさか……」

 人類反旗軍レジストの指揮官へ、カイは大きくうなずいた。

「悪魔の英雄を叩く」

めいていヴァネッサを!? 待って、それは本気で言ってるの!?」

「俺の知ってる大戦じゃ人間が勝った。不可能じゃない」

 正史の世界では、預言者シドが冥帝ヴァネッサを撃破。それによって悪魔たちは統率を失ったと記録されている。

「…………冥帝ヴァネッサは怪物よ」

 押し殺した声で、ジャンヌ。

「ここウルザれんぽうの王都ウルザークがかんらくしたのは三十年前。多くの兵が集まって王都を守り通していたと聞くわ。高位悪魔のしゆうげきも押し返して。でも冥帝ヴァネッサが一体きりでぼうえい戦線の前に現れて……」

 一夜にして王都は崩壊した。

 ウルザ連邦の総力が、悪魔の英雄一体を止められずに敗北したのだ。

「何百人でいどんだってせいが増えるだけよ」

冥帝ヴアネツサと直接戦うのは二人でいい。俺とリンネで」

「……あなたたちだけで!?」

 ジャンヌが言葉を失う。

 まじまじとこちらの顔を見つめ、こくんと息をみこんだ後に。

「ウルザ連邦の軍隊が、総力をあげてもかなわなかったのが冥帝ヴアネツサなのに?」

「ああ。だけど数の問題ってわけでもない。俺の知ってる歴史は、たった一人で冥帝ヴアネツサに挑んで撃破した奴がいた。とんでもなくすごい人間の英雄が」

「……それと同じことがあなたにできるの?」

「絶対とは言えないよ。の時とは条件も何もかも違うから」

 当時のシドは、おそらく他種族との戦いに精通していたはずなのだ。

 一方のは人類庁で知識こそ得ているが、悪魔族を初めとした他種族との戦いの経験値が圧倒的に足りていない。冥帝ヴアネツサの撃破を想定した時、おそらくはシド以上にの方が困難な挑戦になるだろう。

「だけど──」

「カイにはわたしがついてるもん」

 力を貸してくれる奴がいる。

 そうカイが言う前に、隣のリンネが手を上げた。

「わたしは強いから。それにカイもたぶん平気。わたしの法術も剣でかわしたし、悪魔たちに囲まれても大丈夫だと思う」

 わたしの法術──

 リンネが口をすべらせたのには肝を冷やしたが、ジャンヌも花琳フアリンも疑問の声を発しない。話の本筋を追うのに夢中で、法術という単語もただの言葉尻とかいしやくしたのだろう。

「大方はリンネの言うとおり。俺たちが駄目だったらすぐ兵を引き上げてくれ。俺とリンネが冥帝ヴアネツサを倒せたら理想。そうでなくても人類反旗軍レジストの被害は抑えられる」

「……でも」

「ジャンヌ、倒せるはずなんだ。人間が悪魔に劣ってるわけじゃない」

 預言者シドがそれを証明した。

 その歴史を覚えているがやるしかないのだ。

利点メリツトは?」

 ぽつりと口にする花琳フアリン

「お前をそこまで突き動かす動機がわからない。人類特区ヒユーマンシテイのために二人で冥帝ヴアネツサいどむ。その危険リスクに釣り合う対価があるようには思えないが」

「……俺だけの勝手な理由さ」

 無意識のうちにこぼれたのはちようの笑みだった。

「俺は、こっちの世界じゃ『存在しない』人間だ。だから逆に、この世界がどうなっても俺には関わり合いがないし、俺が手を差しのべる理由もない」

「それで?」

…………だけど!」

 我知らずのうち、カイは拳をにぎりしめていた。

「サキもアシュランも俺のこと忘れていようが、俺は二人を覚えてる。俺にとっちゃ大事な仲間だ。それにジャンヌ、信じられないだろうけど、俺たちずっと腐れ縁だったんだぜ。そいつらが、こんなどうしようもない状況で命かけて戦ってるのを見て、俺だけ背を向けるのは……嫌なんだよ」

 自分が覚えている世界にかんできたとしよう。

 平和な世界でサキやアシュラン、ジャンヌと再会できたとしよう。

 ……俺は。

 ……この世界で見捨ててきたお前たちにどんな顔で会えばいい?

 ここで背を向けるのは。

 人類庁で共に過ごしてきた仲間への裏切りだ。

「だから俺やる。俺だけが戦うんじゃない。アンタらが戦ってるから俺もやるのさ」

「────そうか」

 女護衛がちんもく

「その上でジャンヌ。俺から人類反旗軍レジストに頼みがある」

「聞かせて」

「俺とリンネで冥帝ヴアネツサいどむ。その間、それ以外の悪魔たちを引きつけてほしい。具体的には人類反旗軍レジストで王都に攻めこんでもらいたい」

 王都へ、総力を集中する。

 めいていヴァネッサのねぐらである政府宮殿についた時点でカイとリンネがだつ。二人が忍びこむ間、人類反旗軍レジストが政府宮殿を囲って暴れるようどう役となる。

「悪魔族は個体数がとにかく多いのが厄介だ。ウルザれんぽう全土に何万体いるかわからないけど……王都にいる悪魔はそう多くないと俺は思う」

「どうして?」

悪魔あいつらが、人間をから相手にしてないからさ。悪魔が敵対ライバル視してるのは残る三種族。つまり大陸の南、東、西を支配する聖霊族と蛮神族と幻獣族だ。そいつらが侵略してくる方が、人間の反乱なんかより一億倍危険だろ?」

 ならば冥帝ヴァネッサはどこに戦力を配置する?

 答えはウルザ連邦の境界線。敵対ライバル種族のしんこうけんせいするために一体でも多くの配下を国境に沿って配置するだろう。

「王都の地形を考えても、政府宮殿のまわりに何百体って悪魔が飛びまわってるとは思えない。せいぜい近場を歩いてるのが数体で、仲間を呼んでも数十体」

 そうだよな──視線を送った先のリンネが、意を察してうなずく仕草。

 推測ではあるが、リンネが冥帝ヴアネツサと戦った時の記憶からできるかぎり正確に割りだした数字である。

 ……悪魔の英雄は、自分の力に絶対の自信をもってる。

 ……政府宮殿のビルに配置する部下も、腹心に限定してるはずなんだ。

 ビル内部には百体もいまい。

 ただし、そこに配置された部下はどれも高位悪魔であるのは間違いないのだが。

人類反旗軍レジストで政府宮殿を包囲するわけね。悪魔がビルに入ってこれないようきとめる。状況次第だけど、数時間なら足止めは十分できると思うわ。ただし……」

 こちらを値踏みするような先ほどの態度はつゆと消えて。

 指揮官として、表情を引き締めたジャンヌがしんな表情で口を開いた。

「王都は広大よ。人類反旗軍レジストの総力で出撃すれば王都に入ったと同時に見張りに見つかる。政府宮殿に行きつく前に妨害される恐れが──」

「地下からしんにゆう可能です」

「……花琳フアリン?」

 ほうけたまなざしのあるじの前で、護衛である女ようへいが円卓へと進みでた。

 王都ウルザークの拡大地図に指をつきつけて。

「政府宮殿の裏に、かつて王家がなんに使った専用地下駅プライベートステーシヨンがあります。悪魔はおろか人間でさえ一般人は存在を知りません」

「…………なんですって」

「この専用地下駅プライベートステーシヨンの線路は、地下でウルザれんぽう全域につながっています。この本部から最寄りの廃駅にも繫がっている」

「そこを通れば政府宮殿の前まで行けるっていうこと?」

「はい。戦車は無理ですがそうこう車なら線路内を走行可能です」

「わかったわ。だけど花琳フアリン? あなたソレをなぜ黙っていたの。王都までの近道があるなら、それは人類反旗軍わたしたちにとって重要な作戦材料のはずよ」

 しつせきにじませる主の口ぶり。

 対し、主を守る役目の女護衛が、珍しくも表情に苦笑いを浮かべてみせた。

「廃駅となった専用地下駅プライベートステーシヨンを利用する政府宮殿への突撃作戦は、十五年前、既に立案されていました。先代様によって」

「お父様が!?」

「はい。ですが当時は冥帝ヴアネツサを撃破する手段がありませんでした。人類反旗軍レジストの兵すべてを投入しても倒すことはできないと、先代様はこの計画を断念されました」

 この作戦は一度きり。

 専用地下駅プライベートステーシヨンの存在が悪魔族に知られた後は、同じ作戦は通用しない。

「先代様はしんちように機を待ちました。冥帝ヴアネツサを撃破する手段が見つかるまで」

「……そこまではわかるわ。でもどうして。お父様が引退なさった時に、その作戦を娘の私が知らされてないのは不自然よ」

じゃないのか?」

 親の心、子知らず。

 ぼうぜんとふり返ったジャンヌに、カイは肩をすくめてみせた。

「政府宮殿に突撃して冥帝ヴアネツサいどむ。そんな命知らずな作戦を娘にさせる親がいるか? 親父おやじさん、本当は自分でやるつもりだったんだろうからな」

「っ」

「そのとおり。付け加えれば、ジャンヌ様が二十歳になった時に、先代様ご本人から話をするとおっしゃっていました。私は命令違反ですね」

「…………ばか」

 うつむくジヤンヌが、従者フアリンの胸に拳をあてる。

 その他愛もない仕草に、どれだけの感情が込められているかはカイにさえもわからない。何年も主従関係を築いてきた二人だけの遣り取りジエスチヤーなのだろう。

「で、ジャンヌどうする?」

「やるわ。専用地下駅プライベートステーシヨンを利用したウルザ政府宮殿への突撃、すぐに作戦会議よ」

 ウルザ人類反旗軍レジストの指揮官が顔を上げる。

 そこにいたる決心は、カイとリンネが耳をうたがうほどに早かった。

「ずいぶん早い決断だな?」

「大前提があるわ。ちゆうちよすればネオヴィシャールがしゆうげきされる。……何が何でも人類特区ヒユーマンシテイは守り抜く。それが霊光の騎士だもの」

 幼なじみであった面影は既になく。

 カイとリンネが見守る前で、ジャンヌが後ろ髪を束ねて結わえていく。

「──やろう。悪魔の英雄への挑戦だ。ウルザれんぽうを取り戻す」

 霊光の騎士ジャンヌは、力強い口調でそう宣言した。

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